出産と未来への約束
男は気が気ではなかった。握られている手はちぎれるかと思うくらい痛い。妻の半狂乱の叫びは男の耳を痛めているだけではなく心まで掻きむしっている。分娩待機室には妻と男。そして二人から少し離れたところで待機している産婆ドロイドだけ。苦悶の表情を浮かべる愛しい人をどうにかして助けてやりたいと思い、男はドロイドを振り返った。
「ねえ、まだ分娩室に行かなくて良いの? 本当に大丈夫? 医者に見せなくて本当に大丈夫?」
ドロイドは鈴が鳴るような声で返答した。
『大丈夫です。陣痛の感覚は段々と短くなってきていますが、まだ分娩室に移す段階ではありません』
なんて冷たい奴なんだっ――男は憤慨して抗議しようと口を開いたが、妻がまた泣き叫んだので、憤怒が恐怖へと一瞬で変わった。産婆ドロイドの冷静な指示に従って、妻の額に浮かぶ玉のような汗を何度も拭ってやり、腰をゆっくりと優しくさすってやる。奮起の言葉を無我夢中で何度もかける。科学技術が発達したこの世の中にも関わらず、セックスと出産だけは昔と変わらないアナログな神秘性を持っている――そのことを後に深く認識した長丁場だった。
妻は二十八時間という陣痛を経ての難産だったが無事に自然分娩を成功させた。赤ん坊の産声を聞いた時、夫婦二人はお互いを見つめながら両手を合わせておぃおぃと泣きじゃくった。
分娩室から個室へと移った夫婦は互いの健闘を称え合った。疲れ切った美しい妻の両手には、美しい天使がすやすやと眠っている。二人で何度も互いに「おめでとう」と言い合い、幸せを噛み締めた。
妻が横たわっているベッドの周りには沢山の果実と贈り物が飾られている。そこに新たな贈り物を持参してきたのは男の恋敵だった。彼は相変わらずの爽やかな笑顔を浮かべながら二人が親になったことを喜んでいる。
「いやあ、俺の可愛い後輩が結婚すると聞いた時はショックだったが、さすがに時効だしな。俺も男だ。好いた女が幸せで嬉しいよ。まあ、お前がしっかり男の務めを果たしていたとは驚きだが」
彼は豪快にガハガハと笑い、バシバシと男の肩を叩いた。
「いやあ、母親似で良かったよな。こんな可愛い天使が存在するなんて。俺も早く結婚したいよ」
「ふふふ。ありがとうございます」
妻はぐったりとしてはいるが、瞳は生き生きと輝いている。
「育児はどうするつもりだ? ドロイドを使うのか?」
政府は子供が義務教育課程に入るまで育児ロボットを無料で貸与してくれる。育児支援対策の一環だ。
「いや、ドロイドは最低限の使用にとどめようと思っています。二人とも融通が利く仕事ですし。協力しながら昔ながらの育児にトライしてみるつもりです」
「なるほどな。最近はそれも流行っているというし。でも大変らしいぞ。俺の姉貴はドロイドが三体あっても足りないと喚いていたしな。……仕事はどうする?」
夫婦は顔を見合わせた。仕事と育児に関して二人の結論は既に出ていた。
「僕が忙しい時は彼女が、彼女が忙しい時は僕が娘を世話します。色々と大変なのは覚悟しています。図々しくも先輩にもたっぷりと助けてもらうつもりです。引き続き宜しくお願いしますっ」
かつての恋敵はガハガハと渡って、またバシバシと男の背中を力強く叩いた。男は叩かれた場所の熱さに胸を打たれた。