第2章・継ぎ接ぎの乙女(パッチワーク・ガール)
◆第2章・継ぎ接ぎの乙女◆
アルエット・F・エドゥアール。それがエドゥアール先生の娘さんの名前(旧姓)でした。
パリで生まれ育って現地の大学に入学。そして民俗学の講師として来仏していた日本人男性と出会い、恋をして、結婚の約束をしました。
先生は自分の跡継ぎを婿に取るつもりだったので、それはもう大反対をしたそうです。跡継ぎどころか弟子もいなかったのに、我儘な先生です。
しかしアルエットさんの決意は揺るがず、駆け落ちを決意した所で先生が折れました。先生は何年か前に奥さんを病気で亡くしていたので、唯一残った家族である娘さんまで失うなんて耐えられなかったのです。
先生は跡継ぎを諦めて、日本へ移住する事になりました。お得意さんの紹介で、沖縄の海兵隊基地に銃砲店を開く事になったのです。
娘さんは京都で結婚式を挙げて、そこで旦那さんと一緒に暮らしました。互いの家は離れていても、国内ならいつでも会えます。
数年後にアルエットさんはご懐妊。臨月を迎えようとしていました。
先生は予定日が待ちきれず、民間機で京都へと飛んだそうです。
嫌がらせで、お孫さんのお顔を旦那さんより早く見るのが目的でした。もうすっかり嫌なお爺ちゃんです。
ご隠居にはまだ早いけど、娘さん夫婦と一緒に暮らそうとまで考えていたそうです。
でも先生のささやかな夢は叶いませんでした。
アルエットさんが身重の体を押して、先生を迎えに行ったその時……。
空港で爆弾テロが起こったのです。
まさか平和な日本でテロだなんて、一体誰が予想したでしょう?
先生は滑走路で、飛行機の窓から爆発の煙を見ました。娘さんが心配になりましたが、当時は旅客機内の携帯使用が禁止されています。
何時間も飛行機に閉じ込められて、やっとの思いで税関を抜けてロビーに行くと、待っているはずのアルエットさんはいませんでした。携帯も通じません。
先生の携帯が震えて、ようやく連絡が来たと大喜びで通話ボタンを押すと、娘さんとお腹のお子さんの死亡が確認されたと病院の担当医さんに言われました。
大急ぎで病院に駆け込んだものの、娘さんには会えませんでした。遺体の損傷が酷くて、とても親族に見せられる状態ではなかったのです。
数日後に葬儀が行われて、外人墓地に土葬されました。もちろん棺の中は見せてもらえません。
そして失意と絶望の日々が始まったのです。
悲しみに暮れる先生は溜まっていた仕事を全てキャンセルして、毎日お墓の前で泣きました。
そして空港での惨劇から1ヶ月が過ぎ去った、ある日の事です。
お葬式で会ったきり姿を消していた旦那さんが、先生の前に現れたのです。
先生は旦那さんをさんざん罵倒しましたが、彼は黙って頭を下げるばかりだったそうです。
その後、彼は持っていた鞄を開けて、とある緑色の宝石を取り出しました。
今はアヴリルの左胸に装備されている、あの巨大なエメラルド(推定)です。
その宝石の中には、亡きアルエットさんの心臓が収められていました。
婦人の旦那さんは、自分は京都の旧い呪術師の末裔だと言いました。実家に伝わる秘術を再現すれば、この宝石にかりそめの命を与えられるかもしれない、と。
その秘術は、本来なら人間の全身骨格が必要だそうです。でも先生が丹精込めて肉体の模造品を作れば、無機物でも代用は可能であると言いました。
このエメラルドと心臓さえあれば……。
ただし旦那さんの話によると、でき上がったモノは本来の意味での生命を持っていません。その上、術である程度の知識は与えられますが、生前の記憶は持っていません。
アルエットさんから受け継ぐのは、彼女の心臓が持つ【心】だけなのです。
――亡き娘が蘇るとは考えないでください。新たな娘か孫が生まれたと思うのです。
悪魔の誘惑だと先生は思いました。
しかし娘さんを喪った悲しみに圧し潰されそうだった先生は、家族として父親として、この誘惑には抗えません。
愛娘を喪ったこの絶望を振り払えるのなら、主に背いても構わない、と。
即、イエス(オイユ)と答えました。先生はこの日から信仰を捨てたのです。
それから2年の月日をかけて、先生は一体のお人形さんを作り上げました。
テロにも屈しない鉄と鋼とステンレスでできた、頑丈極まりないお人形さんです。
そしてどんな悪党にも負けないように、全身に銃器を内蔵しました。
そう、何があっても絶対に死なない、不死身で無敵の娘さんを作るのです。もう二度と我が子を喪う悲しみを味わう事がないように。
そして女性であるからには、見目麗しく作らねばなりません。
先生は代々続いた銃職工の店を受け継ぐ以前、お父様に逆らってドイツの磁器人形職人に弟子入りしていた時期がありました。その頃に得た技術を生かして、アルエットさんの少女時代に似せた、可愛らしい銃器人形を生み出したのです。
時おり旦那さんがやって来ては、お人形さんに手を加えました。旦那さんの想像を絶する魔術は、お人形さんの容積を大幅に増やして、その余剰スペースで大型の武装を大量に装備できるようになったのです。
テロリストに優る装備を持たせるのは、お人形さんの設計理念の一つです。先生は旦那さんによる改造を喜んで承諾しました。
