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 ◆ ◇ ◆ 


「シノ! そんな先行ったら危ないって!」

 

 剣の一振りで、脇から飛び出てきたゴブリンを葬り去る。

 ドロップアイテムは、取るに足らないものだ。そのまま先に進もうとしたシノを、後ろから追いついてきた声が引き留めた。


 不満げな、聞き慣れた声。本当のところ、その声は頭に被った安物のヘッドセットから少しノイズがかって聞こえていたが、そんな風に考えたことなんて無かった。

 ディスプレイの向こう側の、煌びやかな剣を垂らして佇む騎士然とした男と、ふんわりとした服を纏った銀髪の少女。その少女が、いつも現実で――志信が朝寝坊して遅刻しそうになった時とか……――見せるようなむくれ顔をしながら、言っているものだとシノは感じていた。


「何そんな心配してるんだよ、こんな中級フィールド、何も気をつけることなんて無いじゃん」


 その声を聞く騎士は、自分だ。


 ゲームの世界だなんて、考えたことも無かった。ディスプレイの向こうの未知と冒険にあふれた世界は、現実の色んな制約から逃れて、どこまでも、どこまでも行ける、本物の世界だった。


「そういうことを言ってるんじゃ無いの、ほら、ドロップアイテムも拾わずに」

「そんなのポーション代にもならねえよ。欲しいなら適当に拾っておいてくれ、俺は先に」


凍結の矢(フロスト・アロー)


 魔法のエフェクトよりも冷たい声がして、踏み出そうとしたシノの足をその場に縫い止める。


「あ、ちょっとこら!」

「だから先に勝手に行かないの!」

「だから危なくなんてねえって!」

「違う! もう! これは冒険なんだから。どんな途中の道も一緒に行くんだよ!」


 言い聞かせるような頑と揺るぎない言葉と、魔法の効果でしばらく動かなくなった足に、諦めてため息をついた。

 この世界を、冒険を大事に思っているつもりのシノよりも、彼女は筋金入りだった。そして、ああいう声出すのはもう絶対にシノが従うまで自分の意志を曲げるつもりが無いと決めて居る時だと、もう長い付き合いで知っていた。


 あちらこちらに食い散らかされたモンスターのドロップアイテムを少女が拾い集める姿を、シノは地面の上にあぐらをかいてぼんやりと見やる。


 ……ふと、その景色は遠ざかる。


 ……知っていた、この景色は過去の記憶なのだと。いつものことだと、呆れたり、じりじり苛立ったり、笑ったりしている自分の中で、古びた幻灯を見るように景色をただ眺める今の自分が居る。

 

――もう久しく……見なかったのにな、こんな夢。


 きっと本当の明晰夢というのはこういうのを言うのだろうと志信は思った。

 

 夢だとわかっている自分に、もうあの時感じていたはずのわくわくした、居ても立っても居られないような冒険の気持ちがわき上がってくることは無い。ただ、戻らないものを見せられて、胸は締め付けられるばかりなのに。


――どんな途中の道も一緒に行くんだよ!

――どこまでも、一緒に行くんだよ。


 そんなの、子供の無邪気な言葉に決まっている。

 大人になってしまえば、誰だって喪ってしまう類いの言葉だと知っている。


 だが、そんな言葉のままで、思い出は止まってしまって、抜けない棘のように記憶の中に刺さり続けていた。

 

「よし、じゃあ行こう! シノ」

「あ、こら!」


 夢の中の彼女は、さっさとドロップアイテムを拾い終わると、未だに魔法の効果の切れないシノを尻目に、さっさと先に進んでいってしまう。


「一体どの口が先に行くなとか言うんだよ!」


――一緒に行くって、言ったのにさ。


 小さくなっていく背中に揺れる銀髪と一緒に、景色は遠く、遠く、遠ざかって……。



 ◇ ◆ ◇


 遠く、遠く、音が聞こえる。

 あまり聞かない、甲高い鳥の声だ。

 遅れて耳に飛び込んできたさざめきのような音はなんだろう。

 

