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1.出逢い

鎌倉にある100年以上の長い伝統を誇る私立のミッション系女子校に通う高校2年生、高瀬紀子は、そわそわしていた。毎月、最終の金曜日は、いつもそうだった。

学校の最寄り駅である鎌倉駅からそう遠くない、地元の人達から「八幡様」と呼ばれ親しまれている鶴岡八幡宮を右手に見ながら、北鎌倉方面へ向かって小高い丘の坂道と登って行くと、鬱蒼と茂った木々に囲まれて、その店がある。

紀子は、親からその月のお小遣いが出ると、その店へ買い物に訪れるのが常だった。

それが、毎月最終の金曜日だったのだ。

その日の授業が終わると、今週は自分の班が掃除当番に当っていないことに感謝しつつ、紀子は一刻も早く教室を出ようと、宿題が出た教科の教科書やノートといった必要最低限のものを鞄に素早く詰め込み、自分の席を立った。

すると、背後から「高瀬さん」と自分の名前を呼ぶ声が聞こえ、「うっ」となった。

「なんで、今?!」

そう心の中で不平を言うと、努めて意識的に笑顔を作って振り返った。

振り返った紀子の目に飛び込んできたのは、クラス委員長である品川涼子の姿だった。

「品川さん・・・?」

紀子がそう囁くと、涼子はゆっくりと紀子に近づきながら言った。

「高瀬さん、なんか今日は急いでいるようね? 何か、急用でもあるの?」

紀子は、涼子のその言葉に少しムッとした。

「急いでると思ったんなら、空気読んでそのまま行かせてよ」

極力、表情に出さないように意識してまたもや心の中で文句を言ったが、涼子は気づいたように、

「ごめんなさいね、急いでいるところ。でも、あなたに言っておきたいことがあるの」

紀子の目の前、30センチくらいの距離で立ち止まった涼子は、眉間に皺を寄せ、少しこわばった表情をしていた。

もっとも、このクラス委員長はいつでもこんな表情だったので、紀子はあまり気にしなかった。

「え? 先生への提出物も締め切りのとおり出したし、先週の委員会のミーティングにもちゃんと出席したし、進路希望調査書の提出期限は、来週末よね・・・」

紀子は、記憶の限りクラス委員長から指摘されそうなミスを犯していないか思い出してみたが、該当するような案件は思い出せなかった。

「いいえ、そういうことじゃないのよ。というか、あなたね、私が声をかける時はいつも文句ばかり言うって思ってる?」

涼子は、胸の前で両腕を重ね合わせて言った。

「え、いや、うーん、どうだろう・・・?」

紀子は、涼子の意外な突っ込みにしどろもどろになったが、翻訳すると、「だって、実際、そうじゃない。自分が他人にどう思われてるか、一応気にしてるんだ」になる。

「まあそれは良いわ。人のイメージなんて、他人が勝手な思い込みで作り上げるものだし」

勝手なイメージ?

紀子は、以前どんな要件で涼子に話しかけられたか思い出してみたが、文句しか言われた記憶しかない。

もっとも、涼子から話しかけられたことがあるのは僅か数回しかなく、母集団的には正確な統計を導き出せるようなサンプル数ではなかったが。

「それで、どんな用なの? お察しの通り、私、急いでるんだけど」

涼子が親密な態度で接してこない事を反映し、紀子の対応も冷たいものになっていた。

涼子は、紀子に皮肉を言われた事など意に介さない様子で、要件を口にした。

「高瀬さん、あのね、実は私、あなたが今から行こうとしているところ、知ってるのよ」

紀子は、涼子の意外な発言に面食らった。

紀子は、いつもあの店に行っていることは誰にも言っていないので、少なくとも同じクラスの生徒がそのことを知っているのは、驚きだった。

「あら、そうなの。確かに、クラスメイトの誰にも話したことはないけれど、秘密にしているって訳でもないし。品川さんが、私のストーキングしてるのなら、話は別だけど・・・」

紀子はそう嘯いた。

実のところ、紀子にとってあの店は「自分だけの秘密の場所」のような存在で、出来れば他の人、特にクラスメイトには知られたくはなかった。なんとなくだけど。

「もちろんストーキングなんてしていないわよ。えっとね、いつかあなたに言おうと思ってたんだけど、タイミングがなくて。あのね、実はね、私も好きなのよ、古着」

いやいや、好きな人に告白するんじゃないんだから、タイミングなんて考えず、いつでもいいじゃない。

といっても、強面のクラス委員長が自分と同じように古着好きだと言われたって、私にどうしろと?

