ランドルフの回想
その頃、遠い空の下では――。
ランドルフが婚約者からこれまでに届いた手紙を、緩みきった顔でそっとなぞっていた。
ランドルフがミリィにはじめて出会ったのは、数年前の王宮で開かれたパーティの席だった。
滅多に袖を通すことのない堅苦しい正装姿にも、贅を尽くした身なりで集う貴族たちのくだらないおしゃべりにも飽き飽きしていた。何よりその日は、とある貴族に自分の幼い娘と婚約をしないかとしつこく持ちかけられ辟易していたし。
だから、こっそりと会場を抜け出したのだ。どこか空気のましなところに逃げ出そうと。
人気のない庭でごろりと横になり、空をぼんやりと見上げていた。流れる雲は穏やかで、平穏そのものだった。血の匂いも、鼻を刺すような火煙の匂いもしない。
その時だ。その声が聞こえてきたのは――。
『あんまりよ……。敵だからって人の死を願うなんてひどい……。死んでもかまわないだなんて……。人が人を殺すことをあんなふうに笑いながら……』
その小さなつぶやきに、思わず身を起こした。
少し離れたところに、ふわふわとしたやわらかな栗色の髪をした小柄な少女が立っていた。
その少女はこちらに気がついた途端、はっと身をこわばらせた。
無理もない。誰もいないと思ったら、地面にこんないかつい顔をした大男が横たわっていたのだから。おまけに少女が口にした言葉は、戦争で誰よりも敵兵の命を奪っているであろう自分に対する皮肉とも取れなくもなかったし。
けれど少女の言うことはもっともだった。人が人を殺すなど、ろくなもんじゃない。何も間違っていない。
けれど少女は、ぽろぽろときれいな涙をこぼしながら何度もあやまり続けた。その上、つい自分の手は汚れきっているのだと愚痴をこぼした自分にこう言ってくれた。
『ランドルフ様の両手は汚れてなどおりません……!! 優しくてあたたかい素晴らしい手です……!!』と。
震える手で自分の髪に差していたリーファの花を一輪差し出し、約束してくれた。自分もともに国を守るためにできることをすると、重荷をともに背負うからと。
少女のひたむきでまっすぐな目に、心打たれた。リーファの花言葉は幸運だと、遠い空から無事と幸運を祈っているというその言葉に、救われた。
国と民の命と平穏を守るためには、剣を振るい手を汚すしかない。けれど血に染まりゆく自分がどこか許せなかった。いつ戦場で命を落としてもかまわない、そう思うくらいにはうんざりもしていた。そんなやるせない気持ちを、優しくすくい上げてくれた気がして――。
その時から、リーファは特別なお守りになった。
その花をくれた少女との思い出も――。
歳月は流れ、陛下に謁見した時にお前もそろそろ身を固めろ、と進言された。
正直結婚など意味がないと思った。いつ死ぬかもわからないのに、家庭など持ってどうするのだと。残された妻も、もし生まれれば子もかわいそうなだけだろうと。けれどその瞬間、脳裏にちらとあの黄色い花が浮かんだ。
もし仮に――、もし、もしも結婚なんてものをすることがあったなら。
ならばあの日リーファをくれたあの少女がいい、と。
リーファ会の精力的な活動はすでに国王の耳にも届いていたしその会を立ち上げたのが、あの時の少女だということを数年後に知った。
あぁ、あの子は約束を忘れていなかった。あの日心に決めたことを何年もたった今も、守ってくれているのだと知った瞬間、世界があの明るい黄色に輝いて見えた。あの日少女がくれた鮮やかなリーファの色に。
だから、つい――。
『私はいつ死ぬか分からぬ身です。そんな男の妻になるなど、女性にとっては不幸でしかないでしょう。けれどもしどうしてもとおっしゃるのでしたら……、私は……ミリィ・レイドリア子爵令嬢と縁を結びたく思います』
そんなことを口走っていた。
その後すぐ、再び戦地へと舞い戻ることになった。だからすっかりそんな話はなかったものになっていると考えていたのだ。が、自分の知らぬところで話はどんどん進み、ある時戦いの最中その知らせは届いたのだった。
あの少女、ミリィ・レイドリア子爵令嬢と自分の婚約が正式に決まった、と――。




