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第2章:die Raeuberhoehle 〜 盗賊の塒

「──何だ?」


フリッツは明らかな異常事態に、慌てて飛び起きた。

窓の周囲が激しい炎に包まれている。

一瞬、何か煙の様なものが外へ飛び出していった様に見えたが、それが何なのか突き止める暇はなかった。

火の元が無い所が燃えているのだから、何者かが故意に火種を投げ入れたのは明らかである。

今はその情報だけで十分だ。どちらにしろ中で眠る二人を狙っての行為には違いないのだから。


「おい、起きろ!」

「ん〜〜?」


簡単に消せる規模の炎ではないと感じた彼は、逃げるためにルートの肩を揺さ振った。

だが未だ睡魔に支配されている彼女は周囲の気配に気づかず、鬱陶しく顔を歪めるだけで起きようともしない。

フリッツは短く舌打ちをすると、毛布を剥いでルートの身体を脇に抱え、急いで荷物も持ち出して部屋を出た。


「ん……うわっ! フリッツ何してるのさ!?」

「部屋の中で丸焼きになってる方が良かったか?」


ルートはさすがに驚いた様子で目を覚ました。

まず視界に見えたのは宿屋の廊下、そして見回すとフリッツの胴体、もう肩脇に抱えられた荷物一式があるのがわかった。

自分の上から焦った声がするのが聞こえてそちらを見ると、男が苦い表情をしていた。


「丸焼き?」


フリッツは抱えているルートを床に下ろし、見てみろと開いたままのドアを指す。

少女はその方向を──一面真っ赤に染め上げられた寝室を──見て顔を青ざめた。


「か、かかか火事? 火事だー!」

「判ったならいい。早く逃げるぞ!」


幸いにも今日の宿泊客は二人だけで、宿の主人は火元から遠い部屋にいる。

彼らはそこに行って主人を叩き起こし、事態を告げて直ちに外へと避難した。


数十分後、駆けつけたグラウンの役人達により、火は消し止められた。

消防班と呼ばれる彼らは、消火に特化した魔術を習得しており、彼らのお陰で、宿屋の被害は客室の1部屋が全焼するだけで収まった。

荷物も最小限で旅していたため、フリッツは全て持ち出して逃げる事が出来、直接被害を受けたものはなかった。


ただ一人、宿の主人は自分には何も身に覚えの無いのに、部屋を燃やされ、商売に悪い影響を受けて酷く落ち込んでいた。


ルートは気の毒そうに彼を見つめ、側で何か話をしていた。

少し距離をおいた位置で、フリッツは駆けつけた役人から事情を聞かれ、彼もまた逆に情報を聞き出していた。


あの時、部屋は窓と扉の両方に鍵をかけて眠っていた。

役人曰く、窓が外から破られた形跡はなく、フリッツが聞いた破砕音は火炎瓶の可能性が高い、と。

しかし外からそれを投げ入れたならば、窓ガラスが割れていない筈がない。

もし扉の鍵をこじ開けて侵入した場合は、その音や気配が手練のフリッツを気付かせてしまうだろう。


「魔法で遠くのモノを燃やしたりは出来ないのか?」


男の問いに、役人は首を横に振った。

火を生み出し、火炎を操る魔術は数多く存在する。

しかし、そのどれもが術者の掌や周囲で行使され、遠く離れた場所に炎を生み出す事は出来ない。

フリッツの想像した“建物の外から、建物の中のある部屋に魔術で火をつける”事は不可能だ。


「だったら誰も火をつけられやしねぇ」

「そうですね。人間だとしたら――」

「何が言いたい」


あからさまに意味深な台詞を吐く役人の様子が気に食わない……フリッツはそう思った。

立てられる仮説があるのなら、勿体ぶらずに早く言えと、彼が態度で訴えると、役人は口を開いた。


「宿で、不思議な気配を感じませんでしたか?」

「……そういえば逃げる時、煙みたいなモンが窓の外へ出て行った様に見えたが」

「窓は閉じていたのに?」


苛つきを抑えられずに、フリッツは仏頂面で回りくどい問いかけに答えた。

役人はなおも話の核に触れようとせずに、一つ一つの出来事を明らかにしていった。

恐らくこれは彼の性格なのだろう。悪気があってしている様子は見られなかった。


「実は先程、留置場でも似た様子を目撃しました」

「留置場?」

「はい。此方は放火されてはいないのですが、何者かに鍵を開けられ、留置場に拘束していた男を逃がしてしまったのです」

「誰もいなかったのか」

「こちらの火事の騒ぎに乗じて、隙をつかれてしまいました……お恥ずかしい事です」

「なるほど。こっちは陽動か」


グラウンはそれほど大きい街ではなく、役人の数もどちらかといえば少ない。

今回の様に、夜中にどこかで火災が起ころうものなら、たちまち役所の中はもぬけの空になる。

例え1人だけ残っていたとしても、事件に注意を向けて裏をかく事は難しくない。


「私どもの同僚の中には、それが“幽霊の仕業だ”と言う者もいるのですが……」

「あの煙が幽霊だ、ってぇのか?」

「可能性は否定できないかと」


ここ、ゼーレンラントがいくら幽霊との関わりが深い土地だとはいえ、誰もが彼の地へ渡った魂と交流できるわけではない。

よほど感覚が鋭いか、ある種の専門家でない限りは、まだまだ身近な存在ではない。

それ故に、彼らにとってその可能性は、にわかには信じ難い話であった。


「うん、確かにそうかもしれないね」


口を挟んだのはルートだった。

彼女はいつの間にかフリッツの隣に立ち、会話を聞いていた。


「どういう事だ?」

「少しだけ感じるの。幽霊が来た“跡”っていうのかな」


ルートはその場から見える宿の二階の、焼け焦げた窓を見つめて話した。

昼間に見せた子供らしい表情はなく、些か悲しげにも見える目つきは真剣そのものだった。

しかしフリッツはそれを話半分に聞き流す。

彼には役人とルートの言う可能性が信じられなかった。片方は子供の言うことなのだから、なおさらだ。


「……それで?」

「あー。その言い方、僕の事信用してないでしょ」

「信じられるか。そんな事、聞いたこともねぇ」


フリッツはにべもなく答えた。

些か不機嫌そうに、それでもまだ主張を曲げずにルートは言葉を加える。

そして、人間よりも幽霊の仕業の方を信じる役人もまた、彼女の手助けをした。


「確かに此岸と彼岸はお互いの世界がはっきり分かれてるからね。でも、此岸から幽霊を喚びだして操る事ができる人だっているんだ」

「ノイエンドルフには殆ど見かけられませんが……隣の領土や“裏の業界”では、その類に詳しい魔術師が多いと聞きます」

「俺はマホウの事はさっぱり判らん。だが仮に、万が一、その幽霊とやらの仕業だったら……どう始末をつけさせる?」


