狐と油揚げと隣人さん
ピンポーン
「……」
ピンポーン
「……いないのかな」
祐葉です。ただ今引っ越してまいりました。そして隣に挨拶に来ている次第であります。
しかし、出てこない。後はここだけだというのに、出てこない。
「仕事かな?」
私は手元のタオルセットに目線をやり、もう一度反応のないお隣さんのドアに目を向けた。
……仕方ない、今日は帰ろう。片付けだ片付け!!
私はくるりときびすを返し、新しい新居へと再び足を踏み入れた。
「お皿ー…っと。あれ?目覚ましどこだ?……あれっ?!お気に入りの漫画が無いぞっ?!!」
ダンボールに頭を丸ごと突っ込み、必要なものを引っ張りだしてはしまい、引っ張りだしてはしまい。
私、片付けしなくちゃ気が済まないんです。
「あと、教材か。教材、…ん?教材?!」
明日の用意もしてしまおうと、教材を探す私だったが、あることに気付いた。
教材、買ってねぇ。
「やっべえええええええ!!ヤバすぎるだろおおこれええええええ!!!」
ハジメさんごめんなさい明日は手ぶらかな!!!
私ともあろう者が教材を買い忘れるとか……何たることか。
ダンボールの前で呆然としていると、私のスマホが唸りを上げた。いやマジで。
グルルルルルルルルル……ガオオオッ
「おっと着信だ」
私のメール着信音だ。一発で私のものだとわかる、それがイイ…。
私はショックでぼうっとする頭を横に振って、メールを開いた。
ライン?やるけど、そんなの友達だけだ。メールってことは知り合いの大人の誰かだ。
[祐葉ちゃんへ]
今から飛壱に頼まれていたうちの学校の教材を届けに行きます。
新しい家に居てください。
源
「……え?」
ハジメさん、来るの?今から?ここに?教材持って?
………え、マジで?
…いやいや、聞いた話だとハジメさん超多忙らしいし、そんな雑用でうちに来るはずないか。部下の人かな。
とかなんとか思ってる矢先、それはいきなり来た。
ピピピピピピンポーン
「あっこの押し方はハジメさんだわ」
一瞬でハジメさんだと理解した。
ハジメさんが部下の人をやるわけない。だってハジメさんだもの。
ハジメさんだもの。ですべては丸く収まる。なんて恐ろしいんだハジメさん!!!
「あ、開けなきゃ!」
玄関に急ぐと、またピンポンの連打が聞こえてきた。
相変わらず悪戯というかなんというか…こうゆうのが好きなのは変わらないな!ちょっとイラついてきたよ?!
ばんっ
ガンっ
仕返しのように勢いよくドアを開けると、当然のごとく何か固いものに当たる音がした。
顔を覗かせると、そこには顔面を押さえてしゃがみこむスーツ姿の男の人がいた。
「久しぶりです、ハジメさん。お待ちしてました」
「そんな嘘つかなくてもいいぜ…祐葉ちゃん…」
「いえいえ!心から思ってますよ、さ、中へどーぞ」
「飛壱に似てきてるな、ほんと」
ハジメさんは顔を顰めながら立ち上がって、お邪魔しますと丁寧に言ってから上がった。
靴を揃えている間、久しぶりに会ったハジメさんを観察してみる。
オールバックのこげ茶の髪、一重のつり上がった切れ長の目。
相変わらずのキツネ顔でちょっと和んだ。
「油揚げ食べます?」
「俺は狐じゃない!貰おう!」
私はハジメさんをリビングに案内して、ハジメさんのために餅巾着を取り出した。
ここに来るまでにコンビニで買っていたのだ。まさかハジメさんが来るとは思わなかったがな!!
