第4章・魔王の翠玉(ユーダイクス)
◆第4章・魔王の翠玉◆
「魔王の翠玉! てっきり本部棟にあるものと思っていましたが、ここにもあったのですね!」
ラピス何とかなんて厨二臭い名前は聞いた事がありません。
でも心当たりならあります。アヴリルの左胸に収められた、あの巨大なエメラルドです。
「あれを捕らえなさい鉛の案山子! この際人質など、どうなっても構いません!」
巨人さんは左手に風紀委員さんを掴んだまま、棍棒みたいな右腕で足元のゴミバケツを蹴散らしながら動き出しました。
生ゴミが散乱して走り難そうですざまあみやがれです。
「交渉決裂ですね」
もう少し時間稼ぎをしたかったのですが……。
このままでは風紀委員さんがただでは済みません。もし気を失ったら万力に掴まっている手の力が抜けて、首の骨なんか簡単に引っこ抜けてしまうでしょう。
ライフルの薬室には曳光榴弾が装填されていますが、対トーチカ用の炸裂弾では破壊力がありすぎて使えせん。威嚇射撃で次弾の曳光徹甲弾に替えたとしても、状況はそれほど変わらないでしょう。
イチかバチか、変態さんの背後に曳光榴弾をぶち込んでみましょうか?
それなら巨人さんが盾になって、風紀委員さんに被害が及ばないかもしれません。
ああでも変態さんを粉微塵にしちゃったら、巨人さんに人質の解放を命令する人がいなくなってしまいます。
最悪、巨人さんがコントロールを失って暴れ出すかもしれません。
司令塔を失った巨人さんが人質を解放してくれる……なんてご都合主義な展開は、ちょっと期待できそうにありません。
「当てなければ良いのでは?」
もう一度威嚇射撃をすれば、次は徹甲弾が2発続きます。こうなったら至近弾の衝撃波で、変態さんのお肉を少しずつ削ぎ取ってみるのはどうでしょう……?
「拓美君、人質が邪魔なら私が排除してやろう。だからまだ撃つな」
ブゥーンという音がして、巨人さんの左腕が突然分解しました。
風紀委員さんを捕らえていた万力が、ネジ一本余す所なく全てのパーツがバラバラになって、周辺一帯に金属部品を散乱させたのです。
「あらまあ」
でもまだ駄目です。
かなりバラけたものの、フレームや一部のパーツが絡まって、風紀委員さんの顎が引っ掛かっています。
「ちょいやっさーーーーッス!」
建物の間から、小さくて可愛い女の子が飛び出しました。
「うぉどっさいッス!」
白と紺色の和風改造制服を着た女子中学生が大薙刀を一閃すると、 最後の金具が両断されて、おさげの風紀委員さんが解放されました。
「あっ、落ちる……」
「任せろ!」
私たちの後ろから重戦車みたいな大男さんが現れて、風紀委員さんを受け止めました。
『ちょいやっさーーーーッス!』から人質救出まで約8秒。
「何ですと――っ⁉」
さすがに仰天したみたいで、驚愕する変態さんです。
落ちた風紀委員さんと分解された万力の部品の合間に、一本の矢が落ちていました。
「……蟇目矢?」
蟇目とは魔除けの儀式や流鏑馬に使われる特殊な矢で、木でできたタマゴみたいな鏃に4つの穴が開いていて、射ると空気圧で笛みたいにブーンと音が出る、訓練や連絡に用いられる矢です。
平安時代に御所を騒がせる鵺(トラツグミ)を追い払った、鏑矢のご親戚です。
「マジですか……」
こんな刃もない訓練用の矢で、あの馬鹿みたいに大きな万力を完全分解するなんて……!