野次馬もそれぞれの家へと帰ってゆき、辺りは関係者のみが残っている。

途中からしか話を聞いていないルートは、細い腕を組んで呻った。

最初からフリッツと事件を検証していた役人は、手帳のメモ書きを読んで、推測する。

そこからルートが、やはり幽霊の類に詳しそうな口振りで解決法を唱えた。


「今回の件ですと、目撃された幽霊は召喚・使役されていると考えた方が良いでしょう」

「だったら召喚した人を見つけておしおきすれば大丈夫だよ」

「そんな簡単なモンなのか? 第一、どうやって召喚主を見つけるんだ」


再びルートは腕を組む。

未だ疑いの目を向けるフリッツに、役人は手帳に挟んでおいた四つ折りの紙を広げて見せた。


「こちらを見ていただけますか」


内容はフリッツがよく見るものだった。紙の大半が人相書きで、その下に罪状と名前、金額が書かれている。

顔に見覚えは無いが、間違いなく野盗の手配書だ。それには10万バレンの賞金が賭けられていた。


「この街で一番高い賞金首です。貴方が狩った“首”は、この賞金首が率いる盗賊団の一員。昼間の男は、首領の右腕だったんですよ」

「それがどうかしたか?」

「貴方の泊まった宿と、留置所への襲撃ですが――この男で繋がっているのでは?」


ただの手駒ならともかく、右腕ともなる人物が掴まってしまうのは、彼らの“仕事”に差し障りが出る。

しかし助け出そうにも、役人達はそれに備えて留置場を警備しており、一筋縄ではいかない。

ならば――目撃されても存在すら曖昧なものを利用すれば、比較的楽に事を進められる。

フリッツへの襲撃はきっと、多大な被害を及ぼした者への報復だろう。


「なるほど……」

「どうなさるつもりですか?」


役人はフリッツの様子を窺った。ようやく納得した風に頷いた彼は、暫く黙って考えていた。

賞金稼ぎの多くは、金になる“首”を見つければ飛びついていく。

自分に被害が及んだとなれば、その仕返しも含めて狩りに行くのが殆どだ。

これで喜び勇んで盗賊団へ殴りこみ、壊滅させられたら自治都市グラウンとしても万々歳だ。


殆ど決まっている様な答えを、役人は期待して待っていた。


「報酬次第だな」

「は?」

「逃げた男と召喚主を捕まえてくれってんだろ? お前さん方の面子もあるからな」


役人はしまった、と心の中で叫んだ。

日頃の賞金稼ぎ達の受付に慣れ過ぎて、今回は自分達も事件に関わっている事を失念していた。

このままでは自分達の失態をネタに、フリッツに法外な金額を迫られるだろう。


「前金10万の成功報酬20万でどうだ」

「……合計30万!? いくら何でも高すぎませんか?」

「嫌ならいい。俺はチンケな盗賊なんざ無視して、このまま街を出て行けば済む事だ」


大体賞金首に懸けられる金額は、盗みや放火では2万、殺人で最低5万バレン以上だ。

例え数の判らない盗賊団を相手にするとはいえ、全部で30万バレンは些か高額だ。

余談だが、30万バレンあれば一人の大人が半年は不自由なく暮らせる金額だ。

そんな法外な相場を言われれば、聞いた役人が目を丸くするのも無理はない。


案の定足元を見られた役人は、頷く事しか選択できなかった。

剣の訓練は日々行っているとはいえ、自ら盗賊団に立ち向かう勇気など、彼には無いのだから。


「わ、わかりました」

「よし。交渉成立だ」


この街にとって、その盗賊団がどれほど脅威であるのかは、彼には何の興味も無かった。

逃げた男も、昼間に刃を交わした時の手応えで、大した実力ではないと思っている。

きっと首領もさほど強くはないと、フリッツは考えていた。


そんな奴らを相手にして30万もの大金を手に入れられるのだから、楽な仕事だ。

役人の同意の言葉を聞いて、フリッツは満足そうに頷いた。


「僕も一緒に行くよ」

「直ぐ戻る。ルートはここで大人達と待ってろ」

「そんな訳にはいかないよ。僕が必要になると思うし」

「悪いが冒険ごっこに付き合うつもりは無ぇ。俺はお前さんを無事に家へ届けるのが仕事だ」


至極もっともな意見をフリッツは言った。

しかし、興味本位で言ってはいないのに、軽くあしらう態度にカチンときたルートは、無言で宿屋の方へと向かっていった。


フリッツはそれを見てへそを曲げても諦めてくれたのだと思い、役人にあいつを頼むと言う。

そして彼が仲間の役人から調達してもらった前金を手に、旅の支度し始めた。


しかし、手元にあった筈の荷物が一式見あたらない。確かに火事場から持ち出した筈なのに。

その後ルートに持たせていたのだろうかと思い、宿屋の方を振り返る。

すると何やら2つの人影――1つはルートだと確信した――の間に、自分の荷袋らしい物が置かれているのを見た。


「まさか……!」


フリッツは慌ててそこへ駆け出す。

確かあの荷袋には、昼間に貰ったばかりの賞金が入っていた筈だ。


「ごめんねおじさん、僕達のせいで商売できなくなっちゃって」


小太りの体に丸い顔をした宿屋の主人は、ルートに向かって頭を下げている。

彼の掌には1000バレン札百枚の束が置かれ、それを覆うように彼女の手が乗せられていた。

主人は彼女にありがとう、と何度も礼を言って目に涙を溜めていた。


「遠慮なく使ってね。僕達の事は心配いらないから!」

「待て、これは俺の」

「大丈夫だよねー? 今から悪者やっつけに行って賞金いっぱい貰うんだから!」


フリッツが割って入ろうとした時、言葉を遮ってルートが彼に向かって強い口調で言った。

顔は笑っていたが、ルートの額に青筋が見えた気がする。

フリッツは勝手な彼女の行動に気を悪くしたが、何となく彼女の言い分を理解した。


自分の事ばかり考えないで、他人の足元ばかり見ないで、まず巻き込んだ者に償いをしろ。

子ども扱いするのなら、そのくらいの事をしてみろ――彼女の目がそう訴えていたのだ。


しかしフリッツの方も黙ってはいない。

ルートの無言の訴えに一理あったとしても、彼女の行動を正当化する理由にはならないのだ。

宿の中へ戻っていく主人を見送った後、彼は低い声でルートに尋ねた。


「お前……自分のやってる事、わかってるか?」

「うん。人のお金を勝手に使っちゃったね」


森の中で会った時など、ほんの少しの言葉で怯えていたというのに。

今のルートは強がっているのか、同時もせずにさらりと答えると、わざとらしい演技で言った。


「うわあどうしよう、弁償しなくっちゃ。でもこんな大金、僕では払えないなぁ。そうだ、盗賊退治に協力してお礼を貰おう! 半分なんて厚かましいけど、3分の1でも貰えば十分に弁償できるしね! うん、これだ! もうこれしか僕に残された道は無いのだった! つづく!」

