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第1章:die Einleitung 〜旅の契約

食堂の窓から外を見ると、陽光に美しく照らされた街路や建物が目に飛び込んできた。

耳を澄ますと、小鳥のさえずりも聞こえてくる。

そこには、爽やかな一日の始まりを感じさせる光景が広がっていた。


ここは東の領土、ノイエンドルフ。

“豊土”と称されるこの地の、とある都市の中央に位置する邸宅では、そろそろ朝食の準備が整ったようだ。

侍女が呼びに行ったのだろうか、この邸宅の主人らしき人物と、その家族が続々と食堂に入ってきた。

長い四角のテーブルの奥には熟年の男が、そしてその隣に妻らしき女と年長の娘が向かい合わせに座る。

続いてその下の子供2人が彼女らの隣の席につくと、閉じかけた扉の向こうからこちらへ駆けて向かってくる音が聞こえた。


「カスパル様!」


足音の主は主人の名を呼び、彼らが朝食をとろうとしていたにも拘わらず、血相を変えて食堂に飛び込んできた。

カスパルと呼ばれた男は、うんざりした顔をして「何事だ」と訊ねる。

朝食の席に集った光景を見た時点で、彼には思い当たる節があったのだ。


返事が聞こえるまでには少し時間があった。従者は呼吸を整え、ひとまず落ち着き、しかし声はまだ動揺を残したまま、男に訴えた。


「申し訳ありません! お嬢様がまた!」

「……やはりそうか」


肩をすくめ、側にいる妻に目をやった。彼女もまた、案の定と言わんばかりの表情だ。

カスパルには妻と4人の子供がいた。

テーブルに向かう長女・長男・次女の3人は既に成人し、職に就いている。残る末娘はそれより少し歳が離れており、まだ15歳であった。

世話をしてもらうには事欠かず、両親・兄姉ともによく彼女の面倒を見ているのだが――


「これで何度目? よくやるわねぇ」


過度に与えられるばかりの環境は、15歳の少女にとっては窮屈だったのだろうか。

次女モニカがすっかり慣れてしまった様子で言うのを聞いて、カスパルは同意した。

外に出たければ一緒に行ってやると、彼女には再三再四に渡って言ってあるのに。

よほど一人で行動したい何かがあるのだろうか。


「今回は一体どうやって抜け出したんだ」


カスパルはその手で白髪混じりの黒髪をかき、従者に訊いた。


「はい、近くの従者を魔術で眠らせた様です」

昏睡枕術コーマピロー? あの娘、使えました?」


眠らせた、という言葉に妻ブリュンヒルトは魔術の名を口にした。

魔術師の家系でもあるこの家において、家族が何らかの魔術が行使できるのは何もおかしな事はない。

むしろ教育の一環として、両親と長姉テレーズが子供達それぞれの力量に応じて教えているほどだ。

しかし、妻の質問にカスパルもテレーズも、首を横に振った。誰も教えた覚えがない魔術だったのだ。


訝しがる両親の気も知らず、長兄のカールが思い出した様に口を開いた。


「ははぁ……判ったぞ。俺に使い方を訊いてきたのはこういう事か!」


彼は謎が解けたとばかりに手を打つ。

しかし表情が明るいのはただ1人で、他の家族は皆開いた口が塞がらない様子だった。


「兄さん! あの娘に教えてどうすんのよ!」

「本当だわ。こんな結果になるのは目に見えて判っていてよ」


まず妹のモニカから、続いて姉のテレーズから矢継ぎ早に非難をされてしまう。

両親はもう呆れて物も言えない様だった。


魔術は、一般には自分で学習するか、他者からノウハウを教わる事で身につけていく。

だが、中には他人に害を及ぼす術もあるため、良心や法などで制限がかけられ、生活に役立つ程度の術しか知れ渡っていない。

もっとも、多くの人は誰でも楽に覚えられる“生活魔術”にしか興味を持たないからという理由もある。


そういう現状だというのだから、家族の全員が、家族だけでなく周囲の従者も呆れ顔で、カールに非難の視線を向けた。

彼が「喋らなければいいものを、うっかり口走ってしまった」と気付いた時にはもう遅かった。

冷たい視線を投げるだけでは我慢のならないテレーズとモニカから、容赦ない責め言葉を浴びせられた。


「ど、どうしてもって言うからさ。一応、悪用するなって釘刺したんだけど……」

「あの子がそんな事を聞くと思って? カール、罰として一ヶ月教会の床磨きをおやりなさい」

「まままじですか姉さん! 俺昨日でやっと床磨きの罰終わったんだけど!」

「床磨きだけで済むと思ってんの? これであの子に何かあったらどうすんのよ!」


従者を眠らせただけでは、彼女らもここまで怒りはしないだろう。

問題はその先――決して安全とは言えない街の外を、1人で出歩いている末っ子の身に何かあったら――である。

過去に似た様な事があり、無事に帰ってきた事があったとしても、未来はどうなるかわからないのだ。


「はぁ……魔術なんか教えるんじゃなかったよ」


カールはテーブルの上の朝食をフォークで突きながら、しゅんと項垂れてしまった。