「風がざわついていると思って来てみれば……2人とも今までよく頑張ったな」
ランジェリーショップで出会った背の高い袴姿の武風点さんが、2階建て建築の屋上に立っていました。
「碑女先輩っ!」
白馬の王子さまです女子ですけど惚れちゃいそうですっ♡
「遅くなった。すまない」
先輩は左手の重藤弓に二の矢を番えました。
万力をバラバラにしたのと同じ蟇目矢です。
「采女と電の字もよくやった。後で焼肉を奢ろう」
「うっしゃあ!」
「やったッスー!」
さすが先輩、太っ腹です。
「そこを動くな犯罪者!」
周囲から探照灯が照射されて、変態さんの影がくっきりと照らし出されました。
シルエットだけでもわかるアホ面が、足元から放射状に広がります。
「EDSATだ! お前は完全に包囲されている!」
いかにも特殊部隊っぽい完全武装の集団が、複数の装甲車とともに周辺の路地から、わらわらと現れました。碑女先輩たちの水色の腕章と違って、こちらは黒に白文字です。
「今すぐ投降して、黙秘権云々は警察に引き渡される時にでも考えろ!」
特殊部隊さんはよほど怒っていらっしゃるのか、ミランダ警告がかなり雑になっています。
「さて、うちの生徒が世話になったな姦賊。返礼はありったけの蟇目矢で良いか?」
言い終わる間もなく、碑女先輩は蟇目を放ちます。
今度は巨人さんの、残っていた左肩がバラバラになりました。
どうせなら右腕を射ればいいのにと思ったのは内緒です。
「もう騒ぎを嗅ぎつけましたか。この島の治安組織も案外馬鹿にできませんね……鉛の案山子、撤退しますよ!」
変態さんに命令されて、後退を始める巨人さんです。
その背中に20粍砲を撃ち込んでみようかと思いましたが、装填されているのが曳光榴弾なのを思い出してやめました。
レバー操作で排莢と次弾装填をすれば曳光徹甲弾を使えるようになりますが、これ以上撃ったら私の耳がもちません。難聴になっちゃいます。
「私の名は【残忍なる3番】! 鉄のお嬢さん、後ほど改めて貴女の魔王の翠玉を戴きに参上仕ります」
変態さん改めドリットさんが、鉛の案山子と呼ばれた巨人さんと一緒に、建物の陰へと消え去りました。
「それではごきげんよう!」
姿を消して声だけ残す、ステロタイプな悪役っぽい去り方です。昭和ですか。
碑女先輩が二の矢を放ちますが、彼らのいた場所をすり抜けてアスファルトに当たり、先端が砕け散っただけでした。
特殊部隊の人たちも困惑しています。包囲していたはずのホシが煙のように消え去ったのですから、無理もありません。
「……風が変わったか。逃がすつもりはなかったのだが、致し方あるまい」
先輩が三の矢を番える事はありませんでした。
「どうせ島からは出られん」
そして、いきなり屋上から飛び降りました。
まっすぐ落ちているのに袴がめくれ上がる事もなく、ふわりと地面に舞い降ります。
「まさに王子様です……♡」
もう何でもアリですねこの人。物理の先生が見たらきっと泣きます。
「無事か拓美君。怪我はないようだな」
大男さんの腕の中で気を失っている風紀委員さんの様子を見ながら、碑女先輩は言いました。
どこかにメールを送っているのか、片手で黄色いガラケーを忙しなく操作しています。
「は……はい、私は大丈夫です。……そうだアヴリル、アヴリルは?」
アヴリルは対戦車ライフルを担いだまま、生まれたての小鹿のように震えていました。
「膝関節の松葉バネが折れたのじゃ。これでは右足が効かぬ」
「あらまあ大変!」
今までハッタリをかましていたようです。
