最終章・翠玉の少女(エメラルド・ガール)
◆最終章・翠玉の少女◆
「おいこのケーキうめーな! 何て名前だこれ?」
病室のパイプ椅子を斜めに揺らしながら、ケーキを愛らしくもにゅもにゅと咀嚼する京野くんです。
「大学部の先輩に戴いたんですよ。ガトーバスクだそうです」
「うわスゲー強そうじゃん!」
オールバックのお兄さんはともかく、おハゲのおじさまは魅力的だと思います。
「もう終わっちまった……もう1個くれよ!」
「奈乃、少しは遠慮しないとダメだよ」
鷹塚さんが京野くんをひょいと抱き上げました。
「いいんですよ。私は十分食べましたし、もうすぐ退院の時刻ですから」
まだ手をつけていない私の分を渡します。
「そうかい? ではお言葉に甘えて……」
鷹塚さんは京野くんを降ろして、ケーキの紙皿を受け取りました。
「ずるいぞ美樹! 俺にもよこせー!」
鷹塚さんはお皿を掲げて、京野くんをピョンピョン跳ねさせてご満悦です。
「荷物になりますし、全部食べちゃって構いませんよ」
ケーキの箱ごと京野くんにあげちゃいました。
「サンキュー八板! 美樹、早く帰っておやつにしようぜ!」
今食べたのはおやつではないそうです。
「まったく現金なんだから。それじゃ八板さん、休み明けに」
「ええ、教室で」
「じゃーな!」
お手々をつないで病室を出るご両人です。
「ああもうっ、ちっちゃい子とお出かけいいなあ~っ!」
もう2週間もアヴリルに会っていないので、お2人が羨ましくてたまりません。
※
気がついたら病院のベッドの上でした。
拷問具に挟まれた右脚は踝が剥離骨折していて、今はボルトで固定されています。
小銃擲弾の反動で負傷した肩は、幸い筋を痛めただけで済みました。
ドリットさんのパンチはヒョロヒョロだったので、殴られた痕も大した事はありません。
本当は数日で退院できるはずだったのですが、マスコミ避けで学園長さんが手配してくださった個室に籠っているうちにゴールデンウィークに入ってしまい、お医者さんの休暇で精密検査が遅れて2週間も経ってしまったのです。
ベッドの空きを作りたくない病院側の思惑もあるでしょう。
ドリットさんは……意外な事にご存命でした。
瓦礫がうまく積み重なって空洞ができていたとかで、傷ひとつなかったそうです。
でも記憶の大半を失って言葉も話せない状態で、背後関係などを聞き出すのは不可能とのお話です。
きっと魂が抜けてしまったとか煙の人さんに連れて行かれたとか、そんなチープなオチなんでしょう。お今ごろあの美人さんと、どこかでキャッキャウフフしてらっしゃると信じたいです。
何はともあれ私のキルマークは0のまま。殺人者にならずに済んだのは幸いでした。
ちなみにクイックデリバリーに乗っていた特殊部隊さんたちは軽症で済みました。
今回の事件による死亡者はゼロ。私が一番の重傷者です。
――いえ、もっと酷い目に遭った子がいました。アヴリルです。
アヴリルの破損状態は思った以上に酷いものでした。
頭部と頸部は全損、左肩と右膝のフレームは歪んでいて、指先もいくつか欠損していたのです。
手足の修復は翌日には完了しました。
予備はもちろん、長年の改良で交換したパーツや試作品で、一体分まるごと交換してなお余る余剰部品があったのです。
でも潰された頭部は別でした。ストックはあったのですが、いざ組んでみると、まるっきり別人のお顔になってしまったのです。
アヴリルのお顔は、お師さんが何年もかけて修正を続けた芸術品で、設計図とは完全に別物と化していたのです。
しかも写真資料はごくわずかで、完全再現は不可能かと思われました。
幸い私が密かに撮影した写真と動画から、風紀点検委員局の科学捜査班に3D画像を再現して貰って事なきを得たのですが、お顔の修正作業に1週間もかかってしまいました。
徹夜続きだったのか、私をお見舞いに来るお師さんのお顔が日に日にやつれて行くので、もう心配でたまりません。
工房でアヴリルに『顔はまだか?』と催促されながら、必死に作業するお師さんのお姿…………まるで某国民的アニメに出て来るパン職人さんみたいです。