もっとも、そのせいで元々重かったお人形さんの重量が倍増してしまったのですが……。
完成したのは春だったので、名前は【卯月】に決まりました。
アヴリル・卯月・エドゥアール。
日本で4月といえば、新年度が始まる節目の月です。新たなる我が子の誕生に相応しい季節と言えるでしょう。
アヴリルの鉄と鋼とステンレスの肉体が完成した時、先生と旦那さんは感極まってむせび泣きました。
そして旦那さんは、新たな我が子の金属製の肉体に、最後の仕上げを施します。
先生には理解できない言葉で魔術をかけると、陶磁器のようなアヴリルのお肌が、生身の人間のように瑞々(みずみず)しい艶を帯びたのです。
服も着せました。フリルで一杯の黒いゴスロリ衣装は、旦那さんが持って来たものです。少女趣味な ドレスに先生はご不満でしたが、旦那さんはこれでいいと言いました。
ドレスには防弾繊維が幾重にも織り込まれていて、対魔術性能まで持っていたのです。アラミド繊維の最大8枚重ねは、軍用ボディーアーマーの半分ほどしかありませんが、元々装甲版を持っているアヴリルには過剰な防御力だと思います。
後は例の宝石を取りつけるだけです。
これで娘は蘇る。いや、生まれ変わる。先生はそう思いました。
しかしその左胸に翠玉の心臓を嵌め込んでも、アヴリルはピクリとも動きません。
お2人は落胆しました。先生は神様を呪いましたが、その神様はすでに自ら背いています。
その後、動かないアヴリルは先生が預かる事になりました。旦那さんは一生かけてもアヴリルを目覚めさせてみせると、魔術の研究に没頭したそうです。
やがて10年の歳月が過ぎ、先生は七宝鏡学園に招聘されて、校内で教師をしながら銃砲店を経営する事になりました。それだけの年月を過ぎてもなお先生は、毎日アヴリルの整備や点検をしながら、目を開けて欲しいと絶えず話しかけたそうです。
この頃には先生も、アヴリルはもう動かぬものと諦めていました。
話しかけるのはただの習慣と化していたのです。沖縄でお得意さんだった海兵さんたちの影響かもしれません。
いつか自分に弟子ができて跡を継がせる日が来たら、嫁の代わりにくれてやろうと思っていたそうです。
そして私がやって来て今に至ります。
まさかキスでアヴリルが目覚めるとは思わなかったと、先生は困ったお顔をしていました
※
私たちは工房で分解整備中の重機関銃が置いてあるテーブルを囲んで座り、先生の長い長い昔話を黙って聞いていました。
私はもうハンカチを手放せません。化粧っ気がないのが幸いです。
アヴリルは隣の部屋から台車で運んで、いつも座っている椅子に腰かけていました。
工房の椅子は背もたれがなく、しかも安物でちょっとガタが来ていたので、アヴリルの体重では壊れる可能性があったのです。工房にもチェーンロックがあったのが功を奏しました。
「ふむ、なるほど妾の生い立ちはようわかった。ならば妾がタクミの妻である事に何の異存もなかろう。祝福してくれるかのう、父上?」
『妻になる』ではなく『妻である』なのがミソです。
「もちろんだとも。元よりアヴリルは、将来タクミ君が一人前になったら店と一緒に継がせるつもりだったのだ。アルエットの時みたいに反対などせんよ」
「先生! 私、女です! 女子です! 同性です!」
先生はもうメロメロです。初孫を前にしたお爺ちゃんみたいに頬を緩ませて、鼻の下が伸びきっています。
「……って、ちょっと待ってください先生、私ってこのお店の跡継ぎなんですか?」
「タクミ君は儂が初めて取った弟子だ。初めから継がせるつもりだったぞ?」
【弟子も同然】と聞いた覚えはありますが、いつから【も同然】が消えたのでしょう?
「本当はタクミ君が一人前になってからと思っていたが、この際だから修行中の身でもかまわんだろう。そうだ、アヴリルにとびっきりのウエディングドレスを用意しなくてはいかんな。パリの知人に腕のいい服職人がいるんだ。すぐに注文しよう」
先生は本気で結婚式を挙げるつもりのようです。
「私のドレスはないんですか? ……じゃなくて、もっと大事な話とかあるでしょう⁉ アヴリルの今後の生活とか……」
「儂の娘に何か不満が?」
「不満なんてありませんけど、私は女子です! 女の子です!」
「儂はもう二度と娘の婚姻に反対しないと誓っ……いや、決めたのだ。今さら性別など問わん」
先生は信仰を捨てているので、今さら主の御名を口にする事はできません。そのお考えは十分信心深いと思いますけどね。
「先生しっかりしてください! 娘さんはまだ製造10年の生誕0才児ですよ!」
「娘の意思が全てだ。儂は全力で応援する」
こんな所で漢の覚悟を見せられても困ります。
アヴリルは私を見て、何を今さらという顔をしました。
「そなたと妾の契約はとうに済んでおる。口づけを交わしたあの時、妾とタクミは晴れて夫婦となったのじゃ。喜べ」
決定事項でした。
「キスしたんじゃ仕方ないよね。もう爆発……もとい結婚しちゃえばいいのに。僕も妹ができたみたいで嬉しいし」
若狭くんはニヤニヤしながらテキトーな事をぬかしやがります。
「日本の婚姻法では、まだ同性婚は認められてません!」
「では儂の養女になるか?」
「こんな大女が幼女だなんて、いくら何でも無理があり……ま……」
……ようじょ?
