つかの間の婚約者−3
それは、十二才の時父に連れられて行った王宮でのパーティでのこと。
ミリィは、慣れない華やかな空気に落ち着かない気持ちで隅っこで身を隠していた。その時、近くにいた貴族たちの話を聞いてしまったのだ。
『あんな敵兵ども、ランドルフ殿の力ならばあっという間に殲滅させられるさ! はっはっはっはっ!!』
『そうだとも! 通り過ぎた後には、無惨な死体の山ができているというからな!』
『あれほどの武人はいない! 隣国の奴らなど、尻尾を巻いてすぐに逃げ出すだろうよ』
そのあまりの残酷で心ない会話に、気がつけば会場から駆け出していた。そしてひとり、人気のない庭で泣きじゃくっていた。
『あんまりよ……。敵だからって人の死をあんなふうに笑うなんて……。敵だからって死んでもかまわないだなんて……。人が人を殺すなんてこと、正しいわけないのに……!!』
その瞬間、ガサリ、という音にはっと振り向いた。
視線の先にいたのは、軍服を身にまとった見覚えのある屈強な身体付きの男だった。その額にある大きな痛々しい刀傷。それはまさしくこの国の守り神、ランドルフその人だった。
『あっ……! あなたは……。ご……ごめんなさい……、私……』
よりにもよって敵兵をもっとも多くなぎ倒しているであろうランドルフが、まさかこんなところにいるなんて。しかもまるで責めるような言葉を聞かれてしまったことに、ミリィは身を縮こまらせた。
けれどランドルフは、穏やかに微笑み言ったのだ。
『謝る必要はない。君の言う通りだ。何も間違ってなどいないさ。私の手は多くの血で、すっかり汚れきっている……。人殺しに違いない』と。
『……っ!』
その声ににじむ苦悩に、はっとした。
自国の民を守るためとは言え、敵と剣を交えることに何の苦しみも感じていないはずはないのに。
『お許し……ください。私、ひどいことを……』
けれどランドルフは、首を横に振った。
『剣を手にした以上、殺すか殺されるかしかない。それは互いに覚悟の上だ。だが敵の命を思い涙を流す君は、美しく正しい。謝るな。……それに』
ランドルフは自身の大きなゴツゴツとした両手に視線を落とし、ぐっと握りしめた。
『君のような存在を守るためにこの手が汚れるのなら、致し方ない。それが、私の責務だからな』
『私のような存在を……守る?』
『あぁ、そうだ。犠牲になるのはいつだって自分の身を守る術のない人々だ。私はそんな存在を守りたい。この国の皆が笑って平穏に暮らせるように、な。だから泣くな……』
そう言って微笑むランドルフの顔は穏やかであまりにも優しくて――。
その瞬間、胸の奥でコトリ、と何かが動き出した気がした。
『いいえっ! いいえっ!! ランドルフ様は……!! ランドルフ様の手は、汚れてなどいませんっ! 誰よりも優しくて、強くてあたたかい手です……!!』
『……?』
気がつけば、口から言葉がこぼれ落ちていた。
『ランドルフ様……。私……私も守りますっ!! ランドルフ様だけに重荷を背負わせなくてもいいように……。ただ守られるだけじゃなく、私もこの国を守ります!! ランドルフ様と一緒に……』
剣は振るえなくても、戦場に立つこともできなくても。この人がこの国を守るために苦しむのならば私も一緒に――。
生まれてはじめて感じる熱情に、突き動かされていた。
咄嗟に、髪に挿していたリーファの花を一輪抜き取り差し出した。
『どうかこれを、約束の印に……! リーファの花言葉は幸運です。それを、ランドルフ様のお守りにしてくたさいませっ!』
『私のお守りに?』
『ずっとずっと遠い空の下で、ご無事と幸運をお祈りしております……。そして私も、ランドルフ様とともにこの国を守るとお約束します!! その約束の印です!』
ふわり、と風が吹き抜けて指先でリーファが揺れた。その向こうで、ランドルフがふわりと笑った。
『ふっ……。そうか……。うん……。ありがとう。やはり君は守るべき人だ』
そして私の頭をぽん、と優しくなでリーファを胸ポケットに挿し、去っていったのだった。
この日から、ランドルフは特別な存在になった。リーファの輝くような明るい黄色と、少しほろ苦い思いとともに。
このことは、両親もアルミアも知らない。ランドルフも覚えてはいないだろう。ほんの短い時間の出来事だったし、名乗りもしなかったから。
だから婚約はまったくの偶然で、奇跡のように幸せだった。
それがたとえ、ほんのつかの間のいずれ解消されるべき婚約でも――。
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