三色の鈴緒に武運長久を願って
巫女達によって掃き清められた、堺県防人神社の境内。
神聖にして清らかな佇まいは何時の季節でも趣深いのだけれど、空気が冷たく澄んだ冬の時期は、その清浄さも一層に際立つように感じられる。
何度となく目にした静謐な佇まいだけど、飽きるという事は無かった。
それは恐らく、「この世界を守るために戦い抜いた」という自負心があるからなのだろう。
きっと私だけでなく、この堺県防人神社に祀られている全ての英霊が、同じ自負心を持っているはずだ。
そんな私の物思いは、肩を軽く叩かれた感触で中断されるのだけど。
「随分とセンチな面をしてんじゃないか、里香。人類解放戦線の園里香准将補閣下ともあろう御方が、らしくないぜ。」
振り向いた先で笑いかけてくるのは、軍服に身を包んだ二十歳前の少女だった。
彼女が纏うオリーブドラブ色の詰襟は、人類解放戦線の母体となった特殊部隊である、日本帝国陸軍女子特務戦隊の軍装だ。
昔は私も、あの詰襟に袖を通していたっけ…
「もう…からかわないでよ、誉理ちゃん。私にだって、物思いに耽りたい時もあるんだから。」
外見年齢では私の方が一回りも上回っていたし、彼女の襟に付いた階級章も尉官の物だ。
だけどモスクワで戦死した時の誉理ちゃんは私と同い年だったし、陸軍女子士官学校時代からの友達同士という間柄もあるから、「友呂岐誉理大尉」という厳めしい呼び方より、ちゃん付けでタメ口の方がしっくり来るんだよね。
それに准将補とか大尉とか言ったって、戦死による二階級特進なんだもの。
「ハルビンで戦死した私が誉理ちゃんの魂に導かれて帰郷してから、何十年も経っちゃった。この堺県防人神社の英霊になって、色々あったと思ってさ…」
「里香より先に逝った分、私の方が詳しいがね。珪素獣の連中を一掃したと思ったら、人間同士の戦争が再発して、里香が私達の仲間入りをしちまうんだから、驚いたもんさ。」
隣へ腰掛けた誉理ちゃんが、普段の快活さからは意外な程に落ち着いた口振りで私の話に同調する。
特殊能力に覚醒した少女兵士の連合軍を結成する事で、異次元から現れた珪素生命体の侵略を、地球人類は辛くも退けた。
少女兵士の連合軍は「人類解放戦線」として組織され、戦後の国際社会の守護者として秩序回復に尽くしたが、その新秩序に反旗を翻すテロ勢力との戦いが、新たに勃発してしまった。
こうして勃発した「アムール戦争」で私は戦死し、英霊の仲間入りを果たした事になるの。
その後、国家間の大規模戦こそ無いものの、テロリストやカルト宗教を始めとする悪の秘密結社や、生体兵器や未確認生物といった巨大怪獣の脅威は、未だになくなっていない。
かつて私が所属していた防衛組織も、多様化する悪の脅威に対応するために再編されてから、随分な年月が経ってしまった。
再編後の「人類防衛機構」という組織名より「人類解放戦線」の方が、私としては馴染み深いのだけどね。
そんな私の気持ちを察したのだろう。
誉理ちゃんはシリアスムードこそ崩さなかったものの、殊更に快活な微笑を浮かべたんだ。
「確かに百点満点の世界とは言えないだろうな。だけど、あの時の私達が踏ん張ったからこそ未来に希望を繋げられたんだし、残せた物もある訳だろ?」
疑問符こそ付いていたけど、その問い掛けが念押しだという事は明白だった。
「そら…見てみな、里香!里香が現世に残せた希望の御出ましだよ。」
私の沈黙を肯定と解釈した誉理ちゃんの興味は、境内に現れた参拝客に移っていたんだ。
三十路半ばに差し掛かった男女と、小学校高学年の少女。
あの親子連れ三人こそ、私が現世に残せた希望だった。
誉理ちゃんが言う通りだよ。
「里香の孫娘の樟葉ちゃんも、今じゃあんな大きな娘を持つ母親とはな。立派に育ったもんだよ。」
「見る度に美しくなるのね、樟葉…京花も、あんなに大きくなって…」
孫娘と曾孫を見る目が、涙でぼやけてしまう。
身体を失い、霊体だけとなった私なのに…
幼い息子と夫を遺して逝く事。
それだけが、戦死した私の心残りだった。
しかし、帝国海軍主計科の夫は、私の両親と協力して息子を育て上げてくれたし、立派に成長した息子も、樟葉という女の子を産んでくれた。
