天才薬学者と助手
ゴトゴトゴトゴト……、ガタンッ!! ガコンッ……!!
隣国へと続く道は、悪路の連続だった。
それにいくら大型の馬車とはいえ、足を伸ばしてゆったりと眠れるような広さがあるわけではない。何しろ数台の馬車に、ミリィとオーランド、そして研究所の助手がひとりと、男女ひとりずつの護衛騎士が分かれ乗り合わせているのだから。その上大量の薬の材料も乗せているとあって、窮屈この上ない。
それでもほんのわずかな時間も無駄にはできないと、馬車に揺られながら、つかの間の休憩で野営しながらもオーランドとともに懸命に薬を作り続けた。森ではメギネラを採取することも忘れずに。
そしてようやく隣国の国境内へと入り、森の中で野営していた時のこと――。
「ミリィ、これを飲んでおけ。栄養剤だ。少しは体が楽になる」
「ありがとうございます。オーランド様」
手渡されたのは、いつか自分が薬学院で倒れた日に飲んだのと同じものだった。
本で見つけたメギネラに興味を持ち、王立薬学院の門の前に立っていたのが遠い昔のことのように思えた。まさか自分が隣国の地にまでこようとは――と。
「いよいよですね……。薬が間に合うといいんですけど……」
オーランドとともにミリィが隣国へ向かうという連絡は、すでにランドルフのもとに届いているはずだ。今頃ランドルフたちがどんな状況なのかは知りようもない。
町に着くまでは、道中の材料の採取を考えると数日はかかるだろう。
特効薬どころかおそらく代用できる薬すらないだろうことを考えると、感染はとんでもない勢いで拡大しているに違いない。一体どれだけの薬があれば足りるのか、救える命はあとどれほど生き残っているのかさえわからない。ランドルフが無事かどうかさえ――。
明るい空の下ではなんとか自分を奮い立たせ、大丈夫だと言い聞かせることもできる。けれどこうして日がとっぷりと暮れ暗闇に包まれると、心まで飲み込まれそうになる。
ミリィのそんな不安に気がついたのか、オーランドは。
「……君らしくもない。何を弱気になっている。君はいつも思い立ったらまっすぐ前を向く人間だろう? それが取り柄なんだから、いつもの脳天気な顔をしていろ」
「能天気なんてひどいです……。オーランド様」
わざとおどけた口調で返すオーランドに、ミリィも小さく笑って返す。オーランドなりの励まし方なのだろう。それがなんとも染みる。
パチパチと爆ぜる火の音と、虫の声。夜の静寂の中、火を見つめるオーランドの顔が一瞬ふわりと和らいだ。
「冗談ではなく、本当だ。どんな時も君は君のままでいてくれ。君が明るい希望を信じていてくれたら、きっとまわりの人間はそれだけで前を向いていられる。……多分、私も。きっとあの男もそうなんだろう」
「あの男……??」
「……君の婚約者だよ」
なぜかおもしろくなさそうにそう答えると、オーランドはごろりと草の上に横になった。それきり黙り込んだオーランドから視線を外し、ミリィは夜空を見上げた。
まだ何もわからない中で悪い方に考えても仕方がない。どんな状況だとしても、やるべきことをやるだけだ。ここに天才薬学者と言われるオーランドだっているし、道の先にはランドルフが待っている。
「そうですよね……。先に希望があるって信じなきゃ、何もはじまらないですもんね。希望を現実にするために、きっとできることはたくさんあるって信じなきゃ……。はい! 私、信じます! 能天気でも、斜め上でも希望を信じて突き進みます……!!」
「斜め上……?? なんだそりゃ??」
オーランドが笑い、ふわりと自分の中にあたたかな火が灯る。負けそうになっていた心が、熱を取り戻した気がした。
「オーランド様、ありがとうございます。突然押しかけた私を助手にしてくれて……。私がこんなところまでこれたのは、オーランド様のおかげです! オーランド様はやっぱりすごい人だと思います。誰が何と言ったって、私はオーランド様に出会えて幸運でした!!」
心からそう告げれば、一瞬オーランドが目を見開き泣きそうに顔が歪んだ気がした。
「オーランド様……? どうかなさいましたか……?」
思わずそう問いかければはっとしたようにオーランドは顔を背け、そして。
「いや。……まったく君は、罪作りだな。でも……ありがとう。私を認めてくれて……」
「……え? 今、何て?」
大きく火が爆ぜたせいで聞こえなかったその言葉を、オーランドは教えてはくれなかった。
「いや、なんでもない。……明日も早い。もう休め」
そう言うとオーランドは追い立てるようにしてミリィをテントの中へと追いやった。そしてひとり火を見つめながら、小さくつぶやいたのだった。
「ミリィ……。君に会えて、良かった……」と。