「へぇ、そうだったの。委員長が古着好きだなんて、意外だわ。委員長はもっと、こう、雑誌に載ってるような、おしゃれな新品の洋服を買い漁ってるもんだと・・・」

委員長は「はぁ」とため息を付いて、

「どういうイメージよ。まあ、『委員長って休日でも制服着てそう』って言われたのよりはいくらかマシだけど」

あはは。確かにね。その方が、委員長のイメージにぴったりかもね。

そんな風に思って紀子は笑った。

「昔の校則、それも私のお母さんがこの学校に通ってたくらい昔、のね。確かに、その頃は『外出する際は制服着用』ってあったそうだけど、むしろ最近はやたらに制服着て出歩く方が危険というか・・・。そもそも今の時代には合わないし。だから撤廃されて、今は『通学する際と必要に応じて』よ」

流石に、来年度は生徒会長に立候補すると噂されてる委員長、校則には詳しい。

っていうか、委員長のお母さん、この学校のOGだったんだ。

「私、小さい頃から服は姉のお下がりばかりで古着には慣れてて、新品よりちょっと使い古された古着の方が着心地が良いのよ。それに、エコでしょう? 私、勉強したの。被服業界には闇があって、やたらに格安の新品を求めるのは、社会的にもいろいろ問題を抱えてるのよ」

委員長が古着好きになったのは、実に彼女らしい理由だった。

「ふーん。委員長の古着に対する拘りは分かったわ。それで? 古着好きの委員長が私にどうしろと?」

紀子は、もう急ぐのは止めて、自分の机にカバンを置いていた。

別に、五分・十分早く学校を出た所で、それほど変わらない。単に気分的な問題だった。

「高瀬さんこれから“あのお店”に行くんでしょ? でね、えっとね、私もいっしょに行きたいなって・・・」

はぁ?

委員長が、私とショッピング?

今まで、数回しか事務的なやり取りしたことのなかった委員長が、なぜ私と。

紀子は、涼子の意外な申し出に心底驚かされた。

断ろうと思えば、断ることも出来るだろう。

しかし、この時、紀子は涼子の申し出を断ることが、なぜか、後ろめたいような気がした。

古着好きの女子高生がいないわけではないが、少なくともこの学校では、そういう趣味のある生徒がいるという話しは聞いたことがない。

自分は一人っ子だから、一人でいるのは何の寂しさも感じたことがなかった。

でも、同じ趣味の友達がいないというのは、普通の感覚で言えば寂しいことだろう。

もしかすると、委員長、もとい品川涼子は、共通の趣味を持っている友達を探していたのかも知れない。

ここは、委員長のために、一肌脱いでやろう。

紀子は、なんとなくそんな風に思った。

「それは構わないけど」

あれこれ理由をでっち上げて断るのは面倒だし、そもそも断る理由もなかったので紀子は一応はOKしたものの、ちょっとした不安があった。

お店まで、委員長と何を話せばいいんだ。

しかし、そうと決まれば、教室でグダグダ話している暇はない。

「それじゃ、移動しながら話しましょう。閉店まであまり時間はないし、私、基本的に月一回しか行けないから、じっくりと見たいの」

紀子は、店に到着するまでの委員長との話題を温存するかのように、すぐに教室を出ることを提案した。

涼子は、小走りで自分の机に戻って自分の通学鞄を手に取って肩にかけ、やはり小走りで紀子の元に戻ってきた。

「忘れ物はないわね? お店の場所はバス路線から離れてて徒歩でしか行けないから、土日に必要な物を忘れたことに気づいても、学校まで戻るのは面倒よ」

まさか、自分が委員長に指示を出すようになるとは、思いもよらなかった紀子だった。

「大丈夫よ。必要な準備は、行動する前に済ませておく質だから」

そう思ってても、なかなか実行にはうつせないんだけどね。

紀子は、涼子の心がけに感心しつつ、涼子を先導するように、涼子より先に教室を出ていった。その紀子の後を、教室では常にリーダーシップを発揮していた涼子が着いていく。なかなか見られない光景だった。

教室を出ると、廊下は、同じクラス同士連れ立って部活に行く者、帰宅を急ぐ者、通行の妨げになるのも憚らず立ち話をする者など、多くの女子生徒でごった返し、賑やかだった。

学校創立以降、校舎は何度か建て替えられていたり増設されてはいるが、そこそこ古い校舎なので、狭い上に低い天井の廊下が、その混雑に拍車をかけていた。

紀子は、涼子がちゃんと自分の後を付いてきているか心配だったが、一度振り向いてみると、むしろ先頭の紀子が人払い役になっているようで、懸命に人を避けて歩く紀子とは逆に、涼子の足取りは思いの外軽いようだった。

紀子はふと、夏祭りの縁日で、はぐれないように父親と手を繋ぎながら歩いたことを思い出した。

「まさか、涼子と手を繋ぐ訳にはいかんだろ。もっとも、その必要もないみたいだし」

変な想像が頭をよぎり、紀子は微笑した。

その時、やや俯いて歩いていた涼子が、自分のことを見られていることに気づき、視線を上げた。

一瞬、紀子と涼子はお互いの目が合った。

「どうしたの? 何がおかしいの?」

涼子もまた、微笑みながらそう訊いてきた。

「いや、別に」

紀子はそう言って正面を向く。

この、女子生徒でごった返した廊下を後ろを向いたまま歩くのが危険ということもあるけれど、多分、同じクラスになって初めてみた涼子の笑顔が思いのほか可愛かったので、照れ隠しでもあった。

「ねぇ、本当にどうしたの? いきなり振り向いて」

笑いながらそう言ってくる涼子。明らかに紀子をからかっている。

涼子の表情を見なくても、紀子には彼女の声の調子で分かった。

「だから、何でもないって言ってるでしょ! あんたがちゃんと付いてきてるかどうか確認しただけ!」

五月の、初夏の西日が強烈に両目を直撃する眩しさに幻滅したためか、紀子は声をやや荒らげて言った。

「ふーん。そんなに私の事が心配なら、手でも繋ぎましょうか」

涼子は、今までよりずっとクダけた調子、いや、軽々しいといった方が相応しいような口調で言った。

紀子は「こいつ、優等生の堅物だと思ってたけど、意外とチャラいやつなんじゃ?」と、涼子の人柄を疑いながらも「もうすぐ昇降口だから、頑張って付いて来い」と言ってはぐらかす。

