第1章・穢れなき少女(ステンレス・ガール)
◆第1章・穢れなき少女◆
「八板ぁ! 例の研究部に入ったってマジか⁉」
HRが終わって担任の先生が教室を去ると同時に話しかけて来たのは、クラスメイトの京野奈乃くんです。
女の子みたいな名前ですが、女子ではありません。身長がものすごく低くて坊ちゃん刈りがオカッパみたいで小学生女児にしか見えなくても、歴とした男児高校生もとい男子高校生なのです。
私のショタ属性がムラムラします。
「奈乃、机に乗っちゃダメだ。倒れたらケガするよ」
そう言って京野くんをひょいと抱き上げたのは、同じくクラスメイトの鷹塚美樹さん。京野くんとは小学校からの腐れ縁だそうです。
名前でお察しいただけると思いますが、鷹塚さんは女の子です。
女子なのですが、耽美系の少女漫画に登場する超絶美少年にしか見えません。高等部でも数少ない女子の中でもさらに希少な、私に近い長身の持ち主でもあります。
もちろん制服のキュロットスカートを校則指定通りの丈で履いていますが、彼女を見た人はイメージを無意識下で強制的に改変されてしまうのか、スコットランドの民族衣装で殿方がスカート|(正しくはキルト)を履くのが当たり前なように【自然なもの】として受け入れてしまう何かを持っているのです。当然ながら入学して半月も経っていないのに、校内の女子に絶大な人気があります。
ファンのみなさんの間では【ヨシキ】と、源氏名で呼ばれているそうです。
――源氏名?
ちょっとファン層に問題アリな気がします。私なんかがお友達づき合いなんかして大丈夫でしょうか?教室の隅で白目の女子グループがイジメを画策したりとかありませんよね?
「おっ、ちょっと重くなったね。背は伸びてないけど……」
京野くんを高い高いする鷹塚さんのお鼻が盛大に伸びています。
目尻も垂れ下がって超絶美少年(?)が台なしです。
「それって太ったって意味じゃねーかコンチクショー!」
可愛らしく手足をバタバタさせる京野くんですが、脇の下をガッチリ掴まれてビクともしません。鷹塚さんは腕力もあるのです。
「そろそろ降ろしてあげたらどうですか? 話の続きもありますし」
「仕方ないなあ、名残惜しいなあ」
小動物を扱うように、優しくそっと京野くんを降ろしてあげる超絶美少年鷹塚さんです。
「で、銃職工研究部に入ったんだろ?」
銃職工研究部とは、その名の通り銃職工を育成する部活動です。
「私、あの部活に入るために入学したんですよ? 入れなかったらとっくに飛行機で海外留学してますよ?」
海外の学校は新学期が日本とは何か月もずれているので、入部が叶わなければアメリカの専門学校に入学し直すのが両親と交わした約束でした。
もちろん余計にお金がかかりますが、これはお母さんの提案で、お父さんも了承済みです。
「今まで1人も入れなかった幽霊クラブって聞いたぞ! どうやって入ったんだ教えろよ!」
興奮した京野くんがまた机に乗ったので、私は咄嗟に両足で机を支えてあげました。また鷹塚さんに持ち上げられたら話が進みません。
「前に彫ったコルトM1911見せて、入部試験でマウザー組んだだけです」
この学園には現役を引退した職人さんたちが教師や講師として在籍していて、その多くが部活動の顧問を務めています。
そして工業系クラブへの入籍は、生徒にとって弟子入りと同義なのです。
「マウザー?」
「一般的にはモーゼルと呼ばれています」
「モーゼルって、ひょっとして実銃か⁉ マジかよすげえ!」
マウザー拳銃は第2次大戦でドイツの武装親衛隊(SS)も使っていた【ほうきの柄】とも呼ばれる、旧式の大型自動拳銃です。
ストックを装着すれば200メートルもの長射程を誇り、中でもM712はフルオートでも撃てる機関拳銃になっています。
当然、機構も複雑で部品も多かったりします。
ただし私が組んだのは、正しくは中国製の山西17年式手槍です。昔のコピー品とはいえオリジナルより希少価値があるとかで、プレミア価格の高級品なんですけどね。
先生は一体どこからあんなものを調達したのでしょう?
「いえ別にモデルガンと大差なかったですよ?」
「うわこいつ自慢しやがった!」
嘘偽りなき真実です。そもそも実銃と同じ構造を楽しむのがモデルガンというものです。
ですがマウザー拳銃を組むのは初めてだったので、組み立てに30分もかかってしまいました。部品の1つ1つまでバラバラの完全分解状態だったとはいえ、ファイアリング・ピンを押し込むのに手間取ったり、機関部がバラけそうになったりと醜態を晒してしまったのです。
ガンマニア八板拓美、一生の不覚です。
それなのに顧問の先生は、どうして私なんかを採用したのでしょう?
「これから部活行くんだろ? 俺も連れてけよ実銃見たい実銃見たい実銃見たい~っ!」
京野くんが机をガタガタ揺らすので、私は乗せていた阻塞気球おっぱいを緊急避難させました。
自慢ではありませんが、私のおっぱいはクーパー靭帯の限界強度ギリギリ荷重積載業務用特盛サイズなのです。
そのせいかフロントヘビーで常に急速潜航しそうな状態で、肩こりとか腰痛とか、おっぱいの悩みでいっぱいです。
「ちなみに顧問の先生はフランス人のお爺ちゃんです」
「さあ早く俺たちの部活行こうぜ!」
サッと超信地旋回して、鷹塚さんの手を取って歩き出す京野くんでした。
ちなみに京野くんと鷹塚さんは模型部です。
「やれやれ、本当に奈乃はお年寄りと外国人が苦手だねえ」
「じーゃんばーちゃんはアメばっかりくれるから、舐めるの大変なんだぞ!」
立ち去り際に、爽やか笑顔で私に手を振る鷹塚さんです。
私も手を振り返します……京野くんに。
「外国人は?」
「道教えたらロリポップキャンディーくれたけど、舐めるのスゲー大変だった!」
京野くんの小さなお手々を握って、ご満悦な鷹塚さんです。
「いいな~。私にも小学生みたいなちっちゃい王子様が現れないかな~」
あんな子は高等部に2人といないでしょうね。
ちなみに京野くんは、鷹塚さんと男女のおつきあいは一切ないと主張してますが、毎日一緒に登下校して休み時間もお昼ごはんも一緒です。
常時いつでもツーマンセル、いわば事実婚です。
まあ、見た目の性別は逆なんですけどね。
※
「よかった、まだいたんだ」
そういえば京野くんの他にも脱法ショタがいました。
「ちょうど今、拓美ちゃんの研究部に行く所なんだ。案内してくれない?」
この子の名前は高島若狭くん。
見た目は男児中学生ですが、私と同い年の高校一年生です。
ドイツ系アメリカ人の血が混じったクォーターで、亜麻色の巻き毛がチャーミングな、とっても可愛らしい男の子なんですよ。
私としては中坊風ショタ高校生もやぶさかではないのですが、一つだけ問題がありました。
従弟なんです。
しかも私たちのお母さんたちは双子で、遺伝学上は異父兄弟も同然です。
法律上は従姉弟同士でも結婚できるという儚い希望に縋りたいのですが、さすがに異父弟に手を出すのは、節度と節操のある人間として色々と問題アリな気がします。何とも勿体ない話です。
「ほら早く行こうよ。あとおやつ奢って♡」
しな(・・)を作っておねだりポーズをとる若狭くんです。
私好みの美少年をいい事に、何かとお菓子をせびる悪い子なんです。
「案内はしますけど、それなら奢るのは若狭くんの方でしょう?」
「ちぇ~っ、仕方ないなあ。それでいいよ」
「あらまあ、若狭くんが一発で折れるなんて珍しいですね」
「銃職工研究部についていくつか聞きたくてね。おやつくらい安いもんだよ」