いくら羞恥心の薄いアヴリルでも、潰れたお顔のままではお見舞いに来れません。
私が気にしなくても、他の患者さんが見たら卒倒してしまいます。
そこで若狭くんが気を利かせて、携帯メールの使い方をアヴリルに教えてくれたのです。おかげで私たちは毎日連絡を取り合う事ができました。
あの子のお顔が直るまでお話はできませんが、それでもコミュニケーションが取れるようになったのです。
アヴリルの拙い文章力が少しずつ上達するのを見るのも、入院中の数少ない楽しみになりました。
最初はお師さんや若狭くんのスマホからメールを送って来ましたが、すぐに自分のを買って貰ったようです。
嬉々として携帯ショップに向かう、お師さんのお顔が目に浮かびます。
ちなみに壊れた私のスマホは、高性能カメラを搭載した新型に買い替えました。
もちろんアヴリルの新しいお顔を撮影するためです。
アヴリルの修理はもう終わっているはずですが、私はまだ新品のお顔を見ていません。
写メは送って来るのですが、アヴリルは修繕前からずっと頭に覗き穴を開けた紙袋を被ったままで、若狭くんにも中身を見せていないのです。
『タクミが帰ったら一番に見せるのじゃ!』とメールに書いてありましたが、製作者であるお師さんはお勘定に入っていないのでしょうか?
そうそう、入院してまっ先にお見舞いに来たのは、お師さんではなく特殊急襲部隊の隊長さんでした。とてもお世話になったと感謝していますのに、土下座までされてしまったのです。
生徒会長さんにも謝られました。ガトーバスクはその時に戴いたものです。
お師さんや隊長さんはもちろん、デンガン先輩や担任の先生までお見舞いの品を持って来てくださるので、私はすっかりお菓子に不自由しない身分になりました。
その大半は毎日やって来る京野くんのお腹に収まってますが、甘いお菓子を食べるより、可愛い子に喜んでもらえる方が楽しいので本望です。
その京野くんもお見舞いの品を持って来ました。
お菓子ではなくラジコンカーです。
小型のオフロードバギーの上に、なぜかロボットの上半身が乗っていました。
もちろん走ると転倒します。おそらくプラモデルのパーツで改造したのでしょう。
数日後にはホラーなデザインの笛を貰いました。女の子向けアニメのキャラ商品を改造したようですが、原型をまるで留めていません。
笛の形をしていますが、お人形さんのお顔を張りつけてメタルカラーに塗ってありました。
故・ギーガー画伯もビックリな恐怖仕様で、ボタンを押すと、息を吹き込まなくても可愛らしい電子音が鳴ります。
正直、保管場所に困ってます。
そうそう、事件を聞きつけたお母さんも来ました。お父さんはお仕事がお忙しくて来れないそうで、お母さんだけ3日ほど病室にお泊まりしたのです。
お母さんにはアヴリルや養子縁組の事を話したかったのですが、今回はパスしました。
お胸のハッチを開いて見せないと説明が難しいので、何だか面倒臭くなってしまったのです。
そもそもお母さんはよく叔母さんと入れ替わっているので、やって来たのが影武者でないとは言い切れないのです。せめて2人揃った時でないと、秘密を打ち明ける気にはなれません。
ちなみにお母さん(?)は急いで来たので、お土産は那覇空港で買ったちんすこうです。
結局、一番嬉しかったのは碑女先輩のプレゼントでした。
あの怪物ブラジャーの柄違いで、九七式中戦車模様でおなじみの、大日本帝国陸軍戦車の前期迷彩です。
私のウクライナ空軍仕様と合わせて2着になったので、ローテーションを組んで毎日着用できるようになりました。
先輩の言った通り、ぜんぜん揺れないし肩も凝りません。
新開発のウィンピー・スケルトンがどうとかで、私のレベデンコ戦闘車おっぱいを、がっちりしっかり固定してくれるのです。
寄せずに上げる構造なので、汗疹の心配もありません。
もうFV4004砲戦車おっぱいの谷間に生理用ナプキンを挟む日々とはおさらばですもう最高!
