↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR

卒業式の日、学校の七不思議が一つ減る

作者: 石崎さかな
掲載日:2026/08/31

 俺の卒業証書は、最初から用意されていなかった。


     ◇


「三年二組、藍沢健太」


「はい」


 俺の前に座っていた藍沢が立ち上がり、壇上へ向かった。


 次は俺だ。


 卒業生名簿は五十音順。


 藍沢健太。


 相原蒼。


 青木美優。


 昨日、教室に貼られた順番を確認している。


 藍沢が校長から卒業証書を受け取った。


 一礼し、壇上を降りる。


 担任の長谷川先生が名簿へ目を落とした。


「三年二組、青木美優」


「はい!」


 俺は腰を浮かせた姿勢のまま、固まった。


 青木は俺の次のはずだ。


「先生」


 呼びかけても、長谷川先生は顔を上げない。


「俺が先です」


 返事はなかった。


 青木が席を立ち、こちらへ歩いてくる。


「青木、待って。俺が飛ばされてる」


 青木は俺を見なかった。


 避けようともしない。


 そのまま正面からぶつかってきた。


「危なっ」


 反射的に身体を引こうとした。


 間に合わなかった。


 青木の身体が、俺の胸を通り抜けた。


 冷たい風が、心臓の真ん中を吹き抜ける。


「え」


 青木は何事もなかったように壇上へ向かった。


 俺は自分の両手を見る。


 透けてはいない。


 指も動く。


 床には影も落ちている。


 席へ戻ってきた藍沢の肩をつかもうとした。


 指先が制服をすり抜けた。


「藍沢」


 反応はない。


「おい。聞こえないのか?」


 青木が卒業証書を受け取る。


 体育館へ拍手が響いた。


 卒業生と保護者を合わせて六百人近くいるというのに、俺の声へ反応する者は一人もいない。


「相原君」


 たった一人を除いて。


 卒業生の列の端で、黒川栞が立ち上がっていた。


 肩より少し長い黒髪を、今日は紺色のリボンで一つに結んでいる。


 卒業式が終わったら髪を切る。


 昨日の放課後、栞はそう話していた。


 その栞が、顔を青ざめさせて俺を見ている。


「黒川」


「こっちへ来て」


「でも、俺の名前が」


「早く」


 栞は鞄を抱え、卒業生の列から抜けた。


「黒川、どこへ行く」


 担任が小声で呼び止める。


 近くの生徒たちも、不思議そうに栞を見た。


 栞は見えている。


 見えていないのは、俺だけだ。


 体育館脇の扉を開けた栞が振り返る。


「相原君。急いで」


「俺の卒業証書は?」


「ないの」


「ない?」


「昨日、全部確認したから」


 栞の指が、扉の取っ手を強く握った。


「相原君の卒業証書は、最初から一枚も用意されていない」


     ◇


 体育館の裏へ出ると、卒業式の声が遠くなった。


 三月の冷たい風が、渡り廊下を吹き抜ける。


「どういうことだ」


「昨日、生徒会の手伝いで卒業証書を並べたの」


 栞は鞄から一枚の紙を取り出した。


 三年二組の出席簿を複写したものだった。


「三年二組の証書は三十九枚だった」


「うちのクラスは四十人だろ」


「私もそう言った。でも、長谷川先生は最初から三十九人だって」


「俺のことは?」


「相原って誰だ、と聞かれた」


「昨日の時点で?」


「先生だけじゃない。職員室にいた先生は、誰も相原君を知らなかった」


 出席簿を見る。


 藍沢健太。


 青木美優。


 二人の間には、不自然な空白がある。


「俺の名前がない」


「昨日から」


「だったら、どうして昨日まで授業に出られたんだ」


「分からない」


「受験は? 進路指導は?」


「相原君、進学先は?」


「東央大学の文学部」


「合格通知は?」


「家にある」


「本当に?」


 スマートフォンを取り出す。


 写真の中から、合格通知を探した。


 ない。


 受験当日に撮った写真も、大学から届いたメールもなかった。


「消えてる」


「昨日まではあった?」


「あった。母さんと一緒に見た」


「お母さんの連絡先は?」


 連絡先を開く。


 母の番号がない。


 父の番号もない。