「そうだ。正式に養子縁組をお願いしたい」
「……お義父さんってお呼びしてもいいんですか?」
「儂の立場上、縁組はタクミ君がこの学園を卒業してからになる。もちろんタクミ君のご両親が首を縦に振ればの話だがね」
「なんかプロポーズされた気分です先生!」
「それは若いもんを見繕ってやってくれ」
「速攻でフラれちゃいました(涙)!」
「……ワカサ君では駄目か?」
「私たち従姉弟です!」
老獪な先生は一挙両得を狙っていたようです。
「日本ではイトコ同士でも結婚できると聞いたぞ?」
「お母さんたち双子なんです」
「ほぼ異父姉弟です」
「なんてこった……」
「話がそれておるようじゃが、結局、妾がタクミの妻であると納得して貰えたのかのう?」
会話からあぶれていたアヴリルが可愛らしくむくれていました。
「結婚はできんが、姉妹ならいいらしいぞ」
「夫婦でなければイヤじゃ!」
なかなか強情な0歳児です。
「ならば気長に口説きなさい。いつか日本の婚姻法も改正される日が来るかもしれん」
「……わかったのじゃ。妾は諦めぬのじゃ」
「納得しちゃった!」
意外とフレキシブルな思考の持ち主です。
「そうじゃ、妾は良い言葉を知っておるぞ」
姫君は何か思いついたご様子です。
「内縁の妻というものじゃ。これなら正式に結婚せずとも夫婦でいられるというものよ」
「いられません!」
民俗学者さんの娘さんって話は伊達ではありませんでした。旧い言葉をよくご存じです。
「その風習は廃れました」
「むぅ、残念……」
内縁とは昔あった風習で、結婚式などのお披露目や入籍をせず、内密に結婚する事を指す言葉です。現代の同棲や事実婚に相当します。
「それにしてもアヴリルって、変な言葉使いだよね」
若狭くんがうまく話題をすり替えてくれました。
「妾はこれが普通じゃ」
平安貴族というより、娼館の女主人みたいな話し方です。
もちろんそのギャップ萌えが堪らないのですが……。
「言葉を教えたのはヨウメイだ。儂は知らんぞ」
「ヨウメイさんって確か……」
「そうか、まだ言っとらんかったな。アヴリルのもう一人の父親はマデノ・ヨウメイ。この七宝鏡学園の学園長だ」
漢字表記で【万里陽明】と書きます。
正直ルビがないと読めません。
「ええっ⁉ でも確かその人、民俗学者さんじゃありませんでしたっけ?」
どうして技術・工業系の学園に文系の学園長さんがいるのでしょう?
「日本ではハイテク関連の企業に、文系出身の経営者が就くのは珍しくないと聞いたぞ。学校も同じではないかね?」
「う~ん、どうなんでしょう?」
確かに学校経営は科学ではありませんし、むしろ文系の方が向いているのかもしれませんが……。
「それにこの学園では、宮大工や伝統工芸の職人も育成しとる。ヨウメイは古文書の解読ができるとかで引っ張りだこらしいぞ」
失われた技術の復活とか、色々とお役立ちでしょうね。
「それはともかく、タクミ君は今日から儂の義理の娘も同然だ。近いうちに寮から荷物を運んでここに住みなさい。ちょうど2人用の寝室が空いとるし、アヴリルと一緒の部屋でいいな?」
「駄目です先生! 拓美ちゃんと一緒だなんて、間違いでもあったらどうするんですか⁉」
若狭くんが椅子から立ち上がって反論しました。
「若狭くんは普段、私をどーゆー目で見てるんですか⁉」
「筋金入りのロリコンで、ショタコンでジジコンでミリオタ趣味の腐れ変態淑女」
「通報されそうです!」
「タクミがろりこんとやらでも、妾は一向に構わぬぞ?」
「ロリコンの意味わかってて言ってるんでしょうかねこの子は」
「裸で添い寝してベーゼをするくらい、妾にだってできるのじゃ。後はコウノトリに任せればよい」
どうやら民俗学者さんは、保健体育の講義をエスケープしたようです。
「女同士でナニしたって子供は授かりません!」
「妾は床上手ではないでのう、色々と教えてたもれ」
私はベッドの中で、アヴリルと抱き合う光景を想像してみます。
それはあまりエッチな光景ではありませんでした。銅像みたいに重いアヴリルに圧し潰されて、カエルのようにもがき苦しむ地獄画図です。
「拓美ちゃんの事だから、初夜を待たずに襲っちゃうんじゃない?」
若狭くんは私を野〇先輩か〇パンだと思っているのでしょうか?