昇降口といっても、この高校は上履きではなく、下履き、つまり土足のままなので、靴を履き替える必要はない。下履きから上履きに履き替えるのは、体育館に入るときだけだ。

昇降口は東側にあるので、さっきまでの強烈な西日が校舎で遮られ、紀子は安堵した。

廊下では紀子の後ろを歩いていた涼子が、紀子の横に並んだ。

涼子は、紀子の横に並ぶや否や、なんの躊躇もなく自分の左腕を紀子の右腕に絡めてきた。

二人が履いている学校指定のローファーの足音が響き、コツコツと心地よい二重奏を奏でる。

「な、なにいきなり腕組んでくるのよ!?」

紀子が驚いて涼子に訴える。

それは、他の生徒や先生に見られたらどうするんだ、という懸念よりも、涼子が一方的に自分と腕を組んできた事実自体に対する純粋な驚きだった。

「いいじゃない。この時間、学校から鎌倉駅まではもちろん、八幡様の参道も観光客で混んでて歩きにくいわ。こうすればはぐれないでしょ。それに、今日はちょっと肌寒いし」

確かに、学校の校門を出てから駅までは自校の生徒と観光客、駅を過ぎればすぐに鶴岡八幡宮の参道に入って、やはり多数の観光客で道は混んでいる。

鎌倉にある神社仏閣、いわゆる観光スポットは鎌倉駅近くにある鶴岡八幡宮を中心に、半径二キロくらいの周辺に集中していて、いずれもほぼ徒歩圏内にある。もし足を伸ばすにしても、JRで鎌倉駅とそれほど距離の離れていない隣駅、北鎌倉までなので、移動は徒歩で十分だ。

さらに鎌倉は全体的に道幅が狭い割に、多数の観光客が訪れ、真夏になればそれに海水浴客が加わって、もう、本当に人で溢れかえる。

日本全国の有名な観光地の中で、観光スポットが狭い地域に一極集中している鎌倉は、トップクラスに混み合うスポットなのではないだろうか。

鎌倉が世界遺産に登録されていないのも、「世界遺産に登録されて、これ以上観光客が増えたら人が入りきれない」と市長が言ったからという都市伝説もあったくらいだ。

だからって、女同士で腕を組んで歩くのは気恥ずかしいし、さすがに暑い。

涼子が言ったように、朝まで昨日から雨が降り続いていたから、この時期にしては低めの気温だったけど、昼過ぎに太陽が出てからは、みるみる気温が上昇してきた。

しかし、来週から衣替え、というこの初夏の日差しはさすがに半端なく、涼子のいうように肌寒いという程ではなかった。

委員長ってば、どんだけ寒がりなのよ。

突然の「腕組み」に対する紀子のクレームは、華麗にスルーされてしまったので、紀子は話題を変えることにした。

「ところでさ、委員長は“あのお店”の場所は、知ってるの?」

涼子の悪戯に翻弄されていたので忘れていたが、教室で涼子が「“あのお店”に一緒に行きたい」と言ってきたときから気になっていたことを訊いた。

「ええ、知ってるわよ。県立近代美術館別館の隣でしょ? 八幡様の裏手辺り」

紀子は、涼子が“あのお店”の場所を知っていたことよりも、地元の人くらいしか使わない「八幡様」という言葉を発したことが気になった。

「『八幡様』って、委員長の地元、鎌倉なの?」

ところが、涼子の答えは判然とはしないものだった。

「いいえ・・・あ、うーん、生まれは鎌倉なので厳密にはそうだけど・・・。今は鵠沼よ。藤沢白百合学園の近く」

涼子は、首を振りながら言った。

「ああ、引っ越したんだ。藤沢白百合学園って、あのお嬢様学校か。っていうか、鎌倉から鵠沼って、微妙だな」

別に、他人の家の事情に無遠慮に首を突っ込む気はなかったが、紀子は素直な感想を言った。

鵠沼は、鎌倉から西に七、八キロの距離だ。

「うん・・・。鎌倉はね、ちょっと。『気』が強すぎて・・・」

珍しく、涼子が殆ど聞き取れないくらいの声量で呟いた。

「え? “き”が強いって言った?」

「いいえ、何でもないわ。うちは先祖代々鎌倉だったけど、今は観光客がいっぱいでしょ? 裏路地の方まで新しい飲食店がたくさん増えて、賑やかになったから、もう少し静かな場所に住もうってなった訳」

涼子は、俯きながら言い、紀子と組んだ腕にやや力が入った。

「確かにね。私は北鎌倉の外れの方だから、あんまり観光客は流れてこないから静かなものだけれど、学校に近づくにつれて人が増えていくのはこたえるし」

そりゃ、観光地に人が増えるのは良いことだけど、鎌倉は観光地の他に、高級住宅街という側面も持っている。飲食店やお土産屋の並ぶ幹線道路から一歩裏路地に入ると、観光地の面影は一切なくなり、そこは一気に世田谷や田園調布といった高級住宅街の雰囲気に変わる。そういった部分も、京都や奈良といった観光地と鎌倉が大きく違うところだ。