元気の良さと明るさは彼の長所でもあるのだが、それが行きすぎてしまう事が多々あった。

ひとまず彼の軽はずみな行動に対する「裁判」の終わったところで、問題の末娘について話題が移る。

両親はいつもの事だ、と慣れた様に従者達に言った。


「数日も経てば手紙をよこすか、満足して帰ってくるだろう」

「そうね。私も大丈夫とは思うけど……念のため何人か探しに行かせて頂戴」

「はい、畏まりました!」


従者は頭を下げて退室した。

カスパルは落ち着いた様子で指示を下すと、朝食を食べ始めた。


彼は密かに楽しみにしている事があった。

そして、度々この様な事が起こるにもかかわらず、徹底的な対策をしていないのにも理由があった。


ブリュンヒルトには内緒にしているが、彼は娘の土産話を何よりも楽しみにしていた。

服を汚してしまっても、家で皆と過ごすよりも何倍も楽しそうな表情で帰ってくる。

自分の足で見てきた事、感じたことを、目を輝かせて話してくれる。

その様子が、彼は可愛くて仕方がないのだ。


「……だが、帰ったらまずは叱らねばならんな。幾ら何でも度が過ぎておる」

「何言ってるんですか。あなたが叱った事なんか一度もないでしょうに」


表情を弛めたまま出された言葉に説得力はなく、また妻の指摘に反論もできなかった。









東の領地ノイエンドルフの大半は大規模な森林地帯で、そこには天然の住処と食料に誘われて多くの小動物が住んでいる。

また肥沃な土地に恵まれている証拠として、ここ数十年農夫達が凶作に頭を抱えた事がないらしい。

大半が砂漠である中央の領地に住む者達からすれば何とも羨ましい話であろう。


だが、潜む場所が多い深い森は無法者達の格好の住処ともなり得る。

行き交う者の金品を奪取する事が「仕事」の野盗にとって、奇襲のかけやすいこの森は非常に住み易い。

そのため領の中心部から離れるほど──酷い時などは、隣町へ行く時にすら護衛をつけねばならぬ程だと言われている──「彼ら」の数は多くなっていった。


「これで3万バレンか。楽なもんだ」


当然ながら各都市の領主は対策として野盗の首に賞金をかけ、多くの“(ほふ)る者”達を募る。

並の盗賊程度であれば、正式な依頼で討伐隊を派遣するよりもそちらの方が都合がいい。

特に今の時代にはうってつけの方法なのだ。


「早いうちに役所にでも行ってくるかな──」


この男も賞金稼ぎの一人なのだろうか。彼はひとりごちて、地面に投げ捨てていた麻布の袋を拾い上げた。

大柄で体格の良い彼の手には、金属製の爪の様なものが握られている。

持っていた布でそれについた血糊を拭き取ると、彼は何かに気がついたのか、近くにある茂みの向こうに目をやった。


先程、最早名前すら忘れてしまった盗賊団の頭を狩ってから、まだそれほど時が経っていない。

残党か、それとも別の集団か──


男は眉をひそめ、微かに感じる気配に視線を向け、聞こえる音に耳を峙てる。

ガサガサと草をかき分ける音に続いて、地面に落ちた小枝をぱきりと踏む音。

どうやら、野生の動物ではなさそうだ。

しかし、恐らく人間ではあるが、あまりにも騒がしい歩き方は、野盗のそれですらない。


男は気配を殺して茂みへ近付き、鳶色の目でその奥を観察する。

捕らえた光景は、全く予想だにしないものだった。





「あれぇ? こんなに遠かったっけかなぁ」


声の主は誰に尋ねるわけでもなく、そんな言葉を呟いて獣道を歩いていた。

高価そうな生地の、黒いブラウスの上に着ている上着は、青を基調とした布に薄紫色の模様が描かれている。

7分丈のパンツの裾にルーン文字の刺繍がされているのは、護符ではなく装飾の類だろうか。

深い森を散策するにはあまりにも頼りなく、場違いであると言っていいものだった。

まるで“ちょっと隣町まで出かける”程度の軽装備である。


その者は立ち止まり、腕を組んで悩んだ様子を見せた。

道にでも迷っているのだろう。そうでなければ、歩き辛い獣道など選ぶ筈がない。


「こっちの方が近そうだよねー」


明るい茶色のミディアム・ヘアは根拠もなく、獣道からも外れて進もうとした。

不安そうな顔をしていたが、それほど深刻でもないらしい。鼻歌を歌って歩く程のものだ。

茂みをかき分けた先に、新たな道があると思っているのか、何の迷いもなくそこへ進む。





そして、二人は出会った。





「子供か? こんな所で何してるんだ」


茂みが動いて中から壁の様なものが現れた。

茶髪の方は一度びくっと全身を強張らせ、目の前に突如立ちはだかったそれが何なのか確かめた。

足下から目線を上にあげ、頭の前には、鋼の胸当てが一つ。

そして、一度間を置き、更に上の方を見ていくと──青みがかった銀髪の強面が視界に入ってきた。


すぐさま、回れ右。


「っきゃー!!」

「お、おい! 待てっておい!」


子供は恐怖の余り何も考えず、道なき道をただ一直線に駆け出した。

森の中、突然背後から見知らぬ者に──ましてや相手は自分よりも悠に頭1つ半は背の高い男である──声をかけらたのである。