 毛布の中から這い出て、枕元に置いてあった腕時計をかすむ目を眇めて見た。

 シンプルな文字盤は、15時過ぎを差している。

 瞬間、胃の辺りが縮み上がる。

 

「うおああああああ、遅刻!」


 魂に刻まれた会社員としての悲しい習性。この現状をどう会社に言い訳するべきか、頭の回転を上げながら、並列処理で着ているものを片っ端から脱ぎ捨て、出社の準備を整える。

 しかし、クローゼットを漁ろうとしたところで、どうも今居る場所が普段と違うという事実に認識が追いつき始めた。

 木造りの壁に、布団というのも微妙な、一枚きりの古びた毛布。天井には電灯はなく、ただ、煤けて歪んだランプがぶらさがるだけ。

 自宅でも無ければ、当然、会社の仮眠室などでもあり得ない。


「あ、あー……もう仕事とか行かなくて良いんじゃん……良かった」

 

 漸くここがどこかを思い出し、そんなニート然としたちっぽけな安心感に包まれたのは束の間。


――いや、仕事行くどころじゃないって言う方が正しいよな……。


 正確な現状認識に立ち返って、志信は重たいため息をついた。


 『異世界』という、妄想上の世界にしか存在しないと思っていた場所に何の因果かやってきてしまって1日。命の危機をしのぎ、同じ境遇の人達と合流できたのは不幸中の幸いと言ったところだが、総体的に見て不幸という事実は変わってはいない。

 勇者(セイバー)となって世界を救え、なんて、命題。未だ心の中に綺麗に収まる場所を見つけられずに居た。

 

「勇者になるには、どうすれば良いんだっけなぁ」


 益体もないことを呟いて、頭を掻く。


「……シノ起きたの? 朝から何騒いでんの」


 そんな言葉と一緒に、ノックもなしに、ドアが開いた。


「ああ、サヤおはよう。すまん、ちょっと一瞬こっちに来ちまったこと忘れてて……」


 向き直ったシノは、ドアの隙間から顔を覗かせた知り合ったばかりの女の子にそんな挨拶を返して。

 それから、引きつって、真っ赤に染まった沙弥の顔に、自分の今の状況を思い出した。


 全ての衣服をキャストオフした、ありのままの自分の姿を。


「あ、あのこれは……その……いや、良い朝だね」

「ギャーッ!」




「朝から賑やかでいいことじゃ」


 ほっほと明るい笑顔で、スープ皿を丸木のテーブルに並べる菊造を見ていると、やはり自分はそれほど悪いことをしたわけではないのではないかと思えてくる。

 不可抗力と言う言葉がこれほど似つかわしい状況は他に無い。


「何にやけてんの、キモ」


 しかし、そう思って表情を明るくした瞬間に、マウントポジションからの一撃を食らって志信の心は折り砕かれた。

 アラウンドサーティーに近づいてきておっさんを意識し始める社会人は、若い人にキモとか言われると相当のダメージを負うのである。ましてや女子高生などから言われるダメージは計り知れない。世の中にはむしろご褒美と考える類いの人間もいるようだが、幸か不幸か、志信にそちらの趣味は無かった。


「ノックせずにドア開けたのはサヤの方じゃないか……」

「ちょっと待ってって言うとか、すぐに隠すとか色々出来ることあるじゃん! それを、平然と全裸のまま良い笑顔で挨拶するなんて、どう考えて変態でしょ? うわキモ」

「変態ですね」

「それは変態かのう……」

「あちらの世界では夜な夜な全裸にコート着て出歩いて、女の人にのべつ幕無しに見せまくったりしてたんじゃないの?」

「救いがたい変態ですね」

「それは救いがたいかのう……」

「いやちょっと待って。ほんと、寝起きで色々動転してて全裸なの忘れてただけなんだよ……誓って変態とかじゃないから許してくれ」


――それに、それを言ったら、サヤの方もドアをすぐ閉めるとか目をつぶるとか色々出来たと思うんですけど……割と見てましたよね。あと、涼しい顔で酷いこと言ってる桜花もこっそりドアの向こうから覗いてたの俺、知ってますからね……。