「あと、お店の場所を知ってるってことは、もしかして委員長、“あのお店”の常連だったりする?」

紀子が一番気になっていたのは、そのことだった。

「いいえ、初めてよ。ずっと行きたいと思っていたお店だったのだけれど、なかなか行く機会がなくてねー」

意外にも、涼子は今までとは違う、明るい口調でそう言った。

「でね、そのことで、私、あなたに言うことがあるのよ」

涼子は、紀子の右腕と組んだ左腕を、右手でポンポンと軽く叩いた。

紀子が「え?」と思って涼子の方を向くと、涼子は紀子の目を真っ直ぐに見つめながら、その先を続けた。

「実はね、先月、“あのお店”に入ろうと思ったら、高瀬さんが入って行くのが見えてね。なんとなく、鉢合わせするのが気まずい感じがしてね・・・」

言い終わって、涼子はニコッと笑った。

「で、お店には寄らず、そのまま帰ったっての?」

「いいえ。折角そこまで坂を上がっていったのだから、近代美術館の彫刻庭園冷やかして時間潰したわ」

聞くと、館内に展示されている絵画を観覧するには入場料が必要だけれど、庭園に並べられている彫刻の観覧は無料なのだという。といっても、館内の観覧料は、高校生なら一◯◯円くらいらしいけど。

「それで委員長は、私が古着好きだと睨んだわけか・・・」

「そうよ。もっとも、最初は、“あのお店”でバイトしてる可能性を考えたわ。けれど、あの日以降、一向に“あのお店”に行くようなそぶりはなかったからね、今日までは。その上で“あのお店”に入って行くという事実を踏まえれば、古着に興味があるって結論にしかならないじゃん」

紀子は、その涼子の発言を聞いて、今までのことが納得できた。

「つまり、最初に“あのお店”で私と顔を合わせるのを避けたのは、私が校則で禁止されているバイトを“あのお店”でやってると思ったからで、今日、私が“あのお店”に一ヶ月ぶりに行こうとしているのを見て、私が月一で行くのなら“あのお店”でバイトしてるんじゃなく、古着好きだからだって推理したってことね」

涼子は満足そうにそう言って、さっきと同じように、自分の左腕と組まれている紀子の右腕を右手で優しく撫でた。

「簡単に言えば、そう。それでも、“あのお店”でバイトしてる可能性が完全に消えたわけじゃないけれど、高瀬さんが六時間目の授業の終わり近くになると、何度も時計見たり片付けをしたりして、急にそわそわし出したから、今日“あのお店”に行くのかなと思って、ちょっとカマかけてみたのよ」

涼子のその言葉を聞いて、紀子はちょっとムカついたが、それは涼子なりの気遣いなのだと気づいて、考え直した。

「私が“あのお店”でバイトしていたとして、どうしても顔を合わせたくないって場合、“あのお店”に行くには、私がバイトを入れていない日を確実に狙わないといけない訳で。従業員なのか客なのか見極めるために、そんなカマかけたの?」

今度は、紀子が組まれた右腕に、左手を添えた。

「まあ、別にどっちでも良かったんだけどねー。今思えば、校則で禁止されてるバイトをしている現場を、クラス委員長に目撃されて慌てふためく高瀬さんってのも、見てみたかったかも?」

前言撤回。

紀子は、絶対こっちの発言の方が涼子の真意に近いと思った。

「絶対そっちの方が本根だ!?」

「当たり前じゃん!」

委員長の言葉の語尾が、方言という程ではないのだが、この地方特有の「じゃん」になっていることが紀子には新鮮だった。

確か、今の今まで、紀子は委員長が「じゃん」と口に出しているところを聞いた記憶はない。

学校では、クラス委員長という立場もあってか、ずっと緊張しているのだろう。

その緊張が解け、今は涼子の素の姿が出ているのだ。

気がつくと、二人はもう既に鶴岡八幡宮の「三の鳥居」と呼ばれる鳥居前の交差点まで来ていた。

「もうすぐね」

「ええ、そこの坂の途中」

紀子が、“あのお店”の方向を指さす。

「それにしても、八幡様の参道って駅前からここまで、いつ歩いても長いわね」

涼子が、今来た参道を振り返って言う。

「そうなのよね。狛犬が置かれてる『二の鳥居』をくぐってから、この『三の鳥居』まで、五◯◯メートルでしょ?」

紀子も同じ方向に振り向く。

「そのくらいね。しかも遠近法で、駅側から見ると道幅が次第に細くなるような作りになっていて、実際よりも長く見えるような構造になってるの。『二の鳥居』のある箇所の道幅より、ここの道幅の方が狭くなっているでしょう?」

今度は、自分たちの足元を見るため、二人して俯く。

紀子は、「確かにそうかも」と思った。

周囲から見ると「この女子高生たちは何キョロキョロしてんだ」と不審に思われるだろう。

もっとも、同性同士でカップルのように腕組みしている方が、それよりも気にはなるだろうが。

「だけど、厳密には八幡様の参道は、由比ヶ浜の海岸までずっと続いてるんだけどね。横須賀線の高架を道路に交差して作る際『二の鳥居』より南側にあった、周囲の道路より一段高くなっている部分をなくして平坦にしちゃったから、途中で切れているように見えるのよ。大昔『浜の大鳥居』と呼ばれた『一の鳥居』が、うちの学校よりずっと海岸側にあるのを見れば分かるけど」

