だから痛覚について考える(五夜)
目暮あゆは今夜も眠れない。
だから痛覚について考える。
痛覚…これがないと怪我をしても気付かなくて危険だという。
でも、本当にそうだろうか?
痛覚のせいで意識が薄れ新たな怪我をする可能性だってある。
例えば格闘技で痛覚を感じる隙を狙われたりもする。
それに怪我をしても痛覚を感じなくて死ぬパターンもあると聞く。
私は邪魔なだけだと考える。
人体は他にもっと便利な信号を考えるべきだ。
怪我をしたらサイレンがなるとか。
これなら嫌な思いをせずに怪我を知る事ができる。
サイレンが鳴っている間は恥ずかしいけど。
いや、周りの人にも知ってもらえて良いのだ。
救急車と同じ原理だ。
もしや、救急車はそんな人体への反論なのだろうか。
救急車にとって痛みこそ最大の敵なのかもしれない。
痛みに苦しむ人が乗るのだから恨みもするわけだ。
サイレンなら消防車やパトカーも鳴る。
消防車は救急車の色違いだからいいのだ。
同じ119だし、救急車が足りない時は代わりに消防車が来るらしいし。
パトカーは…警察にとって犯人を追うのは痛みを追う事と同じなのだ。
パトカーは人体で言うと血しょうとか白血球とかなのだ。
そう言えば血しょうや白血球は役目を終えると死ぬらしい。
警察官も凶悪犯によって殉職させられる事がある。
殉職を防ぐには仲間との連携とか装備の充実とか。
血しょうや白血球にもそういった工夫をすれば死なずにすむ。
警察官の殉職を防ぐのを考えるのは警視庁とか政府とか。
人体なら…脳とか心臓?
考えるのは私。
でも、私は理化学博士ではないのだ。
許せ。
目暮あゆは今夜も眠れない。