 家族とのメッセージ履歴も空だった。


「何だよ、これ」


「相原君の住所は?」


「南町」


「番地は?」


「駅を出て、コンビニを右に曲がって」


 白い壁。


 玄関横の植木鉢。


 夕食の匂い。


 そこまでは思い浮かぶ。


 だが、番地も、両親の名前も、顔すら出てこない。


「出身中学は?」


「やめろ」


「中学の友達は?」


「やめろって!」


 声が渡り廊下へ響いた。


 三年間の記憶はある。


 入学式。


 体育祭。


 文化祭。


 修学旅行。


 放課後の図書室。


 けれど、入学式より前には何もない。


 俺の人生は、この学校の昇降口から突然始まっていた。


「俺は何なんだ?」


「それを調べてた」


 栞が言った。


「昨日から、ずっと」


 体育館から拍手が聞こえる。


 卒業証書授与が、また一組分終わったらしい。


「卒業式が終わるまで、あと二時間くらい」


「それがどうした」


「式が進むほど、相原君の記録が消えてる」


 栞が卒業アルバムを開いた。


 三年二組の集合写真。


 最後列の中央に、一人分の空白がある。


 左右の生徒が、不自然に間を空けて立っていた。


「今朝までは、ここに相原君が写ってた」


「式が始まってから消えた?」


「最初に公的な記録。次に写真や電子記録。最後に、人の記憶」


「式が終わったら」


「私も、相原君を忘れるかもしれない」


 栞はそう口にしたあと、唇をかんだ。


「だから、その前に見つける」


「何を」


「相原君が誰なのか」


     ◇


 俺たちが向かったのは、図書室だった。


 扉には『本日休館』の札が下がっている。


 栞が図書委員長用の鍵を差し込んだ。


「鍵は返したんじゃないのか」


「記録上は、昨日返したことになってる」


「でも、持ってる」


「紙の記録から消えても、物は残ることがある」


 鍵が回る。


 誰もいない図書室へ、細い朝の光が差し込んでいた。


 返却台に、一冊の古い本が置かれている。


『緑ヶ丘高校七不思議調査録』


 何度も補修された本だった。


「これ、黒川が借りた本だ」


「三年前にね」


 貸出カードを開く。


 借りた人間の欄には、黒川栞。


 貸出日は、三年前の入学式翌日。


 返却期限は、とっくに過ぎていた。


 余白には、栞の字で一文が書かれている。


『この本を返すまで、私は学校へ行く』


「何だ、これ」


「入学したころ、学校へ来るのが嫌だった」


 栞は本の表紙をなぞった。


「中学でずっと一人だったから。高校へ入っても同じになると思ってた」


「それで七不思議を調べた?」


「七つ全部見つけたら、学校へ来るのをやめようと思った。最後に一つくらい、自分で何かを見つけたかったから」


「でも、見つからなかった」


「六つまでは調べられた」


 栞が本を開く。


 一つ目。


 卒業式の日、無人の音楽室で鳴る行進曲。


 二つ目。


 卒業前夜、集合肖像画から消える生徒。


 三つ目。


 上るたびに場所が変わる、東階段の十三段目。


 四つ目。


 誰もいない理科準備室で名前を呼ぶ人体模型。


 五つ目。


 旧校舎の鏡に映る、存在しない教室。


 六つ目。


 返却期限を過ぎた本を、夜中に棚へ戻す透明な図書委員。


 そこで記録は終わっていた。


「七つ目は?」


「どこにも書かれてない」


「七不思議なのに?」


「学校新聞も、生徒会誌も、郷土資料も調べた。でも、必ず六つで終わってる」


 栞は複数の資料を机へ並べた。


『緑ヶ丘高校七不思議を検証』


 見出しには七とある。


 本文は六つ。


 別の年代の記事も同じだ。


 さらに、手書きの調査記録があった。


『七番目について分かった。これは』


 文章はそこで終わっている。


 別の記録。


『七つ目を見た。あの生徒は』


 続きは白紙。


 もう一枚。


『卒業式の終了後、七番目は』


 やはり、そこで途切れている。


「七つ目を調べた人は、全員途中で書くのをやめてる」


「忘れた?」


「たぶん」


「それが俺と関係あるのか」


「相原君の記録の消え方が、七つ目の記録と似てる」


 最後まで記録されない存在。