アヴリルは自ら状況を判断した上で虚勢を張れる、我慢強い子だったんですね。
これはもう抱きしめて頭ナデナデするしかありません。
「お疲れさまです。おかげで助かりました」
でも膝が壊れてしまったので、ちょっとでも動くとライフルの重さに耐えかねて、ひっくり返ってしまいそうです。2発目を撃たなかったのは正解でした。
「自動砲を収納して応急処置しないと」
「肩の開閉器も壊れてしもうた」
60キロ以上もある対戦車ライフルなんて、私1人では銃架から降ろせません。
下手に寝かせると肩のフレームが壊れそうですし……。
「2人がかりでも無理そうですね」
「拓美君、ちょっと出てくれ」
思案の最中に突然ガラケーを渡されました。右手はアヴリルを支えているので、左手で受け取ります。
「エドゥアール先生からだ」
「あっ……は、はいっ!」
慌てて先輩のガラケーを耳に当てます
『タクミ君か? 話はシジョウオオジ君から聞いた。ケガはなかったか?』
「お、お師さぁぁぁんっ!」
今さらながら恐怖がどっとこみ上げて、涙が溢れ出しました。
「泣くなタクミ君。自動砲が降ろせなくて困っとるそうだな?」
「はい……重すぎて降ろせないんです」
お師さんの声を聞いているうちに、萎えかけていた士気が一気に回復しました。
泣いたカラスが何とやらです。
『ならば通常分解だ。1人でも少しづつバラせば行けるだろう。バランスに気をつけろ』
「わかりました、すぐやります!」
『頼む……娘を守ってくれ』
通話が切れたので、ガラケーを先輩に返してアヴリルの元へ戻ります。
「アヴリル、もうちょっとだけ耐えてね」
「うにゅぐうぅ~んっ……」
アヴリルは60キロ以上もある自動砲を担いだまま、必死に頑張ってくれています。
私はポーチから出した軍手をはめて、九七式自動砲の通常分解を始めました。
この砲の分解は初めてなので、少し時間がかかりそうです。
「包囲網の縮小とクリアリング始めるぞ! 各班かかれ!」
完全武装の特殊急襲部隊さんたちは、姿を消した変態さん改めドリットさんを探して大半が周囲に散りました。碑女先輩とお仲間さんたちは周囲を警戒しています。
「この生徒は運が良い。折れたのは樹脂製の差し歯だ。顎の骨にも異常はないし、首の鞭打ち程度で大事はあるまい」
おさげの風紀委員さんが無事で良かったです。
場合によっては私のせいでお亡くなりになっていた可能性もあるので、少しホッとしました。
「よし、これで最後ですね」
2分くらいで自動砲を分解して、どうにか肩甲骨のハッチだけは閉じる事ができました。
ただし左肩の伸縮機構は伸びたままで、中から緑色の光が漏れ出しています。
「もう良いな……妾は寝るぞ」
アヴリルはそこで力尽きたのか、バランスを崩してどっと倒れ込んでしまいました。
「わあ大丈夫ですか⁉ 他にもどこか壊れていませんか⁉」
抱き起こしてあげたいのですが、私の力でどうにかなる子ではありません。
私はアヴリルの額をなでてあげる事しかできませんでした。
「妾は疲れたのじゃ。少し休ませてたもれ……」
そう言ったきり、こてんと眠ってしまいました。
アヴリルが『疲れた』なんて言ったのは、これが初めてです。
歩く練習の時でに一度も泣き言を言わなかった子が、ばったり倒れてしまったのです。
「まさか、どこか重要な部品が作動不良でも起こしたとか?」
私は慌ててアヴリルの鎖骨にある、胸部ハッチ開閉用のロック機構に手を伸ばします。
――って、ここで開けちゃって良いのでしょうか?
左肩の自動砲をぶっ放しといて今さらな気がしますが、天下の武装風紀点検委員たちの前ですよ?