若狭くんの実家はご近所で、小学校を卒業するまで一緒だった幼馴染みでもあります。
中学は私が女子校に進学したので別々になりましたが、その間、若狭くんは山形の学校に通っていたと聞いています。神奈川県民がどうして山形の学校に通ったのか、若狭くんは理由を教えてくれません。
去年の秋に、親戚の法事で会った時はびっくりしました。
だって、ちょっと筋肉がついた以外は、2年半前と見た目がほとんど変わらないんですもの。
私のショタ属性がムラムラします。
「……で、何から話せばいいんですか?」
校舎を出て、通学路を歩きながら若狭くんに聞いてみます。
部活の情報なんて、スマホで学園のHPを開けばいくらでも検索できます。なのにわざわざ私を連れ出して、一緒に行こうって事は……。
「顧問の先生について聞きたいんだ。知り合いの上級生に当たってみたけど、大して情報が集まらなくて」
何ですかそんな事ですか。
「先生は職人気質なだけの、美形のお爺ちゃんですよ。堅物っぽいけど意外とフランクな人です。フランス人なので人見知りっぽい感じはありますが、女性にはおおむね優しいですよ」
「ええっ、大丈夫だったの⁉ 美形とか言ってるしフランス人だし、ほら……ナニとか」
お爺ちゃんで格好いいんですから、イケメン表現は至極当然だと思います。
でもフランス人といえば、第二次大戦時にドイツの捕虜収容所で、出入りする大勢のドイツ人女性たちのお腹を次々とアレませた前科者です。
若狭くんが心配するのも無理ありません。
「他に部員いないんでしょ? 一つ屋根の下に男女2人っきりだよ?」
2人っきりだなんてそんな……♡
「半世紀近くもお歳が離れてますし……きっと大丈夫ですよ♡」
「ひょっとして期待してる⁉」
私が口説き落とされない限り、平気だと思いますけどね。
「それに、とても礼儀正しくて素敵な方なんですよ? お洒落で清潔ですし、しかも料理もお上手で、すっごくおいしいんです」
「胃袋掴まれてる⁉」
「教え方も優しく丁寧で、手取り足取り……」
「ダメだこれ攻略寸前じゃん!」
墜ちるのも時間の問題だそうです。
※
校舎から続く歩行者専用道路を抜けると、そこは学園の中央通りです。
電気自動車が40キロの速度制限で走り、周囲には文房具・製図用品・工具などの購買部が並んでいます。もちろんパン屋やコンビニなど食料品を扱うお店もあります。
私たちは途中のお店で買ったソフト風アイスを食べながら、歩道を歩きます。南の島なので春でもアイスがおいしい気候なんですよ。
もちろんアイスは若狭くんが買いました。
「顧問の先生ってフランス人なんでしょ? お年寄りで職人気質って話だし、男にだけ厳しかったりしない?」
「若狭くんの女装がバレたら灰皿か銃弾が飛んで来ますね」
喫煙パイプ用の灰皿って、結構ゴツいんです。
「この制服男物だよ⁉ ちゃんとズボン履いてるよ⁉」
「ひょっとしたら倒錯してるかも。ジジショタ……じゅるり」
「拓美ちゃんいつのまにそんな趣味を⁉」
小学5年の頃からですよ。知りませんでした?
「と、まあ冗談はさておき、菓子折りとか買った方がいいかな?」
「つけ届けの類はダメです。フランクな方ですけど、そのへんは厳格なんですよ」
「そっか。教師だもんね」
中央通りは購買通りであると同時に、お昼休みに学生が集まる飲食街でもあります。
買い食いをしやすいように、歩道にはベンチや休憩所がたくさん設置されていて、カップルもちらほら……美少年がいないので嫉妬とかはありません。
従弟とはいえ、可愛い子を侍らせてる私の勝ちです。
「ところで部活ってどんな事するの? 拳銃撃ったりする?」
「照準器の調整とかで撃ったりするんじゃないですか? 私はまだやってませんけど、たぶん銃をレストマシンに固定して撃つと思います」
「まあ機械の調整って、そんなもんだよね」
若狭くんはレストマシン(銃を固定する器具)なんて知らないでしょうけど、工業系の学園に来るだけあって、どんなものかは想像がついたようです。
「着きました。ここです」
地味な建物です。看板も小さくて、ただ明朝体で『エドゥアール銃砲店』とだけ書いてありました。
重厚な扉が1つあるだけでショーウィンドウはありません。これは防犯上の理由で、壁はヤクザトラックが激突してもビクともしない、ぶ厚い鋼板入りだそうです。
ちょっとした特火点並の防御力です。
小さくて地味ですけど、堅牢な要塞なのです。
「お先にどうぞ」
若狭くんが装甲板の入った重厚な扉を開けて、私を招き入れました。
レディーファーストです。こんなの初めてです。
俗説ですが、女性を先に入れるのは扉の陰に隠れた賊に対する盾にするため、というお話を思い出しました。若狭くんは私を歩兵戦車と勘違いしているようです。
店内に入ると、ショーケースに並ぶ拳銃や競技用ライフルの棚が目に入ります。
壁にはショットガンや連射機能を省略された突撃銃と自動小銃がズラリ。
まるで夢の国です。ネズミはいませんけど。
そしてレジの奥に、目的の人物がいました。
「いらっしゃい! 何をお探し……何だタクミ君か。彼氏連れとは驚いたな」
「あらやだ先生ったらもうっ♡」
親子と思われなかったのは幸いです。
「この子は1年D4組の高島若桜くんといって、私の従弟です」
ちなみに私はD3組です。
「た、高島若狭……です」
若狭くんが珍しく緊張しています。
きっと先生の職人オーラに気圧されているのでしょう。
「おお、すまんすまん。てっきりタクミ君が恋人を紹介しに来たのかと勘違いしてしもうた」
「恋人なんて大層なものではありませんよ」
ただの従弟だったら即座にお持ち帰りしちゃいたい所ですけどね。
「そもそも私、当分彼氏なんて作る気ありません」
小さい子を見てニンマリするのは、卒業まではネット動画で我慢する覚悟です。
若狭くんの入学と京野くんの存在は、ただの嬉しい誤算なのです。
「それはつまらん。人生には彩りが必要だぞ。堅苦しいばかりでは息が詰まる」
日本語がお達者なのでつい忘れがちですが、こんな所はさすがにフランス人っぽいです。
先生のお名前はジョフロア・E・エドゥアールさん。
身なりと姿勢がいいので実年齢より若く見えますが、今年で破瓜|(エッチな意味じゃありません。64歳の事です)を迎えるお爺ちゃんです。
白髪混じりの銀髪で、もふもふのお髭がダンディズムを強調しています。
それはそれはご立派なお髭さんと鷲鼻で、映画監督のポール・ヴェキアリさんを思わせる素敵な美老人さんなんですよ。
背は私よりちょっと低めで、工業系の職人さんらしいスラリとした痩身に引き締まった筋肉。ラフなのにピシッと決まった清潔感のある服装が好印象です。
そして何より、学園特区の教師や講師の中でも、数少ない現役の職人さんなのです。
「入学式で挨拶したから自己紹介は省略するぞ。さて坊主、今日ここに来た理由を話してもらおうか。物見遊山で来た訳ではなかろう?」
あっ、私に話しかける時と態度が全然違います。
「はい、見て欲しいものがあるんです。玉木先生から連絡が入っていませんか?」
若狭くんは、リュックにもなる学園指定の多機能バッグを掲げました。
「おお、そうだった。という事は、お前さんが刀工部員のタカシマ・ワカサ君か」
刀工部員? そういえば若狭くんの部活って聞いた事がなかった気がします。
「話はわかった。ではタクミ君と一緒について来なさい」
そう言ってエドゥアール先生は、入り口に【CLOSE】の札と鍵をかけて、カウンターの奥にあるドアを開けました。廊下の脇にある階段を降りて地下に向かいます。