さすがに寝る時はスポーツブラを着けていますが、病院内を松葉杖でお散歩する時は、いつもこの怪物ブラを愛用しています。
もちろん小児病棟に行ってハフハフウマウマするんですよ。入院中の心の拠り所です。
でも、そんな生活も今日でおしまいです。
私はいつものネービーブルーの制服を着て、退院準備の仕上げを始めました。
「やほーッス! お迎えッスよー!」
最後の荷物を軍用リュックに詰め込んでいると、采女ちゃんが開けっ放しのドアから、病室にひょっこりとお顔を出しました。
碑女先輩もご一緒です。
「お世話になります。采女ちゃん、お首の具合はどうですか?」
ブッシュマスターで建設現場に突っ込んだ時、むち打ちになってしまったのです。
「もう平気ッスよ。ギプスも取れて気分爽快ッス」
「拓美君の具合はどうだね?」と碑女先輩。
「はい、肩と顔の腫れも引いたので、後は足の骨折だけです」
「それは良かった。荷物と松葉杖は私が持とう。采女、車椅子を頼む」
「あいっさーッス!」
碑女先輩に手伝ってもらいながら、車椅子に乗りました。
「出発進行~ッス!」
采女ちゃんは景気よく言いますが、ゆっくり静かに押してくれます。
退院手続きとお会計は済んでいるので、エレベーターで地下の駐車場に直行です。
「軽装甲機動車じゃないですか!」
「これが一番喜ぶと思ってね。軽装甲機動車(MRVs)の方が良かったかな?」
「いえ、最高です(鼻息)!」
ブッシュマスターは軽症だったので、数日で復帰したそうです。
「さて、助手席と後部座席のどちらがご所望かね?」
助手席はドアがないのを除けば、普通の乗用車とそんなに変わりません。
「もちろん後部座席です!」
碑女先輩に手伝って貰いながら兵員用シートに座ると、荷台に車椅子と荷物を放り込んだ采女ちゃんが、ササッと運転席に乗り込みました。
「……あれ? 碑女先輩が運転するんじゃないんですか?」
「碑女姉さまは免許持ってないッスよ?」
LAVがゆっさりと走り出します。
ブッシュマスターや車椅子の時もそうでしたが、采女ちゃんは掛け声こそ景気いいものの、運転はとても丁寧なのです。地面に亀さんさえいなければ、ふんわりと優しく走ってくれるのです。
「私は目が悪くてね。実はほとんど見えていないのだ」
そういえば極厚眼鏡でしたね。
「眼鏡アリで視力0・1以下じゃ免許取れないッスよ」
「でも弓矢を射って……」
当たったら凄い事になりましたよね?
「鬼耳なんスよ。鬼の耳って書くッス。」
「生まれつき魂魄の声が聞こえるタチでね。周囲の状況を空気に教わっているのさ」
「よくわからないッスよそれ。この前は耳で狙うとか言ってたし、ウチには理解不能ッス」
「浄眼持ちならうまく説明できるのだろうな」
「できないと思うッスよ」
器械を完全分解できる秘孔みたいなものを、空気から聞き出したって事でしょうか?
