ハヤシさんはダンスにとりつかれていた。
2.郊外 …狂騒
「よう、他には誰かいないのか?」ハヤシさんは少しだるそうにビールをあける。
「ええ、夜はちょっとみんな忙しいみたいです。」オレも缶ビールを飲みながら答える。
「そうか。由美ちゃんとかは?」
「え、誰ですか?」
「由美ちゃんだよ。」ハヤシさんはそう言ったが、オレには聞き覚えのない名前だった。
「じゃあ去年のジャズフェスに来てたあのコは?」ああ、ヨウコならもうアメリカに帰りました。
「おお、いい女なのに残念だな。」これでもこの人は結婚してるんだよな、そう思うと彼はいつも苦笑してしまう。
「じゃあちょっと見て回りますか。」この人の女好きは一生治らない。でもそんなハヤシさんのことをオレは好きだった。
「おお、コウイチはどうした?」ハヤシさんは二本目のビールを飲んだ。
「ハヤシさん。」オレがうつむくと、ハヤシさんは首を振って笑った。
「どっかそのへんに来てるんじゃないのか。」こうして誰も集まらないときにでも、ハヤシさんだけは出てきてくれる。
「ええ、かもしれませんね。」オレもビールをグビッと飲んだ。
ハヤシさんはダンスにとりつかれていた。そう、まさにとりつかれたようになって、それで自分のダンスチームを立ち上げた。そして運営するまでになった。「ダンサーになりたいんですか?経営者?」オレが聞いてもハヤシさんは笑いながら「そうともいえる。ちがうともいえる。」と答えるだけだった。そんなハヤシさんを友紀に紹介したのは、なぜだろう。
「青い髪か。」ハヤシさんはそう言うと、オレのほうを見てニヤっと笑った。
「友紀です。」それは若き者に対するやさしさと、悲しみにあふれた表情だった。
「こんなところで働いてるんだな。」ハヤシさんはBIRDの前で口笛を吹いた。
「うん。」青い髪のユキはそう答えると、タバコをくわえる。
「ほれ。」ハヤシさんがライターを手渡す。
「ありがとう。」友紀はそう言って、コンビニの前でタバコを吸った。
「で、ダンスに興味あるのか?」ハヤシさんのタバコに、友紀が火をつける。
「べつに。」彼女が答えると、ハヤシさんは彼のほうを見て笑った。
「ま、なくてもいーから、一度のぞいてみな。おもしろいから。」ハヤシさんはコンビニでビールを六本パックで買って、それぞれに手渡した。
「仕事に戻んなきゃ。」友紀はそう言うと、肩をすくめた。
「あとでまた店に行くよ。」オレはビールを飲んで、もう一個を空中に投げた。
「おっと。」それを受け取ると、友紀は笑った。
「よし行くぞ、ススム。」ハヤシさんは一気にビールを飲むと、ポケットからウィスキーの瓶を取り出す。
「あいよ。」ジャズの町へ。
地元のジャズフェスをオレが知ったのは何年前だろうか。曇り空が続いているときに、町から音楽が聞こえてきた。路上で演奏している三人組みの若者たち。手作りの太鼓を叩く女の子、ピアニカを吹いている男、そしてギター&ヴォーカルの奴はハーフだろうか。中々ノリがいい、リズムがたぎる。そう沸き立つエネルギー、けして途切れないソウルのこもった歌。路上であっても、こういう音楽をやる奴等がいるなんて日本も捨てたもんじゃない。失われつつある音が、ここには少しだけ残っていた。
「さすがにジャズフェスだけあって混んでるな。」ハヤシさんとオレがBIRDに入ると、中は人ゴミだった。
「そうすね。」オレはジントニックをかたむける。
「よし。」ハヤシさんは得意のダンスを踊りながら、女を口説いた。
「マジすか。」四人のうち、三人に断られた。でも最後の一人はとびきりの女で、ハヤシさんと一緒に踊った。
「やるね、あの人。」友紀は青髪に手をやった。