涼子は、更に鶴岡八幡宮の参道うんちくを続ける。

「さすが元地元民。よく知ってるわね」

紀子は、思わず涼子の頭を撫でてやりたい衝動に駆られたが、さすがに今それをするのは憚られた。

「ちなみに『一の鳥居』は、建立時はもっと内陸にあったそうよ。ちょうど、うちらの学校がある辺りかな」

「え、それって、うちの学校を作る時に移動したとか、じゃないよね?」

「あはは、ぜーんぜん。だって『一の鳥居』の位置が移動されたのって、確か、戦国時代だったはず」

「なんだ、四◯◯年以上前の話か。時間のスケールが壮大過ぎて、感覚バグるわ」

「そりゃ、八幡様が創建されたのが十一世紀じゃん? 戦国時代で、既に五◯◯年の由緒ある歴史的建造物だったのだから」

二人で話し込んでいるうち、交差点の歩行者用信号が青に変わった。

二人は、参道横の車道を横断すると、鶴岡八幡宮の「三の鳥居」を右手に見ながら、道なりに歩いて行った。

そのままずっと先に進むと、一キロほどで鎌倉駅の隣駅、北鎌倉駅に行き着く。さすがに、八幡宮から北鎌倉駅まで徒歩で向かう観光客は少なく、二人の周囲の人影はまばらになった。

しかし、歩道の道幅は狭く、人一人がやっと歩けるくらいしかなかったので、腕組みは解消となった。

腕組みを解消してからは、学校の廊下を歩いた時と同じように、紀子が先を歩き、涼子が彼女の後から付いてくる。

大きく左にカーブする道路を進んでいくと、“あのお店”の看板が見えてきた。

「鎌倉used clothes K.U.C.」

それが“あのお店”の名称だった。

「着いたわ」

「ええ、そうね」

二人して、確認するように言い合った。

「いい? 入るわよ、委員長」

「もちろんよ、高瀬さん。私達、そのために来たのでしょ?」

もちろん、それが愚問であることは紀子も自覚していた。しかし、なぜだかはわからなかったが、なんとなく紀子は店に入る前に涼子に確認しなくてはいけない気持ちに駆られた。

もしかすると、いつも一人で来店している自分が、連れといっしょにやって来たことが気恥ずかしかったのかもしれないし、もしかすると、涼子をこの店に入れたくない嫉妬心や邪な気持ちによる、時間稼ぎだったのかもしれない。

しかし、それはどちらも違っていた。

この時の紀子は気がつくはずもなかったのだが、紀子はその真実を後から痛いほど納得させられることになる。

成り行きから、自然と紀子が先陣を切って店内に入ることになった。

道路から階段三段を分登り、出入り口のドアを押して開ける。

カランカランと、聞き馴染みのあるドアベルの乾いた音が控えめに響くと、店の奥のカウンターから店主の「いらっしゃいませ」という、澄んだソプラノが聞こえてきた。

「こんにちは」

いつものように、紀子がその声に応えて挨拶をする。

紀子に習って、涼子も「お邪魔します」と挨拶。

「あら、今月はお友達とごいっしょ?」

奥のカウンターから出てきて、二人をわざわざ出迎えてくれたのは、店長だった。

歳の頃は三十代前半から中盤くらいで、色白で肩甲骨の辺りまで伸びたロング・ヘアーが印象的な、スレンダーな体型の美しい女性だ。

紀子は、店長に「はい、同じクラスの・・・」と曖昧な受け答えをした。

店長は、

「あら、紀子ちゃんと同じクラスのお友達なのね。私はこの店の店長、三輪世津子です。よく来てくれたわね。これからも、よろしくね」

涼子に微笑みながら、挨拶した。

紀子が涼子を見ると、彼女の瞳は三輪店長に釘付けになってるようだった。

思えば、自分も三輪店長を初めて見たときには、同じような表情をしていたかもしれない。

なんというか、紀子には、三輪店長にはその美しさ以上の、何かしらの魅力が宿っているように感じられてならなかった。

三輪店長は、紀子の瞳を見つめる。

「紀子ちゃん、今月はね、大幅な商品の入れ替えがあったから、見応えがあるわよ。じっくり見ていってね」

このお店では、概ね毎月中旬以降に商品が新入荷し、季節ごとに商品の大幅な入れ替えが行われる。

紀子は、未だ三輪店長を見つめてフリーズしている涼子の肩を叩いた。

「どうしたの、委員長。早く見ないと、お店終わっちゃうわよ」

涼子は、紀子の言葉で我に返って、

「そ、そうね。思ったよりたくさんの商品があって驚いちゃった。私はこっちのコーナーから見るわ」

そう言って、涼子は小走りでそのコーナーの方に姿を消した。

「なんなのよ、もう。ボウッとしてると思ったら、いきなり動き出したりして。ほんと、あの子ったら、どういう性格してるんだか」

紀子は、あまり他人に深入りするタイプではなかった。しかし、完璧な優等生で常に好きのない行動をしていると思いこんでいた涼子に、意外にも、まるで下級生を見ているような「天然」な部分があることが徐々に分かって来ると、自分が世話をしてあげなければいけないという、義務感のようなものが生まれてきた。