「アヴリルの事なら遠慮はいらん。この場の全員が事情を把握している」
碑女先輩には私の考えている事なんてお見通しのようです。
「もっとも、対テロ特殊急襲部隊に機密を解除したのは、つい30分ほど前だがね」
そういえば学園長さんが絡んでいるんでしだっけ。
学園長さんのお顔は入学式で見たきりなのでよく覚えていませんが、10年後に期待できそうなイケメンさんで、陰気なお顔とモジャモジャ頭が強く印象に残っています。
「そういえば碑女先輩って……」
武風点の中でも、さらに専門的な特殊部隊さんみたいです。
というか、弓矢や薙刀で鉄の器械を粉砕したり屋上から飛び降りたり、かなり人間離れしている気がします。
もっとも、自衛隊の空挺部隊さんたちは3階から無傷で飛び降りるそうですけど。
「うむ。風紀点検委員局対オカルト部隊【神仙組】の隊長を、道楽でやっている者だ」
道楽でやってるんですか何パンマンさんですか。
「アヴリルの事は叔父の学園長から詳しく聞いている」
「叔父さん? それって……」
「可愛い従姉殿を守りに来たのさ」
※
「目標消失したッス!」
「方術の痕跡はなし。当然だな」
「西洋魔術の痕跡なんて、すぐには追跡できないッスよ! だからあれほど伴天連の妖術師を入隊させろって言ったッスよ!」
「大学部どころか中等部にすらいなかったのだ。仕方あるまい」
采女ちゃんと電の字さんは西洋のオカルト犯罪者に対応できず、打つ手を失っているようです。
対オカルト部隊でも追跡できないのでは、他の特殊急襲部隊さんたちに対応できる訳がありません。
「碑女姉さま、これからどうするッスか?」
采女ちゃんが碑女先輩の腕に抱きつきました。
脇に抱えた大薙刀が危なっかしいったらありゃしません。
「そう焦るな采女。アヴリルさえ確保しておけば問題ない。後は姦賊に犠牲者を増やす暇を与えなければ良いだけだ」
碑女先輩に艶やかな頭を撫でくり回されて、采女ちゃんがにひひと笑いました。
可愛いですっ! 私もナデナデしたいですっ!
「でもせっかく見つけたッスから、できれば今日中に捕まえたいッスよ」
「島から逃げ出してくれれば、面倒がなくて良いのだが……」
「じゃあ港に逃げるようにローラー作戦ッスね」
それでは船乗りさんたちが危ないのでは?
「いや、あいつはまたやって来るぞ。再戦に備えつつ移動の準備だ」
「了解ッス!」
「住民の避難はどうなっている?」
「もう済んでるッス。区画整理中のエリアで人が少ないのが幸いしたッス」
「そうか、御苦労だったな。後でご褒美だ」
ご褒美って単語にエロ妄想しか浮かばないのは私だけでしょうか?
「やったッスー!」
そして碑女先輩は腰のポーチをまさぐりつつ、腰が抜けたままの若狭くんに歩み寄ります。
「気つけ薬で正気に戻ると良いのだが……」
キ●カンでした。
「ふ……ふえっ⁉ ぶぁふぁぶえっくしょん!」
さすがは虫さされから筋肉痛にも効く万能薬。一発で目が覚めました。
「気がついたかね?」
「…………??」
「私は風紀委員局対オカルト部隊……」
「そうだアヴリル! アヴリルはどこ⁉」
「少しは人の話を聞いてあげたらどうですか。アヴリルはそこです」
倒れたまま誰にも動かせないアヴリルを指さします。
150キロ弱のアヴリルから65・52キロの自動砲を降ろしたら85キロ以下になるはずなのに、大して軽くなった気がしません。
格納されている兵装は自重に影響しないのでしょうか?
「し、死んじゃったの?」
即座にスパンと頭を叩きました。
「膝を壊して寝てるだけです」
「治せる?」
「もちろん」
関節部の設計はおおむね把握しています。
「膝の松葉バネなら、確か胸の輪胴に同じものが……」
あれなら外しても問題なく動作するはずです。
「すまないが拓美君、作業の前にアヴリルを装甲車に移したい」
碑女先輩から待ったがかかりました。
「奴がまた来る前に教都の多重結界に逃げ込めば、我々の勝ちだ。誰か手伝ってやってくれ」
結界まであるようです。しかも重ねがけです。
親馬鹿も学園長さんクラスになると、さすがにスケールが大きいですね。
「では拙僧が」
電の字さんが剃髪をキラリと光らせて現れました。
ガチムチマッチョは嫌いではありません。あと20年も経てば、素敵な筋肉おじさまになっている事でしょう。
「わかった。頼む電の字」
「まかせろ」
のしのしとこちらに迫る電の字さんは、まさに人間山脈でした。
他人を見上げるのは小学校以来です。
「ちょいと失敬」
そう言って150キロ近くあるアヴリルを、ひょいと抱き上げてしまいました。
いわゆるお姫さま抱っこです。
「凄い……」
私にはできない事を平然とやってのける、そこに痺れる妬ましいッッ!
