おれが青い髪の少女と出会って
KとSの前日譚
1.郊外…競争
「え?」ふと気がつくと、目の前には青い髪の女の子が立っていた。
「ねぇ。」彼女は目をぱちぱちとさせてオレの目をのぞきこんだ。
「何の夢みてたの。」彼女がそう聞いたとき気づくべきだったんだ、色んな可能性に。
「さて、何の夢だっけか。」とぼけたオレの答えには何の緊迫感も感じられない。それにつられるように友紀も笑う。
「ねぇ、ほんと間抜けだよね。」ほっといてくれ。
「こんな昼間から、いい大人がこんなところで昼寝なんてさ。」彼女はベンチに座りながら背伸びをキュッとした。青い髪が春の風になびく。友紀の青髪を青い空の下で見るのは久しぶりだった。
「お姉ちゃん、今日も遅いんだって。」彼女が青い髪になったのはいつだったかな。
「そっか。あっこも忙しいな。」
「うん。ススムさんもきちんと働いたら。」
「一番言っちゃいけない言葉だね、失業者に向かって。」
「チンチクリン。」友紀はそういうとまた笑った。
「何?」
「チンチクリンだよね。」彼はベンチから起き上がる。
「誰が。大人に向かって。」
「えらそうに言える身分でしょうか、おじさん。」
「いいんだよ、少しはえらそうにさせてよ。誰も世の中ではさせてくれないんだ。」
「かわいそうだね。」友紀はそう言うと、彼の頭を叩いた。その瞬間、不思議な親近感とデジャビュを感じた。
頭を叩いたのは誰だっけ?その白魚のような手は、敦子、あっこ。オレの横にはコウイチがいる。「なにしてるの。」いや、寝転んでたんだ。ってクスクス女の子みたいに笑った。河原の芝生の緑が映えた。風が吹いていた。寝転んでいると、あっこのスカートがめくれて白いパンツが見えそうだった。
「でも威張ってる大人なんて好きじゃない。」友紀はカフェオレを飲みながら、純粋な目でじっとオレを見ている。
「いばるのと、えらそうなのは違う。」オレは答える。
「どう違うの?」こんな瞳を、いつ失くしてしまったんだろう。
「いばるのは、えらそうな大人のすること。えらそうにするのは、えらくない大人のすること。」オレはコーヒーを飲んだ。
「じゃあススムさんはえらくないんだ。」
「うん。えらい人は昼間から公園で昼寝なんてしないからね。」オレが言うと友紀はまた笑った。二十才を過ぎたばかりの女の子はとても素敵に笑う。その笑い声がオレには心地いい。こんなこと言うとまたあっこに怒られるけど。
「何か言ってた?」
「何が。」
「んーとジャズフェスのこと。」
「あぁ、あんまりジャズに興味ないって。お姉ちゃん。」
「やっぱそっか。」オレはコーヒーの代わりに水を飲む。
「言っとくけど、あたしも興味ないよ。」ないけど、ライブハウスでは働いてるんだ。
「ま、経験とお金のため。」あとはいい男探しですか。
「イケメンさがしです。」
「ふーん。」オレはため息をつく。
「でも白馬に乗った王子なんて、そうそういないね。紹介してください。」いねーよ、どこにも。
「コウイチさんみたいな、かっこいい人いないかな。」彼女は肩をすくめてみせた。
十八才になる前にコウイチは言った。「別れようと思うんだ。」悲しそうな顔一つ見せなかった。オレにはなんだかウソのように思えた。「お前さ、あっこのことどう思う。」唐突にそう聞かれた十八才の春。寝ションベンたれそうな、そんなたわ言しか口にできなかった。それでもオレはあっこに「好きだ。」って告白した。そうとしか言えなかった。とてもストレートな時代だった。
「最近、忙しいんだよね。」あっこはそう言った。創造と現実はいつだってキョリがある。
「そっか。」地元のファミレスで食事をしながらオレはつぶやいた。彼女の短くなった髪をじっと見る。
「似合う?」ああ、似合うよ、似合う。
「ありがとう。」いつ切ったんだよ、知らなかった。
「うん、内緒にしてたんだ。驚かそうと思って。」そう言うと、あっこはその日初めて笑った。
「オレたちさ、付き合ってどれくらいだっけ?」彼女の笑顔見て、オレは思い出した。いつだって変わらないもの?
