「すごい。」友紀は少し緊張した声で彼にささやく。
3.都会 …疾走
「すごい。」友紀は少し緊張した声で彼にささやく。
「ああ。」オレは踊っていたハヤシさんに向かって挨拶する。
「ようススムと、あとユキちゃんだっけ。」名前を覚えられない人が。
「はい。」くったくなく友紀。
「じゃあちょっと見てて。」七、八人の男女が踊る。
「かっこいい。」友紀のそんな輝いている目を見るのはいつ以来だろう。これだけでも来たかいがあるってもんだ。
「うん。」ここに連れてきてよかった。本当は、リンちゃんだって連れてきたかったけど。
「よしアンサンブルを、この二人の前でやってくれ。」ハヤシさんが大きな声で言う。メンバーは黙って真ん中で陣形をとる。
「ワン、ツー、スリー。」ハヤシさんがカウントするに従って、みんなが踊りだす。バラバラのようで、計算されつくした動きだった。確かに美しかった。
「おお。」と声を上げる友紀。オレは何度か見て知っていたが、それでも目の前で踊るダンサーたちは肉体的な迫力があった。
「こんなところで、こうして踊っている人たちがいるなんて。」休憩の合間に、友紀はオレにそう言った。
「そういうもんさ。」彼女は黙ってうなづく。
かつて、あっこもバレエを習っていた。郊外の町のお嬢さん?そして高校からは新体操。野球部だったオレたちは、よく新体操部の練習を体育館までのぞきに行ったもんだ。「長谷川ってかわいいよな。」「そうかな。」「お前、知り合いだろ、紹介しろよ。」「いやだ。」「なんで?」「なんでも。」そのうち、そんな言い訳を言う必要もなくなった。コウイチが彼氏になってしまい、あっこを迎えに行くようになったから。校門で待ち合わせして帰る二人の後姿を、オレはじっと眺めていた。
「よし、二人を紹介する。」そうハヤシさんが言うと、みんなが集まってきた。
「こっちはススムにユキ。メンバー右から星ノ、花、カエデ、ナギサ、ホタル、朝霧、草野、風子。」みんな宝塚みたいな名前だね、と後から友紀が笑っていた。
「じゃあたしはスノーの雪?」なんて言葉が友紀の口から聞けるとは思わなかった。
「ほんとそうだな。」ハヤシさんのうれしそうな返答。
「ダンサーか。」夜の街を運転しながら、オレは言った。
「かっこいい。」帰り道の友紀はいまだテンションが高かった。
「そうだな。」彼は苦笑いする。
「ね、ちょっと寄っていこ。」どこによ。
「お姉ちゃんがよく行くお店。」そんな店聞いたことないけど。
「あれ知らない?」それは都会の繁華街にあるクラブだった。
「人、多いな。」車を駐車して、オレは街を歩いていく。
「楽しみだ。」友紀はオレの腕をとった。
「あっこは今日も仕事かな。」オレがそう言うと、友紀は腕を放して店に入っていく。中にはサラリーマンやOLだけじゃなく、外人や学生らしき若者たちもいた。
「ね、踊ろう。」友紀はもう踊りたくてしょうがないようだった。
「ドリンク頼んでからな。」オレがバーに行くと、バーテンの女がやさしく微笑んだ。
「平日なのにこんでるね。」ええ、おかげさまで。オレも微笑むと、向こうに赤い服の女が見えた。
「ジンライムと、ジントニックですね。」その女は隣の男とキスをすると、こっちを見て微笑んだ。そんな気がした。
「やっぱりいいです。」オレは友紀の手を引っ張る。
「帰ろう。」なんで。
「いいから。」まちを明るく照らし出す都会の光。道を走るとそれは束になって消えていった。
バイクは走っていく。どこまでも闇のようなどこかを抜けて、一本道を走っていく。コウイチが叫ぶ。「イヤーッホー。」隣で笑いながらオレが「ハレレレルルゥヤー。」と歌う。オレたちがバンドを始める前、今から思えばずーっと前の話し。遠いヒビのような、近いコロのような。そんな意気地なしのオレたちに「バカじゃない。」って言ってくれたのは、あっこだけだった。
「知らないよ。」あっこはそう言うとアイスコーヒーをすする。
「赤い服着てただろ。」オレは言いにくそうに口に出した。
「だから知らないって。」スタバの客席は人であふれている。
「おかしいな。」おかしくもなんともない、という顔であっこはタバコを吸った。
「いつでも会えるから。」彼女は泣いた、心の中で。
「なに言ってんだよ。」いつからタバコを吸うようになったのか、彼は知らなかった。