身の危険を感じて、逃げ出してしまうのも無理はないだろう。

ひょっとしたら野盗だと思ったのかもしれない。


「……ぁ、はぁ、もう大丈夫かな」


子供は闇雲に森を走り抜け、そう長くないうちに息を切らす。

後ろを振り向き、あの男が追いかけてきていないのを確かめると、徐々に走る速さを緩めていった。

声をかけられた男とは面識がない。それ故に、子供にとっては恐怖でしかなかった。

上体を前倒しに、両手を膝に置いて体を支える。

中腰の姿勢で上がった息を何とか整えていると、ふと目に映る地面が遠くなっていく気がした。


「あれ……浮いてる?」

「ふぅ。やっと追いついたぜ」


突然耳元で声がした。


その子供は一目見て華奢に思える身体に似合わず、思いがけない速さで逃走していた。

それでも大人の歩幅の差と、鍛えられた男の体力には敵わなかったようだ。

持久力がなく、疲れて速度の落ちたところを捕まえられた様で、男に軽々と抱え上げらていた。


それに気付いた子供は、一呼吸おいて、また甲高い声で叫び出す。


「っきゃー!」

「あぁ五月蠅い!」

「下ろして降ろしておーろーしーてー!」

「わかった! わかったから叫ぶな!」


森の中にいるどの動物よりも大きい声が、辺りに響いた。

学者曰く、赤子の泣き声というものは荷馬車の通り過ぎる音よりも遥かに大きいのだ、と。

そして、人間の聴覚を最も阻害する音波は人間の声だ、と。


赤子でなくとも、子供の高い声色で叫ばれると、とても耳には良くない。

男は要望を直ちに聞き入れ、バタバタと手足を振る子供を、近くにあった切り株に“置いて”座らせた。


「突然逃げるなよ。何も子供相手に取って食う様な真似はしないさ」

「だってお兄さん、ドロボウなんでしょ?」


疑いの眼差しを向ける子供に、男は苦笑した。

彼の持つ白銀の短髪はまるで刃の様で、灼けた褐色の肌との対比から際だって見える。

背丈は男の中でもかなり大柄な方だろう。そして腕や足は、まさに丸太の様に太かった。

彼は“追う側”の人間ではあったが、その風貌は見るからに厳つく、威圧感の漂うものだった。

更に服装はあからさまに戦い向きのもので、大きな胸当てと後ろ腰に挿した皮の鞘などが物々しい。


小さな子供からすれば、彼の方が野盗に見えるのも仕方が無いだろう。


男は勘違いされる事には慣れていたが、さてどうするかと考えていた。

言葉で否定したところで、証拠が無ければこの子供は信じないだろう。

現に、彼が言葉を選んでいるところ、それを待たずに勝手な想像を膨らましていた。


「僕がちょっと可愛く見えるからって、どこかに売ったりするんでしょ!」


男はため息を漏らし、短く刈られた髪をぐしゃぐしゃと掻く。

心の中で「クソガキが」と呟き、少し脅すような言葉を吐いた。


「……そうして欲しいならやってやるぜ」

「ごめんなさい今の冗談だから!」


目の奥の僅かばかりの殺気にでも気付いたのか、子供はやけに早く男に謝った。

まるで、始めから返事を予想していて、からかうつもりで喋りでもしたのかと思う程だ。


子供は落ち着かず、そわそわした様子でいた。

さっきよりは遠慮がちに、それでも疑いの心は晴れず、しかし男に些か恐怖心を抱く。

そんな心の内を態度に露わにして、上目遣いに男の顔を見て訊ねた。


「じゃあ一体何者なの?」

「それはこっちが訊きたいくらいだ。何だってお前さんみたいなのが、こんな所を彷徨うろついているんだ」

「質問をされたらまず答えるのが礼儀だって父様が言ってたよ」

「……よくできたお子さんで」


男は肩をすくめ、言葉とは裏腹に、表情には一つも感心した様子を見せなかった。

例えそれが礼儀だとしても、歳の離れた初対面の人間にわざわざ言う事ではない。

それこぞ、そんな事をさらりと口にしてしまうのは、よほどの世間知らずか、融通の利かない正義漢か、あるいは状況を読まない向こう見ずな人間ぐらいのものだろう。


彼は、いつまでもこんな所で油を売っているつもりはなかった。

怪しくない程度に素性を明かしておけば、この子供も納得するだろうと思い、適当にあしらって立ち去る事にした。


「俺はこの辺で賞金稼ぎをしている。名前は別にいいだろ?」

「父様は人と会って話をする時はまず自分の」

「わ・か・っ・た。名前を言えってんだろ?」


観念した様子で男はフリッツと名乗った。

子供は満足そうに肯き、その仕草は確かに可愛らしいのだが、今のフリッツには憎らしく見えた。


「僕も一人旅をしてるんだよ。ルートって言うの」

「一人で? 嘘つくなよ」


彼の言う通り、野盗がよく現れるこの領土では、特に深い森の獣道を子供が一人旅をするとは考えられない。

捨て子や身売りにしても街中までは親か主人と一緒だ。森で見かけるのはまず無いと言ってもいい。

そういった理由で、彼は自信を持って「嘘」だと言ったのだが──ルートにはあてはまらないらしい。


「ホントだよぉ。ちょっと隣町まで遠出しちゃったから、今は帰る途中なんだけど」

「隣町から? だったらエッフェンベルクか」