先生の腰にバックサイドヒップホルスターを着けているのが見えました。
撃鉄が銃本体に隠れているので、中身はシルバーフィニッシュのS&W・M40でしょう。
護身用の拳銃は銃砲店を経営する際の必需品です。人命に関わる商品を取り扱う以上、強盗などに奪われたら言い訳は効きません。発砲してでも商品を守るのは店主の義務なのです。
そしてピカピカなシルバーフィニッシュの拳銃を携帯するのは、わざと目立たせて不心得者を牽制するためでしょう。もちろん何かあったら躊躇なく発砲です。慈悲はありません。
ちなみにエドゥアール先生は、この銃砲店の経営と教師を兼業しています。教師の兼業は法律で禁じられていますが、先生は学園特区の条例で特別に許可を得ているのです。
いえむしろ教師が副業です。銃砲店も表向きは学園の購買部扱いになっています。
「ここが儂の城だ。入りなさい」
階段を降りると、お店の心臓部に到着です。
それは下町にあるような普通の町工場に見えました。
大型の電動工具もありますが、古びた木製のデスクや棚が大半を占めています。中央に作業台があって、そこには銃のパーツや工具が整然と並んでいました。整理整頓は職人さんの倣いなのです。
工房の奥には扉が2つ。1つは弾薬庫で、新品の弾丸や空薬莢はもちろん、弾薬に入れる発射薬の瓶も保管されています。
もう1つの扉については、まだ教えられていません。
ちょくちょく先生が出入りするのをお見かけするのですが、すぐに鍵をかけてしまうので、中に何があるのかは知りません。
銃器に関係するお部屋なのは間違いないのですが……。
「さてワカサ君、現時点での最高傑作を持って来ているのだろう? 話はそれを見てからだ」
「……わかりました」
若狭くんは多機能バッグから布で包んだ30センチくらいの物体を取り出して、エドゥアール先生に渡しました。
「では開けるぞ」
思わず生唾を飲み込んでしまいます。
先生が布を丁寧に剥がすと、中から鞘に収まった短刀が現れました。
拵えは日本刀のようですが、鍔の峰側が輪になっています。
「なるほど、ワカサ君の志望は銃剣職人か。しかも本格的な日本刀だ」
「はい。師匠に薦められてこの学園に来ました。でも修行は3年、刀の出来も完全とは言えません。甲伏せまで習得しましたが、これは本三枚造りに挑戦したものです」
「若狭くんって山形で刀匠に弟子入りしてたんですね」
「あれ? 言ってなかったっけ?」
「知りません! 若狭くんったらお盆もお正月も磯子に帰って来なくて、去年の法事で一度会ったきりじゃないですか!」
どうやら季節休み中も修行に励んでいたようです。小学生の頃はゲーム一筋と思っていましたのに……。
と、そこで昔の若狭くんがやっていたゲームの内容を思い出しました。
年齢を偽ってプレイしていた刀剣擬人化ゲーム|(腐女子向け)、そして狩りゲーで使っていた銃器や大筒と一体化した巨大な刀剣類の数々。
ゲーマーが刀匠志望に突然変異した|(男性としては)レアケースです。
さすがは従弟、やる事が私と大差ありません。
先生は銃剣を鞘から抜いて、刀身を確かめます。
「うむ、ハンマーで叩くまでもない。造りにムラがあるな。叩くと鋼が剥がれるかもしれん」
若狭くんは今にも泣き出しそうな顔をしました。見ていてグッと来ます。
不出来な作品をプロ中のプロに見せるのですから、緊張するのも当然でしょう。でもこの銃剣は3年の修行で得た技術を集結させた、今の若狭くんに作れる精一杯の作品なのです。
先生もこの銃剣の出来について、どうこう言う気はないようです。
「剣については大体わかった。ワカサ君、君はここで何をしたいのかね?」
先生は品定めをするように若狭くんを見ています。
私の試験の時と同じ、厳しい目です。ゾクゾクしちゃいます。
「僕が作りたいのは銃剣です。使い心地とバランスを見るのに、どうしても実銃に着剣して、できれば撃ってみる必要があります」
射撃部には軍用小銃って少なそうですしね。
「モデルガンでは重さもバランスも全然違いますし、撃った時の反動と跳ね上がりも見なくてはダメなんです」
銃剣は兵士の近接武器ですが、銃身の跳ね上がりを抑える錘としての役割もあるのです。プラスチックやABS樹脂製のトイガンでは参考になりません。
……って、モデルガンに使うなら問題ないのでは?
「しかしワカサ君。日本刀の銃剣など、せいぜいマニアが観賞用に買う程度だ。この日本でそこまでこだわる必要はなかろう?」
先生も同じ疑問を持ったようです。
若狭くんはまっすぐな目で先生を見ていました。
「できれば海外に輸出して……使って欲しいです。使ってもらえないと道具とは言えません」
先生は『ほう』と感心したようなお顔をしました。
なるほど実銃に着剣するなら話は別です。海外には実際に射撃で使うユーザーさんがいらっしゃるので、誤魔化しは効きません。
特にお祭り好きのアメリカ人は、イベントで自動小銃どころか重機関銃や対空機関砲まで持ち出して、弾丸が尽きるまでバリバリ撃ちまくったりするのです。
銃本体とのバランスはもちろん、反動と振動に耐える強度も必要になるでしょう。
「よしわかった。儂かタクミ君のいる時で良ければいつでも来なさい。ここにある銃なら自由に使ってよろしい」
若狭くんの表情がパッと明るくなりました。
「ありがとうございます先生!」
「その前に銃器所持の許可証を申請せんといかんな。銃砲整備の免許も必要かね? 申請書類は店にあるから書いて行きなさい。儂の推薦で提出しよう」
そう言って先生は工房を出ました。若狭くんも慌ててついて行きます。
「そうだタクミ君、君はそこのAKで分解掃除でもしていなさい。通常分解でいい」
AKとは旧ソビエト社会主義連邦の誇る自動小銃、AK‐47(バリエーションやコピー品を含む)の事です。旧いながらも構造が単純で、恐るべき堅牢さを誇る名銃なのです。
銃器は普通、動作不良を防ぐために部品の精度を上げるものです。でも設計者のミハイル・カラシニコフさんは、元々の専門だった蒸気機関の設計思想を応用して、逆に部品の間に遊びを設けて不具合を防ぐ構造にしたのです。
技術の劣る後進国でも生産できて、練度の低い新兵さんでも通常分解による整備が簡単にできるのです。それどころか全く整備せずにサビだらけであちこち部品が曲がっていても、まだ撃てます。
滅多に動作不良を起こさず、暑さ寒さや湿気と乾燥に強く、泥に浸かってもボロボロのゾンビさんみたいになっても平然と撃てる究極の弾丸射出装置。それがAK‐47なのです。コピー品を含めても含めなくても生産数ぶっちぎり世界第一位、不動のチャンピオンの座は伊達ではないのです。
もっとも、この銃|(コピー含む)で殺されてしまった方々の数も業界トップなのですが……。
「いいんですか? 私まだ免許下りてませんよ?」
「構わん! タマさえなけりゃ銃などただの機械だ!」
そんなタマなしだなんて(意味深)!
「確かにこの前、無免許でマウザー組みましたけど……」
などと文句たらたらな私ですが、内心は有頂天です。
ウキウキしながら棚を探すと、銃床に『教材』と書かれたシールが貼ってある、古びたAKを見つけました。いい感じに摩耗して角が丸くなっています。
おそらくこの銃です……けど……。
「先生! これAKじゃありません! 中国製コピーの56式自動歩槍です!」
照星が円形でした。旧ソ連製のオリジナルは上部を欠いたU字型になっています。
……中国製コピー多くないですか先生?
