外堀
さて。宰相様、始動です。
朝食を一緒に取り、今後しばらく、週1で手紙のやり取りをする事とする。
ファシエ家に挨拶に行くと、目論見通り、午後から登城となったファシエ伯爵と伯爵夫人が在宅しており、レイローズとの婚約を申し込んだ。
グラート侯爵家の方が、家格が上であり、宰相の妻という事で、とても歓迎される。
登城する伯爵は、国では、鉄道管理局にいる。直接の接点は無いが、冷徹と噂される自分の相手という事がひっかかるのか、やや心配そうにしており、対して夫人が諸手を挙げて大喜びしていた。
権力に弱いのかと思ったが、そうでは無かったらしい。今期、貴族の令息に人気があるのは知っていたが、もう、既に婚約の申し入れは、20件を上回っていたらしい。
が、レイローズ本人が、まだ考えられないと拒否したとのこと。
監視の為と言っていたのに、なぜこんなに大事にするのか!と、レイローズが怒っているのは感じたが、あえて無視する。
夫人が「想う人がいるなら、教えてって言ってたのに」と、拗ねた様子で、ニコニコとレイローズに詰め寄っていて、レイローズが苦笑いしていた。
それから、ファシエ伯爵夫人に手を回し、母親が新しいドレスを作るという名目にして8月夜会のドレスと装飾を一式、作らせて贈った。
「ねえ。どうして、私が貴方のエスコートで舞踏会に参加しないといけないんです?」
当日まで秘密にしていた為、レイローズが苛立っている。
「おや。婚約者殿、どうしてそんなに不機嫌なのかな?もしかして、私が贈ったドレスは気に入らなかった?」
「そうではなくって。お会いして、お話をする為と・・・。」
人前で、どう言えばいいのか、非難の言葉も出てこないらしい。
「ああ。会いに行けなかったのが寂しかったのかな?大丈夫。今日は、ゆっくり話せるよ。」
今日で仕上げだから、お楽しみはこれからだよ。
「ですから、前回お話ししたのは、6月。まだ、8月なんですよ。たったの2カ月で、どうして貴方と舞踏会に参加しますの?派手な事に関わらないと約束した筈です。」
「ええ。約束は覚えていますよ。私の同伴は、今回限りで構いませんが。今日ばかりは、是非とも来て頂かないと。」
今日で、完全に退路を塞いであげましょう。
いかにも不本意だと、頰を膨らませて怒る姿は、微笑ましい。
「ローズ。何を怒ってるの?こんな素敵なドレスを贈って頂いて、エスコートに来て頂いて。貴女を驚かせて、喜ばせようとしてくださってるのに、わがままばかり言ってはいけないわ。嫌われてしまいますよ。」
母親に言われて、押し黙ってしまった。
「もう嫌だ。貴方のせいで、学院も、行きたくない」
「私と結婚すれば、行かなくてもいいですよ。」
いつでも囲ってやるのに。本当に、元々、学院など行きたくなどないのでしょう?
ねえ。貴女は覚えていないかもしれませんが、私が貴女をその不安の中から連れだしてあげますよ。
舞踏会会場に着くと、
「私以外を見てはいけませんよ?」
と、レイローズにだけ聞こえる声で、念押しして顔を覗き込んだ。
驚いて顔が真っ赤になっているレイローズ。男に免疫が無さすぎる。この国は、女性に甘い言葉を囁くような文化が根付いている。うかうかしていると、あっという間に他の男に連れて行かれそうだ。まあ、そうはさせないがな。
「おや。いつも冷静沈着な宰相を骨抜きにする令嬢が現れるとは。驚きだな。」
国王が砕けた態度の為、略礼をして発言する。ローズも私に合わせて臣下の礼をとる。
「ええ、彼女は私の運命です。決して手放したりはしませんよ。さあ、ローズ、顔を上げて、陛下にご挨拶を。」
笑顔で催促する。
「ファシエ家長女、レイローズと申します。」
笑顔が引きつってるな。まあ、緊張ととれるからいいだろう。
「レイローズとやら。難儀な者に目をつけられたのぅ。これの隣は大変だと思うが、この国には無くてはならない者だからの。よく支えてやってくれ。」
「彼女の学院の卒業を待って籍を入れ、式を挙げるつもりでおります。」
すかさず、公に明らかにする。
「そうか。それは慶事じゃの。その時は、ここで盛大に祝うとしよう。」
よし、国王、よく言った。
「有難き幸せ。」
「今宵は仕事は忘れて楽しむと良い。」
ご機嫌に去って行く国王。今日はここ数ヶ月で1番いい仕事をしたと褒めてやろう。
明日は、仕事量を少し減らしてやろうではないか。
レイローズをエスコートし、各公爵、他国からの招待客に、順々に挨拶をする。
女性を連れているのが珍しいという理由で、婚約の事実確認に来た者もいた。
娘を押し付けようとしていた数名は、顔が引き攣り、娘の令嬢が、遠くからものすごい形相で睨んでいたが、レイローズからは見えないように誘導した。
何故、挨拶程度しかした事が無いのに、あの令嬢達は自分が選ばれると思っていたのだろう。無様な様子は愉快だが、面倒だ。後で覚えていろ。
そんな事を考えていると、父がこちらに向かってくる。
「ああ。ちょうどいい所に、父上。彼女が話をしていたファシエ家令嬢、レイローズです。」
「おお。何と。この目で見るまでは信じられなかったがな。リオンの父で、リガー・グラートだ。グラート家は君を歓迎するよ。今度、家に遊びにおいで。リオンは急に物事を進めるから、君も苦労する事もあるだろうが、まあ、慣れれば大丈夫だ。」
温厚と言われる父だが、私の腹黒さは父親譲りだからな。レイローズが私のターゲットになったのは明白だから、後継問題を考えて、絶対に逃さないように父は父で動くだろう。
「レイローズと申します。よろしくお願いします。」
微かにレイローズが震えている。これはもう、パニックなのかな?