「え、違うよ? ゴットホルトからそこに行ったの」


フリッツは頭の中で地図を描いた。

今、彼らの立つ場所は領内の都市で最も東に位置する“自治都市グラウン”の周辺だ。

ルートの目的地であるエッフェンベルクは、ここより西へ向かうと見つかる都市である。

そして出発地のゴットホルトは、更に南西へと進み、領土の中央に進まなければ到達できない。


仮にルートの言葉が本当だとするならば、この地で出会うのは奇妙な事だ。

何故なら、目的地と出発地を結んだ線上には、グラウンの存在などないのだから。


「──ちょっと待て。ゴットホルトに帰るなら全く逆の方向だぞ」

「えっ? うわ、またやっちゃったよ!」


今までその事実には全く気付かなかった様だ。

ルートはフリッツの言葉を聞き、そこではじめて頭を抱えて、しまったという表情をした。

迷う事なく逆の方へと進んでいたのだから、出会っていなければこの子供は大変な事になっていただろう。

一人で森を彷徨い歩き、やがて周囲が闇に包まれ、獣と野盗の殺伐とした世界に足を踏み込む――

きっと、明日の朝陽は見る事が出来ない。

ルートは果たしてその事を想像できるのだろうか、とフリッツは他人事ながら心配した。


「まさか方向音痴か? 全く、それで一人旅とは恐れ入るぜ」

「ちがうよ! ほんのちょっと方向感覚が弱いだけ!」

「五十歩百歩、ってぇ言葉を知らんのか。お前さんは」


見るからに男と十歳は歳の離れたこの子供には、身の回りに潜む危険というものがどれほど理解できているのだろう。

両腕で大きく×マークを作るルートに失笑するフリッツは、とある事を考えついた。

ルートの姿を見て、そしてこの子供がゴットホルト――位の高い僧侶や富豪の住む都市――から来た事から閃いた事だ。

これは自分の利になる事でもあり、相手の助けにもなる、と。


言うまでもなく、男の狙いは前者の方だった。


「おい、家まで連れて行ってやろうか。道分からないだろ?」

「エッフェンベルクまでは地図持ってるけど……うーん、どうしよう」

「また俺みたいな男に掴まってもいいのか? 今度は本物の人さらいに」


ここからゴットホルトに帰るには、2つの都市を通るのが現実的な方法だ。

そして1つめの街、グラウンに着くまでの道中というのは、実は最も危険な道だった。

ルートはそんな事も知らないで、暢気に鼻歌混じりに歩いていたのだ。


フリッツからこの事実を教えてもらうと、声に些かの恐怖が混じった様に思えた。

これで、事は彼の思惑通りに進むだろう。


「ほ、本当に連れて行ってくれるの?」

「約束しよう。ま、条件はあるんだが――」


首を傾げ見つめるルートに、フリッツは不敵に微笑んだ。

彼は親指を人差し指と中指に擦りつけるジェスチュアをしながら、条件が何であるかを答える。

訊く者がそれなりに歳をとっていればその動作のみで察しがつくのだが、どうやら相手は理解していないようだった。


「報酬だよ、要は俺を雇えって事さ。大サービスで前金は無しだ」

「そっか、なるほどね。でも僕は人雇った事ないし、そんなにお金持ってないよ?」

「金額は親父さんと交渉するさ。お前さんはここで了承するだけでいい」


悪い様にはしない、というフリッツの最後の言葉に押される様にしてルートは承諾した。


「うん。わかったよ。着いたら父様に言ってみるね」

「ああ……良い子だ」


フリッツはそう言ってにやりとした。

見るからに質の良い服を着たルートは、間違いなく富豪の家の子供だ。

そうなれば報酬も期待できるし、事の次第によれば多少値をつり上げもできるだろう。


「それにしても前金無しで俺を雇うなんざ、全く前代未聞だぜ」


命に関わる依頼も少なくはないし、最悪、依頼人が金を踏み倒す場合もある。

そんな事から、大抵の傭兵や用心棒は前金を要求し、その額を自らの実力を誇示する手段にした。

また、依頼する側も「金を払うだけの仕事をしろ」という意味も含め、先に依頼料の半額を払う事が多い。


この“業界”で暗黙の了解となっている制度を、当然ながら子供のルートが知っている筈もない。

フリッツは先に待つ大きな報酬のみを頼りに、この依頼を引き受けたのだ。

馬鹿な事をしたものだと、彼は自嘲の笑みを浮かべた。


「じゃあ行こっか」


ルートは切り株から腰を上げた。

近くの地面に置かれていた麻袋を、持ち主の男に渡そうと持ち上げる。

しかし、思いのほかずっしりとした中身は、非力なルートでは少し辛かった。


「重いなぁ……何が入ってるの?」

「おい、待て! それは――」


興味本位でルートは麻袋をのぞき見る。

それがまずいのか、慌ててフリッツが止めに入ったが、既にルートの目には中の“何か”が映っていた。


それは、片腕で一抱えほどの塊で、長く生えている毛は明らかに人間の頭髪だった。

不潔な感じのするそれの隙間からは、少し汚れた青白い皮膚が覗く。

緩んだ袋の口から様子を見たくらいでも、それだけの事がわかった。


少し遅れて錆びた鉄の臭いがルートの鼻に届く。