「中身はそう変わらんから気にするな! そいつならぶっ壊してもいいから思う存分弄り回せ!」
「コピーでもAKです! 壊れる訳ありません!」
「好都合だろうが! いいからさっさとバラせ!」
もうムチャクチャです。
もちろん楽しく分解掃除させていただきました。
※
数日後、私の銃器所持|(甲種)と銃砲整備の許可証が何事もなく発行されて、工房でエドゥアール先生から直接いただきました。
学園特区の校則|(特区条例)で定められた銃器所持免許には2種類あります。
特定の場所|(射撃練習場など)以外では鍵のかかったハードケースでの持ち運びを義務づけられている乙種と、ホルスターなどによる携帯を認められた甲種です。
私の免許は必要上からもちろん甲種、若狭くんは乙種を申請しました。
もちろん甲種の方が審査に時間がかかるので、若狭くんの乙種は昨日のうちに発行されました。
「さて、これでタクミ君も堂々と銃の整備ができるな」
ただし銃器販売許可証の方は、発行までもう少し時間がかかりそうです。
早くお店のお手伝いができるようになって、先生のお役に立ちたいのですが……。
「はいっ! これからも一人前の銃職工を目指して頑張ります!」
せめてお店や工房の掃除くらいはできるようになりたいと思います。
「まあそう硬くなるな。まずは撃ってみるところから始めよう」
「基礎訓練なしで射撃練習入っちゃいました!」
掃除とかすっ飛ばして、とんでもない方向に話が進んでしまいました。
「銃を器具に固定して撃つんじゃないんですか? 後、ここにも射撃場があるんですか?」
「照準器の調整ならレストマシンを使うが、自分の手で撃ってみんと使い心地はわからんだろう? そもそもこの店に射撃場はない。今から行くからついて来なさい」
先生は大型の軍用背嚢を背負って歩き出しました。
私は慌てて追いかけます。
「先生それ持ちます!」
「お嬢さんにこんなものを持たせられるか。いいから来なさい」
お嬢さん……⁉
美形のお爺さまにそんな事を言われたら、思わずいけない流れに身を任せてしまいそうです。
「若狭くんの言う通りでしたね……」
もう墜ちる寸前っぽいです。
顔を真っ赤にしながら先生の後を追って地下工房の廊下を進むと、さらに下へと続く階段が現れました。
降りると、なぜか大型船舶に使われる隔壁用の水密ハッチがありました。お師さんがハッチを開けると、コンクリートむき出しのトンネルに続いています。
明かりがなくて真っ暗ですが、かなり広い地下連絡通路です。
暗い通路に2人っきり……♡
「神之寝島は昔、倭寇のアジトに使われていたらしい。このトンネルは彼らが作った地下通路を拡張したものだと聞いておる」
先生が護身用にも使える長いマグライトのスイッチを入れて、すたすたと歩き始めました。
「迷路になっとるから離れるなよ。あと道筋は覚えておけ」
手のひらサイズのLEDライトを渡されました。
「わかりました。……迷ったらどうなるんですか?」
「儂も一部しか把握しとらんが、旧日本軍の地下壕とも繋がっとるらしい。最悪、大戦時の英霊たちと肩を並べる事になるだろう」
オバケさんたちの仲間入りなんてゾッとします。
「逸れて旧そうな通路に出たらすぐ引き返せ。新しい道を彷徨えば、いつか出られる」
「出られなかったら?」
「ここは大雨が来ると水路になるらしい。夏には嫌でも出られる。日本ではドザエモンと言うのだろう?」
「うひゃぁ……」
一瞬泣きそうになったので、イケメンお爺様のご尊顔で士気を奮い立たせます。
「この通路は携帯の電波が入っとらん。安物の方位磁石でいいから買っておけ。道は曲がりくねっとるが、おおむね真北に向かっとるはずだ」
先生の腕にしがみつきたい気分ですが、そこはグッと我慢です。
そんな事をしたらボテ腹エンドルートへ一直線……なんて事はありませんけどね。
「真北って、学園の本部棟ビルがあるんですよね?」
本部棟は教都の中枢部で、学園の運営に関わる最重要施設です。学園長室や運営本部はもちろん、統合生徒会の本部もある15階建ての施設で、屋上には大型ヘリポートまであります。きっと有事の際はベイブホークやオスプレイが……ぐへへ。
「用があるのは隣の風紀点検委員局棟だ。儂のお得意さんでもある」
風紀点検委員の多くは、電撃銃やスタン警棒で武装しているだけでなく、一部は銃器を所持しているのです。
新しく対テロ特殊急襲部隊も設立されて、短機関銃やショットガンや狙撃銃や選抜狙撃銃を装備しているとか。
……ここ本当に日本ですか?
「そうだ、昨日タクミ君がいない間にワカサ君が来たぞ」
「今度は何やらかしたんですか?」
「さっそく新作を作ってきおった。出来は前のと大差ないが、アリサカとの相性は抜群だった」
アリサカとは旧日本軍の有坂式小銃の事です。本来は日露戦争で使われた有坂三十年式のみを指す呼び名ですが、欧米では三八式や九九式もアリサカと呼ぶそうです。
「試したんですか?」
「うむ。儂が撃った」
でも三八式ってオール手作りで、1つ1つが微妙に違うって話です。
たまたま相性が良かっただけ、なんて事はありませんよね?
「タクミ君はいい子を連れて来てくれた。やる気満々な生徒に教えるのは実に楽しい」
先生はフランス人特有の人見知り文化の持ち主で、簡単には他人に気を許しません。
でも一度気を許すと家族同然にベッタリなのも、フランス人の文化的特徴らしいです。
どうやら若狭くんは先生に気に入って戴けたようです。
「……使ってもらえないと道具とは言えません、だったな」
「それは……」
「お前さんたちはよく似とる。全く同じ言葉で儂の心を掴みおった」
「私が教えたんじゃないですよ? 若狭くんが勝手に言ったんです」
「だろうな。目つきがタクミ君の時と同じだった。だから工房に入れたのだ」
「…………はうっ♡」
顔が火照って言葉が出ません。
「彼がタマキなんぞの弟子にならなければ、儂が貰っていたかもしれんな」
あーもうっ! きゃーもうっ!
美形のお爺ちゃんが美少年を貰っちゃうだなんて、もうよだれが止まりません!
「着いたぞ」
あらもう終わりですか。ちょっと残念。
「開けるから少し下がっていなさい」
また水密ハッチがありました。開けると奥にもう一枚扉があって、エアロックみたいになってます。
先生は工房にあったものよりさらに頑丈そうな扉に、ディンプルキーを刺し込んで開け放ちました。
「うわあ……」
開けると大音量の騒音が飛び込んで来ました。銃声です。
中を見ると、特区内風紀点検委員の腕章を着けた生徒さんや教師さんたちが、拳銃や短機関銃を手に撃ちまくっています。
「一番手前がエドゥアール銃砲店の専用ブースだ。2つあるから右のを使え。右は拳銃用、左が自動小銃や機関銃の試射に使う」
先生はアリスパックを降ろして、中身を漁ります。
「まずは銃ってもんを体で覚えろ。細かい事はそれからだ」
射撃用ゴーグルと半自動拳銃を渡されました。
それは私の知らない拳銃でした。
見た目はFN社のBDA9ピストルやS&W40F、グロック拳銃などをごった煮にしたような拳銃で、強いて言うならロシア製のバイカルM446に近い印象があります。
デザインは近代的で格好いいのに、グリップの刻印はどこか安っぽい感じです。刻印が星型なので、おそらく中国製の軍用拳銃でしょう。
この旧東側兵器の持つ独特のギャップがたまりません。
実用重視なのか金属部品に平面が多くて、彫刻師志望でもある私の創作意欲を刺激します。
いえいえ今は彫刻じゃなくて射撃をしないと。
とりあえず銃杷を握ってみましょう。
「……何ですこれ?」
未知の感触でした。グリップが妙に手に馴染みます。
この手の自動拳銃は弾倉に15発以上の弾薬をつめ込むので、必然的にグリップが太くなります。おまけに西洋人の大きな手に合わせて設計されているので、手のひらの小さい日本人に合う拳銃は少ないのです。
ですがこの銃は違います。私の手に吸いつくようなフィット感。
今まで様々なモデルガンを握って来ましたが、ここまでピッタリな銃は初めてです。
私は大柄ですけど、手と足のサイズだけは人並みなのです。
「撃ってみろ。やり方は知っているな?」
もちろん私はその手の本を沢山読んでいますし、構えの練習も大好きです。銃器所持許可証を申請する時に渡されたマニュアルにも、山ほど説明文と注意事項が記載されていました。
「でも私、エアガンもろくに撃った事がないんですよね……」
こっそり小さくひとり言を呟きます。さすがに先生には言えません。
何せ発火式モデルガンすら撃った事がないのです。
撃ったモデルガンを整備もせずに放置すると、火薬の燃えカスで内部に青サビが発生する事があるからです。
サビ取りの分解掃除を面倒だとは思いませんが、自ら銃を汚すのは抵抗があります。
もちろん実銃は亜鉛合金なんて使っていないので、サビついたりはしないのでしょうが……。
「ま、これも部活動の一環ですよね。やるだけやってみましょう」
ブースの一つに入って、先ほど先生に渡されたゴーグルとシューティンググラブ、そして衝立にかけてあったヘッドホン型のイヤープロテクターを装着して、電源を入れました。
このイヤープロテクターはカタログで見た覚えがあります。銃の発射音と衝撃波を電子的に取り除いて、会話や周囲の音だけを増幅させる優れものです。
私がくるくる悩んでいる間に、先生は天井のレールに紙のターゲットを設置していました。
「始めていいぞ」
私は拳銃から弾倉を引き抜いて、弾薬の有無を確認してから戻し、安全装置を外してからスライドを引き、弾薬を薬室に送り込みました。昔の拳銃は、安全装置がかかったままだとスライドが引けないものが多いのです。
旧い銃には見えませんし暴発の危険もないとは思いますが、一応念を入れておきましょう。
「弾頭が尖ってる……?」
7・62×25ミリのトカレフ弾に似ていますが、それよりずっと小さい弾薬です。
私はグリップを両手で握り、銃口をターゲットに向けて、両足を等間隔に揃えたアソセレス・スタンスで構えました。照星に白いドットがあって狙いやすくなっています。
もちろん素人さんみたいに片目で狙うような真似はいたしません。
「む……うぅんっ……」
その時、紙製とはいえ人型の絵が描かれた的を撃つ事に、強い抵抗を感じました。
グリップを握る手がガチガチと震えて、照門と照星がうまく合いません。
「……やっぱり私、射撃には向いてませんね」
私は構えるのは好きですが、射撃そのものにはまるで興味を持っていないのです。サバイバルゲームやFPSゲームはもちろん、的撃ちすらやった事がありません。
撃ち方は射撃姿勢を含めて知識では知っているのですが、実際に撃つのはこれが初めてです。
「でも、使わないと道具とは言えませんよね……」
今までは彫刻したエアガンを知人にあげたり、ネットで売ったりして使ってもらえましたが、これからはそうは行きません。
趣味で持つトイガンと違って、実銃は撃って初めて【使った】と言えるのです。
撃ってあげないと実銃とは言えません。モデルガンと一緒です。
私は覚悟を決めて、息を整えてからゆっくりとトリガーを引き絞りました。焦ってガク引きなんかしたら指の力で狙いがそれて、弾丸が的外れな方向に飛んで行ってしまうからです。
パァンッ‼
銃口から弾丸が射出されてスライドが後退し、空薬莢が排莢口から右後方へと排出されました。
妙に反動が小さい……?