「……おい」

「というわけで、僕は賞金稼ぎをしなくてはならなくなりました。護衛のフリッツさん、よろしくね」


彼女はフリッツに背を向け、大袈裟に頭を抱えて困ってみせる。

かと思えば既に考えにあった事を、さも今閃いたかの様に口にして、拳で掌をうつ。

ひとしきり演じきった後にフリッツから呆れた声がかかると、ルートは可愛らしい仕草で振り向き、笑顔を見せた。


対するフリッツは仏頂面のままだ。

彼はどんなに彼女が駄々をこねようとも、命のやりとりが起こる“戦場”に連れて行くつもりはなかった。


「さっきも言ったが――」

「僕を“無事に家へ届ける”んでしょ。僕はこのまま黙ってエッフェンベルクなんか行かないよ。もし会った時みたいに僕を抱えて連れて行くつもりなら、ずっと“助けてー! この人さらい!”って暴れてやるんだから」


ルートの言葉はなお続く。

フリッツは黙って彼女の主張に耳を傾けた。


「それに父様が言ってたんだ。人から借りたものは必ず返しなさい、ってね。フリッツにお金を返さなくちゃ、まっすぐ家に帰っても父様と母様からすっごく怒られちゃう。それこそ無事じゃすまないよ、僕にとっては」


それがとってつけた理由なのは明らかだ。

しかし、それほどまでに盗賊の塒へ行きたがる彼女を見ていると、役人との会話に割って入った時の言葉が真実なのだろうと感じさせてくる。

幽霊を使役する盗賊など聞いたこともなかったが、とはいえ全てを否定するのは危険な事だと感じ始めた。


「……恐れ入ったよ。お前さんには」


観念した様にフリッツは言った。

絶対に自分から離れない事をルートに約束させて、二人は盗賊の(ねぐら)へと向かう。


日頃は無邪気にはしゃぐ彼女も、この時ばかりは神妙な顔で頷いた。









暫く時が経った。

夜の闇に紛れて、森の中を大小二つの影が動いていた。

大きい影は前を歩き、時折小さい方がちゃんと後を付いて来ているのか注意を払う。

しかし大きい方は終始無言で、いくら状況が楽しいものではないとはいえ、少し息の詰まる雰囲気があった。


「怒ってる?」

「俺の機嫌が気になるなら、最初からあんな事をするんじゃねぇ」


小さい影の主、ルートは夜の静寂を破って音を発した。

それを拾って大きい方、フリッツがややふてくされた風に言葉を返す。

この時になって、やっと自分の行いを後悔してくれたのかと思いきや、そうではなかった。


「やっぱりまだ怒ってるんだ。僕はもうすっかり機嫌直したのに。大人気ないなぁ」


しゃあしゃあと言い放つルートの言葉に、フリッツは閉口させられるばかりだ。

彼女は対照的に明るい口調で、グラウンで彼に語った主張をもう一度口にする。


「それに……僕が必要になるかも、っていうのは本当の事だよ」

「へぇ。それは大変だな」

「やっぱり信じてないね」


ルートは肩を落として言った。

己の常識の中にない事実は受け入れ難いものだ。

それが子供から発信されたものならば、特に大人たちは疑いの目ばかり向けるだろう。

今のフリッツの態度が、まさにそうであった。


「はいそうですかと簡単に信じられるか」

「もしかして人間不信? 僕でよかったら相談に乗るけど」

「はいはい。また今度な」


フリッツは彼女の言葉を適当にあしらって前へ進む。

そして彼はルートに「お喋りはここまでだ」と言うと、まだ視界の開けない森の中で立ち止まった。

彼はその場で屈み、生い茂る草木と太い木々に隠れて遠くの様子を伺う。

視線の先には、山肌に空いた洞窟の入口と、その前に立つ見張り番らしき男が二人いた。

ルートも彼を真似して屈む。

彼女の目にも洞窟の光景は映っており、これからフリッツが何をする気なのかは予測できた。


「合図するまでここで待ってろ」


同行する気でいたルートだが、男にはそれを望まれていない。

彼女はフリッツが未だ自分を信用していない事に腹を立て、少し強めの口調で反抗した。


「自分の身を守るくらいならできるって」

「強がりはいい」

「もう! 証拠だってあるんだから!」


見るからに折れそうな細い腕と足、華奢な身体でどうやって自分の身を守るのだというのだろう。

仮にそれが真実だとしても、はいどうぞと野盗達の前へ行かせるわけにもいかない。

彼女以上に野盗の腕が立つ事だって、十分に考えられるのだから。


口で言うのは簡単だ、と突っぱねようとしたが、それの代わりにフリッツは皮肉を返した。


「今度は父様に護身術でも教わったのか?」


ルートは彼の問いに応じなかった。

徐に立ち上がり、目を閉じて構える仕草は、何かのために精神を集中させている様に見えた。

フリッツの聞き慣れない、しかし流暢である事はわかる呪いのような言葉が羅列されてゆく。

途切れる事なく続く(まじな)いの様な呟きを続けてまま、ルート徐に駆けだした。


「おいっ――」


茂みを揺らし、森が途切れるギリギリまで盗賊との距離を詰め、逆にフリッツからは掴まらない様に離れる。

ルートはそこからは急に態度を変えて、キョロキョロと辺りを見回しながら森を抜け出た。


そこは洞窟の真正面だった。当然、野盗達はルートの姿に気がつく。

彼女はそれらと目が合ったとたん、前に蹴躓(けつまづ)いて転んでしまった。

訝しがる野盗達は何者か確かめるため、二人とも彼女の方へ向かってきた。


「何だぁ? ガキか?」


野盗の一人がルートの姿を見て口を開く。


「くそっ!」


フリッツは出来るだけ音を殺しながらルートのいる場所へ向かう。

最初は何かの作戦かと思っていたが、どうもその様子が感じられない。

更に厄介な事になる前に、彼は強行突破を決めた。


フリッツがそこへ来るよりも先に。

野盗の一人は、何故か立ち上がろうとせず地に伏せたままのルートの腕を掴み、引っ張り上げた。

その光景を目にした彼の額に汗が滲み出る。

無理矢理起こされたルートは、自ら動く様な気配は未だなかった。


昏睡幻術(コーマピロー)


しかし、彼女の口から声が聞こえた。

もやの様なものが、彼女が手をかざした方向に生まれ、空気を波打たせて進んでいく。

それは瞬く間に至近距離にいた野盗達の体の中に溶け込み──二人をその場に崩れさせた。


「明日の昼までお休みなさいっ」


ルートは倒れた時に服に付いた土埃をはらいながら、小さい声で言った。


彼女のとった行動は、やはり野盗達に近付く事と、彼ら油断させるのが目的だった。

不意打ち・騙しが日常の世界にいる物達の虚を突くには、油断を誘いやすい子供だとしても容易くはない。

ルートは、彼女の行使する魔術から決して逃れられない極限の距離まで、彼らに近づく必要があった。

それで、同行者のフリッツがひやりとさせられる程に危険な真似をしたのだった。


思惑通りに事が進んで、彼女はしてやったりという表情でフリッツを見る。

見られた方は、森の切れ目であっけにとられた顔をしていた。


「……お前さん、魔法使いだったのか」

「ちょっと違うけど、そんなところかな?」


えへへ、とはにかんだ笑みからは想像もつかない能力だった。

彼女の言う「僕が必要になる」というのは、この事だろうか?