だがその時には既に、何から発せられるものなのかが察知できない状態になっていた。


袋を覗いた後、目を見開き硬直していた子供の体は、力を失う。

文字通り“腰を抜かし”て、地面に倒れ込んだ。


「これだから金持ちの子供は……」


失神したルートを前に、フリッツは苦い顔をして頭を掻いた。









自治都市グラウン。

大陸の東に位置する領内の中で、最も東端に位置するこの都市は特に外界と隔離されやすい。

また近年にわたって増えている野盗を恐れるのもあって、尋ねる旅客も少なくなっていた。

昔は避暑目的で暑い時期に訪れる者も多く、それなりに賑わってはいたのだが、今は閑散とした様子しか窺えなかった。


しかし過ごしやすさには変わりなく、気持ちの良い暖かな風は今日も街路を通り抜けてゆく。

程良い陽気も相まって、居るだけで気分が和む様な街だ。

森の中で気を失い、フリッツに背負われている子供も、そんな空気を肌で感じ取っているのか、表情を穏やかにしていた。


「さて……どうしたもんか」


可愛らしい様子のルートと対称的に、威圧感すら漂わせる風貌の男はため息をついた。

それは遠巻きに彼を不審そうに見る街の住民に対してではなく、耳元で気持ちよさそうに寝息を立てる依頼人に気付いての事だ。


気絶したのだから仕方ないが、知り合ったばかりの相手に身体を預けて眠るなど、あまりにも無防備で、よく今まで無事に旅が出来たものだと感心させられてしまう。

同時に、あまりの暢気さに呆れてもいた。


フリッツは些か大袈裟に、身体を縦に揺らした。

少しずつ下へとずれてきたルートを背負い直すためと、そろそろ起こそうと思ったからだ。


「ん……」


ルートは重そうに瞼を半分開く。

まるで自分の背が急激に伸びたかの様な視界に違和感を覚えた。

そして、すぐ側にフリッツの顔があり、彼が横目に自分を見ているのが確認できると、驚いて目を見開いた。


「よお」

「――っ! ちょ、ちょっと、降ろしてっ!」


落ち着いた男と相反して、ルートはじたばたと彼の背の上で暴れだす。

本当に嫌がっている様子ではあるが、それがどういう理由からくるのかは彼には判らなかった。

とりあえず望む通りにしようと、腕で固定していたルートの足を自由にしてやった。


ルートは地面に足をつけると間髪入れず、たたらを踏みながら後ろへ下がる。

そして無闇に暴れた勢いを制しきれず、バランスを崩してしりもちをついてしまった。


「いったぁ。もうっ! 何するつもりだったの?」

「だからそんなに怯えるな。悪い様にはしないって言っただろう?」


未だ信用されていないという事か、とフリッツは理解した。

やはり自分の風貌と言葉遣いが、育ちのいいルートに必要以上の警戒をさせているのだろう。

これでも気遣ってやっているのに――

そう思うと何だか腹が立ちそうで、気を紛らわすために、彼は少しルートをからかってやる事にした。


「それに、随分居心地良さそうだったぜ?」

「だ、だって父様だと思ってたんだもん……」

「……さいですか」


気を許さない態度のルートの心を揺らしてやろうと投げた台詞はさほど効果がなかった。

それどころか、返ってきた言葉の方がフリッツにダメージを与えた。

歳が離れているとはいえ、見たところルートは13、4といったところ。

彼の年齢は28。もし子供を持っていたとしても、まだルートほどの歳にはならない程度なのだ。


「でも断りなしに女の子の体に触れるなんて!」

「悪いが、そういのは流石に俺とお前さんじゃ不釣り合いだと思うぞ。それこそ歳からして――」


今度はルートの方から、恥ずかしさを紛らわす様にして男にもの申す。

全くその気のないフリッツは呆れて言葉を返すが、そこに何か違和感を覚えて口を止めた。


ルートの言葉の中に、引っかかるものがあった。


フリッツは改めて、頭1つ分以上も背の低い依頼人をまじまじと見つめる。

中性的な顔立ち、服装も同じく、今まででルートのジェンダーをイメージさせるものはただ1つ。

“僕”という人称だけだった。

思わず彼は目を開き、ルートに失礼な質問を投げかけた。


「お前さん、女だったのか?」

「うん。よく男の子に間違われるけどね……あ、フリッツもそう思ってたんだ」


ルートはしりもちをついたのを気にしてか、パンツを叩いて埃を払う。

2、3度その場で屈伸をして、寝ぼけていた身体を目覚めさせると、勝手に街の中心へ通じる道を歩き出した。

フリッツは自分が予定していた行き先と同じだったため、彼女に歩調を合わせながら隣に並んだ。


「でも仕方ないよね。今はワザとそう見える様にしてるから」

「何でまた男の振りなんかしてるんだ?」


フリッツの問いに、ルートは誰かの真似をして答える。

彼が全く知らない人物だったが、その正体は彼女の会話から聞き取れ、なるほどと納得する間柄だった。


「女の子の一人歩きは危ないからよしなさい! ……って言うからね、母様が」

「はは。お前さんほどの歳だと、どっちにしろ危ないだろうが」