「オモチャじゃないですかこれ⁉」
思った事をそのまま叫んでしまいました。
「ビギナーにいきなり扱いの難しい銃を撃たせる訳がなかろう。これは反動の少ない、小柄な中国人の作った北方工業公司の92式手槍だ。グリップもタクミの手に馴染むだろう?」
本当に中国製多いですね先生!
フランス人は兵器に関して国粋主義と聞いていましたが……。
先生って、ひょっとして共産趣味者なのでは?
しかしなるほど、初心者の私にも撃てる拳銃ですか。
さすがは実用重視で作られた旧東側陣営の軍用拳銃です。これなら何十発撃っても手が痺れないでしょう。
でも、今撃ったばかりの的を見ると……。
「そしてこのクソエイムである」
どこにも穴が開いてません。
「よく見ろ。的の左下だ」
単眼鏡を渡されました。さすが先生、用意がいいです。
「あ、当たってる」
ギリギリ紙の隅っこに。
軍用のフルメタルジャケット弾は、射撃練習用のワッドカッター弾と違って円形の穴は開きません。不格好な破れ目が残るだけです。
どうやら穴が小さすぎて、当たった事に気づかなかっただけのようです。
「この拳銃はPDW用の副兵装だ」
「あらまあそれで……」
個人防御火器(PDF)は後方の工兵隊や補給部隊などが使う自動小銃の代用品で、ライフル弾に近い貫徹力を持たせた自動小銃と短機関銃の中間のような銃器です。92式手槍はサブウェポンとして、中国軍用のPDWと共通した弾薬を使用する拳銃なのでしょう。
弾薬は小さいものの、自動小銃の弾丸と同じ形状で先が尖っています。
「貫徹力が高すぎて穴が目立たなかったんですね」
「的そのものには中らなかったが、ジャムらなかっただけマシな方だ」
ジャムとは作動不良の略称です。
自動拳銃は回転式拳銃と違って、撃つ時にうまく反動を受け止めてあげないと作動不良を起こしてしまうのです。
「奇跡ですね……」
「射撃は体で覚えるもんだ。まだ弾はあるからどんどん撃て」
その日、私は先生の指導を手とり足とり|(キャーッ♡)受けながら、20発入りマガジン2本が空になるまで撃ち続けました。
だんだん的に中るようになって、褒められるのが嬉しくて夢中で撃ちまくってしまいました。
だからと言って、私は銃を撃つのが好きになった訳ではありません。
私にとって銃は彫刻の素材ですが、本来は人殺しの道具なのです。
「顔に書いてあるぞ。銃は殺人に使う凶器だってな」
師匠が隣のブースに立って、愛用のM40(センチニアル)を片手で構えました。
「銃器は所詮、鉛の弾丸を撃ち出す機械にすぎん」
正射必中。的の中心から少し左にずれた位置に中りました。
「少なくとも儂ら銃職工にとってはな」
ホローポイント弾を使っているのか、的には円形に近い形の穴が開いています。
「軍や警察では相手の戦闘力を削ぐために撃ち、相手の逃走を防ぐために撃ち、武力紛争や犯罪を抑止するために所持する。一般市民は身を守るために撃ち、家族を守るために所持する。趣味やスポーツで持つ者は、所持そのものを楽しみ、狩猟や競技を楽 しむために撃つ」
今度は2連射しました。やはり的の中心近くに穴が開きます。
「そして儂は、銃を愛してくれる者に満足してもらうために撃つ」
今度は両手でゆっくり2発。そのうち1発は的の中心に命中しました。
「ではタクミ君、お前さんは何のために撃つ?」
私は、その問いに答えられませんでした。
※
射撃訓練を終えてお店に戻ると、先生は工房の奥にある扉を開けて私を招き入れました。弾薬庫ではなく、私が今まで入室を許されなかった方の部屋です。
機械油の匂いがお鼻をくすぐります。
その部屋は16帖くらいの広さで、もう1つの工房といっても遜色のない本格的な設備を持っていました。奥には大きな工作機械や、銃の部品と工具の入った棚が並んでいます。
ここなら銃器の整備や改造どころか、全く新しい銃の製造や開発すら可能かもしれません。
そして特に目を引いたのは、部屋の入口側に置かれている高さ1・5メートルくらいの、大きな暗幕がかけられた物体でした。
「銃職工研究部に入部した以上、タクミ君は儂の弟子も同然だ。だから特別にこれを見せる気になったのだが……これの存在を誰にも話すな。驚いたり笑ったりもするなよ」
「びっくりどっきり珍兵器ですか?」
もしくは駄ッ作銃とか、まさか〇ォースの仏国面だったりするのでしょうか?
「そんなものではない。いいから見ろ」
そう言って先生は、かかっていた暗幕を一気に引き剥がしました。
――それは、椅子に座った少女でした。
一瞬本物の人間かと思いましたが、ピクリとも動かないので、すぐにお人形さんだと気づきました。
そもそもこの子は人間にしては綺麗すぎます。
縮尺は普通の女の子と変わりません。もし立ち上がったら、身長は150センチを少し下回るくらいでしょう。
白い肌と細い顎、そしてゴールデンブロンドの髪から西洋人、おそらくフランス人の少女を模ったものに見えます。
見た目の年齢は13、4歳……いえ、西洋人は日本人より長身なので、12才前後かもしれません。
「驚くなって言われましても、それは無茶ってものですよ先生♡」
もうよだれが止まりません。
山吹色のふわふわしたマッシュルームカットが、照明に照らされてキラキラと煌きます。
お人形さんはフリルで飾られた黒いドレスを纏っていました。
両肩がむき出しになっているなど上半身の露出が多いデザインで、裾の広がった長い付け袖がついています。
頭の黒いヘッドドレスはフリルとリボンで飾り立てられて、左側にサーモンピンクの薔薇の花が鎮座ましましていました。
先生が笑うなと言ったのは、この衣装の事でしょうか?