ともあれ、ルートが自己防衛の術とそれなりの度胸は持ち合わせている事がわかった。

少なくとも潜入した洞窟の中で、フリッツの足を引っ張る事にはならないだろう。

それだけで、彼の感じていた責任感の様な不安な気持ちは軽くなった。


あとは実戦で彼女がどれだけ動けるか……。

生首を見て気を失う彼女が、刃物同士が交じる世界を見て平然としていられるだろうか。

戦闘中に無防備になってしまうのが、彼にとって最も心配な事だった。


しかし見張りを眠らせた以上、ここでまごついていたところで自体は好転しない。

フリッツはルートに一言告げて釘を刺しておき、一応は彼女が自信を持つ“魔法使い”の力を信じる事にした。


「だが油断するな。中へ入るぞ」

「うん」


フリッツは森に無数に生えている丈夫な蔦を適当に斬っていく。

それを縄代わりに使い、念のために眠っている二人を縛っておき、洞窟の奥へと入っていった。









「そう。ありがとう」


一方、その頃。

とある屋敷の廊下では、一人の魔術師らしい女が礼を言っていた。

しかし呟くような声を出した彼女の目の先には、誰も居なかった。

虚空に向かい微笑む女は、青灰色の髪を揺らし、踵を返す。

そして廊下に敷かれた絨毯の上を、姿勢良くきびきびと歩いていた。


「よりによってあの人と一緒……」


その表情は明るくなかった。

深刻というよりも、そわそわと落ち着かない様な気持ちに近い。

今度は本当に誰に向けているわけでもない言葉を落とし、彼女はため息をついた。


「変な事、吹き込まれないかしら」









夜に潜入したというのに、洞窟の中は想像よりも明るかった。

自然に作られた空間をうまく生かし、岩壁を加工するなどして、居住性を高めている。

壁に埋められたランプの光で通路すら十分な明るさがあった。

そのお陰で、フリッツ達は内部の散策に苦労する事はなく、あっという間に奥へと進む事が出来た。


「お前が白虎か!」

「邪魔だ」


廊下の様な細い道に金属音が響きわたる。

フリッツは、腰に提げた二振りの変わったナイフを手に取り、それで野盗達と切り結んだ。


「こ、この野郎……!」

臆病者(チキン)はとっとと逃げてろ。鬱陶しい」


彼の持つナイフの握りは拳を覆うように出来ており、加えてナックルの様な突起が着いていた。

フリッツは野盗の振りかぶった曲刀を軽くいなすと、ナックルの部分を相手の鳩尾に強く打ち付けた。

倒れ込む男を担ぐと、彼は続いて後方に控えていた別の野盗に向かって駆ける。


「おらッ!」


(おもむろ)に倒したばかりの男を投げつけて盾にし、フリッツは相手へ肉迫する。

思わぬ攻撃をとっさに避けた野盗は、それによって生じた隙を白虎につかれた。


牙をむいた獣が獲物に向かって大きく口を開ける様に、フリッツは両腕を開く。

野盗と目が合った瞬間、彼はにやりと笑い、両手のナイフを男のこめかみに深々と突き刺した。

鈍い音が野盗の頭蓋を通り抜け、男は瞬く間に白目をむいて力を失った。


フリッツがナイフを突き立てている時、彼は背中から遠い足音を聞いた。

どこに潜んでいたのか、フリッツ達の後方から別の野盗が追いかけてきたらしい。


爆風弾(ブラストボール)!」


しかしその男が間合いに入るより早く、フリッツ後ろにいたルートが何かの魔術を放った。

目をこらして見れば丸く見える透明の球体は、風景をねじ曲げながら、人が走る程度の速さへ前へと進んでいった。


フリッツ達に気を取られていた野盗はその事に気付かなかったのだろう。

大振りのダガーを握りしめ、振りかぶった途端に、彼は違和感に気付いた。



ドン!!