「場合によっては操る方もできるのだが、どうにも風向きに左右されがちでな」
異能バトルもののパターンに漏れず、それっぽい弱点もあるみたいです。
「でも視力0・1以下で教科書とか読めるんですか? テストとか……」
「それは教科書が教えてくれるし、答案用紙も耳で読める。答えまでは教えてくれんがね」
それほど便利な能力ではない気がしてきました。
「……そういえば話は変わりますが、特殊部隊の隊長さんに、専門の教官がいなくて困ってるって聞きました。お師さんに米軍さんと交渉してもらえないかって」
神仙組や特殊部隊さんたちの段取りが悪かったのは、これが原因らしいです。
本物の特殊部隊さんなら見敵必殺(サーチ&デストロイ)、相手が倒れるまでありったけの銃弾を撃ち込むのがセオリーなので、おかしいとは思っていました。
本来なら特殊部隊さんたちが包囲した時点で、ドリットさんは魔術とか関係なくハニカム構造と化していたはずなのです。
ノウハウどころかアドバイザーもいない新設の特殊部隊さんなんて、ただ装備が良いだけの警備員さんと一緒です。ちっとも特殊ではありません。
まさかとは思っていましたが、本当に張子の虎だったんですね。
「島から警察追い出しちゃったッスから、日本特殊急襲部隊(SAT)に協力して貰えなかったんスよ」
「自衛隊に協力してもらおうにも、各方面がうるさくてな」
軍や警察の特殊部隊のアドバイスなんて、そうそう受けられるものではありません。
国外で退役された隊員さんを探そうにも、そもそも特殊部隊は隊員さんの情報を極秘にするものです。
家族にすら秘密にする(陸自の特殊作戦群を除く)ので、公立とはいえ教育機関が外国の特殊部隊員を探し出すのは不可能に近いでしょう。
「だが先日、ちょうど良い人材が舞い込んでな」
「そうそう、まさに棚ぼた。いやカモネギッスよね~」
「???」
「それが何と、元SASらしいッスよ」
「世界最高で最古の軍系特殊部隊じゃないですか!」
英国陸軍特別航空任務部隊(SAS)は米軍のデルタフォースと並ぶ、世界でも最精鋭の特殊部隊です。
SASは各中隊が半年ごとの交代制で対革命戦群(CRW)を務めるので、市街地での対テロ任務もバッチリです。
古くからテロに悩まされたお国柄なので、ノウハウの積み重ねが尋常ではありません。
「ぜひお会いしたいです! それと訓練とか拝見したいです!」
海兵隊みたいにガンホーガンホー叫んだりはしないでしょうが、やっぱりスパルタスポ根なノリで丸太を運んだり鉄条網を潜ったり、即席のシューティングハウスでえっほいわっせいドタドタバンバンするのでしょうか?
「見学だけではつまらんだろう。いっそ参加してみてはどうかね?」
「どんでもありませんしんでしまいます」
特殊部隊はア●トロ超人だけが生き残れる、プロ中のプロの世界です。
そんな所に足を踏み入れたら、死なないまでも名状し難いマッチョな何かに改造されてしまいます。
「そうか。だが最低限の訓練は必要だぞ? 足が治ったらアヴリルと一緒に来るといい」
「アヴリルもですか?」
「うむ、むしろ彼女を鍛えるべきだ。あの体で殴り合いをしたら、どうなると思う?」
「……人死にが出ます」
全身鈍器なので、本気で殴ったら田舎のバス停くらいの破壊力がありそうです。
「そう、彼女が人を殴れば人は死ぬ。だからこそ訓練で手加減を覚えないと、いずれ大変な事になるだろう」
アヴリルは優しくておとなしい子ですけど、本気で怒ったら何をするかわかりません。
ドリットさんの時だって、両腕に装備されていたのが非殺傷兵器でなかったら……。
「私、アヴリルには人殺しになって欲しくないです……」
「あの体重と剛性では、走って誰かに衝突するだけで大事故になる。だから今のうちに体の使い方を覚えさせた方がいい。何せ叔父上はガリレオの等価原理すら知らない科学音痴だからな」
等価原理って確か……。
「もしかして、慣性質量を考慮してなかったんですか?」
「うむ。アヴリルの重力質量は本来200キロ以上あるのを、方術で軽くしているらしい。だが叔父上は物理に疎くてな」