確かにいい歳をした|(美形の)お爺ちゃんが等身大ゴスロリ人形を所持しているなんて、おいそれと外部に知られていい話ではありません。
他言無用も頷けます。学園中の噂になったら失脚モノです。
しかしそんな事は、今の私にはどうでも良くなっていました。
どうやら私はその、もの言わぬお人形さんに心を射抜かれてしまったみたいなのです。
「どうだ、気に入ってくれたか?」
「頭なでくり回したい可愛さですっ!」
一目で魅了されました。目を奪われて視線を外せません。
……これでも私、ノンケなんですよ?
小学生の頃、雑誌で飾り銃を見て以来の衝撃です。いえ、それ以上かもしれません。
お人形さんは眠ったように目を閉じています。瞳は何色なんでしょう?
「それは良かった。実はお前さんがワカサ君を連れて来た日に、これを見せる決心をしたのだ」
どうしてそうなった……?
「小さい子供が大好きなのだろう?」
先生! あまり他人の事は言えませんが、若狭くんはああ見えて高校生です!
「……2歳児のよちよち歩きとか大好物です」
ごめんなさい実はジジ×ショタとかショタ×ショタとかおねショタなんかも大好物なんです。
「タクミ君、ちょいとこいつの肩を押さえてくれ。見た目より重いから気をつけろ」
先生はお人形さんの背中に手を回して、何かをゴソゴソとまさぐっています。
私は言われるままに、お人形さんのお肌が露出している両肩を支えました。
「あ……これ凄い……」
お人形さんの肩はビロードのように柔らかくて、クリームのようになめらかな肌触りでした。体温がないので触れると冷たいのですが、マネキンみたいに硬くありません。
でもこのお人形さん、想像していたよりずっと重たいです。
大柄な私でも、気合を入れてふんばらないと支えきれません。ひょっとしてこのお人形さん、中身は鉄でできているのではないでしょうか?
やがてジッパーを下ろす音が聞こえて、お人形さんが着ているドレスがはだけました。
下着は着けてません。ノーブラです
――お人形さんとはいえ、女の子の生乳見ちゃいました。
プールの更衣室でもないのにハァハァ。
大きくはありませんが、フニフニ感があってすごく軟らかそうです。
でもそこにあるはずのアレがありません。ソフトビニールの着せ替え人形みたいです。
「乳首、ないんですね」
「どうせ服を着せる……あった方がいいか?」
「せめて先っぽを少し尖らせるべきだと思います」
全年齢対象なのかもしれませんが、これでは服を着せても不自然に見えてしまいます。
「おむつのパッケージじゃないんですから」
最近の紙おむつは、パッケージの赤ちゃんの乳首がCG合成で隠されているのです。
「うむ……考えておこう」
あーもう、どうして殿方って変な所でシャイなんでしょう!
「って、ひょっとしてこのお人形さん……」
エッチな要素をほどよく排除して、少女らしい可愛さを強調していると考えれば、そう悪くない仕様かもしれません。
乳首のないお胸は艶やかで、パンケーキみたいにふっくらとしています。
まるでいちご大福のようです。おいしそうです。
「もういいぞ。ハッチを開けるから退がってくれ」
危うく百合に走るところだった私は、慌てて肩から手を放して後退します。
先生がお人形さんの鎖骨を指で押すと、パキッとロックの外れる音がして、お人形さんの胸部が音もなくス~ッと左右に開きました。
BCミロク|(日本の猟銃メーカー)のショットガン並の高精度です。
「ロボット……ではありませんよね?」
モーターや動力パイプどころか、配線一つ見当たりません。
それは銃の部品の集合体でした。鉄と鋼とステンレスが鈍く無骨な光沢を放っていて、ガンオイルの匂いが嗅覚を刺激します。
そして全てのパーツ構成には一切の無駄がなく、極めて高度な設計と工作がうかがえます。
これは芸術品ではありません。精緻を極めた職人芸の賜物です。極上品です。
「やっぱりこのお人形さん、先生の【作品】なんですね」
胸の中央右側には大きな回転式拳銃が据えられていました。その周囲にはスライドや撃鉄など、細かいパーツが所狭しとひしめき合っています。
そして何より目を引いたのは、左胸に収まっている大きな大きな緑色の宝石でした。
「……これ、本物ですか?」
「儂にはわからんが、おそらく本物だろう」
常識で考えれば、エメラルドにしてはあまりにも大きすぎます。
でも、見ていて魂が惹き込まれるような感じは、ガラス玉とは思えません。
しかも宝石の中に何か入っています。
昔の映画で見た、昆虫を封じ込めた琥珀みたいです。カッティングによる複雑な光沢でよく見えませんが、心臓の形に見えなくもありません。
その時、お人形さんの中身をチェックしていた先生が口を開きました。
「回転弾倉周りならタクミ君にも整備できるだろう。やり方は後で教える。分解整備は3ヵ月に一度でいいが、点検は毎日やれ。これがお前さんの初仕事だ」
先生は私に初めての命令を下しました。
変わったお仕事ですが、この子に一目惚れしちゃった私には拒否する理由なんてありません。
……本当にノンケなんですよ?
「設計図の一部をプリントアウトするから、それを元に整備マニュアルを作って提出しろ。他の銃のマニュアルを参考にしてもいい。できるな?」
「できます。いえ、やらせてください」
このお人形さんに毎日会えるなら何だってやっちゃいますよ。マニュアルくらい虎戦車教本並の絵図面つきで作ってみせます。
その代わり、この子の頭をナデナデさせてもらえませんか……?
「名前はアヴリル。アヴリル・卯月・エドゥアール」
先生は、お人形さんの頭を優しく優しくなでながら言いました。
わ、私もなでたいですぅっ……!
「儂の大事な【娘】だ。可愛がってやってくれ」
その手つきには、実の娘さんに対する父親の愛情が感じられました。
※
銃器所持|(甲種)と銃砲整備の免許を貰って数日経った放課後の事です。
「八板~っ! お前カレシできたってマジか⁉」
「ブブブブ~~~~~~ッ‼」
口に含んでいたペットボトルの紅茶を、全て京野くんの顔にぶちまけてしまいました。
「うわきたねえ!」
「いきなり変な事を聞くからだよ。はいハンカチ」
「あ、サンキュー美樹」
鷹塚さんは相変わらず面倒見がいいですね。まるで京野くんのお母さんみたいです。
「どどどどーゆー事ですか⁉ 一体どこからそんなお話が⁉」
京野くんはタオル地のハンカチを可愛らしくわしゃわしゃして忙しいので、鷹塚さんに聞いてみます。
「拓美くんが最近、放課後になると妙にソワソワするから、いい人でもデキたんじゃないかって学年中の噂になっているのさ」
この学園は男女比が偏っているので、色恋沙汰のゴシップは広まるのが早いのです。
「何ですかそのデマゴギー。私は当分、彼氏なんて作る気ありませんよ」
でもその噂は当たらずも遠からずだったりします。
「エドゥアール先生の孫をたらし込んだって聞いたぞ? やっぱ金髪美少年か?」
顔を拭き終わった京野くんが、私と鷹塚さんとの話に割り込みました。
ニアミスです。超至近弾です。推理が初弾から夾叉しています。
「せめて美形のお兄さんって発想はないんですか?」
「ねーよ。八板の病気がそんな簡単に治るかよ」
その通り確かに私はショタコンですが、京野くんは私の有効射程に自分も入ってるって自覚があるのでしょうか? 一度聞いてみたい気がします。
「何度も言いますけど、私に彼氏なんていません」
先生絡みで金髪なのは本当ですけど。
しかしナゼでしょう? 根拠のない推測なのに、この正確な射撃精度は?