実に単純な発想だと、フリッツは失笑する。

そして、母親の言葉を真正面から捉えるあたりからすると、根が真面目なのだと理解する。

こんな性格のルートは、今のグラウン周囲に多く潜む盗賊らには、この上なく都合のいい“獲物”になる。

多少は生意気だが、決して人の悪くない子供がそんな奴らの餌になるのは忍びない。

報酬も完全に保証されない中で、自ら護衛を名乗り出て、目の届く範囲に彼女を置いて良かったとフリッツは改めて思っていた。


そんな彼の心中など知る筈もなく、ルートは暢気に自分の“変装”に自信ありげな様子を見せた。


「そうかな? 結構効き目あるよ。変なおじさんが寄ってこないし」


ルートはそう言って陽気な笑顔を見せた。

全体的に整った顔に大きな目、そして愛らしい表情を持つとなれば、様々な人間を寄せるだろう。

親切にしてくれる大人や、逆に、邪な目的を持つ少女趣味の輩など。

彼女自身、既にそういう経験があるのか、後者を避ける目的で女である事を隠していた。


フリッツは彼女の言葉に納得はしなかったが、そうかと言うだけにとどめた。

これ以上危険を示唆――例えば、人買いならば男女は気にしないだろうし、少なからず存在する“少年を好む男”という者にとっては変装したルートは格好の的だ――したとしても、ルートの不安を募らせるだけで、何も利になる事などないのだから。


全くもって何も考えない、無防備なお嬢さんではないのだ。

それだけでも良しとしようと、フリッツは心の内で決めた。


時は昼下がり。

二人は商店のある区画へ移動していた。少し遅めの昼食をとるつもりの様だった。

すっかり落ち着いたルートは、フリッツから行き先を告げられた事で、自分がひどく腹が減っている事に気づく。

彼女は、早朝から森の中で迷っており、長い間食事をとっていなかったのだ。

二つ返事でそれに同意すると、鼻歌交じりに足を運んだ。


しかし、そんな気分はすぐに台無しにされてしまった。

大きな商店の角を曲がった所に出くわした、一人の粗野な男によって。


その者は下卑た笑みを浮かべて二人を睨む。

こちらを見て「やっと見つけたぞ」と呟く声が聞こえた。

偶然の出会いではない、少なくとも男の方には目的がある様に感じた。


猫背で不潔な男の風貌は、フリッツとはまた違う意味でこの街にそぐわない。

あからさまに気質の者ではない事を表していた。


フリッツはきょとんとした表情でルートを見て、声をかける。


「寄ってきたぞ。変なおじさんが」

「え……あれ? ホントだ」


彼の言葉にその男は激高した。


「違う! 用があるのはお前の方だ!」

「マジか? 気持ちだけで十分だぜ。悪いが俺はそんな趣味は」

「うああそうじゃねぇ! こっちの方が気持ち悪ぃわ!」


男は頭をぐしゃぐしゃと掻きむしって叫んだ。

勝手な想像で、男はフリッツが短気で好戦的な性格だと思いこんでいた。

きっと何かありげに睨んでみせたら、こちらの“喧嘩”を買って出るだろう、と。


だが事実は期待とは裏腹に、睨みは軽くあしらわれ、熱くなっているのは男ただ一人のみ。

フリッツは最初から、殺気を露わにした男の目的が何なのか気付いていたのだ。

それに乗るまいとして、敢えてとぼけた振りをしてみせたのだが――


「やっと来やがったな、白虎さんよぉ……俺達の縄張りを荒らした落とし前はつけてもらうぜぇ!」


男の方は事を荒げたくて仕方がない様子で、少なくとも彼にとっては正当な理由があった。

言葉の中にある通り、賞金稼ぎのフリッツに自分の所属するグループを狙われたのだろう。

逆恨みも甚だしかったが、そんな理屈を言ったところで通じる様な人間ではない。


「白虎って?」

「俺の事だろう? くだらねぇ名前をつけてくれたモンだ……ちょいと“ここ”が足りんらしいな」


見上げて尋ねるルートの方を向いてフリッツは答えた。

この豊土の中で野盗狩りを続けていた彼は、目立つ髪の色とその実力で、“その業界”の仲間内で噂が立つほどになった。

そして本人の知らないうちに、ノイエンドルフの白虎という大袈裟な通り名を勝手につけられてしまったのだ、と。

役人から感謝されて称されるならともかく、盗賊達に怖れて囁かれる名など、悪名以外の何でもない。


フリッツは呆れた風に、人差し指を曲げて自分のこめかみをコツコツと叩きながら言った。

あからさまに挑発した言葉に、案の定野盗の一派らしい男は顔を怒りの色に染める。

男は腰に下げたカットラスを抜き、フリッツに向かって構えた。


「ここでやるのか?」

「へっ、今更ビビってんのかぁ?」


抜き身の刃物を向け、いつでも斬りかかれる野盗に対して、フリッツが臨戦態勢をとる様子はなかった。

それどころか、またも呆れてため息をつき、頭を掻きながらぽつりと言った。


「恥ずかしいのさ。得物の扱いがなっちゃいねぇ奴を相手にするのがな」

「ば――馬鹿にしやがって!」


男は、自分を冷ややかに蔑むフリッツの態度に、遂に怒りが頂点に達した。

怒号と共に駆け出し、手にした片刃剣を勢い良く振り下ろす!