「襲われたらガブッとやっちゃいなよガブッと」
「ワカサ君、アヴリルの歯は焼結高速度工具鋼製だ」
「タングステン加工用の金属じゃないですか先生やりすぎです!」
高速度工具鋼とは粉末冶金法で製造された鋼の一種で、超硬合金が登場する以前は、様々な金属の切削に用いられていたものです。金属加工の他には、モーターなど対摩耗性を必要とする部品に使われたり、そこまでやる意味はないのにナイフや包丁にも使われています。
焼結高速度鋼はその改良版で、ほぼあらゆる金属を切断できるそうです。
「オーバースペックにも程があります!」
人体なんて骨まで楽勝でぶった切れます。
「それなら安心だね。アヴリル、夜中に拓美ちゃんが襲って来たら……」
「噛みつくのじゃな? それでタクミが悦ぶのであれば……どこを噛めば良いのじゃ?」
アヴリルが可愛らしく首をかしげます。
「……バナナ?」
「そうかバナナか。楽しみじゃのう」
「私、バナナも象さんも生えてません!」
※
その夜、私と若狭くんは夕食をご馳走になって、そのままお泊まりする事になりました。
若狭くんも一緒だったのは、男手が必要だったからです。
アヴリルは初めからある程度の知識を持っていましたが、実践経験がないので、一人では何もできませんでした。
歩くのも不自由な状態で、誰かがつき添ってあげないといけません。
もちろんお風呂も私と一緒です。
先生はお風呂嫌いのシャワー派で、バスタブにお湯を張ったのはこれが初めてだそうです。
浴室のある一階への移動は、工房からガレージを抜けて二階まで伸びている、重量物運搬用の昇降機を使いました。アヴリルと椅子代わりの頑丈なコンテナを台車に乗せて、3人がかりの重労働でした。
「これがアヴリルの産湯になるんですから、現場のチェックはしっかりと……デュフフ♡」
思わず笑みが零れます。
お風呂を入れてくれたのは若狭くんです。先生はシャワーしか使った事がないので、お風呂の入れ方を知りませんでした。
「あら、意外と大きい……」
ひとり暮らしの、しかもシャワー派の先生には不必要なサイズの浴槽です。女性なら3人、成人男性でも2人は入れそうで……BL妄想が捗ります♡
「こんな頑丈そうな床も初めてです」
バスタブも中身が詰まっていて、とても丈夫な感じです。
まるで体重の重いアヴリルのために誂えたような……。
「も、もう入っても良いかのう?」
アヴリルがバスタオルを巻いたまま、入口に摑まって待ちくたびれていました。
「うん、もう大丈夫。マットが滑るから気をつけてね」
手を取って、ゆっくりとアヴリルを厚手のお風呂マットに座らせます。先生はシャワー派なのでお風呂マットを使わないのですが、重火器を置くのに丁度良さそうだからと、ネット通販で購入したものがあったのです。
そして私はアヴリルのバスタオルを……。
「うきゃー可愛いっ! もう辛抱たまりません!」
思わず抱きしめてぐにぐにのふかふかでふにゃふにゃなぅ…………
かわい うま
(あまりにも興奮しすぎて、この辺りの記憶は消し飛びました)
「アヴリルって、お肌スベスベのプニプニですね~。これで金属製だなんて信じられません」
全金属製のボディーには体温がないので、お湯をかけるとイイ感じの人肌になるんですよ。
「これ触るなタクミ! こそばゆいではないか!」
私はボディーソープ(男性用)で、アヴリルのお肌を(素手で)わしゃわしゃしています。
いわゆるキャッキャウフフです。極楽天国パライソヘブンです。
「ガンオイルで結構汚れてますし、徹底的にキレイキレイしましょうね~♡」
数ヶ月ごとに徹底した整備点検を受け続けて来たとはいえ、10年も経てば細かい所でオイル汚れが固まったりするものです。先生も近いうちに完全分解整備が必要かもしれないと言ってました。
でも下手に手を加えると、アヴリルの魔術的な機能を壊してしまうかもしれないので、せめてお肌のオイルだけでもキッチリ落とそうって大義名分ゲフンゲフン。
「乳首がないのは残念ですけど、これはこれで触り心地がいいんですよね~♡」
濡れるとモチモチ感が出るんですよこれが。
「じゃから触るなと言っておるではないか! 撫でるのも揉むのも駄目じゃ!」
「胸と背中にハッチがあるはずなのに、触っても継ぎ目がわからないんですよね。ほんと、どんな仕掛けになっているんでしょう?」
完全防水だと先生が自慢していたので、継ぎ目が見えないのは当然かもしれません。
ハンドメイドなのに恐るべき工作精度です。憧れちゃいます。
でもテストもしていない防水機能に安心などできません。先生のやった事なので万事間違いなしとは思いますが、念のため後でチェックした方がいいかもしれません。
「若狭くん、絶対覗いたらダメですよ! 覗いたらバスルームに引きずり込んでハグのフルコースを朝までお見舞いしますからね!」
「それ溺死か圧死の二者択一だよね⁉ 風呂場とか水とか関係なく溺れ死ぬじゃん!」
ドアの向こうから若狭くんの声がしました。
アヴリルが転んで立ち上がれなくなったら、私一人ではどうにもならないので、若狭くんが脱衣場で待機しているのです。
キャッキャウフフがまる聞こえですが、面白いので聞かせちゃいましょう。
「若狭くん……。今、妄想したでしょう?」
「しないよ! つーか拓美ちゃんのは乳じゃなくて怪獣だよ!」
「カテゴリーは?」
「5」
ラスボス級じゃないですか。
「やっぱり興味あるじゃないですか。明日からは若狭くんの視線に気をつけなきゃいけませんね」
「僕はそんなだらしない乳なんてどーでもいいけど、男子の視線ならとっくに集まってるよ」
「だらしない⁉ ……って私、そんなに人気あるんですか?」
「うん。いつかその安産型の乳から何か生まれるんじゃないかって、みんなハラハラしてる」
私のおっぱいはお尻ですか⁉ あと何が生まれるんですか⁉
「そうかわかったのじゃ! 赤ちゃんはコウノトリが運ぶのではなく、そのおっぱいから生まれるのじゃな?」
アヴリルが首を突っ込んで来ました。私の玉戦車×2おっぱいの谷間に。
「おっぱいから出るのはおっぱいだけです!」
「はきゃぅっ!」
私の大声にびっくりして、アヴリルは今にも泣きそうなお顔をしました。
「はわわっ、ごめんねアヴリル! 怒った訳じゃないのよ?」
慌てた私はアヴリルを抱きしめました。
「……妾もここから生まれたかったのじゃ」
「う~ん、後でちゃんと教えた方がいいのかなあ?」
アヴリルが男の子だったら、手とり腰とり(全年齢対象で)教えてあげられるんですけどね……教えられるような経験が皆無なのは別にして。
ああでも濡れたアヴリルの髪もツヤツヤして気持ちいいです……。
「尻乳の話はもういいから、アヴリルの世話に専念してよ。下手に転ぶと大惨事大戦勃発だよ?」
アヴリルはお肌こそプニプニのスベスベですが、金属製なのでガチガチに頑丈でもあります。防弾・防刃性能バツグンの装甲板は伊達ではないのです。
転んだらユニットバスが第617中隊のダム破壊作戦よろしく決壊してしまうでしょう。
「では若狭くんも入って手伝いますか?」
「あからさまに罠じゃん! 入ったらパックリ食べられちゃうよ!」
ああもう真っ赤に染まった若狭くんのお顔が目に浮かぶようです♡
「さて冗談はさておき、次は髪の毛を洗いましょうね~♡」
シャンプーも男性用ですが、背中にお腹は代えられません。
「……育毛シャンプー?」
先生のご苦労を垣間見てしまいました。
あ、でも先生ならおハゲさんになっても格好いいですよ、きっと。
「あらアヴリル、ひょっとしてお湯が怖いの?」
目をぎゅっとつむって、ふるふると震えていました。
「シャンプーが目にしみるので、気をつけてくださいね」
「ど、どう気をつけろというのじゃ⁉」
ごもっともです。
「目をそっとつむって、力を入れないの」
ちっちゃい子のお風呂あるあるです。
「強くつむると、力を抜いた時にしみ込んじゃうのよ」
毛細管現象とか、子供のまぶたの薄さ、まつげの細さと短さが原因だと思います。
「う、うむ、やってみるのじゃ」
お湯をかけてから、シャンプーをつけて泡立てます。
「こんな時にシャンプーハットがあると便利なんですけどね」
そういえばアヴリルの毛髪って、何でできているのでしょう?