 名前を残せない何か。


「俺は、七つ目に消されてるってことか?」


「まだ決めつけたくない」


「ほかに何を調べる」


「相原君が、この学校へ入った日のこと」


     ◇


 入学年度の資料は、図書室奥の資料庫に保管されていた。


 入学者名簿。


 始業式の記録。


 クラス写真。


 健康診断票。


 俺たちは一冊ずつ調べた。


 一年二組。


 出席番号一番、藍沢健太。


 二番、相原康平。


 三番、青木美優。


「相原康平?」


「相原君じゃない」


「名字は同じだ」


 備考欄を見る。


『入学式前日に県外転居。入学辞退』


「俺は、入学しなかった生徒の名字を使ってる?」


「偶然かもしれない」


「蒼って名前は、どこから来た」


 名簿のどこにもない。


 入学式当日の集合写真を開く。


 一年二組は三十九人しか写っていなかった。


 俺はいない。


 五月の遠足写真には、俺がいる。


「俺が最初に写真へ出てくるのは?」


「四月二十二日」


 栞が学校新聞を開いた。


 図書委員募集の記事。


 図書室のカウンター奥に、俺が立っている。


「入学式から二週間後」


「私がこの本を借りた翌日」


 七不思議調査録の貸出日は、四月二十一日。


 俺が初めて記録に現れたのは、四月二十二日。


「健康診断票がない」


「紛失したのかもしれない」


「入学届もない」


「学校側の不備かも」


「三十九人の写真に、五月から一人増えてる」


「あとから転入した可能性もある」


「転入記録は?」


 栞は答えなかった。


「ないんだろ」


「ない」


 答えに近づくたび、栞はそれを否定しようとしている。


「黒川は、何を知ってる」


「何も」


「昨日から調べてたんだろ」


「それでも、分からないことばかり」


「本当に?」


 栞は俺を見た。


 目が赤くなっている。


「思い出したくないことがあるだけ」


「何を」


「相原君と初めて会った日」


     ◇


 栞のスマートフォンに、三年前の録音が残っていた。


 日付は四月二十一日。


 七不思議調査録を借りた日の放課後。


「どうして録音なんて」


「七不思議を見つけたときのため。証拠を残すつもりだった」


 再生する。


 椅子を引く音。


 三年前の栞の声が聞こえた。


『七不思議調査、一日目』


 今より少し幼い声。


『記録されているのは六つ。七つ目が見つかったら、もう学校へ来なくていい』


 長い沈黙。


『どうせ私がいなくなっても、誰も困らない』


 俺は再生を止めた。


「黒川」


「続けて」


「でも」


「聞いて」


 再び再生する。


 三年前の栞が泣いている。


『七つ目さん。本当にいるなら返事をして』


 静かな図書室。


『最後に一つだけ、本物の怪談を見つけたかった』


 窓が開く音。


 紙が何枚か床へ落ちる。


『誰?』


 返事は録音されていない。


『名前は?』


 沈黙。


『名前、ないの?』


 録音には、栞の声しか入っていなかった。


 しかし、栞は誰かと話している。


『じゃあ、私がつけてもいい?』


 窓の外で、風が吹いている。


『今日は空が蒼いから、蒼』


 俺は息を止めた。


『名字は、そこに書いてある相原でいい?』


 入学者名簿が掲示されていた昇降口。


 入学を辞退した生徒の名字。


 相原。


『相原蒼』


 栞が初めて、俺の名前を呼んだ。


 その瞬間だった。


 それまで栞の声しか入っていなかった録音に、別の声が加わる。


『変な名前』


 俺の声だった。


『つけてもらって最初に言うことがそれ?』


『悪い。でも、ありがとう』


『お礼を言うなら、七つ目を探すのを手伝って』


『見つけたら学校を辞めるんだろ』


『うん』


『だったら、見つからないほうがいいな』


 録音が終わった。


 図書室に沈黙が落ちる。


「思い出した」


 俺は言った。


 名前を呼ばれる前の記憶はない。


 暗闇にいたわけでもない。


 意識そのものがなかった。


 栞が相原蒼と呼んだ瞬間から、俺の記憶は始まっている。


「黒川が俺を作ったのか」


「違う」


「でも、俺は名前を呼ばれて現れた」