フリッツは、まず側にいたルートに危害が及ばない様、数歩前に出た――



たった一度だけ、金属同士が強く打ち合う音が響いた。



フリッツは、上着の上腕あたりに飛び出ていた金属の輪に親指を通す。

それをぎゅっと握って引き抜くと、指の間から4本の金属の“爪”が生えていた。

彼はバグナウ(虎の爪)と呼ばれるそれで野盗のカットラスを受け流し、体勢を崩したところに足を払って倒れさせる。

そして、相手が起きあがろうとするよりも早く、大きな体躯で俯せになった背中にのしかかり、男の目の前にバグナウを突き立てた。


「ぐ……っ!」

「手前の“爪”くらいしっかり研いでおけ。虎さんからの忠告だ」


何時の間にか取りあげた、カットラスの刃こぼれした刀身を見つめながら、フリッツは男に言った。

命を奪われはしなかったものの、先程まで勢いの良かった野盗はすっかり戦意を失っていた。

男には、明らかに実力が違う者を相手にするだけの勇気を持っている筈がなかった。


フリッツはバグナウを上腕のポケットに差し込み、ずっと片手に持っていた荷袋からロープを取り出して、男の手を後ろに縛った。


剣・ナイフ・農具から派生した鈍器が武器の大半を占めるノイエンドルフで、フリッツの得物はかなり珍しい。

輪付きの金属棒から鋭い曲がった刃生える独特の形状は、まさに爪に引っかかれた様な傷を残す。

それが、野盗達が彼を“白虎”と渾名(あだな)するもう一つの理由だった。


「すごーい……」

「護衛には十分だろう?」


ルートは感心して呟き、返す彼の言葉にこくこくと頷いた。

見るからに荒くれ者だとわかる野盗の男と、決して退く様子のなかったフリッツを見ていた彼女は、間もなくここに血腥い光景が広がるのかと、戦々恐々としていた。

実際には、前に出たフリッツの立ち回りで、街の長閑(のどか)な光景が壊れる様な事は起こらなかった。

間近で目にした見事な体さばきは、怖がっていた気分を吹き飛ばし、ただ呆然とさせるものだった。



「一体どうしました?」

「ただの逆恨みだ。こいつの仇でもとるつもりだったんだろう」


男の目的は確かにフリッツの推測も含まれていた。

だが一番の狙いは、これを機会に仲間内での男の格を上げる事だ。

自分の所属する一味の長を斃したフリッツに一矢報いれば――あわよくば殺す事が出来たなら、

少なくとも一味の中では、間違いなくナンバー・ワンに君臨する事ができる。


仲間という概念が彼らには無いのだろう。

共に悪事を働いていた者の死すら利用して、仮初めの権力を奪い合う。

それが、ノイエンドルフに巣くう盗賊達の、獣のような生態だった。


「換金してくれ」


フリッツは持っていた荷袋を役人に向かって放り投げた。

受け取った者はどっしりとした重みのそれを訝しく思い、ルートの様に中を覗き見る。

「こいつの仇」という彼の言葉を今ひとつ理解できていなかった男は、袋に入っていた生首を見て気付いた。

およそ住民とも観光客とも思えないフリッツが、野盗らしき男を組み伏せるまでの経緯を。


「わかりました……ご、ごご同行お願いできますか?」

「勿論だ。そんなに怖がるなよ」


怯える男を見て、はははと軽やかに笑いフリッツは立ち上がった。

荷袋を持つ役人とは別に2人ほど、野盗に縄を打って連行する。彼は、その後ろをついて行く。

そして隣には、何か言いたそうな表情でフリッツを見る、ルートの姿があった。


彼女は少し遠慮がちに、小さな声でフリッツに尋ねた。


「……ご飯は?」

「あぁ、すまんな。もう少し後になる」

「えぇ〜っ!?」









あの後、フリッツは野盗が拘留されるのを見届け、賞金を受け取った。

そして待ちきれない様子のルートを休ませるために、宿場街へ向かい、部屋をとった。

グラウンは領の中心に比べて物価が安いため、比較的質のいい部屋でも安く泊まれる様になっている。

もっとも彼は、もっと良い部屋の代金を払ったとしても十分余るだけの金は貰っていたのが――

これからゴットホルトまで向かう道中何があるか判らない。路銀は節約しておいた方が無難だろうと考えていた。


そもそも、フリッツは一人旅なら宿などとらず野営で済ませている。

しかし、今は「良いところのお嬢さん」を抱えている身だ。

そんな事をさせて後で文句を言われるのは敵わないと、彼は気遣って宿を手配した。


「もう少し早く食えないのか?」

「……」


そして現在、彼らは宿の一階にある食堂にて食事をとっていた。

日も暮れ始め、かなり遅い昼食なのか早めの夕食なのか判断しかねる時間のせいか、客は二人だけだった。


同じテーブルを挟んで、ルートがさっきから直向きに口を動かしている様子が伺える。