「あ、ありがとうございます。助かりました」
普通なら3人がかりでも運べなかったでしょう。
いくらアヴリルとタメを張れる体重|(推定)の持ち主とはいえ、凄まじいパワーです。
「猪隈」いのくま)電丸だ。デンガンでいい。こう見えても高等部3年だ」
デンガン先輩は喋りながら難なくアヴリルを装甲車の兵員シートに座らせて、ぶっとい指でシートベルトを締めてくれました。
「近くにいるから人手がいる時は言ってくれ」
そう言ってデンガン先輩は立ち去りました。
「びっくり人間大集合です……」
どうやら神仙組なる部隊は、マジで超人の集まりみたいです。
「……って、これブッシュマスターじゃないですか!」
ブッシュマスター防護機動車は対地雷車両(MRVs)の一種です。
車体下部を逆三角形型にする事で、地雷や即製爆発物(IED)の爆発を避弾経始(斜めの装甲板で攻撃を逸らす方法)で左右に受け流す、オーストラリア軍の特殊な装輪装甲車です。自衛隊も輸送防護車の名称で4輌採用しています。
「こんな市街地に地雷なんてありませんよオーバースペックじゃないですかこれ!」
しかも米海軍式のインターミディエイトブルー塗装だなんて、どうかしてます素敵です!
「君も早く乗りたまえ。ベルトの締め方はわかるか?」
「やり方は見ました。行けます」
軍用のシートベルトは、手袋をしていても簡単に装着できるようになっているのです。
「そうだ拓美君、これを」
先輩が革の巾着袋から、包装紙に包まれたラムネ菓子のようなものを3つ取り出して、私の手のひらに乗せました。
「……早合?」
ペーパーカートリッジとは前装銃に使われる簡易装填パックです。両端を捩った包装紙の中に弾丸と黒色火薬が入っていて、中身を銃口から順番に素早く入れられる便利道具なのです。
最後に包装紙を丸めて押し込めば、弾丸が転がり落ちる心配もありません。
「もしかしたら必要になるかもしれん」
「助かります! 良かった、ちょうど火薬が欲しいと思っていたんです!」
これでアヴリルの応急処置ができます。
「でも、よくわかりましたね?」
「風に聞いたのさ。さあ早く乗りたまえ」
なんの説明にもなっていませんけどカッコイイです先輩!
「ありがとうございます先輩! これ、大事に使いますね!」
アヴリルの元へ向かいます。
「あっ、僕も……」
「君はこっちだ」
若狭くんが碑女先輩に引っ張られて(後頭部をモンス・メグ射石砲に埋めながら)、軽装甲機動車に連れて行かれました。
LAVとは小松製作所の誇る自衛隊用の軽装甲車|(4人乗り)で、大型の4WD乗用車のような形をした車両です。
ブッシュマスターと同色の塗装で、警察っぽいパトライトが増設されています。
「あっちもいいなあ……」
屋根の銃座にベルギーのM249汎用機関銃・ミニミ機関銃を防盾つきで装備していて、上部ハッチにぎゅうぎゅう詰めなデンガン先輩が構えています。
「なんて羨ましいっ!」
私は撃つのはあまり好きではありませんが、構えるのは大好きなんです。
「ほら見てないで早く乗るッスよ」
采女ちゃんに急かされました。
「あらごめんなさい」
慌てて下着の入った紙袋を回収して、ブッシュマスターに乗り込みます。
夢にまで見た軍用装甲車に乗れる幸せ……ドリットさんに感謝です。
しかも後部の兵員シートに座れるなんて、陸上自衛隊の基地祭でもそうそう体験できるものではありません。
「本当は隣に座りたいんですけどね……」
ブッシュマスターは他の装輪装甲車より重心が高く横転しやすいので、アヴリルの対面に座ってシートベルトを締めました。
4点式のシートベルトがKV‐2おっぱいに食い込んで痛いです。
「それじゃ閉めるッスよ」
采女ちゃんは後部ハッチを内側から閉じると、そのまま私たちの前を通って運転席に飛び込みました。大薙刀は兵員シートの間に転がしてあります。