重力質量と慣性質量は全くの別物で、計算式もまるで違います。
重力質量だけでも制御できるって、それだけで凄い事だとは思いますが……。
「道理でバランスが悪いと思いました!」
これでは歩行時の慣性を体重で抑えきれません。あの子はそんな無理ゲーを毎日プレイしていたのです。
何という根気と精神力なのでしょう。
これは帰ったらナデナデしてあげないといけません。
「着いたッスよ~」
LAVが停止しました。窓には見慣れたエドゥアール銃砲店の看板が。
采女ちゃんが運転席から降りて、荷台から松葉杖を出してくれます。
「さて、我々はここで退散だ。ここからは1人で行きたまえ。みな中で待っているぞ」
「お世話になりました。学園長さんにもよろしくお伝えください」
学園長さんはドリットさんの件で政府や各省庁やマスコミの対応に追われてお忙しく、アヴリルとのご対面が先延ばしになっているのです。
お可哀そうにアヴリルはあまり興味がなさそうですが、騒ぎが収まったら学園長さんはきっと飛んで来るでしょう。
「ではさらばだ。アヴリルをよろしく頼む」
私が降りると、采女ちゃんはお店の駐車スペースを使ってLAVをUターンさせました。車椅子を病院に返却しに行くのでしょう。
「久しぶりの我が家ですね」
入居して数日しか住んでいませんけど。
「よいしょっと」
荷物の入ったアリスパックを背負って、2本の松葉杖で歩きます。
重い鋼板入りのドアの前に立つと、お師さんが中から開けてくれました。
「おかえりタクミ君。待ちかねたぞ」
連日の徹夜でやつれてはいますが、お顔の色は戻っていました。
「お師さんっ……(♡)」
「みんな退院祝いの料理を前にして首を長くしとる。早く入りなさい」
「はいっ!」
そうそう、アヴリルにもついに胃袋が装備されました。
倉庫で抱え大筒用の火薬袋が見つかって、さらに修理のついでの大改造で胴体内のスペース確保に成功したのです。
しかも肺と胃袋を別々に装備しています。
「タクミーーっ!」
お店に入るとアヴリルが飛びついて来ましたが、飛びつく寸前に減速しているので、ふんばって受け止める必要はありませんでした。
きっとこの2週間で猛練習したに違いありません。
「待ちくたびれたぞ!」
「ただいまアヴリル。私も……う……うきゅうぅぅぅぅんっ!」
私は左の松葉杖をカウンターに立てかけて、アヴリルを抱きしめて頬ずりました。
「やっぱり冷たくて気持ちいいっ♡」
そう、この感触です! 帰ってきて良かった!
「……って、まだ紙袋を被ってるの?」
「タクミが最初と決めておったのじゃ! 当然であろう!」
アヴリルは私のSU‐152重自走砲おっぱいに埋まったまま、お顔を隠していた紙袋をバリバリと引き裂きました。
演出もへったくれもないのはご愛敬です。
「まあ、すっかり元通りに……あれ? 瞳が……?」
青くなってます。碧眼です。
「予備のパーツを使ったからな。じきに緑色になるから、今のうちにしっかり見ておけ」
「元はこの色だったんですか?」
「うむ。何色を使っても数日で緑に染まってしまうのだ」
完成した新しい頭部に交換したのは一昨日と聞いています。
「それは大変です! すぐ写真撮らないと……何で制服着てるの?」
アヴリルは私と同じネービーブルーのセーラー服を着用していました。
「かっ……可愛いっ♡」
「どうじゃ! 似合っておるであろう!」
アヴリルはいつか教えた信地旋回で、白地に緑のラインの入った運動靴を軸にくるりと回りました。
前にやった時よりも、はるかにスムーズな旋回です。
きっとこれも練習したのでしょう。
「これで校舎の見学に行けますね!」
思わず鼻の下が伸び放題です。
「いや、この子は休み明けから高等部に通う事になったのだ。ヨウメイの計らいでタクミ君と同じクラスだ」
学園長さんの権力は濫用もとい万能ですね。
いいのかなあ?
「編入試験とかどうしたんですか?」
「それなら一昨日やったのじゃ!」
頭部を交換した直後に試験ですか。結構忙しい一日だったようです。
「全問正解とは行かなかったけど、かなり良かったらしいよ?」
あら若狭くんいたんですか。抱きしめましょうか?