嫌な予感がします……。
「鷹塚さん、噂の発信源はご存じですか?」
わずかな情報と私の挙動から、その多くを推察できる人物。
おそらく奴に気取られたに違いありません。
「はっきりとはわからないけど、たぶん高島くんだね」
鷹塚さんはいつも京野くんと一緒にいるので、私以外の女子に親しい友人はいません。
でも熱烈なファン(全員女子)が鷹塚親衛隊を結成しているとかで、情報源には事欠かないのです。
「やっぱり若桜くんですか。では私、逃げます」
大急ぎで荷物をまとめて脱出を図ります。戦術的撤退です。
机に貼りついている京野くんが邪魔なのを察して、鷹塚さんがひょいとどけてくれました。
「そうそう高島くんだけど、さっき刀工部の先生に呼ばれていたよ。当分帰って来ないんじゃないかな?」
鷹塚さんは、どさくさにまぎれて京野くんに頬ずりしています。羨ましいです。
「情報ありがとさんです! 助かります!」
「ブロンドのカレシによろしくな! カノジョでもいいけど、ロリなら今度紹介しろよ!」
私、見境なしだと思われてます! てゆーかそれ正解です!
「京野くんに女の子は絶対紹介しません! ロリが見たければ女装して鏡に向かってください!」
京野くんは見た目こそロリロリ美少女ですが、その実体は重度の変態紳士なのです。模型部でも貧乳(ひんぬ~)ロボロリ娘のフルスクラッチモデルを鋭意制作中だったりします。
「女装ならもうやったよ。僕はすごく嬉しいんだけど、奈乃が嫌がってね」
鷹塚さんがスマホを取り出すと、待ち受け画面に白いフリフリのワンピースを着た京野くんが映ってました。
一体どうやって着せたのでしょう撮ったのでしょうその画像データ欲しいです!
画面の京野くんは、ベッドの上で半ベソをかいていました。
それがまた可愛のなんの。
「あれは美樹が無理矢理……って、それ見せるなって言っただろうわ~ん!」
わたしが教室を出るまでの間、京野くんは鷹塚さんのスマホを取り上げようとピョンピョンとび跳ねていました。
※
七宝鏡学園は工業系の知識と技術を学ぶ学校ですが、1年生は一般科目が中心で、あまり工作機械に触れる機会がありません。そんな訳で放課後は、部活で技術を磨こうと教室を飛び出す生徒が大半を占めています。
もちろん私もその一人です。
エドゥアール銃砲店にたどり着いた時、先生は不在でした。装甲ドアに閉店の札がかけてあります。
私は師匠からお預かりした合鍵(通い妻みたいです♡)を差し込んで、扉を開けて店内に滑り込みました。そのまま地下の工房に直行して、アヴリルの部屋のドアを開け放ちます。
かけてある黒い布をそっと剥がすと、アヴリルはいつも通り椅子の上で眠るように座っていました。
「こんにちはアヴリル。今日も綺麗ですね」
ふわふわの金髪をそっとなでながら言います。
「あーもう可愛いっ♡ うーきゃー可愛いっ♡」
思わず両手でわしゃわしゃしてしまいました。
お人形さんとはいえ、ちっちゃい子の頭がなで放題。極楽浄土でご満悦です。
「点検が終わったらブラッシングしてあげますからね~♡」
私がアヴリルに話しかけるのは、早くも習慣と化していました。
フェチとか変態だなんて言わないでください。アヴリルがただのお人形さんだなんて、私にはどうしても思えないのです。可愛いんだから仕方ないじゃありませんか。
アヴリルは銃器の塊です。アメリカ海兵隊では自分の小銃に異性の名前をつけて話しかけるくらい普通なのでセーフです。話しかけないと●ートマン軍曹に泣いたり笑ったりできなくされてしまいます。
「あっと、その前に準備準備っと♪」
ヘアゴムで髪を束ねてエプロンを着けました。
「それでは今週のハイライト~♡」
背中のジッパーを下ろして、アヴリルの乳首のない胸部を露出させます。さすがに最近は慣れて来たみたいで、女の子の服を脱がす行為にも抵抗を感じなくなりました。倒錯的なシチュエーションによる興奮が半減してしまった、とも言いま す。
もちろん冗談ですよ。私はノンケですから。
「では開けますよ。ちょっとの間なので我慢してくださいね」
鎖骨に隠されたロックレバーを外して胸部ハッチを開くと、アヴリルの心臓部が現れました。
左胸にある緑色の宝石の下に中折れ式を逆さまにしたような機構があって、キャリアを引くとパキッと乾いた音と共に右胸の回転弾倉がゆっくりと跳ね上がります。
これは一見リボルバー拳銃の回転弾倉に見えますが、実は弾倉が銃身を兼ねた胡椒入れ型拳銃の輪胴になっています。リボルバーが普及する以前に流行した古式拳銃ですが、旧いのにガンガン連射できるダブルアクション機構を持っているのです。
ただし実物よりもはるかに太くて銃身も短いので、半分に切ったレンコンにしか見えません。
このステンレス製の輪胴は、火縄銃と同じ前装式です。
正面にある3つの穴から火薬と弾頭を装填して、後部に発火用の雷管をはめ込む管打ち(パーカッション)式と呼ばれる構造になっています。
薬室にはそれぞれ直径が10番ゲージ(19・5ミリ)もある、エメラルドの弾頭が装填されていました。
「これって本物だとしたら、ものすごく高価なのでは……?」
なんだかそら恐ろしくなって来ました。
「落として失くしちゃったら、とり返しがつきませんね」
留め金を外して、レンコン型の輪胴を引き抜きます。
「でも私、やり直しのきかなない一発勝負って得意分野なんですよ」
分解整備は3ヵ月に1度と言われているので、今回は火薬を交換する必要がありません。
でも掃除ならいつでもできます。
先生の命令にはないお仕事ですが、私はこれを毎日ピカピカに磨き上げないと気がすまないのです。アヴリルは中身も綺麗であるべきだって思うでしょう?
実を言いますと、アヴリルの内部には一つだけ不満があります。
先生の作品なのでパーツ構成と工作精度は完璧なのですが、質実剛健で無骨なデザインは女性らしさや可愛らしさ、そして何より彫刻などの優美な装飾とは無縁なのです。
レディーの中身なんですから、彫刻や貝象嵌くらいあってもいいじゃないですか。
今、私が手にしている輪胴にしても、溝すら入っていません。ただのフラットな円筒です。
いつか私が先生も認める彫刻師になったら、アヴリルの全パーツに彫刻を施したい。そんな事を考えるようになっていました。
病気なのはわかっていますが、わき上がる創作意欲を抑えきれないのです。
「よし完璧!」
輪胴を磨き終えて、元の位置に戻します。
ふと見上げると、目の前にアヴリルのぷっくりとした頬がありました。
お化粧もしてないのに、ほっぺたは桜色に染まっていて、眺めていると惹き込まれそうな気分になります。
「私、ノンケなんですよ? 本当にノンケなんですよ……?」
小さい子を見ると思わずチューしたくなるのが人情ってものです。
「そう、これは母性本能なんです。お母さんがお子さんにチューしたくなるのと同じなんです」
私は思わず目を閉じて、その柔らかそうなほっぺたに……。
「ついに現場を抑えたぞ!」
若狭くんが派手に扉を開けて、まさかの時のスペイン宗教裁判ばりに飛び込んで来ました。
「!!??」
「初めて来た時からこのドアは怪しいと睨んでたけど……まさか、こんな所で女装金髪美少年と不純異性交遊なんて……拓美ちゃんのド淫乱っ!」
まあ何て事でしょう! 入口の施錠をすっかり忘れていたのです!
……って、どうして女装金髪美少年なんですか。若狭くんにもゴスロリ衣装を着せてあげましょうか?
「紹介してよ拓美ちゃん! この子の名前は? エドゥアール先生のご親戚? 2人でABCのどこまで進んだか一切合財キリキリ白状しちゃいなよ!」
機関銃のようにまくし立て、私を問いつめる若狭くんです。
でもしかし、今の私には若狭くんの質問に答える余裕なんてありませんでした。
若狭くんの奇襲攻撃に動揺して、アヴリルの桜色の唇にキスしてしまっていたのです。
「た、拓美ちゃん……それ、人形? それに女の子? なんでキス……? どうして等身大美少女フィギュアにチューしてるの⁉」
さすがの若狭くんも、状況の全てを察したようです。
そしてアヴリルが女の子だと気づいたみたいです。
「…………」「…………」
空気が固まりました。私の体もアヴリルにチューしたまま硬直しています。
こんな時に何ですけど、アヴリルの唇ってすごく軟らかいんですよ。
冷たいのにふんわりと好触感8こうしょっかん)で、そんな筈はないのに湿り気を帯びている気さえします。
そして目を開けると、アヴリルのエメラルド色の瞳に焦点が合いました。
――アヴリルの目が開いてます!