「それ踏んづけていいッスから、押さえといてくださいッス」
采女ちゃんは軍用のヘッドセットを装着しています。
骨振動マイクや集音マイクを装備していて、大きな音やノイズを電子的に遮断する優れものです私も欲しいです。
「ちょっと采女ちゃん免許は⁉」
「おととい仮免取ったから大丈夫ッス!」
この学園は特区条例で、風紀委員なら中等部の子でもの運転免許が取れるのです。
運転できるのは島内のみとはいえ、大型トラックや重機の免許まで揃っています。
「若葉マーク未満じゃないですか!」
「平気ッスよ。ぶつかっても建物の方が壊れるッスから」
「ブッシュマスターはそこまで頑丈じゃありません! 木造家屋がせいぜいです!」
砲弾や重機関銃弾にも耐えられる戦車や機動戦闘車と違って、軽装甲のブッシュマスターでは7・62ミリのライフル弾を防ぐのが限界なのです。
鉄骨や鉄筋コンクリートの建物に衝突したら、運が良くても引き分けでしょう。
「誰か他の人に……」
「デンガっちは教習車に入れなかったッスよ」
「あらまあ……」
確かにあの格ゲー体型では乗用車に乗れませんものね。
だからLAVの上部ハッチに押し込められているんですか。
「ああやってカッコ良く機関銃を構えてるッスけど、実はトリガーガードに指が入らないッス」
あの人授業中にどうやってシャーペンを持っているのでしょう?
それ以前にどうやって学生机にもぐり込んでいるのでしょう?
「それにもう時間切れッスよ」
ガンッ! という音がして、後ろの防弾ガラスに何かが貼りつきました。
「何これ……?」
蟹さんとも蜘蛛さんとも亀さんともつかない何かが、ブッシュマスターの窓や天井に次々と落ちて来ました。ここだけでなく、広範囲に渡って大量に現れているようです。
脚は4本から6本、腕もしくはカニ爪らしきものが2本。胴体は中華鍋くらいの大きさです。
鉛の案山子と同じ、黒くて金属製で厨二っぽいデザイン……。
ドリットさんのリターンマッチが始まったのです。
「うわああああああっ‼」
窓から外を見ると、特殊急襲部隊さんの1人が亀さんに捕まっていました。
木製のマジックハンドに両足を掴まれて、悲鳴を上げています。
「スペインの長靴⁉」
【スペインの長靴】は犠牲者の両足を万力で締め上げる、中世の拷問具です。時間をかけて骨を砕いて最後にはグシャグシャにしてしまう、恐ろしい器械なのです。
窓が狭くてよく見えませんが、亀さん以外にも様々な歩行機械が、それぞれ違う拷問具を装備しているようです。
戦闘中でも相手の殺害や無力化より拷問を優先するなんて、ドリットさんの拷問具に対するこだわりは無駄に半端ないです。
「あっ、でもやっぱり弱い」
他の隊員さんが拳銃を発砲して、あっさり救出しました。
拷問具では相手を即死させられないので、死傷者は出そうにありません。
同士討ちや流れ弾を警戒しているのか、銃声は散発的です。
見た目に反して相手が弱く、それほどの脅威ではないのでしょう。
「鉄や真鍮でできてるんですね……」
柔らかいので拳銃弾でも簡単にバラバラになるようです。
でも拷問具さんたちの数がとんでもない事になっています。数えるのも面倒なほどです。
おそらく大型コンテナで島内に持ち込まれたに違いありません。
「碑女姉さまが出たッス!」
先輩たちのLAVが、パトランプとサイレンを作動させながら走り出しました。碑女先輩ではなく、袴姿で長髪の風点委員さん(男子)が運転しています。
デンガン先輩が屋根の上に仁王立ちで錫杖を振り回し、LAVに群がる亀さんたちを蹴散らしました。
「こっちも発車するッスよ!」
LAVの後ろに続いて、ブッシュマスターが動き出しました。