孫娘の樟葉が枚方家に嫁ぐ日は、喜ばしいような寂しいような複雑な想いに駆られたっけ。
一度も抱いてあげられなかった薄情な祖母だけれど、孫娘が元気に成長する姿を見るのは、喜ばしかったんだよ。
「オマケに孫娘の京花ちゃん…里香と同じ道を進むらしいよ。」
誉理ちゃんに指で示されなくても、孫娘の装いを見れば一目瞭然だった。
黒いセーラーカラーと赤いネクタイで彩られた水色のジャケットに、黒いミニスカとニーハイソックス。
それは私達の後を継ぎ、平和維持に尽力している人類防衛機構の士官候補生が纏う訓練服だった。
養成コースでの訓練期間が修了し、特命遊撃士として正式に任命された暁には、あのジャケットも純白の遊撃服に改められるのだ。
順当に行けば、右肩に金色の飾緒を頂く佐官に昇級するのも、そう遠い日ではないだろう。
その時が今から待ち遠しかったよ。
「さあ、京花…曾御祖母様に御報告致しましょうね。」
娘の手を軽く引いて促したのは樟葉だけで、スーツ姿の義理の孫は、妻と娘の動向を一歩引いて見守っていた。
-英霊となった曾祖母には、血の繋がった孫と曾孫とで御参りして貰いたい。
そんな気遣いの出来る孫娘の婿には、頭が下がる思いだった。
「勿論だよ、お母さん。敵残党の自爆から命を賭して上官を庇われた曾御祖母様は、皇国防人乙女の誉れだもの!」
母親としての立ち振る舞いが板に付いた樟葉へ応じる快活な笑顔も、左側頭部で揺れるサイドテールの青髪も。
曾孫である京花の姿は、何から何まで少女時代の私に瓜二つだった。
息子と孫娘が繋いでくれた、私の血脈。
遺伝子内の二重螺旋が起こしてくれた奇跡に、私は目を見張るばかりだった。
英霊となった私と誉理ちゃんが見守る前で、柔和な笑みを浮かべていた京花の顔が、キリッと凛々しく引き締まる。
襟を正し、気持ちを切り替えたのだ。
平凡な小学生の少女から、人類防衛機構の防人乙女へと。
「人類解放戦線所属、園里香准将補閣下!自分は貴官の曾孫に当たる、人類防衛機構極東支部近畿ブロック堺県第2支局所属の特命遊撃士養成コース訓練生、枚方京花准尉であります!」
背筋を伸ばした孫娘は、グッと握り締めた右拳を左胸にかざした。
それは人類防衛機構式の敬礼姿勢だった。
「お疲れ様です、枚方京花准尉!」
その凛々しくも美しい姿に、私達の答礼姿勢にも、思わず力が入ってしまう。
最終軍歴が人類解放戦線の私は、京花と同じ敬礼の姿勢だけど、大日本帝国陸軍女子特務戦隊の少尉として戦死した誉理ちゃんは、陸軍式の挙手注目敬礼。
そうした違いが、何とも味わい深かったよ。
「曾祖母にして偉大な先人でいらっしゃる貴官の名に恥じぬよう、自分も人類防衛機構の防人乙女として、正義の為に戦い抜く所存であります。」
京花が敬礼姿勢を崩すのを見計らって、正装した孫夫婦が本殿へ歩み寄り、親娘揃って賽銭箱へ小銭を投げ入れたんだ。
「御祖母様、京花の武運長久を何卒よろしく御願い致します…」
神妙な面持ちで合掌する孫娘の姿を見ると、胸が締め付けられるようだよ。
結婚式の白無垢姿が、昨日の事のように思い出せるのに…
ジャラジャラと鈴が鳴り響く音が、私の意識を現実へと引き戻す。
「どうぞ御力添えを、曾御祖母様…」
本殿の軒から垂れ下がっている鈴緒をギュッと握ったのは、水色の訓練服に袖を通した京花だった。
紅、白、そして紫。
三色の縄で構成される鈴緒の螺旋を見ていると、過去から現在、そして未来に渡って受け継がれていく物に、つい想いを馳せてしまうんだ。
「ほら、里香!行ってやんなよ。あんたの孫娘と曾孫が、武運長久を願ってるんだからさ。」
「分かったよ、誉理ちゃん…」
英霊仲間の少女の言葉に弾かれるように、私は孫娘一家に駆け寄った。
霊体である私の事を、生者である孫達が認識出来るのか。
正直言って、心許ない。
-だけど、せめて何かを伝えたい。
そんな想いで私は、合掌する樟葉と京花に寄り添い、そっと肩を抱いたんだ。
「お母さん…?私に今、『ありがとう。』って言わなかった?」
「えっ?てっきり京花だと思ったんだけど…」
互いに顔を見合わせ合う、孫娘と曾孫。
そして、頬を綻ばせる私。
この一風変わった親族三代水入らずの触れ合いを、誉理ちゃんを始めとする英霊仲間達が慈しむような目で見守ってくれていたんだ。