「会社始まるから、行くね。」そうですか、OLさん。卑屈な気持ちが彼のコーヒーになだれ込む。彼女は立ち上がると、カバンをパンパンとはらった。
「そういや友紀のこと、サンキュね。」あ、ああ。
「なんかあの子のイキイキした顔みるの、久しぶりだった。」うん。オレはうなづくと手を振る友紀の姿を思い浮かべる。
「なにか問題あったら電話してね。」なんだよ、問題って。
「うーん、いーんだけど。バイバイ。」ばいばいか、何度その言葉を聞いてきたことだろう。オレはコーヒーに口をつけて、いなくなった相手に向かってうなづいて見せた。
オレが日本を飛び出してアメリカに行っていた間、そして何人かの女と寝て、また別れを経験して帰国してから数年、あっこが何をしていたか詳しくは知らない。でもコウイチだけは連絡をとりあっていたみたいで、それでまたつながった。まったく腐れ縁ってやつだ。ようはその間に彼女は一度結婚して、一度離婚して。「オレらの知らない誰かと、よろしくやってたんだ。」コウイチはそう言うと、目をつむった。
「なに今日も行ったの?」妹のミユがお茶を入れてくれる。
「ああ。」彼はその紅茶を飲みながら、セキをする。
「だからリンはそんな感じじゃないんだって、いま。」そうは言っても、誘ってみないことには。
「余計なお世話だと思うよ。」わかってるさ。でもコウイチとの約束もあるし。
「それよりどうなの、お兄ちゃん。」なにが。
「だからさ、あっこさんと。」あっこがなに。
「いや最近よくケンカしてるから。」そりゃ、前からだろ。
「なにかあったの?」べつにないさ。
「あっこさんも、あの男癖さえなければね。」うるせーよ。
「じゃあ、早く結婚したら。」オレはお茶を飲み干すと、立ち上がった。
「離婚したあたしに言われたくないだろうけど、お父さんもお母さんも心配してるよ。」わーってるよ。
「そりゃおにいちゃん、東京行っちゃったから何も言えないけど。」彼は目をつむり、考えをめぐらす。
「あっこさんだって、待ってると思うんだけど。」でも、どこにも出口はない。
「くうちゃん?」泣き声が聞こえる。少し不安げな表情の妹。
「ああ。」やっぱり父親がいないからか。
「あたしも、つかれた。」妹はそう言うと目をこすりながら席を立った。
逃げきれるのなら、どこまでも逃げたかった。あの日、走ったグランドみたいに。でもいつかは夕日が落ちて、クタクタになって「よし終わろう。」ってことになる。「さぁ帰って飯食べよう。」コウイチだってそうだし、オレだってそうだ。みんな男は走り続けて、あとは優しい奥さんや彼女がご飯を作ってくれてたら。なんてこと言ったら、あっこは「バカじゃない。結婚は現実だよ。」だってさ。あいつもそれなりに苦労してるのは知ってるけど。
「あとから来るのはうちの奥さんの風子と、あとオレで十人がチームふうりん。」野球はできるけど、まだサッカーチームは作れない。
「ハリオが抜けちゃったしね。」花ってコが泣きそうな顔で言う。彼女はハリオのモトカノだった。
「だからユキちゃんが入ってくれたらうれしいけど。」ハヤシさんがそう言うと、メンバーたちは温かい拍手をした。
「うん、やってもいいよ。」思いがけなく即答する友紀に、オレは驚いた。そして歓声があがる。
「よし乾杯しよう。」紙コップにジュースが注がれて乾杯する。
「乾杯!」ここでのハヤシさんは真剣そのものだ。
「そりゃ当たり前だろ。」ハヤシさんは笑う。
「そうですか。バンドのときはよくお酒飲んでましたよね。」オレは言う。友紀が笑ってジュースを飲んだ。
「バンドやってるときとは、あれはお遊びだから。」その言葉、コウイチが聞いたらなんて言うだろうか。
「東京はどうだ?また音楽やり始めてるのか。」ハヤシさんはそう言うと、ちょっとグラスに口をつけた。
「そうですね。」オレもグラスを傾けて天を仰いだ。
「がんばれよ。」ハヤシさんはタバコに火をつけた。
「それより友紀は大丈夫そうですかね。」オレらは都会のバーで夜にもたれかかっている。
「あのコは、ちょっと心配なのは。」ハヤシさんはそう言うと、タバコを吸った。
「ええ。」オレはその煙を目で追っていく。
「まー大丈夫だろ。」なんですか、と言いたかったが、オレもあえて問わなかった。
「大丈夫ですよね。」笑って、グラスを傾けると、カランカランという氷のぶつかる音だけが聞こえてきた。