「おお、仕事は終わりか?」兄のような気持ちで、オレは言う。
「働いてますよ。お兄さん。」お盆を片手にポーズをとる。
「で、ダンス教室、一度見てみるか。」オレはジントニックをお盆からとって言う。
「さぁ?」彼女はオレのジントニックをうばって口をつける。
「未成年だろお前は。って昔なら言ったけどな。」オレはケイタイを見るが、あっこからの連絡はない。
「お姉ちゃん、今日も仕事だよ。」そう言うと青い髪の少女はグラスを彼に返した。
「ゴールデンウィークなのに。」
「知らないよ。」店のマスターに呼ばれて、友紀は去っていった。
「まったく。」オレは気が気でない。外に出て、あっこに連絡をいれようとして、やめた。
「ったく。」オレはカエルのように無様にジャンプした。少なくともオタマジャクシよりはマシかなと思った。
かつてオレとハヤシさんは自分たちのバンドをやっていた。コウイチとハリオという奴と組んで、真剣にやっていた。だからか、本格的な演奏を聞くと何かが騒ぎ出すのだ。誰もが色形は違えどそれぞれの魂を持っている。それが時に混じり、時に分かれ、時に新しい何かを生み出す。そういう瞬間をいくつか見てきた。特に音楽の力に助けられて。そういう時期がかつてあった。
「こんにちは。」女は言う。
「こいつはススム。こっちは吉乃とミサキ。」ハヤシさんが女の腰を抱いて言う。後ろにいるのは長い髪の女だった。
「ミサキ。」彼がそう口に出すと、彼女は赤い唇をあけて笑った。
「そう、ミサキ。」オレはジントニックを飲み干した。
「ねぇ吉乃、行く?」女たちは軽やかにステップを踏んで行ってしまおうとした。
「おい、ちょっと待ってくれよ。」愉快そうにハヤシさんが笑う。
「うん、おごるよ。」オレは即座に合いの手をいれる。
「ほんとに?」吉乃が笑った。
「どうする、吉乃。」ミサキも笑う。
「もちろん。ステキなメンズがエスコートしますよ。」ハヤシさんがそう茶化しながら、二人の腰を抱く。
「じゃ、いく?」二人はオレらと一緒に、ジャズの鳴る町に消えていった。青い髪の少女だけが、その店に取り残されて。
お祭りが終わり、オレは再び公園で居眠りをはじめる。すると郊外の静かで不気味な笑い声が頭の中で反響する。気が狂ってる?いやそうなのかもしれない。なぜなら、脳みそはノシノシと歩き、沼の中の戦争へと向かっていくのだから。
「よかったね。」あっこが言った。
「お前も誘ったのに。」オレは桜の葉っぱをちぎりながら言った。
「ごめん、ちょっと仕事が抜けきれなくて。」ゴールデンウィークなのに。オレはため息をついた。
「ね、ドライブしようよ。」ドライブか、わるくはない、わるく。
「いーよ。」オレは立ち上がり、車のキーを回す。知っている地元の道、ラジオからの音楽、隣には愛しい彼女。
「平和だね。」あっこは横でわたがしを食べる。
「そう平和が一番。」オレはわたがしをちぎると、自分の口にいれた。
「店で友紀と会ったんだって?」手をハンカチで拭く彼女。
「おう、BIRDでも演奏あったからな。」オレにもハンカチを渡す。
「ふーん。」もしかして吉乃とミサキのことチクられたかな、と一瞬オレは思った。
「友紀、なかなか頑張って働いてたよ。」そう言ってみる。
「そっか。」黄信号。手を拭き、ハンカチを返す。
「そうそう、ハヤシさんのダンスに見に行くってさ。」
「ダンス。」彼女はじっと窓の外を見ている。老夫婦が歩いていく。
「あっこも見に来れば?」オレも老夫婦に目をやる。
「べつに友紀の保護者じゃないんだから。」
「無理にとは言わないけど。」オレがそう言うと、彼女は少し考えるようとそぶりを見せた。
「ねぇ。」なに?
「青だよ。」