 などと色々言いたいことはあったものの、言っても詮無いというよりより一層の事態の悪化を招きそうだったので、志信は口を噤んだ。

 思ったことを口に出す前に一度考える。社会人として必須スキルの一つである。


「……まぁ、シノも謝ってることじゃし、サヤも珍しいものを見れたと言うことで手打ちでどうじゃな?」

「全然手打ちになってないんですけど! 爺さん大丈夫? 正気?」

「ほっほ、年取ると何事もおおざっぱになってのう。さ、スープが冷めてしまわぬうちに朝食じゃ」


 誰も反論出来ない老人スマイルで話を何とか纏めてくれる菊造に感謝しながら、志信はなんとも朝から惨めな気分で、塩気の薄いスープを啜った。

 何の肉かは謎だが、塩漬け肉で出汁をとったタマネギのような野菜のスープ。堅焼きで少し酸味を帯びたパンが狭い食卓に並ぶ。この山小屋の床下に蓄えられていた食料で菊造が作ってくれた馴染まない味の朝食は、改めて昨日まで居た世界とは違う世界に来たのだということを教えてくれた。


「今日の明るいうちには、アルネア村まで辿り着きたいものじゃな」


「……SOはこの世界を模して作ったんだよな?」


 菊造……ダインの言葉に、志信……シノはパンをちぎりながら小首を傾げた。

 昨日、みんなでしゃべり方は無理せず砕けた形にしようと決めたのだった。あたかも……ゲームの中でのチャットが大抵そうだったように。

 そして、それぞれのお互いの呼び名も、異世界らしいもの……少なくとも、あまりに日本人然としたものはやめようと。それは、この世界の人々とこれからふれあっていく上で、名前だけでもあまり浮くのは避けようという考えによるものだった。尤も、こちらの名前のメジャーなものを知らないので、決めたあだ名も浮いてしまうという可能性は十分にあるのだが。


 志信は、シノ。菊造はダイン。沙弥はそのままサヤ。桜花は……結局ゲームの名前使うんじゃ無いですかと、少し不満げに言っていた。


「そうじゃが、どうしたんじゃな?」

「いや、アルネア村って聞いたことないなって思って……俺が忘れちゃっただけなのかもしれないけど」

「アルネアは、結構昔からあったと思いますけど。でも、シノが引退してからのアップデートで出来た街なのかもしれないですね」

「アップデートでというか……あれなんだよね。きっとこっちの世界でアルネアが出来たから、アップデートでもゲームにも追加されたんだよね」


 この世界(エファルゲード)を模して作られたSO。

 そんなことを露知ること無く、勇者として召喚された人達はゲームを楽しんでいたわけだが、こちらの方が『本家』だという事実に馴染むのには未だ少し時間が必要そうだった。


「なんだかややっこしい話じゃのう」

「地図とかある? 良かったらせめて最新のSO仕様ぐらいは頭に入れておきたいと思って」

「あるぞ。テーブルが空いたらだそうか」


 ダインに感謝の意を示して、シノはスープとパンを掻き込んだ。

 食べ終わった食器を溜め置かれていた水で洗い、テーブルに戻ると、古びた地図がテーブル一杯に広げられていた。


「これが、こちらの『世界』……じゃな」


 その全景に、懐かしさを覚える。

 それは、15年前とは言え、何度もゲームの中やゲームの攻略サイトで見た、SOの世界の地図だった。



 

話が始まってすぐに脱がせるのが大事だと聞いたので(何

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