電動車に魔改造されているのか、エンジン音がありません。LAVも電動みたいです。
私はとっさに大薙刀を足で押さえました。刀身がむき出しなので、転がると危なそうです。
「あれ? 後続車は……」
「ちゃんと来てるッスよ」
後部扉の窓を見ると、ディープオーシャンブルーの車体に白文字で【EDSAT】と書かれた小型のバンが現れました。
特殊急襲部隊さんたちの護衛のようです。
「ハイエースクイックデリバリーじゃないですか!」
トヨタのウォークスルーバンの一種で、宅急便でおなじみのアレです。
しかも4輪駆動のクイックデリバリー100・4WDで、自衛隊でも使われている汎用性の高い車両です。
ただしLAVに比べると、防御力がかなり貧弱……いえ絶無です。装甲なんてありません。
屋根にハッチと銃座を増設して12・7ミリ口径のM60重機関銃を装備していますが、重心が高すぎて今にもひっくり返りそうです。
「あんなのが殿で大丈夫でしょうか……?」
一般生徒や地域住民の安全確保を優先して、正規の武装車両は亀さんたちの掃討に回っているのかもしれません。
でも非装甲の小型車が装甲車を護衛するなんて、あべこべです。
「そういえば学園の特殊部隊って設立されたばかりでしたね。まさか張子の虎なんて事はありませ……わひゃあっ!」
ブッシュマスターが亀さんを踏み潰して揺れ放題です。
何だか泥船に乗っているような気分になって来ました。
「こっ、これは酔えます……」
軍用で重心も高いので、乗り心地は抜群に悪いです。
サスペンションが豪快に柔らかくて、ゆっさーゆっさーと盛大に揺さぶられます。
しかも観光バスみたいにエチケット袋はありません。
「本職の軍人さんタフすぎますよくこんなの乗れますね!」
「喋ると舌噛むッスよ!」
武風点の車列がサイレンを鳴らしつつ、裏路地から教都の壁沿いにある周回道路に出ました。
「ふう……」
亀さんたちがいなくなったせいか、だいぶ乗り心地が良くなって来ました。
非常事態宣言が発令されたのか、周回道路は大勢の風紀委員さんたちが警備に当たっていました。 特殊警棒はもちろん、拳銃やMP5短機関銃を構えている人もいます。
「みなさん緊張してるみたいですね」
平和な日本では当たり前かもしれませんが、これだけの規模での出動は初めてなのでしょう。
「平気ッス。ガラクタ相手ッスから、ちょっとした演習みたいなもんッスよ」
「だといいんですけどね……」
もしあの巨人さんが現れたら、短機関銃では火力不足ではないでしょうか?
「パンツァーファウスト3が欲しいですね」
「ゲーテのパンツじゃ勝てないッスよ?」
「ドイツ製の対戦車ロケットランチャーです!」
日本でもライセンス生産されていて、陸上自衛隊では110ミリ個人携帯対戦車弾|(LAM)と呼ばれています。
カタログデータ上の射程距離は静止目標で500メートル、移動目標で300メートルとなっていますが、実戦ではその半分くらいでしょう。
「でも外れたら大惨事ッスよ?」
「そうでした……」
避難の済んでいる周辺家屋はともかく、一般の生徒さんに被害が及んだら学園の存続に関わりますものね。
「正門が見えて来たッスよ。もうすぐ安全圏ッス」
角を曲がってメインストリートに出ました。
教都の壁周りは広場になっているので、あと何十メートルか走れば正門をくぐれます。
「そういえば結界って、具体的にはどんな効果があるんですか?」
「アヴちゃん以外の、あらゆる魔術的アイテムを物理的に通さないッス」
「それはすごいですね」
亀さんや巨人さんが入れないなら、ドリットさんは丸裸になってしまいます。
あの人ヒョロヒョロ体型で筋肉が全然ありませんし、単独で教都に侵入したら、風紀委員さんたちにタコ殴りにされてしまうのではないでしょうか?
……って、アヴちゃん?