「んー、トータルで何年だろ。」覚えてないのかよ。
「そっちもでしょ。」そう、あっこと最初に付き合ったのはコウイチだった。それで三人でよく遊んでた。それからオレも付き合ったり、別れたり。歴史が生まれた。
「なつかしいね。」あの頃は、彼も彼女もあいつもこいつもみんな若くてもろかった。
「あたしは純粋じゃなかったよ。ススムだね、一番純粋だったのは。」今だってそうさ。
「どうかな。」そう言うとあっこはフフフと笑った。それは大人の笑い方だった。
「それで一番純粋そうじゃないくせに、本当はそうなのが。」コウイチ。
ビールを飲みながらコウイチが言う。「なぁ妹の、リンの様子を見てきてくれよ。」冬の東京の外れの飲み屋だった。いつだってあいつはそういう場所が好きだった。場末の飲み屋。オレは気晴らしの東京滞在を終えて、地元に戻るところだった。「おお。じゃあ次会うのは年末に地元か?」オレが聞くと、なぜかコウイチは首を振った。「お前がこっちに引っ越して来たときだよ。」そう言われて、今度はオレが笑いながらクビを振った。
「リンちゃん。」オレはそう叫ぶ。カーテンは閉められていて、中からおばさんが出てきた。
「ごめんね、ススムくん、リンは誰とも会いたくないんだって。」そうですか。
「せっかく来てくれたのにね。入ってく?」いや、大丈夫です。コウイチもいないし。
「そうよね。」そう言うとおばさんは、あいまいな表情をした。
「コウイチは元気だった?」はい、とても。
「そう。」おばさんはそう言うと、黙って中に入ってしまった。
「そりゃそうだよ。」家でその話しを妹のミユにすると、鼻で笑われた。
「最近リンはあたしにだって会わないしさ。」最近っていつだよ。
「最近は最近。」お前がシンジと別れてからか。不機嫌になる妹を見て、オレは姪っ子を抱きかかえた。
「そらも大きくなるし、あたしはどうしたらいいんだろ。」本人の前でそんなこと言うなよ。
「まだわからないよ。」いや七才だったらわかるだろ。
「わかる!」自閉症のそらが元気よく叫ぶ。
丸坊主だったオレは、コウイチの背中を見て言った。「いーボール投げるんだよな、あいつ。」エースでもないくせに、かっこつけやがって。しかも、そのときの奴はあっこと付き合っていたわけ。「まるでタッチだな。」オレがそう言うと、まだ小学生だった妹たちが次々に聞いてきた。「どういうこと?」「ねぇ。」「おしえて。」
「メリークリスマス。」コウイチはそう言うと笑った。電話ごしにまんざらでもない声。
「ああ、メリークリスマスだな。」オレは部屋でビールを飲む。
「で、リンはどうだった。」コウイチの真剣な口調。
「いや、それがさ。」オレが口ごもると、コウイチ黙りこんだ。
「しかたないじゃないか。」お前が、と言いかけてやめた。
「あっこは?」コウイチは外から電話しているようだった。
「元気さ。いつものとおり仕事。」奴にとってはモトカノ。
「そっか、妹には会ったのか?」頭の中を、三匹のモンシロチョウが飛んでいく。
「妹、って誰の。」オレにもミユがいるし、奴にはリンちゃんがいる。そしてあっこの妹は友紀だ。世の中は妹だらけなのかもしれない。考えようによっては。
「もう誰でもいーよ。」コウイチはやけっぱちに答えると、フラフラと歩いて電話を切った。