合成樹脂? アルミ合金?
それともまさか、人毛……?
「いくら先生でも、フラッシュコットンって事はないですよね?」
フラッシュコットンとは、無煙火薬にも使われているニトロセルロースを綿状にしたもので、奇術師がシュボッとやる時に使うひみつ道具です。シート状のもあります。
先生ならフラッシュコットンを紡いで髪の毛にするくらいはやりかねません。
「まあ人毛だって可燃物なんですけどね……」
アヴリルの場合、燃えても元通りに植毛できるのが強みです。
ちなみに私は今、目の前の美少女に萌え萌えしています。
「わひゃっ⁉」
「あ、目に入っちゃった?」
「入ってしもうた! 入ってしもう……あにゃ?」
「……あにゃ?」
アヴリルは、ゆっくりとこちらにふり向きました。
泡だらけの、つぶらな瞳を全開にして……。
「アヴリル、あなた……痛くないの?」
痛覚が……ない⁉
※
お風呂を上がった後の事です。
「先生、コーヒー入りました」
ノックをして先生の私室に入ると、先生はバルコニーのガーデンチェアに腰かけて、喫煙パイプを咥えながらクロッキー帳に向かっていました。
私は先生にお借りしたパジャマを着ています。胸がきつくてボタンをいくつか外しているので、開いた胸元を隠そうとガウンも羽織っていますはみ出しました。
ちなみにアヴリルは、若狭くんと一緒にリビングでTVを観ています。
「うむ、すまんな」
周囲には紫煙と正露丸を思わせる臭いが漂っています。
「おっと、未成年に副流煙はまずいな」
そう言って先生は喫煙パイプの火皿に蓋をします。蓋のある喫煙パイプがあるなんて知りませんでした。
「まだやってらしたんですね」
クロッキー帳に描かれていたのは、人間の骨格より複雑そうな胴体フレームに特徴的なエメラルドの心臓、そして大きな輪胴でした。
「アヴリル改造案のラフスケッチ……やっぱり気にしてらしたんですね」
「当然だ、儂は銃職工だぞ。銃の欠陥を見過ごせる訳がなかろう?」
それは夕食の時でした。
先生が腕をふるったご馳走の数々は、さすがはフランス人と称賛せざるをえません。しかもボリュームがものすごくて、育ち盛りの私と若狭くんのお腹を満たしてなお余る、アメリカ軍もビックリな過剰供給だったのです。
でもアヴリルは、それらの料理にいっさい手をつける事ができませんでした。
あの子には口も舌もあるのに、ものを食べる機能がなかったのです。
私が見た限り、アヴリルの胴体には胃袋などの消化器官が一切装備されていません。それどころか口や鼻は胴体の内部構造に直通で、息をすると内部のオイル臭が吹き出す仕組みになっているのです。
水を飲むだけで内部が水びたしになってしまうのでは、食事どころではありません。
食はフランス人のアイデンティティーの3割を占めると言われています。そして4割がワインで、残りの3割が恋と芸術。
アヴリルはフランス人としての存在意義のうち7割を、生まれつき持っていないのです。
先生もこれにはショックを受けていました。
まさか銃器に胃袋や食道が必要だなんて、今まで考えもしなかったに違いありません。
「儂は大事な娘に欠陥品の躰を与えてしもうた……」
クロッキー帳に、涙の乾いた跡がありました。
そもそも先生はアヴリルが本当に動くなんて、初めから信じていなかったのかもしれません。
娘さんとお孫さんを同時に喪って、ぽっかりと空いた心の穴を埋めるために、そしてご自分を慰めるためにアヴリルを作ったのではないでしょうか?