「ひょっとしたら僕や拓美ちゃんより頭いいかも」
さすが学園長さんの仕込みは半端ではありませんね。
もちろん不正なんてあるはずがありません。そんな事をしなくても、生まれた時から十分な知識|(ただし性教育を除く)を教え込まれているのです。
正直、物理も怪しい気がしますが、中学卒業レベルの問題なら大丈夫でしょう。
「アヴリルと一緒に投降もとい登校……人生バラ色ですっ♡」
また抱きしめてしまいました。
「タクミ! そんな事はどうでも良いから、早う奥に行くのじゃ! 妾はこの日のために絶食しておったのじゃぞ!」
「あらまあ」
本式の胃袋を装備しても食事を拒んでいたようです。
胃袋の筋肉に相当する部品はないので、お腹が減ったり鳴ったりしないのかもしれませんが、お師さんの色とりどりの料理を我慢するのは、並大抵の苦労ではなかったと思います。
性教育や物理に問題のある学園長さんですが、0歳児に我慢を教えるとは意外と侮れませんね。
「今日を最初の晩餐にするって聞かなかったんだ。それに僕もお腹すいたよ」
若狭くんが両手を腰に据えて、可愛らしくプリプリしています。
「儂は調理の仕上げが残っとるから、君たちは食堂に行きなさい。アペリティフの用意ができておる」
アペリティフは日本語では食前酒と訳されますが、正確にはワインと軽食とお喋りがセットになっているイタリア発祥の文化です。
食欲増進と食事中の会話のきっかけを得るために、夕食前にワインを飲みながらチーズなどのおつまみやスナック類を食べる習慣なのです。
もちろん未成年の私たちはノンアルコールですよ?
「僕は先に行って飲み物の準備をするよ。アヴリル、拓美ちゃんをお願いね」
「了解なのじゃ!」
アヴリルがカウンターの松葉杖を持ってくれました。
ですが拾った松葉杖を渡してくれません。
「どうしたの?」
「肩を貸すのじゃ。ちと屈め」
なんと、他人に手を貸せるほど歩行が上達しているとは。
きっと私の退院日を目指して練習してくれたに違いありません。
「いいの? では、お言葉に甘えまして……」
私は腰を落としてアヴリルの肩に左手を添えました。
細すぎる肩に体重を預けるのはちょっと不安ですが、アヴリルは見た目よりずっと力持ちで、自重を巧く活用してしっかりと支えてくれています。
「そうじゃタクミ、これを見るのじゃ」
「おっ、おお~~~~っ!」
アヴリルがセーラー服の襟をちらりと捲りました。
その中にはお気に入りのシリコンブラが……ありません。
ノーブラです。
その代わり、その先端には〇〇〇色(個人情報保護のため、色は秘密です)の可愛いアレが鎮座ましましていました。
「ほぁふぇ~~~~~~~~んんんんっっ♡♡♡」
もう大歓喜ですっ!
「可愛い可愛い可愛い可愛いかわかわかわかわかわかわわわわわわわわ~~~~っっっ‼‼」
もっと近くで見たくて、思わず前屈みです。
「どうじゃ! タクミのために父上に作って貰うたのじゃ!」
お師さんったらお顔や胃袋だけでなく、こんなところまで改修していたんですね。
恥ずかしがりながら乳首を作ってくださるお師さんのお姿……妄想が捗りますっ♡
「んもぅ最高ですっ!」
嬉しさのあまりクラクラします。
「ついでにもう少し屈まぬか?」
「ええでも、それだと可愛いお胸がよく見えないんですが……」
「髪の毛に糸くずがついておるのじゃ。取ってやるからそこに座るのじゃ」
「あらそうでしたか。ではお願いしますね」
カウンターの傍にあるお客さん用の椅子に座ると、アヴリルが突然、私の頭を両手でがっしりと鷲掴みにしました。
「ようやく引っかかったのじゃ! 喰らえいっ!」
しまった、これは孔明の罠です!