だが、今は涼子の世話を焼いている場合ではない。

だから、せめてそう小言だけを言って、自分も古着探索を始めた。

今回の「買い出し」で、紀子が特に狙いを定めて来たのは、トップスだった。

翌週から衣替えになるが、梅雨が明けるまでは、雨が降ると信じられないくらい肌寒い気温にまで温度が下がる時がある。でも、冬に着ていたトップスでは生地が厚手過ぎて、さすがに暑苦しくなる。

だから、晩春から初夏のための中間的な服が欲しかったのだ。

そして、この店では、トップスのコーナが充実している。

紀子がトップスのコーナーを見始めると、すぐに驚くくらい素敵なアイテムが目に止まった。

というか、実際に驚いた。

「なにこれ!? こんな服、信じられない・・・」

紀子が発見したのは、鮮やかなスカイブルーが印象的な、シルクサテンのボウタイ・ブラウスだった。

シルクサテンは、今まで紀子が本格的に目にしたり手にしたりしたことのない、初めて経験する布地だった。

表面上、こんなに美しい光沢を放っていてツルツルして滑らかなのに、布地自体の質感は極めて繊細でしっとりした柔らかさがあって、紀子は指先がこの布地に触れた瞬間、その手触りの気持ちよさにうっとりした。

さらに、光沢のある布地が自分の指の動きに合わせて輝きを増していく、その美しさにも心を奪われた。

「これが・・・シルクサテン・・・。トロみがあってしっとりした、妖艶な感触・・・。ナイロンやポリエステルも似てるけど、全く似て非なるものね」

紀子は、ブラウスのボウタイを右手で優しく包み、そのまま襟元から先端に向かって右手を滑らせた。

すると、ボウタイからは、細やかだけれどしっかりと聞き取れる音量でシュルシュルという鳴き声を発した。

シルクサテンの滑らかな感触は、ボウタイを握った紀子の手のひらをくすぐり、紀子の身体中を甘美で艶めかしさを伴った快楽が駆け巡るように広がっていった。

紀子の頭の中は、初めて触れたシルクサテンの布地の柔らかさ、滑らかさ、そして肌触りの良さでいっぱいになった。彼女は、完全にシルクサテンの虜になっていた。

紀子が訪れたそのコーナーには、他にも十着ほどシルクサテンのブラウスがハンガーに掛けられていた。

紀子は、次々にそのブラウスを手に取ってみた。その手触りは一つ一つ異なっていたが、そのどれもが紀子の心を高揚させた。紀子は、自分の中に熱い衝動が次第に芽生えていく息吹を強く感じていった。

そこで紀子は、厳選に厳選を重ね、お小遣いの許す限り、三着のお気に入りのブラウスを選んで購入することに決めた。

紀子がレジ・カウンターに行くと、三輪店長が笑顔で声をかけてきた。

「あら、ずいぶん早かったようだけど、紀子ちゃん、気に入った商品はあった?」

「はい。今回は、本当に素敵な商品に出会えました!」

意気揚々とその言葉に答える紀子。

彼女がカウンターに三着のシルクサテンのブラウスを差し出す。

「あらあら。紀子ちゃんもついにこういう大人っぽい服を選ぶようになったのね。シルクサテンのブラウスはね、女性の美しさを引き立てて、魅力的な女性として輝かせてくれるのよ」

三輪店長は、そう言いながらレジに値段を打っていったが、一番下にあった三着目のブラウスに来た瞬間、レジを打つ店長の手が止まった。

それは、紀子が一番最初に触れたスカイブルーのボウタイ・ブラウスだった。

「これは・・・」

この店で使われているレジは、昭和の時代からあるようなアンティーク調のレジスターで、数字のキーを押すとタイプライターのようにカシャカシャと音を立てる。

しかし、店長の手が止まったことで、その場をなんとも言えないような雰囲気の静寂が支配した。

ブラウスを頷いたまま見つめる三輪店長。

やがて、三輪店長は目だけを紀子に向けた。

「紀子ちゃん・・・。変なことを訊くようだけど、このブラウスも、買うんだよね?」

一瞬、紀子は訳がわからず、「え?」と素っ頓狂な声を上げた。

「はい・・・もちろん、です――。私、あのコーナーにあったシルクサテンのブラウスの中で、このブラウスが一番気に入ったものですし・・・」

するとそこに、涼子が店内散策から戻って来た。

「あ、高瀬さん、そのブラウス買うんだ。わー、綺麗な色ね!」

そう言って無邪気に笑う涼子。

店長は、涼子の黄色い声を聞いて我に返ったのか、再びレジを打ち出した。

「そうよね。そのために持ってきてくれたんだものね。紀子ちゃんに気に入ってもらえて、[[rb:きっと喜んでくれると思うわ > ・・・・・・・・・・・・・]]」。

三輪店長のその言葉に、紀子は違和感を感じた。

“きっと喜んでくれる”とは誰のことを指しているんだろう?

