母の名前
「すみません。少しよろしいですか?」
「へ? 私ですか?」
悪巧み中のメノアに、後方から突然声をかけられる。
感情の消えた冷たい声でビックリした。
メノアが慌てて振り向くと、そこにはレーナと歳が近そうな女の子がいる。
ちょっと見惚れてしまうくらいに綺麗な黒髪。
目や口は笑っているのに、どういうわけか感情は読み取れない。
不思議な雰囲気だ。
「メノアさん……ですよね?」
「そうですよ~。あ、もしかしてファンの人かな?」
「ええ、そんなところです。今お時間大丈夫ですか?」
「げげっ⁉ 今からパフェ食べようと思ってたんだけど……」
黒髪の女の子はメノアという名前を知っていた。
ミルド国の人間で自分のことを知ってくれている人間は珍しい。
できるだけファンのお願いは聞いてあげたいところだが、タイミングが何とも絶妙だった。
パフェを焦らしに焦らされて今、あと数歩歩けば辿り着ける状況。
むむむ……と悩まされる。
「あぁ失礼しました。ちょっとお話がありまして」
「お話? このお店の中じゃダメですか?」
「人が多いところは避けたくて……ここで待っていますのでその後なら大丈夫ですか?」
「あ、むーん……やっぱり、そこまでしなくて大丈夫です。今からお話ししましょう!」
悩んだ挙句、パフェを後回しにすることに決定。
この女の子は何か本当に大事なことを話したいという様子だ。
ただサインを求めてくるようなファンとは全然違う。
かと言って、たまに現れる身の程知らずなチャレンジャーというわけでもない。
何か明確な目的を持ってメノアに話しかけている。
「ありがとうございます。では場所を移しましょう」
「場所を変えなきゃいけないほど大事な話なんだ?」
「はい。他の人に聞かれるわけにはいきませんので」
ふーん、とメノア。
「アナタのお名前は? 一般人じゃないよね?」
「どうして一般人ではないと?」
「歩き方だけ見ても分かるよ。肩に無駄な力が入ってないし、軸がしっかり通ってる」
「……私はマリアと申します。一般人かどうかはご想像にお任せしますね」
黒髪の女の子は自分のことをマリアと名乗った。
メノアは自分の頭の中でマリアという名を検索するが、ヒットする人間は残念ながらいなかった。
一般人でないことは一目で分かるが、冒険者かどうかまでは分からない。
もしかしたらギルドの関係者である人間なのかも。
それならメノアのことを知っていてもおかしくないし、こうして場所を変えてまで重要な話をするのも頷ける。
「……ねぇ、どこまで行くの~? 裏道とか薄暗い道はやめた方がいいよ~。女の子なんだからさ」
「もう少し先です。そこで落ち着いてお話ができる場所があるので」
「治安が悪そうな場所だなぁ。怖い怖い」
違和感を唱えるメノアに構わず、マリアは人気が少ない裏道をグングンと進んでいた。
仕方がないのでメノアは彼女に付いて行くが、いくら外に漏らしたくないからといってここまで徹底するだろうか。
ましてや、ギルド関係者ならこんな場所を使わずとも、ギルドの奥にある部屋を使えばいい。
よっぽどの理由があるのか、それともマリアに関する予想が間違っているのか。
メノアは少し警戒度を上げる。
幸い今日は武器を持ち歩いているため、何かあった場合は痛い目を見てもらおう。
「――着きました」
「え? ここ?」
「はい。ここに地下室に続く扉があります」
「おぉー、秘密基地みたい!」
二人が到着したのは、裏道の行き止まりに当たる場所。
壁には無数の落書き、足元にはゴミが入った袋。とても衛生的とは言えない。
ここから先には進めないが、よく見ると左に鉄製の頑丈な扉がある。
この扉を越えて階段を下りれば、マリアの言う地下室に続くとのこと。
自分たちしか知らない感覚――子どもの頃に憧れていた秘密基地を思い出す。
普通の人間はこういう場所に嫌悪感を示すが、メノアはちょっとズレた反応を見せた。
「意外ですね。疑って付いてこないと思っていました」
「面白そうだったからね♪ あ、でも疑ってないわけじゃないよ?」
「そうですか。流石です」
地下室に続く階段を下りていく二人。
そして、階段と地下室を繋ぐもう一つの扉を開ける。
その地下室は、メノアが想像していたものとは違った。
何というか、かなり生活感がある部屋なのだ。
使った形跡のあるベッド。出しっぱなしにしてある食器。飲みかけの瓶。床に落ちている服や下着。机の上で散らかっている何かの情報をまとめた紙。
とにかく目に入るものを挙げていったらキリがない。
密会の場所として用意している部屋と思っていたため、椅子と机しかない空間を予想していたが……これじゃまるでお尋ね者の潜伏先だ。
もしかしてマリアがここに住んでいる?
それなら、ギルド関係者という線はかなり薄くなる。
「これは……どういうことかな?」
「散らかっていますが気にしないでください。掃除をする暇もなかったもので」
「マリアってここに住んでるの?」
「えぇ。昔を思い出せるので結構気に入っています」
「ギルドの関係者じゃなかったんだ……昔を思い出せるって、アナタどんな生活してたの?」
日の光も入ってこないこんな部屋で生活していたら、いつか気が狂ってしまいそうなものなのだが、これで昔を思い出せることに違和感しかない。
受刑者のような暮らしをしていなければ、こんなセリフは出てこないはずだ。
「表の社会ではないとだけ。長い間あの母の下で働いていたものですから」
「あの母?」
「聖女ですよ」