「うおあぁっ!」


圧縮された空気の弾丸は野盗の腹に触れた瞬間、爆風へと姿を変えた。

距離のあったルート達には少し強い風にしか感じなかったが、

風の生まれた場所にいた野盗は、その体を易々と持ち上げられ、後方へと吹き飛ばされた。

おまけに細い洞窟で生み出された風は広場よりも収束し、ひときわ高い威力を持っている。

受け身をする余裕すら与えられず、男は硬くごつごつした石の床に後頭部を強く打ち付けた。


魔陣風(サドゥンガスト)!」

「何ッ!?」


ルートは続いてフリッツの前方に異なる魔術を行使する。

今度は最初から強風の形をとり、強い勢いで前へと突進していった。


彼女は自分が血や死体が苦手だという事をちゃんと知っていた。

フリッツと出会った時は、突然グロテスクな光景を目にしたために気を失ってしまったが、

最初から覚悟をしていれば少しくらいは平気だと、自分の心を把握していた。


そんな彼女は、極力その光景を見ない様にと、フリッツの手元を目線から外していたのだ。

代わりに遠くの様子を見たり、彼に背をむけていたりと、自然と周囲を警戒する視線になっていた。

それがこの状況を有利に運ぶ事となり、ルートはいち早く魔術を唱え、野盗の攻撃を防ぐ事が出来た。

今の魔術を行使したのも、フリッツの目線では死角になっている場所から、野盗がボウガンの矢が放つ

のを見たからだ。


風はボウガンから放たれた矢を何なくうち払い、驚愕する野盗の体勢を崩す。

その隙にフリッツは瞬時に男の懐に飛び込み、鳩尾にナックルの一撃を見舞った。


「がはっ……」

「下っ端は大人しく寝てろ」


攻撃は殆ど全てフリッツに向けられていた。

そうして彼が敵の注目を浴びる事で、ルートは比較的安全なままでいられた。

下手に彼女に目をむければ、たちまち白虎の牙の餌食になってしまう。

そうでなくても油断ならない相手なのに――。


フリッツとルートは、分岐のない石の道を奥へ奥へと駆けていった。

進んでいく程に、敵と遭遇する時間の感覚が広がってゆく。

恐らく前衛として配置していた“下っ端”達を片付けてしまったのだろう。

これより先は精鋭達が彼らを出迎えるのかもしれない。


ルートは倒れた野盗の横を走り抜け角を曲がると、その先にあるものに気付いてフリッツの名を呼んだ。

彼女は指をさす。そこにはびっしりと苔が生えた厚い岩壁があるのみで、他には何もなかった。


「あれぇ、行き止まりだよ!」


ルートは自分一人ならいざ知らず、フリッツの後をついて来たのに道を間違えた筈がないと思っていた。

彼女のイメージには、今まで歩いてきた洞窟の先には広い空間があり、そこに野盗達の塒がある。

しかし、目の前の光景は彼女の想像と大きく異なっていた。


フリッツはルートの隣でまじまじと岩壁を見つめる。

床の方から天井までじっくりと眺めた後、彼はぽつりと呟いた。


「……違うな」

「え?」


ルートに見ろと言い、フリッツは岩壁の中心についた苔を払い取ると、下からは岩壁に刻まれた亀裂が姿を現した。

だがそれは自然に出来たものとは考えられない程くっきりと刻まれており、かつ真っ直ぐに伸びている。

彼が更に上下の苔を払っていくと、奇妙な亀裂はやはり一直線に、天地に向かって進んでいた。

ルートは興味深げに亀裂に顔を近づけた。すると、彼女の前髪が僅かに揺れるのがわかった。


「すきま風?」

「はぁ。素人かこいつらは」


フリッツは言った。

手入れがなされた道の突き当たりだけが苔生している点は明らかにおかしい、と。

しかも、まるで何かを隠す様にびっしりと綺麗に苔が貼り付いているのだから、何者かがとっさに細工したに違いない。

その奥から亀裂が見つかったのが、何よりの証拠だ。


「そっかー」


暢気な声でルートは納得した。

フリッツは一歩前に出て、勢いよく岩扉を蹴り開けた。

普段から使われる扉だからか、さほど重くもなくすんなりと開き、奥の様子を見せる。

そこには見覚えのある顔を青くして狼狽えるごろつきと、黒い表紙の本を片手に持った男が並んでいた。


小さなホール程度はある大きさの部屋の隅には、盗品が文字通り”山の様”に積まれている。

そのうち裏ルートで商人に売り払うのだろう。殆どが装飾品や宝石の埋められた置物だ。

部屋の中程に立っている二人のうち、昼間に見た方がひどく慌てた声で言った。



「頭、あいつです!あいつが白虎ですよッ!」

「うるせえ。見りゃ判るだろうが!」



使えない部下たち。

最奥部まで侵入を許した事。

視界に現れた、裏の世界で“悪名”の通った男。


それらに対する焦りや苛立ちで、頭と呼ばれた者は、隣で狼狽する男を怒鳴りつけた。


「俺を馬鹿にしてンなら、もう一度ぶん殴るぞ?」


怒りを露にした返答を聞いて、昼間のごろつきは怯えた様子ですみませんと謝った。

顔が少し腫れているところを見ると、どうやら脱獄後に頭から仕置きでもされたのだろう。

グラウンで男を見ていたルートにとって、今の従順な様子はあまりにも滑稽だった。


「あんなチープな扉の隠し方しか知らねぇんだったら、馬鹿にしたくもなるだろうさ」

「何だと?」

「おっと、独り言が聞こえちまったか。そいつは悪かった」


独り言のわけがない――それはこの部屋にいる誰もが判っていた。

フリッツのあからさまな挑発は野盗の頭の顔を怒りの色に染めさせた。

彼の飄々とした言葉と仕草は、見ているだけで追い詰められた野盗達の神経を逆撫でする。


しかし、頭は大きく息を吸い、気を静めようと努力する。

相手のペースに乗るまいと思ったのか、まずは平常心を取り戻そうとした。

ある程度怒りを抑えられたところで、頭はフリッツを睨低い声で言った。


「……俺を只の野盗と思うなよ」

「思ってないさ。只の野盗はもっと利口だ」

「この野郎!その口、二度と聞けない様に――」

「待て!」


フリッツはなお野盗達を挑発する。彼は早くこの騒ぎに片をつけたいのだ。

それは長引けば不利になるという事ではなく、単純に“面倒事”だから。

さっさと賞金首を突き出して報酬を貰い、隣で様子を伺うお嬢さんをゴットホルトへ届けたい。