もしかすると、“ブラウスが喜んでくれる”っていう意味だろうか。

紀子は、三輪店長に聞き返そうとも思ったが、きっと言葉の綾かなんかだろうと思い直し、そのまま聞き流すことにした。

涼子が、ワンピースやらカーディガンやらを両手いっぱいに抱えていたので、時間をとるのも悪い気がしたのもあるが、なんとなくそこは掘り下げてはいけないことのように感じたからだ。

両者が会計を済まし、三輪店長と短い別れの挨拶をして店を出た頃には、辺りの景色は、夕日で真っ赤にそまっていた。

それにしても、涼子は今買った衣服を入れた大きな袋を両手に下げている。

いくらなんでも買いすぎやしないか。

「委員長、ずいぶんとたくさん買ったのね?」

紀子はいくらか皮肉を交えて言った。

しかし、涼子は戦利品を抱えて浮かれているのか、そんなことには気づかず、素直な喜びの言葉を口にした。

「うん。今日は来てよかったわ。思いの外、素敵な服がたくさんあったから、つい・・・」

満面の笑みの涼子。

紀子が彼女のこんな笑顔を見たのは、これが初めてだった。

「てか、高瀬さんは意外に少ないのね。確か、ブラウス三着だったっけ?」

紀子の手には、通学鞄よりも小さな袋が一つ握られているだけだった。

「今日はね、量より質。あまりたくさん買っても、クローゼットに入り切らないし」

「それも一つの考え方ね。私は、クローゼットいっぱいになったら、家族のといっしょに近所のバザーとかフリマに出すから、そんなにかさばることはないけどね」

独り言のように静かに言う涼子。

おそらく「そうすることが正解だ」的に、意見が押し付けがましく聞こえるのを避けているのだろう。

「それはそうと、まだ少し時間も早いし、ちょっとそこでお茶でもどう?」

涼子が切り出した。

見ると、古着屋の前の道路を渡って少し向こう側に、個人経営らしい喫茶店があった。

「そうね。委員長はその荷物持って、また駅まで一キロくらい歩かなきゃだしね。まだ人通りも多いし」

鎌倉は有名な観光地ではあるが、有名な観光スポットは狭い範囲に集中していて一日あれば十分すべてのスポットを廻れるし、一時間も電車に乗れば都心まで出ることが出来る。だから、大きな宿泊施設はあまりないので、夜遅くまで観光客で賑わうということはない。

しかし、日没してから一時間も経っていないこの時間の人通りは、昼間と大差ない。

「高瀬さんだって、北鎌倉の端の方でしょ? 私より荷物は少ないとはいえ、同じくらい歩くわよね」

確かにその通りだが、品川涼子は鎌倉駅からはまた江ノ電に乗って行かなければならない。

という訳で、涼子の疲れを癒やすため、喫茶店でお茶をすることになった。

二人が喫茶店に入ろうとすると、観光客と思しき大人数の団体さんがちょうど店を出てくるところだった。

喫茶店の中は、決して狭くはないが、今の団体さんでほとんどいっぱいだったのだろうか、店内に残っている客は数人しかいなかった。

紀子と涼子が、窓際の席に向かい合って座ると、オーナーらしい六十歳少し越えたくらいの白髪交じりの男性がオーダーを取りに来た。

紀子がウィンナ・コーヒー、涼子がブレンド・コーヒーを頼むと、しばらくして、今度は自分たちより少し歳上の、バイトらしい若い茶髪の男性が飲み物を持ってきた。

オーナーの息子さんだとすると、歳が若すぎる。

二人の注文品が目の前に置かれると、しばらくの沈黙。

その後で、紀子がウィンナ・コーヒーに浮かんだクリームを気だるそうにスプーンでかき混ぜながら、涼子に言った。

「実はね、私、委員長に謝らなければいけないことがあるの」

やおら、紀子の口をついた突然の言葉にも、涼子は冷静さを保っていた。

「なによ、改まって」

涼子は、コーヒーにミルクだけ入れると、一口飲んだ。

「私ね、ずっと、委員長ってなんていけすかない人なんだろうと思ってた」

涼子は、音を立てずにコーヒーカップをソーサーに置くと、紀子を真正面から直視して静かに言った。

「でしょうね。でも、そう言われるのは慣れてるから、平気よ」

彼女のこの言葉は、強がりでも、ましてウソでもないようだった。

「多分、今のクラスの人は、ほとんど全員そう思ってるかもね。それが、100%誤解だとも言い切れないのは、自覚してる。実際、今までみんなと、そういうふうな接し方しかしてこなかったしね。だから、高瀬さんの私への評価は、それで間違ってないわ」

涼子にそう言われて、紀子は「ふふ」と微かに笑った。

「でもね、今日、あなたといっしょにいて、分かったの。委員長って、ずいぶん他人との距離感が近い人なんだなって」

「他人との距離感が近い?」

紀子の言った、今まで自分が他人から言われたこともないし、自分でも意識していない評価に、きょとんとした表情をする涼子。

「だって、そうでしょう? 今まで一回も雑談したことないのに、いきなりいっしょにショッピング行こうって言い出したり、いきなり腕組んできたり。他の人にあれこれ煩く言うのだって、距離感が近いから、相手がどんな反応をするかなんて気にせず、ずけずけ言ってくるんだと思う」