そしてテロにも負けない不死身の肉体を、なんて考えたのも間違いでした。
防御力と武装強化を重視するあまり、一般生活を送るための装備に見落としがあったのです。
「でも先生、それくらいは改修すれば何とかなるんでしょう?」
アヴリルの胸部ハッチからは、一見メカがぎっしり詰まっているように見えます。
でも装甲板と内部フレームを除けば、パーツの大半は市場で出回っている、ごくありふれた銃器のパーツにすぎません。実際に機能している部品はそれほど多くないでしょう。
ちなみに胴体は背骨を主軸としたフレーム構造になっていますが、頭部と手足は航空機と同じセミ・モノコック構造だそうです。
「うむ、不要そうな部品を取り除けば、胃袋くらいは収まるかもしれん」
先生は、私が持って来たコーヒーを一口すすりました。
「だが問題は肺だな。左胸の心臓は、もちろん取り除く事はできん。右胸の胡椒入れ型拳銃を外す手もあるが……自分で作っておいて何だが、あれが本当に不要な部品なのか、儂には判断できんのだ」
いかにも重要そうなパーツですものね。
「アヴリルのもう一人のお父様に連絡してはいかがですか? あの子が目覚めたと聞いたら、きっと喜びますよ」
「先ほどメールを送ったが返事はまだだ。すっ飛んで来ると思ったのだがね」
「そういえば学園長さんでしたね……」
偉い人はいろいろとお忙しいのです。
「そうそう、お風呂場ですけど、やっぱりアヴリルの重……アレに対応してました」
どうにもならないので話題を変えてみましたが、さすがに女の子の体重の話題はタブーです。
「廊下に手すりがあったり、バリアフリーも完璧です」
「うむ、この建物を作らせたのはヨウメイだ。あの時は儂を年寄り扱いしおったと怒ってしもうたが……次に会ったら詫びねばならんな」
あの人教師なのにお金持ちですね。あと権力も。
でもやっぱり学園長さんは、いつかきっとアヴリルが目覚めると信じていたようです。
先生と同じ、アヴリルのお父さんなのです。
「それと、あの子には痛覚がありません」
「何じゃと⁉」
「触覚と温感はあるようなので、欠陥ではなく仕様かもしれませんけど……」
「痛みを感じない子供は苦労するぞ?」
子供の好奇心は危険と安全の境界線を覚えるための本能なので、高所から飛び降りるなどの方法で、少しづつ肉体的限界を学ぶものです。
でも指針となる痛覚がないと限界を測れず、一生歩けなくなるまで飛び降りる高さを上げ続けてしまう事があるのです。
「でも痛みの概念は知っているみたいです。ああ見えて意外と臆病なので、それで安全性を確保しているのではないでしょうか?」
「子供は痛みで危険を学ぶものだ。だが最初から臆病なら、痛覚などいらんのかもしれん」
逆転の発想です。アヴリルはあらかじめ知識と注意力を与えられているので、わざわざ痛い思いをして危険を学ぶ必要がないのです。
もちろん知識と警戒心だけで全ての危機を回避できるとは思えませんが、そこは私たちがゆっくりと教えれば良いだけです。
幸いアヴリルは聞き分けが良く、頑丈で、壊れても修理すれば元通りになります。
「痛覚がないのは、むしろ整備の時に好都合ではないでしょうか?」
「なるほど、分解するたびに痛がっては大変だからな」
麻酔なしで手術するようなものです。考えるだけでブルブルです。
「ハッチを自力で開閉してますし、おそらく大丈夫でしょう」
「そうだな。と、それはともかく、ヨウメイに連絡がつかん以上、今できる事を考えるしかない。タクミ君、何か良い案はあるかね?」
そうですね……いえ、その前に考えておかないといけない事があります。
「先ほどお先生もおっしゃっていましたが、そもそもアヴリルの改造ってできるんでしょうか? パーツの1つ1つに魔術がかかっているなら、消耗部品の交換もできませんよね?」
おそらく宝石が頭脳になっているとは思いますが、機械のボディーにも知識や記憶が保存されていないとは、学園長さん以外の誰にも言いきれないのです。
「それ自体は問題あるまい。今までも試行錯誤を重ねてあちこち部品を交換しておるが、今のところ問題なく機能しとる。2年前に丸ごと交換した両手も動いとる」
「お胸の宝石さえあれば、交換したパーツに自動的に魔術が浸食する仕組みなんでしょうか?」
「うむ……。だが、どこに外せないパーツがあるかわからんのでは、何をしてもギャンブルになるだろう」
今までは、たまたまドボンしなかっただけ、かもしれないのです。
「宝石を外したら確実に動かなくなるでしょうけど、つけ直せば元通りになるのでしたら……」
「……予備のボディーが作れるかもしれんな」
「もう1つ体があれば、宝石だけ移して完全分解整備ができます。故障しても即座に対処できますし、大掛かりな整備の時、あの子に不便な思いをさせずに済みます」
私たちで勝手に部品を交換して、もし駄目だったとしても元に戻せば大丈夫。それくらいの冗長性はあるはず……という希望的推測に基づいた計画しか立てられないのは、何とももどかしい限りです。
「なるほど、もし今は駄目でも、ヨウメイならいずれ解決できるかもしれんな。連絡がついたら聞いてみるとしよう」
「とりあえず応急処置をしませんか? アヴリルは先ほどの入浴で、大量の湯気を吸い込んでいます」
アヴリルには鼻毛がないので、体内に流入する湿気を防ぐ手段がありません。
「まずは浸水や結露をしていないか調べて、そのついでに外せそうな部品をチェックして、寸法を測っておくのはどうでしょう?」
「うむ、それで行こう」
「あとギャンブルになりますが、時間があったら仮の肺を装備したいですね」
お口から心臓部の光が漏れているのは大問題です。
「胸部には前に交換したパーツがいくつかある。多少のスペースなら確保できそうだ」
「どれくらいですか?」
先生がクロッキー帳に実物大の図面を描きます。