彼の頭の中には、自分の報酬の事が第一にあった。


フリッツの挑発に、頭はまたもや顔を紅潮させた。

しかし今度もそれに乗ることはなく、先に堪忍袋の緒が切れた部下を逆に制した。


「……まあ待て」


妙に辛抱強く、最後まで斬りかからなかったところは、本人言う通り「只の野盗」とは違っていた。

フリッツが先程からわざと挑発しているのは、正面から向かってくるのを誘っているのもあった。

冷静さを欠いた直情的な攻撃ほど、パリングを得意とする彼にとってやりやすいものはない。


しかし、野盗の頭には何か切り札でもあるのか、落ち着きを取り戻した言葉には余裕の色が見えた。

彼の手には一冊の黒い表紙の本がある。

分厚い頁数のそれには、真ん中のあたりで男の親指が挟まれていた。


「どうせ今から死ぬんだ。好きに言わせてやれ」


頭は不吉な言葉を吐くと、勢い良く本を開いた。それを合図に、彼の周囲にもやの様なものが出現する。

白みがかった“もや”が広がっている光景を見た途端、ルートは目を見開き、顔色を変えた。


「葬怨霊獣。血肉を喰らう者共よ、我が声に従いて河を越え主の元へ集え……」

「──死霊術(ネクロマンシー)!」


頭は開いた本を体の前に持ち、そこに書かれた呪文を唱えてゆく。

そしてルートの叫んだ言葉を耳にすると、口の端をにぃ、っと吊り上げた。


男の言う「切り札」とは、これの事だった。

空気中をわだかまっていた“もや”は次第に収束し、様々な獣の形をとる。

体は白い煙の様なもので出来ており、頭が呪文を唱え続ける間、1匹、また1匹と増えていった。


ルートにはその光景の意味が理解できたのだろう。

怒りと嫌悪の表情で男を見る彼女の額には、軽く汗が滲んでいた。


「知っているのか?」

「うん。彼岸の者を無理矢理召喚させて命令する、酷い魔術だよ」

「利口だな。坊主──おっと、嬢ちゃんだったか」


フリッツの問いにルートが露骨に嫌悪を含ませた声で答えた。

そして頭の横にいるごろつきがそれに対して口を開く。

汚い優越感に浸っているのか、男は顔を歪める少女を見て楽しんでいる様だった。


この領土には大別して3種類の魔術が存在する。

今の現象を起こしているのは、呪いや破壊を司る“黒魔術”と呼ばれるものだ。


その中の一種、死霊術(ネクロマンシー) は、此岸(このよ)での生を終え彼岸(あのよ)へ渡った霊魂に干渉する魔術だ。

幽霊を死体に憑依させ、不死生物(アンデッド)を創造したり、幽霊そのままを従わせ意のままに操る事が出来る。

目の前で行われている様に、最初から悪意ある存在を召喚する事すら可能なのだ。

それ故に、あまりにも倫理から外れた魔術として、多くの魔術師から忌み嫌われていた。


だが黒魔術は最も扱いが難しく、魔術の理論を把握している魔道士が自ら研究し、作り出すものだ。

人から教わるものではなく、ましてや本を読むだけで行使される様な簡単なものでもない。


そもそも、この領土(ノイエンドルフ)は黒魔術に関わる事自体が禁じられているというのに――。


「その通り、コレは刃物が効かねぇ、俺の言うとおりに動く、人だって殺れる怖〜い魔術だ」

「でも、それって……」

「そうさ。並大抵の人間になんざ使えねぇ。意味わからねぇ言葉だらけだもんな」


男は呪文を唱え終えると、本を地に置いた。

開かれた頁に書かれた魔法陣の様な術式は、術者の手を離れても鈍く輝き続けていた。

漆黒の輝き、と言うと矛盾している様だが、そうとしか形容し難いその光は不気味な様子を放っていた。


大人の上半身程大きさの幽霊達は、ふわふわと漂いながら獣の様な唸り声をあげている。

頭の言う事が正しければ、それらはきっと召喚主の一声で直ちにフリッツとルートへ襲い掛かるだろう。


出会った時の様子と打って変わって、頭は余裕を持った表情で語った。


「だがこの本さえあれば、ジュモンを読むだけで楽に黒魔術が使えるんだよ!」

「つまり本は凄いがお前さんは只の能無しってぇ事か」

「俺を能無しと言うな! こいつらに命令だって出来るんだ!」


頭がパチン、と指を鳴らと、喚び出された幽霊は召喚主である彼の両脇にやってきた。

召喚された幽霊はただ主の命令に従うだけで、それ以外の自発的な行動は起こさない。

威嚇の声をあげても、指示があるまでずっと待機しているのだ。


そして今、主が標的の侵入者二人を指さし、命令を下した。


「あの銀髪の男と子供を殺せ!」


既に何度もこの本を使い、幽霊を使役しているのだろう――例えば、先程のグラウンで起きた事件の様に。

自ら考える力も、意思もない幽霊のために、実に簡潔で的確な指示を出していたのが何よりの証拠だ。

野盗の頭の言葉を合図に、幽霊は競う様にして二人へ接近する。

獣の本能か、やはり背が低く華奢に見えるルートの方へ攻撃が向けられた。


フリッツは彼女を何とか護ろうと身構えたが、相手は刃物の通じないと言われる幽霊である。

接近戦を得意とするが魔術を一切使えない彼に対抗する手段は何もない。


一体、どうすればいい。


彼はふと視線をルートに向けると、目を瞑り何か呟いている姿が目に入った。

彼女は“魔法使いのような者”だ。きっと、自身に襲いかかる幽霊への対処方法を知っているのだろう。



邪気爆滅。彼の地より来る無法者に制裁を、迷い人に救いの道を与えよう――



ルートは目を開き幽霊を睨む、そして空中に印を結んだ手を開き片方の掌を地に向けた。

綺麗な発音で唱えられた呪文と刻んだルーンは、術者の最後の言葉で力を発揮する。


退魔光(バニッシュ)!」


突如、視界に捕らえた幽霊の真下から眩い光の柱が現れ、対象を撃ち抜いた!


それはカメラのストロボ程度の間しか発光していなかった。

だが、たったそれだけの時──その場にいた全員が光に目を灼かれる間──まさに一瞬で2体の悪霊を消滅させた。


「は……い?」

「もう。ちゃんと僕の話を聞いてよ」


頭の優越感も、瞬く間に消え去ってしまった。

あっけにとられる彼を見て、光の柱を生んだ術者が頬を膨らませている。


一体、何者なんだ?


