永遠と
一光年も百光年も、どうだっていい。上も下も、右も左もないに等しい静寂の中に、電源ランプが光り続ける。ハートマークと乾電池そして稲妻の記号を組み合わせた、ありふれた意匠は擦れているが、発電設備と記録装置は何億年ものだろうがびくともしない代物だった。
延々と繰り返される、録音と録画。永遠とと書いたって嘘にならないかもしれない。正しく天文学的大容量の記憶媒体を搭載して、果てしなく漂流する。センサーが捉えた、音や光で表現できる任意の事象が、淡々と刻まれていく。日の目を見ることがなければ、それは人工的な天体、あるいはゴミにすぎない。
どこかの惑星で、こういった人工物の存在が仮定されたとき。その旨が、当の人工物へ伝わることは決してない。それでも探し続ける生命体が現れ、呼ぶ信号が聴取される日があるかもしれない。返事の術がなかったとしても。
とはいえ、ひとりでに生まれることはなかった。何らかの意識を持った製造者が、過去にいたことは確かだろう。その痕跡が積まれているのかどうか、解体されるまで定かではない。見た目には、幼年向けロボット玩具であるのだから。仮にも意思への眼差しが向けられれば、背景への考察を促すだろうか。ちがいに関心を寄せる存在は群がる。
それでも小さな構造物は星間を漂う。推進力のないまま、プランクトンのように。同じ境遇にあるものが、他にいくつ在ったとしても、すれ違ったとしても、知り合うことはない。
星屑の数を数えし者たちは我が身を入れてくれるだろうか
悠久も瞬間も永遠も刹那も溶け合う場所で声を潜める
プラネタリウムに映ることのない姿を曝して、重力の闇に飲まれるか、偶発的な故障を迎えるまで、動き続ける。あわよくば流れ星として観測されてみたいと、思うことはできないまま。一定の法則に従って運動する。時間的にも空間的にも、全ての出来事を収めることはない。宇宙に終焉があるとしたら、永遠もきっと嘘になる。