「教材を届けに来てくれたんですか?あ、どうぞ」
「あぁ、飛壱に事前に頼まれてたんだ。これ、祐葉ちゃんが取ってる授業の教科書な。あとこれ、うちの学校のロゴ入りボールペン。あ、頂きます」
餅巾着を美味しそうに頬張るハジメさんを横目に、教科書を一つ一つ見ていく。抜けがないのを確認して、ボールペンをつまみ上げた。
珍しく黒じゃなくて、水色だった。
「でもいりませんよーこれー」
「…む、何を言う、きちんと女子高生にアンケートをとってだな、きちんとインクはゲルインクだ。色も黒ではなく水色にしてみた。ノートで沢山使うだろ?」
「いや、ハジメさんの学校、そんなに勉強に熱心なんですか?」
「これこらそうなる予定だ」
「………」
なんて真面目な話をしておきながら、私たちの目線は合っていない。二人ともハジメさんの前に置かれた餅巾着に重なっている。
「今は不良校だと騒がれているが、その内進学校とまでは行かなくとも、一歩手前までは行きたいと考えている」
「………」
「そのために、まずはテストに力を注いでみようと思ってな」
「………、」
「テストで赤点を、そうだな、初めは3つにしておこうか。3つ赤点を取ると、進級不可と――」
「…ハジメさん、いい加減油揚げと餅を分けて食べるの辞めましょうよ」
いい事を言っている。ハジメさんはとても自分の高校に熱心だと伝わってくる。しかし、しかしだ。私はハジメさんの餅巾着に目がいってしまって話に集中できん……!!
「餅巾着は油揚げと餅とのマッチングを楽しむものですよ、なに分けちゃってるんですか?!」
「油揚げ……人類の最大の発見だよな」
「いや聞いてないし!あああ、ほらぁ!油揚げを最後に残して餅だけ食べて!!」
「好きなものは最後に食べるんだ」
「いやわかりますって。じゃなくて、餅巾着は油揚げと餅を一緒に食べてこそなんですよ!!」
「先人達よ、油揚げをありがとう。俺は生涯油揚げと油揚げを考えた人と油揚げ職人を崇め奉る」
「話を聞けこの狐ええええええ!!!!」
「俺は狐じゃない!!!」
「そこだけ聞いてんなよ!!!」
もうダメだ。この人の頭の中は油揚げだ。
私は油揚げを咥えるハジメさんをグイグイと外に押しやった。
「祐葉ちゃん、油揚げとはな、」
「はいはい凄いです感激!そろそろ仕事なんじゃないですか」
「はっ!!そうだった!!」
こんなキツイ顔の人でも、心は狐な油揚げ頭ですから、皆さん仲良くしてやってください。
私はハジメさんを玄関先で見送り、視界から消えたのを確認して中に戻ろうとした。
が、視界の端に何かが見えて立ち止まった。
「…?」
そちらを見ると、こちらを見てキョトンとしている一人の男性だった。
緩くパーマをかけてふわふわとした髪を左から右に持ってきていて、うなじらへんは刈り上げてるのかな?切れ長の目は下へと垂れて、口元には色気のあるホクロ。俗に言う美形というやつだ。甘いマスクとも言う。
こちらを見て動かないから、とりあえず会釈してみた。
すると彼は私からドアへと目線を移し、納得したように頷いた。
「引っ越して来たの?」
「え?あっ、はい」
思ったより声が低いことにびっくりしたが、取り合えじ返事をしておく。
すると彼はにっこり微笑んで。
「俺、鹿賀って言うの。よろしくー」
そう言って手を出してきた。握手をしたが、私の頭の中は聞き覚えのある名前に違和感を覚える。
鹿賀?どこで聞いたんだろ…いや、見たのかな?
ほとんど無意識だった。
お隣さんのドアに目を向けた。
そこには綺麗な字で、『鹿賀』とあった。
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………………………………。
はっ?!
「お隣さんっ?!!」
「あれー、分かってなかったのー?」
こんな甘いマスクマンと隣なんて、聞いてませんでしたが。
というか、この手を離せええええええええええええええっ