魔術の世界とは縁遠いフリッツと、ルートをただの子供だと思い込んでいた野盗達の頭に、同じ疑問が浮かんだ。

ルートは呆然とする自分以外の様子など気にも留めず、さっき頭に遮られて言えなかった言葉を語り出した。


「あのね、あなたが唱えた魔術は低級霊を喚び出すものなの。食欲しかない、獣みたいなものかな」


あたかも出来の悪い生徒を叱る教師の様に、ルートは人差し指を立てて言った。

特徴的なうなり声をあげ様々な獣の形をとっていた悪霊達は、人や獣にかかわらず、

怨みや貪りだけが寄り集まって形を持った“思念体”のようなものであった。

単純な欲求のため集まりやすいが、逆に“散らす”事も容易い。


「悪いけど、このくらいなら僕だって除霊できるよ」

「──え、除霊師(エクソシスト)!?」

「そうだよっ。まだ見習いだけどね」


自信を持って言ったルートの言葉に、頭はひどく驚愕して叫んだ。

例え道具の力を借りているとはいえ黒魔術に手を出しているのだから、その存在は知っていたのだろう。


彼岸の者と語らい、彼らを時には導き、時には断罪する此岸の番人。

死霊術と対極をなす破邪法術(エクソシズム)を専門的に使いこなす存在。

ノイエンドルフで生まれた異端の白魔術師が、除霊師(エクソシスト)だった。


この領土は保護・再生・破邪を司る白魔術の発祥の地である。

各都市の司祭は例外もあるが大抵が熟練の白魔術師で、僧侶達の修練する教会が各地に点在する。

その中では、除霊師の地位はそれほど高くはなかった。

彼らは生業の上で悪霊に憑依された人間を葬る事もあるため、僧侶より遥かに多くの血を流すからだ。

しかし、悪霊の被害に遭った事のある民からは僧侶や司祭よりも尊い存在として敬われているのも事実である。


ルートは野盗の頭に向かって、ぺろりと舌を出して答えた。

謙遜ではなく、本当に彼女は見習いである身なのだろう。

だがそれでも、繰り出す魔術を目の当たりにした今、野盗達にとっては最大の脅威だった。


「あのガキに魔法を使わせるな!」

「ヘイ!」


切り札と思っていた幽霊があっさりと倒され、後の無くなった頭目はさすがに焦りを見せる。

部下に指示を出すと、自分は床に置いていた黒皮の魔術書を再び手にした。


部下の野盗は、曲刀を掲げてルート目がけて駆け出した。

これが少女一人だったら形成逆転したかもしれない。

しかし野盗にとっては運悪く、標的は通り名までついた凄腕の賞金稼ぎと共にいる。

望んではいなかったが、男が脳裏に描いていた通り、フリッツは男とルートの間に立ちふさがった。


護拳刀(グリップナイフ)はいつの間にか鞘に仕舞われ、代わりに彼の両手には虎の爪が装着されていた。

フリッツは野盗の曲刀を真っ向から受け止める。ギリギリと金属同士が擦れ合う音が聞こえていたのも、わずかな時間だった。


最初から恐れる気持ちを露にする者が、仲間を護ろうとする者の気迫に勝てる筈が無い。

一瞬の均衡を保っていた野盗は、白虎の持つ鳶色の眼光に射抜かれ、怯んでしまった。

フリッツはバグナウの動きで剣の軌道を外側流した。


生じた金属の悲鳴は代わって野盗の声なき断末魔となる。

フリッツは喉元を剔る一撃で男を倒し、続いて魔術書の頁を必死にめくる野盗の頭に向かっていった。


「っ……!!」

「悪く思うなよ」


丸腰同然の男の顔からは、既に戦意が失われていた。

魔術の利点は人間の肉体では到底不可能な現象を引き起こす事だが、

欠点として即時に行使できるものは殆ど無い事が挙げられる。

折角の黒魔術も、対応しきれないほどの接近戦になると本来の力を発揮できないのだ。


フリッツはにやりと笑みを浮かべ、頭の左胸にバグナウを深く突き入れた。


「大丈夫か?」

「う……うん」


絶命した男の倒れ様にバグナウを引き抜き、フリッツはポケットから取り出した布で爪を拭った。

ルートの目の前で豪快に野盗の喉もとを裂いた事が気にかかって、彼女の様子を伺った。

返事は町で聞いた声よりも些か弱く、そして震えている印象を受けた。

無理もない。気絶しないだけ立派だとフリッツ思ったが、同時にやはり連れてくるのではなかったと後悔した。


ルートは倒れた者達を視界に入らない様に、遠くの魔術書を見つめる。

フリッツはその間に、地面に転がる野盗をひきずって端にやる。

そして、見苦しくない様に盗品の山に被せていた布を取り上げて死体に被せた。


屍がある事には変わらないだろうが、視覚的には随分違ってくる。

しかしその甲斐もなく、ルートは蒼い顔をしていた。


「だからお前さんは――」


待ってろと言ったんだ。


その途中で、フリッツは言葉を飲みこんだ。

少女の視線をゆっくりと追うと、ずっと見つめていた魔術書がある。

魔術書は――意思を持っているかの様に、ぶるぶると震えていた。


頭の手から落ちた事で、今は表紙を上にして地面に伏せられていた。

それがじわじわと動いてゆき、まずは本がしっかりと閉じられた状態になる。


「おい……何だこれ?」


フリッツの問いに、ルートは首を横に振る。

彼女も何が起こっているのか検討もつかないのだ。


本は続いて重たそうに自らの身を広げる。

ばさり、と音をたてて、表紙とともに数頁が開かれた。


風も吹いていないのに頁がめくれていく。

どこか目的の頁を探す様に、規則正しい動きで頁が進んでいった。


「まさか、本が勝手に――」

「……そうだ、きっとそうだよ!」


フリッツの推測にルートが同意して叫ぶ。

彼女の脳裏にはその根拠も浮かび上がってきた。


そして時を同じくして、魔術書は動くのをやめた。

代わりに、頭が呪文を唱えていた時の様な漆黒の輝きを見せ始める。


「あの人、呪文を読むだけって言ってた……きっと本が死霊術の効果を殆ど持ってるんだよ」


魔術書の周囲からもやが生まれる。

それは頭が操っていた時よりもはるかに多く、歯止めが利かなくなった様に止めどなく溢れていた。


「魔法の効果?」

「うん、どこの誰か知らないけど、本に術式──呪文と魔法陣を全て書き上げておいて、後は持った人の意志と簡単な呪文だけで召喚できる様にしたんだ。多分そうだと思う……」


魔術の行使に必要なものは、術者の意志・術の意味を表す呪文や動作などである。

召喚魔術の場合は、それに加えて魔法陣が必要となる場合が多い。


呪文や印は一つ一つの言葉・動作に意味があり、まとめて術式と呼ぶ。

それらは、ほんの少し変わるだけで魔術の効果に影響が及んでしまうほどだ。

逆に言えば、呪文の真意を理解する者は自由に組み替えてアレンジする事が出来る。


その魔術書の作者は巧みに術式を組み替え、声一つで幽霊を召喚できる様にしたのだろう。

使用する者の、魔術の心得の如何を問わず。


もやが獣の形をとり始めた。ざっと見ただけで10匹はいる。

フリッツは苦々しい顔で舌打ちした。


「チッ……これじゃあ俺の方が足手まといだ」


いくら低級だろうとも、彼の持っている武器では幽霊を傷つける事は不可能だ。

彼にはやがて襲い掛かる悪霊たちをただ睨んでいる事しか出来なかった。

ルートの推測が当たっているならば、あの物騒な魔術書を破ってしまえばこの現象は収まるだろう。

しかし、どうやって――。


光輝魔刃(レディアンスエッジ)


フリッツが悪霊達と睨み合っていると、突然、背中にルートの掌の感触を覚えた。

錯覚ではなく、彼女は何かの魔術を行使するために彼の背中に触れていたのだ。


彼の身体の周囲が(しろ)く輝いていく。そして光はフリッツの持つバグナウに収束されてゆき、留まった。


「これで持ってる武器で幽霊を切れるよ。あの本を何とかしよう!」


魔術を習得するのは容易ではない。

そこで、物質を介し誰にでも魔術の効果を発現できる様にする技術を、魔術師達は研究していった。


物質に魔術を付与する技術“呪鍛封呪(エンチャント)”は、破邪法術にも役立てられた。

今ルートが唱えたものは、対象であるフリッツの精神力を刃と化する魔術だ。

肉の器を持たない精神体である幽霊に対抗できる手段だった。


召喚された悪霊達も臨戦態勢は整っている様だ。

今度は術者が存在しない。故に、行動のきっかけはそれら自身に委ねられている。


「任せろ。獣狩りは得意だ……こいつらは食えやしないが」


双方とも殺気を漲らせ――それを合図に、戦場が動き出した。


フリッツは地を蹴って進み、すれ違い様に幽霊をなぎ倒していった。

通常の武器で幽霊を攻撃しならば、まるで煙を斬った様な感覚しかない。

「少し傷を付けられる」銀の武器でさえ薄紙を斬った程度の頼りない手応えしか感じられないのだ。

しかし、光輝魔刃(レディアンスエッジ)による刃では、生身の人間と同じ斬った感触が手に伝わってきた。


見た目はたよりない霧の様な存在だが、本来なら此岸の者と同じく弾性のある身体になっているのだろう。

となれば当然、斬りつけた分だけの反発力を感じてしまうのだが――。

精神力の強い賞金稼ぎの爪は、相手の身体の抵抗を受ける事もなく易々と切り裂いていった。


ダメージを受けた悪霊達は、風の鳴る音に似た悲鳴をあげて消えてゆく。

中には半身を無くしてなお存在するものもいたが、ルートの追撃によって消滅していった。


ルートもまた、悪霊達に立ち向かっていた。

殆どはフリッツが相手をしていたが、時折襲い掛かる者に対しては唱えておいた退魔光(バニッシュ)で撃墜する。

そして間に合わない時には、腰のバッグに入れておいた小さな銀製のスローイング・ダガーを投げつけた。

彼女のダーツの腕は見事なもので、眉間などの急所へ的確に当てていった。


本の前に立ちふさがる幽霊を斬ったのが最後だった。

フリッツは黒く輝く本を拾い上げ、開いているページを掴む。

人間か何かの生物の皮膚を模しているのか、妙に弾力のある気持ちの悪い材質のそれを勢いよく千切り取った。


紙はページの中程でゆっくりと破れていった。

破れる音が紙のそれでなく、男の呻き声という風な不気味なもので、低く、小さく響いていた。

まるで、本から切り離す者を呪うかの様に。


「この……!」


呻き声は紙が破れるほどに大きくなっていく。

フリッツが渾身の力でそれを二つにした途端、大きな衝撃を受けた。



ブァッ!