「@*△♡□◎☆♀♂√〒$~~~~ッ!」
キスされてしまいました。
唇に唇をこう、ムチュ~ッと。
どうやらお師さんが、修理のついでに口内を改造してくださったようです。
胴体内の火薬袋(コーティング済み)で呼吸しているので、ガンオイルの味はもちろん、臭いもありません。
「!!?!???!!?????」
かなり濃厚なキスでしたが、TVを見て覚えたのか、舌を搦めては来ませんでした。
私のファーストキスは……とっくにアヴリルにあげちゃいましたっけね。
セカンドキスもそうなるんだろうなぁ~とは思っていましたが、やっぱりそうなってしまいました。
おまけに鼻息がフンカフンカとくすぐったくて……♡
「…………ぷはぁっ!」
「ど、どうじゃ! タクミがなかなか口づけをしてくれぬから、どうやって喰らわすか寝ずに考えたのじゃ!」
とうとう嘘まで吐けるようになりましたか。
しかも三段構えの罠とは恐れ入ります。
「ちっちゃい子にチューを……ああもうっ、幸せの絶頂ですっ!」
思わず三度目のギュ~をしてしまいます。
「わぷぅっ! 妾はそんなつもりでは……夫婦のっ、恋人の……」
「じゃあお返しっ♡」
モチモチのほっぺたにチューをしました。
おでこに、小さなお鼻に、プリプリな耳からまぶたへと。
チュッチュチュッチュとやりたい放題です。
「ふぅっ…………もう好きにしてたもれ」
「そうします♡」
この子に大人のキスは、まだまだ早すぎます。
私は怒った若狭くんが迎えに来るまで、アヴリルの顔中にチューをしまくってしまいました。
「そうだ、入院中におみやげ作ったの」
ベルトポーチから金属製のシリンダーを出して、アヴリルの可愛いお手々に渡しました。
「これ……妾の?」
アヴリルの右胸に収める輪胴の予備パーツです。
「お師さんに専用の万力をお借りして彫ったの。可愛いでしょ?」
「キラキラして綺麗なのじゃ!」
お目々を輪胴よりもキラキラさせて、大喜びのアヴリルです。
眼福です。作った甲斐がありました。
「ちょっとしたものでしょう?」
色んな動物をたくさん描いて、背景に植物や西洋風の東屋などをみっしり彫刻しています。
タイトルはお子様向けで、『動物さんたちのお茶会』です。
「おおっウサギがおる! これはタヌキか? クマもおるぞ!」
アヴリルは輪胴一杯に描かれた彫刻に興味深々です。
「整備の時に交換してあげますからね」
「嫌じゃ! これは妾の宝物にするのじゃ!」
「あらまあ」
気に入り過ぎてしまったようです。
「それならよそ行きにしましょう。特別な日につけて行くの」
「それでは見えなくなるではないか。おめかしは他人に見せるものではないのか?」
「勝負下着みたいなものです」
「勝負下着?」
「見えない所にもお洒落をするのが、レディの嗜みです」
「なるほど!」
「また作ってあげますから、数が揃ったら毎日つけ替えればいいんです」
「他にも? 次は何を作るのじゃ⁉」
「魚介類がいいですかね……?」
「虫がいいのじゃ! 大きくて長い脚がいっぱいある奴!」
大きくて脚がたくさん……?
「……ひょっとして体長が7センチくらいの?」
脚も含めると、ハムスターくらいのサイズがあります。
「そうじゃ! 黒と黄土色のシマシマでカッコイイのじゃ!」
「オオゲジじゃないですかそれ! 一体どこで見たんですか⁉」
「地下の廊下(廊下)じゃ」
「道理でゴキブリを見かけないと思いました……」
ああっ、想像したら意識が……。
「あとでっかくて毛むくじゃらな蜘蛛も見たのじゃ」
「アシダカ軍曹まで⁉ 最強のGハンターじゃないですか!」
軍曹とはアシダカグモの通称(もしくは敬称)です。
オオゲジと並ぶゴキブリの天敵で、オオツチグモ科の蜘蛛がタランチュラと呼ばれる前は、このアシダカグモがタランチュラと呼ばれていたそうです。
「脚がいっぱいの……大きな……」
オオゲジやアシダカグモなら実家の横浜にもいましたが、あいにくここは南の島。
きっと、もっと大きくて凄い虫さんが大勢いらっしゃるんでしょうね……。
「おおっ、そこにもいるぞ!」
お店の隅っこに、大きな縞模様の蜘蛛さんがいらっしゃいました。
『ハロー♡』と挨拶されました。
……ではなく、あれはきっと威嚇のポーズ……。
「うきゅぅぅぅぅん……(卒倒)」
気が遠くなりました。
「どうしたのじゃタクミ⁉ しっかりするのじゃタクミ~ッ!」
アヴリルには悪いけど、虫さんの彫刻はナシの方向でお願いします。