「小さいですね……」
缶飲料の中身も満たせないようなプチサイズです。
「贅沢は言えん。で、素材は何を使う?」
「ビニールは息をするたびにガサガサするので、ゴム製の水枕はどうでしょう?」
「ゴムは駄目だ。対腐食性の素材を使わんと、ガンオイルで破損する恐れがある」
ガンオイルは機械油の一種で、成分もほぼ同じものです。
「他のパーツに触れて、裂ける可能性もありますねね」
もっと耐久性と対腐食性のある部品にしないと。
「あと欲を言えば、銃砲類に関連する素材にしたい」
シリコーン樹脂も除外されました。
「では革にしましょう。食事を前提としない応急処置なら、水密性はあまり気にしなくて良いと思います」
まずはお口の光漏れを何とかしないと。
「馬上筒に使う革製の火薬袋か。確か倉庫にあったな。それで行こう」
馬上筒は日本の火縄銃の中でも小型のもので、要するに和風のピストルです。
射撃部の顧問教師さんが実演で使っているのをネット動画で観た事があります。
「胃袋より先に肺をつける事になってしまったな」
先生はクロッキー帳をテーブルに置いて、パイプをケースに放り込んで立ち上がりました。
「応急措置ですから、胃と肺を兼用にすればいいんです。次の改造で喉のチューブに弁をつけて、二股にするのはどうでしょう?」
人間と同じように、気管と食道に分けるのです。
これなら後で胃袋と肺を別々に装備する事になっても、即座に対応できます。
「食事の時は胃袋に使って、後で取り出して中を洗浄します。普段は体内に直接外気を通して、胴体の通気や冷却に使えばいいんです。そして入浴時は呼気を袋に入れましょう。」
結露や浸水もこれで解決です。
「なるほど。銃器バカの儂には思いつかんアイデアだ」
「あと機会があったら乳首をつけませんか?」
「やはり、ないとダメか?」
「あとその……アソコも、もうちょっと作り込んだ方がいいと思います。でないと一般生活に支障が出ますから。プールとか、共同浴場とか……」
更衣室で他人の股間をまじまじと見る人はいないでしょうが、小さなお子さんが騒ぎ出さないとも限りません。
「……それに、学校とか」
できれば行かせてあげたいです。
ずっとお家の中に籠りっきりなんて、大人や高校生ならともかく、体感時間の長い子供には、この上ない拷問でしょう。
「そうか……」
先生は椅子から立ち上がって、私の肩に手を置きました。
セクハラなんて言わないでください。私と先生は、今日から家族も同然なのです。
「タクミ君、お前さんを弟子にして、本当に良かった」
涙が出るほど嬉しいお言葉……!
「だが本当にいいのか? 先ほどは冗談めかして、つい結婚だの養子縁組だのと言ってしもうたが、あの子は……」
先生は言葉に詰まりました。
人間ではない、と言おうとしたのでしょう。
「構いません。アヴリルは妹みたいで可愛いですし、一生あの子の整備を続けるくらい何でもありません」
銃に一生を捧げようと思っていたら、銃の申し子が結婚を迫って来たり、妹|(になる予定)になったり……。
おまけに、お義父さんになる(予定の)先生は美老人さんですし。
こんな幸せな女、他にいませんよ?
「正直、初めて見た時から、あの子が欲しいと思っていました」
「だがアヴリルは子を産めん……」
まだそんな事をおっしゃいますか。私は女ですよ?
「いざとなったら自力で作ります。産む方じゃなくて、先生みたいに……」
修行の目的が一つ増えてしまいました。
でも先生に孫の顔を見せるって、悪くない考えです。
産んだ子供と、作った子供の両方を……。
「そんな訳で改めて先生、アヴリルを私にください」
頭を下げました。
お店と先生の技術も受け継ぐのですから、これくらいの礼儀はあってしかるべきでしょう。先生に義娘(予定)として、貰ってくださいという意味もあります。
「アルエットが死んでからというもの、儂の人生は灰色だった。それをバラ色に塗り変えてくれたのは他でもない、タクミ君だ」
「先生……(♡)」
「だがまだ先の話だ。何よりタクミ君が一人前の銃職工にならんとな」
「覚悟はできています。思う存分しごいて下さい」
「儂の職人としての寿命はそう長くない。タクミ君には大学部卒業までの7年間で、アヴリルの新しい体を作れるだけの技術を習得せねばならん。できるな?」
「もちろんです。その頃には、アヴリルの全パーツを彫刻で一杯にしてみせます!」
「そっちの修行も必要だったか。これは忙しくなりそうだ」
7年で全て覚えるのは難しく、しかも彫刻に関して師匠に教えてもらえるのは基礎だけです。一生をアヴリルの整備と改良に費やす事になるので、いい加減な覚え方は許されません。
「でもとりあえずアヴリルの点検ですね」
「そうだった。急がんと夜半を過ぎてしまう」
今は若狭くんがアヴリルの面倒を見ています。
アヴリルには体温がないとはいえ、お風呂で濡れた髪はもう乾いているはずです(材質によっては縮む可能性があるので、ドライヤーはかけませんでした)。
そろそろ台車でお迎えに行かないと。
「30分で作業を終わらせるぞ。儂がやるからしっかり見ておけ」
「はい先生!」
「違うぞタクミ君。先生ではない。師匠と呼べ」
「すみません、しししょうって言いにくいです」
噛みまみゲフンゲフン。
「わかった。お義父さん以外なら好きなように呼ぶといい」
「では【お師さん】でよろしいでしょうか?」
「……おしさん?」
お師さんの知らない日本語だったようです。
「こう書くんですよ」
クロッキー帳の隅っこに【お師さん】と書きました。
私の立場が【弟子も同然】から【内弟子】に昇格した瞬間でした。
※
お師さんは本当にアヴリルの点検と改造を、本当に30分で終わらせてしまいました。
食道はヴィッカース重機関銃に使う水冷却用パイプを流用しています。