「フリッツ!!」


何かが爆発した様子はなかった。しかし“拒む”力としか言いようのない、確かな衝撃がフリッツを襲った。

彼は強大な力で投げ飛ばされたかの様に宙を舞い、背中を洞窟の壁に叩きつけた。

振動が洞窟中を伝い、ルートの足元まで響いてきた。


ルートは急いで彼のもとへ駆けつけた。

フリッツは壁にもたれたまま、ぐったりとして動かないでいる。

彼女はひどく焦った様子で彼の名を呼んだ。


「大丈夫!? 聞こえるフリッツ!!」


フリッツの手を持ち上げても、だらんとして力が入っていない。

気絶してるのか、それとも――


まさかこんな反動が来るなんて思ってもいなかった。

自分の経験不足なのか、魔術書の製作者が狡猾極まるのかはわからない。

だが彼女は、油断が自分の中にあったからこの結果を招いたのだと感じ、ひどく後悔した。


ルートはフリッツの身体をくまなく確かめる。

石壁に強かに叩きつけられたというのに、目立った外傷はなかった。

それなのに意識のない様子が、逆に彼女の不安を煽った。

彼女は項垂れるフリッツの顔を除く。苦しそうではなく、まるで眠った様に穏やかな顔をしていた。


「フリッツ――!?」


突然。

ルートの心配をよそに、意識の無いはずの男の顔が笑うのが見えた。


「――なんてな」


悪戯っぽい笑みを浮かべ、フリッツは何事もなかった様に立ち上がった。

外傷が無いのも、単純にそれだけのダメージを受けていないからだった。

衝撃はあったらしく、彼は拳で背中や腰をトントンと叩いて様子を伺っていた。


「ひどい! すっごく心配したのに!」

「ははは。それくらいで十分だ。普通の奴なら死んでたぜ」


ルートは安堵するも、深刻になっていた自分が恥ずかしくなり、そんな状況を作り出したフリッツを呪った。

彼は笑って返事をする。しかしその中身は冗談ではなかった。

どうやったかは判らないが、実践に慣れているフリッツだからこそ、あの衝撃を軽減できたのだから。

彼女もそれは感じているらしく、それ以上反論はしなかった。


フリッツは力を失った魔術書へと近寄った。

呪いの声も止み、術式の書かれたページは完全に二つに破られていた。

本当に魔法は止まったのかと注意深く辺りを見回し、手に持った黒い本も覗いてみるが反応は全くない。

ルートも周囲の気配を確かめた。専門家の彼女が察知できないとなれば、まず安全だろう。


彼女がフリッツを見て頷いた。

本と紙を地に投げ捨て、彼は額にうっすらと滲み出た汗を手で拭った。


「……ふう、何とか終わったか」

「そうだね」

「お疲れさん。よく頑張った」


フリッツは苦笑いするルートの方へ歩いていき、頭を撫でながら感心した様に言った。

一体何度、戻って待ってろと言おうと思ったか。

何度、やはり連れてくるんじゃなかったと後悔したか。

少女に対するその心配も後悔も全て杞憂で終わった事に、男は安堵していた。


「大活躍だったな。全く、大したお嬢さんだよ」

「ね? 連れてきて良かったでしょ?」


ルートはそう言って笑うと、腰を上げた。

小走りで黒い本が落ちている所まで行くと、それを拾って眺めながらフリッツに問いかけた。


「どうしてこんな本を持ってたのかな?」

「さあな。どうせ盗んだモンだろう。元は魔法使いの持ち物だったんじゃないのか?」


魔術に疎いフリッツにとっては、そのくらいの事しか思いつかない。

対するルートはどこか引っかかる事があるらしく、小首をかしげていた。


「……でも、ちょっと気になるなぁ」

「何が?」

「作った人の事。こんな危なっかしいものを何で作ったのかな、って」

「ま、相当よからぬ事には利用できそうだな……」


魔法の心得を持たぬ者が自在に幽霊を呼び出し、使役できる書物。

考えられる用途は、暗殺や何かの謀略などに使われる事しか思い浮かばない。

実際に、グラウンに囚われた部下をこの魔術書を用いて助け出したのだから、なおさらそのイメージは強い。


しかし、黒魔術の術式をアレンジできるほどの術者が、何故そんな物を作ったのだろうか?


ルートは本を開き、破られたページを見つめ──何かを考えている様だ──再び男に尋ねた。


「ねえフリッツ。これからエッフェンベルクに行くんでしょ?」

「ああ」

「あのね、町についたらちょっと行きたいところがあるんだけど」

「どこへ行くつもりだ?」


少女は本を閉じて脇に抱え、はっきりと言った。


「司祭様のおうち」

「……は?」

「この本を見せてみるんだ。司祭様って物知りだから何か知ってるかも」


ルートはフリッツと出会う前にエッフェンベルクに行っていた。

そこで街の司祭と知り合ったのだろうか。本人と面識があるかの如き口振りで「物知り」だと言った。仮にも大規模な図書館を持つ街の長だ。その知識量は期待してもいいだろう。


しかし一都市の最高権力者が、たった一人の少女相手に時間を割くだろうか。


その疑問とは別に、フリッツはルートの行動にあまり賛成は出来なかった。

この本が盗品なのは明らかだ。出所が判らないものを無闇に見せるべきではない。

そして、これほど物騒な物なのだから、追求するにつれて何かしらの危険が降りかかるに違いない。

深追いすればするほどに、可能性は高まっていくだろう。


自分から言い出したとはいえ、護衛役のフリッツにとって、それは厄介な事に他ならない。


「……俺はお前さんを家に送りたいんだが」

「うん、“安全に”でしょ?」

「ああ。だから余計な事に首を突っ込むな」

「突っ込むつもりはないけど、もし突っ込んでたら守ってね」


しゃあしゃあと言うルートに彼は絶句した。

好奇心の強いお嬢様には、普通に釘を刺すだけでは到底止められるものではないのだろうか。

厄介ごとなど何処吹く風という感じの笑顔を見せる少女に向かい、フリッツは今までで最も大きな溜息をついた。


「はぁ。困ったお嬢さんだよ、全く」

「ま、いいじゃない。報酬うんと出して貰うからさぁ」

「当然だ」

「じゃあ早くここから出ようよ。エッフェンベルクに出発ー!」

「そう急くな──グラウンに戻って礼金を貰うのが先だろ」


二人は、駆け足で行くルートを追いかける形で洞窟を後にした。

まずはグラウンの役所に行って事の顛末を報告し、アジトで果てた盗賊達の処理を頼みに行く。

勿論、30万バレンという大金を受け取るのも忘れない──。





東の空はうっすらと明るくなっていた。

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