お外でディナーって言ったらおいしそうにきこえちゃうよね
かばんからまず、とび出てきたのは、赤い布
私の大切な「ママの匂いのするブランケット」だった。
壊れやすいものばかり入っているこの鞄に、クッション材がわりに詰めてきたのだ
これが一番大事なくらいだから、泣く泣く諦めたものも、もちろんある
(とはいえ、荷物の箱の中に入れただけだけど)
このブランケットは、絶対に無くしたくなくて、手元から話したくないものの代表。
孤児院で、皆に散々「ホコリ臭くて汚いから捨てろ」と言われまくっていたからね。
でも、どうしてもどうしても捨てられなくて、必死に隠しては守ってきた、私の宝物。
確かにもうボロボロになってきてしまっているのだけれど、
赤地に黄色の格子模様はすりきれてきてはいるのだけれど。
このブランケットに顔を埋めるとやっぱりママの匂いがしている
ふんわりと、お花の香りと、パンの匂い、そして、お日様の香り。
毎日つけていたあの香水の匂いじゃない。
お湯を浴びた後の、そして朝一番の、ママの匂い。
あの朝、ママが随分と力強く「入院するから」って、言ってたのも
そう言ってそそくさと立ち去った後ろ姿が朝焼けの中でやけに美しかったことも
よく、覚えている。
あの日、ママはブランケットとこの鞄に詰めたちょっとした荷物を添えた私を孤児院に置いていった
そこからは、1度も、会っていない。
2度と会えなくなってしまった、私のママの匂いだ。
あの時もひとりぼっちだったけれど、けれど、街の中だった。
ハウスマザーが見つけるまで、色々な音がして、人が動いていたのをずっと眺めていた覚えがある
ここじゃあ、誰もいないし、動いているのは風の中の草くらいなものだ。
ぽいっと放置される運命でも抱えてしまっているのだろうか私は全くもう。
もともと入れていた荷物はブランケットだけではもちろんない。
その他にはちょっとした着替えと、読書灯、お気に入りの茶葉、
一番大切にしていたティーカップとティーポット、スープボウル。
うさぎのぬいぐるみの「サー・ホプキンス」と、友達と撮った大切な写真。
聖典、ハウスマザーのクッキーと無理矢理持たされた大きなパンにちょっとした燻製肉。
お土産に、と思って持ってきた花を閉じ込めたキャンディーたち。
そのほかにもこまこまとした、わたしの「大切」たちだけを詰めてきたはずなのに。
……皮袋の水筒? チーズ? 携帯用のコンロセット!? こんなもの入れた覚えはない。
ん、なんだろうこの包みは。
中に入っていたのは、防水布に包まれたやたらと肉をたくさん詰め込んだサンドイッチだった。
やたらと豪華だな。でも。日持ちは、しなさそう。
多分、私、まるまる1日寝てたとかじゃないと思うから、きっとまだ食べれる、よね。
川袋の中にはたっぷりの水。
鍋の中には小さな袋。
よくみてみたら、スパイスとハーブの粉末と乾燥野菜のようだった。
……スープセットですか。
いいでしょう、なんだかよくわからなすぎるけど、いただいてやりましょう。
ここまで周到に用意されているんだから、毒を仕込まれているとかもなさそうすぎだわ
それに、気づいたらめちゃめちゃお腹も空いている。
夜は、長いのだからね。
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よっぽど、お腹が空いていたのかもしれない。
お湯を沸かして、食事に支度をし始めた途端、お腹が鳴きっぱなしで止まらなくなった。
お昼を食べたのは覚えているけど、そこから今、夕暮れ時ちょっと過ぎくらいだから
まさに今は、夕ご飯タイム、なのであった。
夕ご飯タイムに夕ご飯を食べられる、という幸せ。
これも結界がなかったら大変な作業になってしまうはずのものだ
とくに食べ物の匂いがすぐに獣たちを呼び寄せてしまうのが、恐ろしいはずだ
結界に守られているから大丈夫、のはずだ
だとはいえ、昨日のように可愛らしい狐たちがウロウロしているなら良いが
近くまで大きいものがやってきてしまったら、ここに一人でいる私はそりゃ怖いだろう
昨日は、一人じゃなかったから、小さかったから呑気に楽しんでいられたのだ。
今日は、できれば何も出てきてくれなければ良いと、思う。
結果としては、非常に満足してしまった。
こんなにちゃんと食べたのって、なかなかないわ。
お茶も飲んだ。
そして、スープも飲んだ。
サンドイッチを食べて、チーズもかじった。
全部、めちゃめちゃ美味しかった。
ちょっとびっくりするくらい、美味しかった。
お肉は柔らかいのに肉のあじがめっちゃしたし
スープはあんな乾燥してるのに、野菜っぽかった。
チーズだってふんわりしてるのかと思うくらうのとろとろで、
正直、人生で一番美味しいものを食べてしまったんじゃないかと思うほど、だった
うう、もう一度食べたいけど
どこの誰が置いてくれたものなのかすら一切わからないのだからきっと、不可能だ
ううう、あのお肉、なんのお肉だったのかすらわからないなんて。
もしかしたら、私がここに置きざりにされたのは「悪意」のためではないのかもしれない。
何か事情があるのかもしれない。
だれかに細々と、過ごしやすいように気を遣ってもらえているようにおもえてきたのだ。
寒くないか、暗くないか、おなかはすかないか、のどはかわかないか、
心配してもらえているように、おもえるのだ
……まあ、死んでしまう人間への「最期のお情け」かもというセンもきえないけれども。
だとしても、あんなにおいしいものを選んでくれるなんて
それだけできっと良い人に違いないなんておもえてしまう
食べ物に釣られやすい自覚はある。
単純なのかもしれない。
でも、なんとなく、その気遣いが、私の不安を宥めていてくれているような気がしたのだ。
ハウスマザーのパンを薄く切って、火で炙りながら追加で淹れたお茶を飲む。
はーー、あったかい。
とりあえず、生きてるわ。
生きてるわー。
食べること、食べられるもの、生きてることには常に感謝しろ、って聖典は言ってた
それはすごく得難いありがたいことなのだから、って。
ほんとにそうだよねぇ、って今ならめちゃめちゃ実感込めてうなづくことができるよ。
うん、大丈夫、あたし、生きてる、