「ひょっとして、采女ちゃんもアヴヴリルの……」
「後方から凄いの来たッス! スピード上げるッスよ!」
「わひゃあっ!」
突然の急加速です。
「後続がやられたッス!」
後部ハッチの窓を見ると、特殊急襲部隊さんたちのクイックデリバリーがトラックに撥ね飛ばされて、ゴロンゴロンと転がっていました。
「やっぱり小さすぎましたね……」
どうやらバンボディの建設資材運搬用トラックのようです。
エンジン音が聞こえるので、ディーゼル車に違いありません。
一部の大型車両はトルクとパワーが必要なので、特例でディーゼル車の使用が認められているのです。
島内はまだまだ建設中の建物が多いので、建設現場から盗んだに違いありません。そんなデカブツが繁華街のアーケードをつっ切って、一直線に加速しているのです。
こちらは軍用とはいえ非力な電動車ですし、40キロ以下の速度制限からの加速なので、まだ十分なスピードが出ていません。
追いつかれるのは時間の問題でしょう。
「大丈夫ッス! 速度はなくてもこっちは本物の装甲車ッスよ!」
ブッシュマスタ―は軽装甲とはいえ、ちょっと小突かれたくらいでどうこうなる代物ではありません。
何だかんだで教都にさえ入ってしまえば、こちらの勝ちなのです。
「亀さんたちが運転してる⁉」
トラックの運転席に無数の亀さんたちが詰め込まれていました。
数体がかりでハンドルを操作しているのが見えます。
「あの子たち案外器用です!」
科学の結晶である大型のディーゼル車を、魔術の産物が動かしているのです。
もちろん無免許で。
「正門抜けるッス!」
碑女先輩たちの軽装甲機動車に続いて、私たちのブッシュマスターが正門をくぐります。 すぐに頑丈そうな門扉が閉じ始めますが、そちらは間に合いそうにありません。
頼りは教都の結界のみです。
――亀さんたちを物理的に通さない結界?
「それって正面衝突じゃないですか!」
ガガン! と音がして、後部ハッチの窓から、壊れた亀さんたちが落ちるのが見えました。ブッシュマスターの屋根に貼りついていた亀さんたちが、結界に阻まれて転落したのです。
「わあドリットさん止まって! あんなのにぶつかったら死んじゃう!」
ドガシャァガシャーン!
大きな音がして、大型トラックのサイドグラスが爆散しました。
運転席にいた亀さんたちが結界に衝突して、潰れて弾け飛んだのです。
衝撃音が2度聞こえたのは、荷台に巨人さんが乗っていたからでしょう。
「……って、きっちり通過してるじゃないですか!」
多重結界も大型トラックの大質量は防げなかったようです。
でもノーダメージではありません。
トラックは正面こそキズ一つありませんが、中の運転席はグチャッと潰れて酷い有様です。
「亀さんたち頑張ってますねえ」
スクラップ寸前なのに、根性ふり絞って運転を続けています。
思わず尊敬しちゃいます。
「ドリットさん、お亡くなりになってなければ良いのですが……」
亀さんたちが動いているので、とりあえず生きてはいると信じたいです。
「犯罪者の心配してる場合じゃないッスよ!」
大型トラックがフラフラしながらこっちに突っ込んで来ます。
「これは当たりますね」
あれだけの衝撃にもめげず、大型トラックはぜんぜんスピードを落とす気配がありません。それどころか加速しています。
「しっかり捕まるッスよ!」
バーもグリップもないので、対衝撃シートだけが頼りです。
デンガン先輩がアヴリルを一番前の兵員シートに座らせたのは正解でした。
アヴリルは私の対面で眠っていますが、この子は首の骨が折れても死ぬ心配だけはありません。
最悪、頭が取れちゃってもお師さんが直してくれるでしょう。
でも私は首がないと死んじゃうので、今は自分だけで精一杯です。
私は足で押さえていた薙刀を放して、体を丸めて対ショック姿勢を取ります。
ちらりと後部ハッチを見ると、防弾ガラスの向こうで運転席の亀さんがこんにちはしていました。