コーヒーを飲もうとして、カップを口元に近づけたものの、手が止まる涼子。

「私って、そんなに煩かった?」

涼子は、未見に深々としたシワを寄せながら紀子に訊いた。

やっぱり、と紀子は思った。

「うん。お母さんと同じくらい。まあ、委員長って役職がら、仕方ないとは思うけど。委員長の・・・」

紀子がその先を続けようとした瞬間、涼子が突然口を挟んだ。

「あのさ・・・」

学校を出てから、別人のようにニコニコして温和だった涼子の表情が、いつもの彼女の表情にもどり、その口調も鋭さを湛えた物言いだった。

「その『委員長』っての、止めてもらえないかしら?」

「え?」

「だから、私のこと『委員長』って呼ぶの、よして欲しいの」

「あ、ゴメン」

意外な、そして突然の要求に、紀子はマグカップをソーサーに置く際、スプーンに軽くぶつけてカチャンと少し音をたててしまった。

「いや、そんな、別に怒ってはいないんだけどね。そろそろ、名前で呼んで欲しいなって思って・・・」

「名前って『品川さん』で良いの?」

静かに首を左右に振る涼子。

「涼子ちゃん」

「はい?」

「だから、これから私のことは『涼子ちゃん』って呼んで? 私も、高瀬さんのこと、紀子ちゃんて呼ぶから」

アホか。

なんでそんな、いきなり下の名前で呼び合わなきゃならんのだ。

「ほら、そういうところ」

「え?」

「委員・・・リョウコチャンのそういうところが、他人との距離感が近いって言ってるの」

紀子は、試しに、言われた通り、涼子のことを「リョウコチャン」と呼んではみたが、小さい頃からの幼なじみで、ずっとそう呼んできたのならともかく、さっきまで役職名で呼んでいたのに、いきなり名前で呼ぶのは、やりちょっと気恥ずかしかった。

「私、さっき紀子ちゃんが言ったように、今まであまりクラスメイトと仲良くしてこなかったから『友達』とそう呼び合うのが憧れだったの。紀子ちゃんとなら、大丈夫かなって思ったけど・・・」

そう言って俯く涼子。

「『友達』、かぁ・・・」

喫茶店の窓の外に目をやりながら呟く紀子。

「つまり、涼子ちゃんは、友達が欲しかった訳だ」

喫茶店の眼の前の国道を、ヘッドライトをハイビームにて走り抜ける一台の車。

もう、外はすっかり暗くなっていた。

「私と友達になるの、嫌?」

心配そうな表情の涼子が、紀子に訊いてくる。

「そうねえ。嫌、ではないかな。友達になれば、お小言も、少しは減るかもしれないしね」

そういって悪戯っぽい表情で笑う紀子。

紀子の言葉を真に受けたのか、渋い表情で固まる涼子。

紀子は、涼子のその表情を見て、さらに笑いがこみ上げてきた。

「冗談よ冗談。私も友達作るの苦手で、ゴールデン・ウィークもとっくに過ぎたのに、親しく話する人もまだいなくて。でも、別にこのままでも良いかなって。それが今日、涼子ちゃんと少しいっしょにいて、涼子ちゃんの、残念なところ、もっと知りたいって思ってたところだし」

楽しそうに笑いながら紀子が言った。

「残念なところって・・・」

複雑な表情を浮かべる涼子。

「だって、そうじゃない。今だって、いくらなんでも古着、買いすぎだし、三浦店長に見とれてボウッとしたり・・・」

紀子が笑いながらそう言うと、涼子はまたいつもの凛とした表情を取り戻した。

「あのね・・・そのことなんだけど・・・」

神妙そうな口調で切り出す涼子。

ただならぬ涼子の雰囲気に、一気に笑いが収まる紀子。

「これから話すことは、確たる証拠はないし、都市伝説みたいなものなので話半分に聞いてもらって構わないんだけどね?」

涼子はそう前置きをして、紀子に確認を求めてきた。

「突然何なの? 涼子ちゃん、都市伝説にも興味あるんだ?」

紀子も涼子も、歴史の長い鎌倉に小さい頃から住んでいる以上、鎌倉の歴史の中で語り継がれてきた伝説はいくつも聞いてきた。だから、ある程度は都市伝説に関する“免疫”のようなものが出来ているので、多少真実味がある話であっても、話半分どころか、頭から鵜呑みにするようなことは殆どなかった。

「都市伝説そのものへの興味はないわ。鎌倉には、そんなの履いて捨てるほどあるもの。でもね、この話は、うちの家で代々語り継がれてきたもので、一般には全く知られていない話だし、さっきも言ったように、確証のない話だから、信じるかどうかは紀子ちゃんに任せるけど。一応は『事実』として話すので、かなり突拍子もないことも言うけど、茶化したり、頭から否定して聞いて欲しくはないの。大丈夫、かな?」

いつになく真剣な表情の涼子に、紀子は圧倒されたが、涼子がどんな話をするのか、正直言って興味があったので、話してもらうことにした。

涼子の口から語られる話を、紀子はにわかには信じられなかった。

しかし、真剣に話しをする涼子の表情を見ていると、それが全くのでまかせでないだろうと思った。

そのときの紀子には、後に涼子の話が、まさか自分に降り掛かってくる“災難”の予兆だと知る由はなかった。


つづく。

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