「ほら、あそこにクラリッサがいるから、リオン。連れて行っておやり、彼女も大喜びだから。」
「父上に言われずとも、ちゃんと母上にも挨拶をしますよ。」
そのまま、レイローズを母の元へエスコートする。
「母上。」
「あらあら。リオン。本当にお嬢さんを連れて来てくれたのね。嬉しいわ。」
あらあら、うふふと、母が笑う。抜けているようで、妙に人の機微に聡い。きっと、母は、レイローズが私に捕まったのだとすぐに気がつくだろう。
「まあ。クラリッサ様、おめでとうございます。御子息のご結婚を心待ちにされておりましたもの。これで益々、グラート家は安泰ね。宰相様、レイローズ嬢、おめでとうございます。」
母と会話していたリットラント侯爵夫人がレイローズに駄目押しする。この人、ワザとやってるな。いや、有り難いが。貸しという事か?
「ありがとうございます。リットラント侯爵夫人。レイローズは人見知りでして。社交の場では、どうぞお力添えを。」
「ええ。もちろんよ。まだ、学院の学生さんなのでしょう。お相手が宰相様だと、大変でしょう。こんなに連れ回されて、緊張しない方がおかしいわ。本当に、初々しくって、お可愛らしい方。」
まあ、この人が味方なら、社交界でも苦労する事はあるまい。
「レイローズと申します。よろしくお願い致します。」
さぁ。もうそろそろ、レイローズが限界かな。
「リオン、ずっと挨拶に連れ回しているのでしょう?可愛そうだわ。私とはまたゆっくりお話できるから、少し座らせて休憩させてあげなさい。レイローズ嬢、本当の娘のつもりで私にも甘えてくれると嬉しいわ。私には子供がリオン1人だから、本当に娘ができて嬉しいのよ。」
「はい。ありがとうございます。」
レイローズが遠慮がちに微笑む。
流石、母上、よくわかっていらっしゃるな。
「では、母上のおっしゃる通り、彼女を休ませて来ますね。」
レイローズを連れて舞踏会のメイン会場を出る。
廊下に来た途端に、レイローズがフラついた。
「顔色が悪い。」
抱きあげる。遠巻きに見ていたものが驚いている。
「あっ。あのっ。」
顔が真っ赤だ。
「軽いですよ。大丈夫。」
そうにこやかに言い、仲の良さを見せつける形で廊下を堂々と歩いて行く。
どこからどう見ても、仲の良い婚約者同士だ。
「随分無理をさせてしまいましたね。私の予想以上に人が集まりましたね。よく頑張りました。」
レイローズの瞳がうるっとしたが、ハッとした表情で、
「下ろして下さい。歩けます。」
と、慌てたように言う。
「だめです。」
「どうして?」
「ふふ。見せる事に意味があるんですよ?」
周囲を見て、注目の的になっている事に気がつくと、なお真っ赤になっている。
これは可愛い。
「うん、やっぱり、私の選択は間違えてなかった。」
「下ろして。」
「嫌です。」
「お願いですから。」
「もう着きます。」
彼女を執務室のソファに降ろして、横に座る。
「ここは?」
「私の執務室です。ここなら、防音魔法がかかっていますから、何を話しても大丈夫ですよ。」
「あっ。貴方!貴方ねえっ。どういう事よっ!!」
「どういう事、とは?」
さて、どう出ますか。
「婚約者なのは、話をする為の方便で、本当に婚約するなんてっ…貴方と結婚するなんて言ってないわっ。」
「そうですねぇ。でも、偽装のまま終わらすとも言っていない。」
ニッコリと微笑む。
「なっ・・・。」
二の句も継げないらしい。
「でも、王に祝福され、諸侯に祝福され、両家にも祝福された。今まで私の妻になりたいとあの手この手で擦り寄っていた女達も、今日は絶望的な表情をしていましたよ。実に愉快な1日だった。勿論、約束は守りますよ。貴方がお嫌なら、二度と夜会など出なくても良い。妻が夜会で情報収集しなくても、私は私のやり方でやっていけますから。」
貴女を助けると、約束しましたからね。
「外堀を埋められた気分はいかがですか?」
覗き込むと、彼女が逃げようとして、結局、押し倒した格好となる。
涙目で睨んでくるものの、迫力もなく、真っ赤になって照れている。
「ああ。可愛いですね。涙目なのも私にはツボです。全く。本当に前の世の記憶があるのかと疑ってしまうような純粋さですね。」
右頰に手を添え、反対の左の頰に軽くキスを落とす。
緊張して、恥じらって、震えている。
「気になる子ほどいじってしまう男子の悪い癖ですねぇ。加虐趣味は無いはずなんですがねぇ。これからは、可愛がりますよ。何せ、貴方はもう私の妻になる人ですから。」
チュッと、音を立ててキスをする。
「私としては、夫をATMのようにしか見ていない女性はお断りだったので、貴女に出会えてよかったですよ。もちろん、貴女1人を一生愛しますから、ご安心ください。」
視線を合わせようとしなかったレイローズが私を見る。
「今…今、何て?」
「貴女1人を一生愛しますから、ご安心ください。と。」
「ではなくって、その前よっ!」
「ああ。夫をATMのようにしか見ていない女性はお断りだと申し上げましたが?」
レイローズの瞳が驚愕で見開かれる。
さあ、ネタばらしの時間ですよ。