私は石のように硬直した筋肉を無理矢理動かして、アヴリルの面前から一歩退がりました。
アヴリルの胸にある宝石が緑色の光を放って、しかも明滅しています。その中にある心臓のような物体も動いていました。
いえ、鼓動しています。
「なっ…………⁉」
思わず飛びのいてしまいました。
ハッチの内側にあるパーツが次々と動き出して、ガス・ポートのピストンが反復運動を始めます。関節式閉鎖機構が尺取虫のように動作して、ボルトを後退させるのも見えました。
信じられません。なんの動力もないのに、アヴリルが動いているのです!
「あ……アヴ……リル?」
そして紅梅のような唇が言の葉を紡ぎます。
「契約は結ばれたのじゃ。そなたこそ妾の(つま)である」
俺をエメラルドの瞳で見据えて、銃の部品でできたゴスロリ服のお人形さんは口を開きました。
それは鈴を転がすような心地良い声色でした。
「つ、妻ぁ⁉」
いえいえ確か【夫】も【つま】と読んだはずです。古語ですけど。
って、それってお仕事から帰ったらお風呂ですかご飯ですかそれともワ・タ・シ? とか聞かれちゃったりする、あの夫ですか―⁉
「妾の名はアヴリル・卯月・エドゥアールである。そなたの名を聞かせてたもれ」
胸のハッチが自動的に閉じて椅子から立ち上がり、アヴリルは私に名前を尋ねました。
乳首のない、ささやかなお胸を張りながら。
そこでハッと気づいた私は、あわてて若狭くんにアックスボンバーをかけました。
「その前にお胸! その丸出しのお胸を隠さなきゃ!」
プリプリして心底可愛いのですが、こんなところで見せびらかす訳には行きません。
私は毎日の整備で見慣れているので(ハァハァするだけで)気になりませんが、年端もいかない少女の半裸は、若狭くんのような思春期の殿方にタダ見させて良いものではありません。
とりあえず起き上った若狭くんの頸を掴んで、頭部を回れ右しました。
「ぐぎがげぅっ!」
何かグキッと逝った気がしますがスルーします。
「さてこれで目撃者は……」
振り返ると目の前にエドゥアール先生が立っていました。
どうやら若狭くんと一緒に来たようですが、さすがに先生に無音殺傷法やコンバットサンボをぶちかます訳には行きません(使えませんけどね)。
「せ、先生⁉ こ、これはその、アヴリルがあんまり可愛らしくてつい……」
とっさの事で言葉が浮かびません。
でも先生は怒ってなどいませんでした。
お顔を涙でグショグショに濡らして、今にも号泣しそうな勢いです。
「あ、アヴリルが……立っておる! 喋っておる! おお、アヴリル……儂の愛しい娘よ! 顔をよく見せておくれ。あのアルエットのように、微笑みかけておくれ……!」
ゾンビさんのように(失礼)よろよろとアヴリルに歩み寄り、震える両手を伸ばす先生です。
「もう手遅れですが証拠隠滅です!」
大急ぎでアヴリルのドレスをたくし上げ、背中のファスナーを勢いよく引き上げました。
「よし完璧!」
少し退がって着つけのでき映えを確認します。
アヴリルの緑色の瞳は、ずっと私だけを見ていました。歓喜に震える先生はガン無視です。
そしてエナメル靴を履いた両脚を動かして、ゆっくりと歩き出します。
――よちよち歩きでした。
「かっ……可愛いっ♡」
少女の歩みは止まりません。
「妻たる者が夫の名を知らぬでは話にならぬ。名を聞かせ……わきゃっ‼」
何もないところで躓きました。
「危ない!」
きっと初めて歩いたのでしょう。私は咄嗟にアヴリルを支えようとしました。
それが間違いでした。
「う……のぅわっ⁉」
支えきれませんでした。
そのままアヴリルは私のモンス・メグ射石砲おっぱいにのしかかり、もつれ合って倒れ込んでしまいました。
「うわあ、やっぱりフランス娘って積極的なんだね」
若狭くんが性懲りもなく復活しています。
「拓美ちゃんも隅におけないなあ」
クラスメイト(女子)を抱きしめて私の大砲の皇帝おっぱいで溺れさせちゃった事はありますが、押し倒されたのは初めてです。
でもアヴリルは、普通の女の子なんて生易しい子ではありませんでした。
「ふぐぇぶぉぉぉぐばぁっ!」
反跳爆弾(右がハイボールで左がアップキープ)おっぱいの中身が飛び出すかと思いました。
重い! ムチャクチャ重いです! 建設用の重鉄骨並ですよこの子!
「ごげぐばあっ!」
忘れてました。アヴリルは鉄と鋼とステンレスでできているのです。
100キロは軽く超えているのではないでしょうか?
圧しかかるアヴリルから逃れようともがいてみます駄目でした。
どんなに力を込めても全く動く気配がありません。肋骨がミシミシと音を立てて、今にもへし折れそうです。息もできません。
せっかくアヴリルが私のK‐7おっぱいにお顔を埋めているのに、もぞもぞ動く小さくて可愛いお鼻の感触を楽しむ余裕なんてありません。
「うわモーレツ! なんて羨ましい……って、どっちに感情移入すればいいの?」
モーレツって……若狭くんは昭和のコメディアンですか。
「@*△♡□◎☆♀♂√〒$!」
「えっ何? どけるのこの子?」
若狭くんは怒ってるのか喜んでるのか嫉妬してるのか微妙な感じですが、とにかく私たちを引き放そうとアヴリルの肩に手を伸ばします。
「触ってはいかん! アヴリルの体重は150キロ近くあるぞ!」
金属でできたアヴリルの体は、質量だけでも十分に危険です。慎重に扱わないと若狭くんまで巻き込まれるかもしれません。
要するに今の私は、転倒した中型バイクの下敷きになっているのと同じ状況なのです。
「ええっ! それじゃどうすればいいの?」
「少し待ってろ! 今救ける!」
先生が天井のレールにぶら下がっていた手動式の巻き上げ機を引いて来ました。これなら乗用車のエンジンだって持ち上げられます。
「アヴリル、タクミ君を救けるために、少しの間だけじっとしておくれ」
「タクミ? 妾の夫はタクミと申すのか?」
「そうだ」
夫ってところは否定して欲しかったです先生!
「だから背中の6番ハッチを開けておくれ。ゆっくり持ち上げないとタクミ君の肋骨が折れるかもしれん」
「……わかったのじゃ」
6番ハッチで通じたようです。アヴリルが肩甲骨の間にある小さなハッチを開くと、頑丈そうな牽引フックが現れました。それを先生が巻き上げ機のロッキングフックに接続して、ゆっくりと引き上げます。
「おお、おおおっ……」
がらがらと鎖でつり上げられて、名残惜しそうに私から離れるアヴリルです。
「げほっ……げ……ごほっ!」
「タクミ君、怪我はないかね?」
「んっ……だ、大丈夫です。どこも折れてない……ゲホッ……と思います……」
せき込みながら息を吸い込みつつ上体を起こすと、座ったまま半ば宙吊りのアヴリルと向き合う形になりました。
よく見ると、お口から緑色の光が漏れています。
「タクミ……タクミ……タクミ…………ッ!」
アヴリルは私の首筋にしがみついて、泣き出してしまいました。
助けを求めて先生と若狭くんを見ると、『早くやれ』『やっちゃえ!』とジェスチャーで命令しています。何て調子のいい人たちでしょう。
「私、これでもノンケなんですけど!」
「何を今さら」
「もうどっちでも構わん。……頼む」
「そう言われると、やるしかないんですけどね……やっちゃいますよ?」
私は意を決して、両手をアヴリルの背中に回して抱きしめました。
先生が鎖を動かして高さを調整してくれます。
「あはっ、冷たくて気持ちいい……」
転んだ時にヘッドドレスが落ちたらしく、頭なで放題の天国です。
「ふ……ふゎあああああああああああああああんっ!」
アヴリルはもう大泣きです。
後で思えば、これがアヴリルの産声だったのかもしれません。