王立薬学院の門
王都に暗雲が広がりはじめていた。
ミリィはその日、モーリア侯爵夫人やリーファ会の面々とともに王都にある病院を訪れていた。緊迫した張り詰めた空気に、一同の顔にも焦りと不安が浮かぶ。
「こっちにも薬を……!! それから包帯も足りないわ!」
「また新しい患者さんがきましたっ!! ベッドの空きはあと七つです……!!」
「ここが満床になったら、あとは一時的に町の集会場に患者たちを集めるしかないわね……。困ったわ。もう薬も包帯も残りわずかだし……」
国内では最近、ある流行り病が広がりはじめていた。主な症状は、一週間近く続く高熱と体中に現れる発疹。発疹は熱が収まってからも長く残り、時にひどく痛みも伴う。
この病が広がりはじめたのは、つい先々月のこと。そこからあっという間に国中に広がり、今では数え切れないほどの民が感染していた。
とはいっても、この病は栄養状態や体調が安定している者にとってはそれほど驚異的ではない。抵抗力で跳ねのけられるか、もしくは重症化せずに済む。 よっていくら貧乏貴族とは言え、それなりの暮らしができており若いミリィたちにとってはそれほど恐れるものではない。
けれど、その日食べるものにも困るような栄養状態の悪い者や持病のある者、体が弱っている者にとっては致命的だ。
その未知の病の爆発的な感染力に、王都は大混乱だった。
ミリィは手袋と口元を覆う布をあらためて着け直すと、目の前の患者の口元に水差しを差し込んだ。
「さぁ、少し体を起こしますよ。お薬を持ってきましたからね。まずはお水を飲みましょうか。口を開けて……」
高熱で意識がもうろうとしている老人が、冷たい水に顔を緩ませた。そして発疹を覆っていたガーゼを取り軟膏を塗り込んだ。
モーリア侯爵夫人もリーファ会の面々も、躊躇することなくテキパキと患者たちの世話をこなしていく。
けれど一同の胸には、得も言われぬ不安が広がっていた。一体この国はこの先どうなってしまうのか、と。
アルミアが厳しい顔でつぶやいた。
「ミレットちゃんも発症したって聞いたけど、大丈夫かしら……。あの子、持病があるし体も強くないから心配だわ……。まだ小さいんだし……」
「そうね……。孤児院の子たちだってそうよ。皆栄養状態が良いとは決していえないし……このままじゃあ……」
「もしこのまま病が隅々まで広がってしまったら……とても薬も看護の手も行き渡らないわ……」
友人たちの言葉に、ミリィは目を伏せ両手をぎゅっと握りしめた。
この国は周辺国の中で、医療、特に薬学の分野においては先進国といえる。にも関わらず、この病に特効薬となるようなものはいまだ見つかっていない。この流行病が広がりを見せてからまだそれほどたっていないのだから、致し方がないのだけれど。
(もしもっと感染力を抑え込めるような特効薬が見つかれば、これ以上の拡大は防げる……。でも薬が見つかるよりも先にこんなにものすごい勢いで広まってしまったら、とても間に合わないわ……)
しかもこの病は、徐々に他国にまで広まりつつあった。きっと今頃は、ランドルフのいる国境付近にまで――。
いくら屈強なランドルフたち軍人でも、戦いの続く野営暮らしでは当然体力だって落ちているだろう。栄養のあるものを手に入れることも難しい。医療などもっての外だ。
ミリィは焦りを感じていた。このままではこの国だけでなく、他国にも感染は広がるだろう。その前にこの爆発的な感染力を抑える方法と、特効薬となる薬や治療法が見つからなければどれほどの被害が広まるか――。
そして病に倒れるのは、もしかしたら遠い空の下にいるランドルフたちかもしれない、と。
いても立ってもいられず、ミリィは王立図書館に通い詰め膨大な書物を調べはじめた。なんとかしてこの病に効く薬や治療法はないか、調べるために。
そしてとある考えに思い至った。それを確かめるべく、ある日大きな建物の前に立っていた。一冊の分厚い本を胸に抱いて――。
『王立薬学院』と書かれたその門の向こうには、辺り一帯を広大な森に覆われた濃茶の大きな建物がそびえ立っていた。その前に立ち、ミリィはごくりと息をのんだ。まるで敷地全体が立ち入りを拒んでいるように見えて、決意がぐらりと揺らぐ。
その時だった。背後からその声が聞こえたのは――。
「何の用だ。ここは令嬢が遊びにくるような場所ではないんだが?」
その愛想のかけらもない冷たい声に、ミリィは飛び上がったのだった。