まだ昼間に死体を見た記憶が強いのか、肉を避けた野菜ばかりのメニューなのに。

フリッツは自分の注文した品は既に平らげ、ため息混じりにルートを見ていた。


「口にモノ入ってる時に喋らないでよもぅ」

「お前さんは食い物の形が無くなるまで噛み砕くつもりか?」

「よく噛まないと歯並びが悪くなるって――」

「父様が言ってたよ、か。また」

「違うよ。母様と姉様が言ってたの」

「……さいですか」


どれほど裕福で、そしてどこまで(しつけ)が行き届いているのだろうか。

場違いなほどに……実際に場違いであろう完璧なテーブルマナーには感心させられてしまう。

下品とまではいかないものの、それとは無縁のフリッツにとっては同時に窮屈にも感じた。


「そういえばさ。これからどうしてゴットホルトまで行くの?」

「そうだな……まずは無難にエッフェンベルクまで歩いて、そこでもう一泊する」


ゴットホルトとグラウンを結ぶ街道の上には、途中に1つの都市が存在する。

二人が出会った時、ルートの口から名が出てきた都市、エッフェンベルクだ。


旅慣れて体力もある彼一人ならば途中で野宿でもして自身の知っている近道を行くだろう。

だが「近道」は街道の様に舗装もされていなければ安全も保証できない。

護る相手が一人であれ、連れて歩くには危険すぎると判断しての「無難な行き方」なのだ。


そして、街道を行くならば、マラソンの様に走るか馬車を使わない限り、一日で目的地には到達できない。

道に迷うほど旅慣れていない――方向に疎いという理由もあるが――ルートと一緒ならば、

フリッツ一人の時よりも時間に余裕を持たせておいた方が良い。


「そっかー。じゃあご飯食べたらお土産買わなくちゃ」

「あのなぁ、俺は観光客の案内人じゃないんだ」

「えー? でも少しだけっ」

「ダメだ。グラウンの街道は安全とは言えない。荷物は最小限で済ませろ」

「む〜」


余計な荷物は、何者かに遭遇し、いざ逃げる時に思わぬ障害となる。

また、長距離を移動する際にもその分だけ体力を浪費してしまう事になるのだ。

ルートは今のところ、腰に提げた小さなバッグだけしか持っていない。

それなのに今日の昼は、重い荷袋を背負っていたフリッツに易々と掴まっている。

金銭の問題ではなく、とても土産など買わせる余裕はないのだ。


フリッツは席を立ち、ふてくされる少女の頭を軽く撫でて部屋に戻るぞ、と言った。

釈然としないままルートも同じように席を立ち、小走りで男の後を追う。


食事は、全て平らげられていた。





部屋に戻ると、明日に備えて荷物を纏めると直ぐに二人は床に就いた。


フリッツはベッドの中で、ふと野盗の事を思い出していた。

一方的な面識を持っているのは、単に彼が有名人だからだろう。

目的も十中八九、男の所属する一味の頭を斃し、縄張りを荒らした報復なのは間違いない。


しかし1つだけ、彼には腑に落ちない点があった。


あの男はどうやって自分の居場所を知ったのか?

ルートとの出会いで必要以上に騒がしく森を動き廻った事で、気付かれたのだろうか?

しかし、彼女を背負って街へ行く時は、普段以上に周囲の気配に注意していた。

道中、ずっとフリッツは誰も尾行する様子など感じなかった。


それに――今思えば、野盗はまるで自分を待ち構えていた様にも見えるなとフリッツは感じた。

目的地など誰にも言わないどころか、グラウンへ向かったのは予定外の行動なのに。


何か胸の内がすっきりしない。


隣のベッドでは熟睡したルートが寝息を立てている。

寝付きの悪いフリッツは(ようや)微睡(まどろ)んできた意識の中で、妙な感覚だけはずっと抱えていた。


そして、やって来た睡魔と不可解な昼間の男の行動に考えを奪われていたせいで、違和感に気付くのが遅れる。


閉じた瞼を通して感じる窓の外から入る光が、不定形に蠢いているのを感じた時。

それを訝しげに思い、一体何だろうかと目を開けようとする前に。



部屋中に、破砕音が響いた!



本作品は、サイトで連載している「ゼーレンラント・ストーリー」シリーズの第一部として書いたものを、改めてリメイクしたものです。

少し加筆修正するくらいで大丈夫かなーと思っていたら……やっぱり最初に書いただけあって、もう読んでられないというか。半分くらい書き直す事になってしまいました。


先に投稿した「Lohenstein〜燃えさかる石」と舞台も雰囲気も違いますが、楽しんでいただける様に書きたいと思います。


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