ゴム製でオイルが腐食する可能性はありますが、数日間の使用なら問題ありません。駄目ならこまめに交換すればいいのです。
これで明日以降のお風呂対策も万全です。
問題が発生したのは、そのあとでした。
「アヴリル……それ、何?」
「三つ指というものじゃ。よろしく頼むのじゃ」
土下座してました。マットのスプリングが限界らしく、ベッドに沈み込んでいます。
アヴリルは薄緑色のネグリジェを着ています。
下着はドロワーズしか持っていないので、今はノーパンです。
アヴリルの体は完全防水ですが、、股関節から染み出すガンオイルだけは止められなかったのです。
「寝床でナニしろって言うんですかねこの子は……」
どうやら学園長さんは、性教育を放棄したくせに初夜の作法は教えていたようです。
「じゃが初夜の新妻は、こうするものであろう?」
それは昭和の新妻です。
「女同士でコウノトリさんは来ませんよ?」
男女の夫婦でも来ませんけどね。
「それはさっき知ったのじゃ。タクミのおっぱいからも出て来んのじゃろう? ならばキャベ……」
「キャベツも除外します」
「ではどうするのじゃ?」
「こうするの!」
アヴリルの上体を起こして、背後からぎゅっと抱きしめました。
「こっ、これでは風呂場と同じではないか!」
「いいの! お風呂場だろうとベッドの上だろうと、毎日ずっとずっとこうするの!」
「ほわっ、むにゅ……お、溺れそうなのじゃ……」
肺がないので窒息はしないと思いますけどね。
ってゆーか、溺れるって概念は知ってるんですね。
「小さい子が腕の中でモゾモゾするのって、なんかいい気分……♡」
腕|(正確にはおっぱい)の中のアヴリルは、お肌がひんやりしてすごくいい感触なんです。
もちろん南の島なので、風邪をひく心配はありません。
「気持ちいいのか? ならばこうしてるのじゃ」
ほんと素直でいい子です。
「これで本当に子宝が授かるのか?」
「だから産めませんって」
アヴリルを胸の谷間でモゾモゾさせているうちに、私のミーネンロイマー試作地雷処理車おっぱいが両方の肩に乗っていました。
「あ、これすごくいい……」
私の制服は、先ほどお師さんや若狭くんの服と一緒に、洗濯して浴室乾燥中です。
もちろん下着もアヴリルのと一緒に洗濯しました。今は非常時に備えて常備していた生理用ショーツを履いていますが、さすがにブラジャーの予備までは持っていません。
ノーブラです。正直辛いです。
なのでこの2つの邪魔な排莢袋を支えてもらえると、とても楽ちんなのです。幸いアヴリルは肩こりと無縁そうですし。
――その時、ドアの向こうから視線を感じました。
「曲者ッ‼」
すかさず枕元にあったクッションをドアに投げつけました。
「あたっ!」
開きかけのドアに当たって、廊下から声がしました。ドタバタと足音も聞こえます。
どうやら出歯亀は退散したようです。
「やっぱり覗いてましたか」
「何者じゃ?」
「若狭くんに決まってます」
きっと百合展開になったら邪魔するつもりで、ドアの影に潜んでいたのでしょう。もちろんノコノコやって来たら、すかさず捕えてモフります。
「期待したって何も出ませんよ~っ!」
「こっちは物凄く出っぱっておるがのう」
アヴリルが私の高高度核爆発実験おっぱいを後ろから持ち上げていました。
持ち上げるだけならともかく、ふかふかもにゅもにゅしています。
「うわひゃっ! ちょっ、ちょっとアヴリルくすぐったい!」
若狭くんご待望の百合展開キタ~ッ!
「結構重いのう。それに掴みにくいのじゃ」
「重すぎて、放っておくと垂れちゃうんですよ。お風呂上がってからブラジャーを着けていないので、地球の重力におっぱいを引かれて大変なんです」
「大きいのも大変じゃのう」
そう言いながらも、もにゅもにゅは止まりません。
「アヴリルのは小さくて可愛くて、私、けっこう好きですよ? 羨ましいです」
嘘偽りのない本音です。
「いいかげん私のクーパー靭帯も限界なので、そろそろ寝ませんか?」
「くーぱーじんたい?」
もにゅもにゅが止まりました。
「おっぱいを支えてくれる、大切な体の一部です」
もにゅるのをやめても、おっぱいを支えるのはやめない、やさしい子です。
「……アヴリルって、眠れますよね?」
「今日までずっと寝ておったぞ?」
そういえば眠り姫さんでしたね。
「ちょっと違う気がしますが……まあ、ものは試しです」
アヴリルをベッドに寝かせると、マットが沈んで斜めに傾きました。
魚形水雷くらった戦艦大和みたいに、今にも転覆しそうです。
「もうちょっとこっちに来てください」
位置をずらして、アヴリルをベッドのまん中近くに寝かせます。
外国人用の大きなダブルベッドのおかげで、何とかバランスがとれました。
「抱きしめながら眠れないのは残念です」
肩と腕が脱臼しちゃいますからね。
「こんな時は子守歌でしょうか? それともおとぎ話……」
と思ったら、すでにアヴリルは、すやすやと寝息を立てていました。
お母さんにすり寄って安心して眠る、幼な子のようです。
「そういえばこの子って、お母さんがいないんでしたっけね。お父さんは2人もいらっしゃるのに……」
……いえ、まさかとは思いますが、実は他にもお父さんがいる……なんて事はないですよね?
3人とか10人とか100人とか。
「それはさすがに嫌すぎます……」
クルクス会戦の旧ソ連軍みたいに、丘の向こうから、アヴリルのお父さんを名乗る人たちが戦車に(タンクデザントで)乗って、わらわらと現れる光景が脳裏に浮かびました。
よせばいいのに浮かんじゃいました。
「こっ……これは眠れなくなりそうです……」
こうなったら脳内に対戦車壕を設置してみましょう。
想像上のお父さんたちが、お城の空堀みたいな大きな塹壕に戦車ごとバラバラと落ちて行きます。
「お父さんが千六百七十二匹、お父さんが二千三百四十六匹……」
どんぶり勘定なのに、なぜか眠れました。