水は布になるか?
ひとやすみを終えた俺は、さっそく「水から服を作る」実験に取り掛かった。
⋯⋯オタクくんからすると、何の伏線も無く突然、妙なことを始めたようにも思えるだろう。
説明が遅れてしまったが、コレは元々、エルシーが行っていた研究だ。
魔法で衣服が作れれば、旅の荷物が少し減る。
清潔で新品な服が毎日着たい、でもリュックが重くなるのは困る──。
そんな聖女様の願いを、俺の異世界知識に基づく魔法開発で叶えてあげよう!というワケだ。
⋯⋯まあ、実際に旅をするのは俺だから、やらなくても別に困らないんだけど。
新しい魔法の術式を考えるのは面白いので、暇つぶしがてらやっていくつもりだ。
俺はちょっとしたものを煮込むときに使う小鍋へ水を張り、五徳の上に置く。
メイドのヘレンが首を傾げた。
「⋯⋯ここからどのようにして服を作ると言うのですか?」
「まあ、見てろって。俺の見立てだと、たぶんイケるはずなんだ」
俺はオイルランプに火をつけて、鍋の水を沸かし始めた。
前世でオタクくんから聞いたんだけど、アニメの入浴シーンでは湯気で体を隠すのが定番になっているらしい。
つまり、湯気はある種の服なのだ。
モクモクと立ち上る煙は、羊毛のようにも見えなくないし、魔法の力で上手いこと固めたらフェルトになるんじゃないかな~って。
俺はなんかこう、良い感じに魔法で湯気を一ヶ所に集めて、揉み揉みしながら濃度を上げてみた。
理科の授業だと、こういうのは細かい水の粒が漂ってるだけで、布になんてならないんだろうけど⋯⋯。
しかし、ここは異世界なのである。
暫く湯気を捏ね回していたら、不思議なことに、白いハンカチが出来た。
空中にひらひらと浮かんでるその布切れを俺は手に取ってみる。
「おお! スゲー! マジで布じゃん!」
「まさか、いくら魔法とは言え、そんなこと⋯⋯。ええっ、なんですか、この手触りは!」
ハンカチを指でつついたヘレンが驚く。
しっとりとした滑らかな布地は、下着にだって使えそうなほど柔らかい。
「霧を出す魔法に上手いこと組み合わせて圧縮したら、手品の早着替えみたいなことも出来っかな~!?
どうせなら色も黒とかにしちゃって~! あ、でもあんま凝った形を作ろうすると、凝縮変換でパーンってなっかな?」
俺はアレコレと思いついたことをノートに書き込む。
エルシーの知識とセンスを頼りに、もっとナイスな感じの術式に組み変えていく。
⋯⋯うん。やっぱエルシーの知識量ってスゴいわ。
迷うことなくスラスラとペンが走っていく。
「よし、ヘレン! イメージ固まったから、やるぞ!」
言いながら、俺はブラウスを脱ぎ捨てた。
こんなん着てたら、体の上に服を作れないからな!
上半身だけ肌着姿になった俺に、ヘレンがぎょっとして叫ぶ。「お、お嬢様⋯⋯っ!」
俺は構わず、組み上げたばかりの魔法を起動した。
黒い霧がぶわりと吹き出し、冷気が俺の周囲で渦を巻く。
霧はまるでリボンのように俺の体に絡みつき、ぎゅっと肌を締めつける圧力でそのまま固体化していった。
ポン!と魔力の光が弾けて、完成品が姿を現す。
「よしっ、成功だ!」
俺は自分の体を見下ろす。
ぱっと見のデザインは、黒いビスチェだ。
女物の服には、前世ではほとんど縁が無かったが、エルシーとしての知識がそう言っている。
ツヤツヤと輝く布地には縫い目が存在しておらず、いかにも魔法製の服だ。
俺は工房の棚から鏡を取り出して覗き込んでみた。
⋯⋯下着は脱いでいなかったから、肩紐が出ていて不恰好だが。
実験自体は成功したと言って良いだろう。
首元のドラゴンチョーカーとのコーデもバッチリだ。
「へへっ! やっぱエルシーは天才だわ!」
これ、デザインを男物にしたら、インキュバスゴーレムに憑依した時にも、すぐに服を着られるんじゃないか?
衣装の問題が無くなるのなら、魔王討伐の旅に出た後もアレックスの目を盗んでインキュバス化できるかもしれない!
う~ん、夢が広がるぜ~! 魔法ってスゲ~!!
俺は満面の笑みを浮かべた。
「どうだ、ヘレン! 名付けて、『ミストドレスの魔法』!」
俺はもう一度魔法を発動し、ビスチェにスカートを継ぎ足してみた。
⋯⋯ドレスと言うには丈が短すぎるかな?
でも生成する布面積が増えると、早着替えにはならなくなるし。
デザインについては、着衣完了までのタイムも研究しながら、後で詰めよう。
俺はヘレンの前で一回転して、もう一度「どうだ?」と聞いてみた。
「⋯⋯え、ええ。素敵ですわ、お嬢様。まるで、その⋯⋯ボーゲイの描いた宗教画みたいで」
ヘレンは酷くひきつった笑顔で褒め言葉を絞り出す。
ボーゲイの宗教画と言えば、古代の勇者が悪魔を切り捨てている神話を描いた絵画だ。
お嬢様に気を遣って婉曲な表現をしているが、要は「サキュバスみたいで下品ですよ!」である。
俺は可愛いと思うんだけど、この世界の人ってミニスカートとかで出歩かないからなー。
まあ、そろそろ晩ごはんの時間になるし、今回の実験はここまでにしとくか。
俺は黒霧の服に解体魔法を撃ち込んで、脱ぎ捨てていたブラウスを拾った。