「名前をつけただけ」


「何に?」


 栞は答えられない。


「何に名前をつけたんだ」


「分からないよ!」


 栞の声が図書室へ響いた。


「人だと思った。最初から普通の生徒だと思った。次の日にはクラスに席があって、みんな相原君を知ってた。先生だって、普通に名前を呼んでた!」


「最初の日は?」


「私にしか見えてなかった」


「じゃあ、今と同じだ」


「違う!」


「何が違う」


「今の相原君には、三年間がある!」


 栞が俺の胸へ手を伸ばす。


 指先は、まだ制服に触れた。


「文化祭も、修学旅行も、放課後の図書室もあった。笑ったことも、喧嘩したことも、全部あった」


「卒業式が終われば、全部消える」


「消させない」


「どうやって?」


 栞は七不思議調査録を胸へ抱いた。


「この本を返さなければいい」


「それで俺は残れるのか?」


「三年間、相原君は消えなかった」


「本を借り続けていたから?」


「それだけじゃないかもしれない。でも、今ある手掛かりはこの本だけ」


 貸出カードには、三年前の栞が書いた言葉が残っている。


『この本を返すまで、私は学校へ行く』


「この本が俺を学校につないでいるとして」


 俺は貸出カードを見た。


「返さなければ、栞はどうなる?」


 栞は答えなかった。


 ただ、本を抱える腕へ、いっそう強く力を込めた。


 体育館から在校生の送辞が聞こえ始める。


 卒業式は終盤に入っていた。


「まだ、七つ目が何なのか分かってない」


 俺は言った。


「分かってる」


「俺を消している何かかもしれない」


「そんなもの、見つけなくていい」


「見つけなければ、どうやって止める」


 栞は答えない。


「調査記録の続きを探そう」


「全部調べた」


「七つ目について直接書いた記録が消えるなら、間接的な記録を探す」


「間接的?」


「七つ目を見た本人じゃなく、その話を聞いた誰かの記録だ」


     ◇


 古い学校新聞を年代順に並べた。


 最初に七不思議という言葉が使われたのは、昭和三十二年だった。


 その年の三月一日。


 卒業式の最中、旧校舎で火災が発生している。


 卒業生一人が、逃げ遅れた下級生を助けるため校舎へ戻った。


 下級生は助かった。


 卒業生は死亡。


 死亡した生徒の名前だけが、記事から抜け落ちていた。


「これが七つ目の始まり?」


「可能性はある」


 翌年の学校新聞を開く。


『卒業式を欠席した生徒へ、何者かが卒業証書を届ける』


 入院していた卒業生の病室へ、同じ学校の制服を着た男子生徒が現れた。


 学校側は誰も派遣していない。


 届けられた卒業証書だけは本物だった。


 十年後。


『卒業式前夜、屋上で保護された生徒』


 進路への不安から屋上へ上がった生徒が、知らない卒業生に説得された。


 その卒業生は、出席簿に存在しなかった。


 さらに二十二年前。


『息子の遺品を取りに来た母親を案内した生徒』


 事故で卒業式を迎えられなかった生徒の母親。


 教室まで案内した男子生徒は、最後にこう言ったという。


『卒業おめでとうと、伝えてください』


 時代も制服も違う。


 それでも共通点があった。


「卒業できなかった人の前へ、知らない生徒が現れてる」


「学校へ来られなくなった人や、卒業を迷っていた人も」


「全員、学校の外へ進めなくなっていた」


 俺は調査録の余白へ書き出した。


 一、卒業を諦めた生徒の前に現れる。


 二、同じ学校の生徒として認識される。


 三、卒業するための手助けをする。


 四、卒業後は記録にも記憶にも残らない。


「この生徒が七つ目?」


「だとしたら、相原君を消しているのは」


「卒業生を助ける七つ目」


「でも、なぜ相原君が狙われるの?」


「俺も卒業できない生徒だから」


「証書がないだけで?」


「俺は入学さえしていない」


 入学届もない。


 健康診断票もない。


 本来の相原という生徒は、入学を辞退している。


「俺も、卒業できない側なのかもしれない」


「だったら、七つ目が相原君を卒業させようとしてる?」


「その七つ目は、どこにいる?」


 資料には、必ず知らない生徒が一人だけ現れる。


 今回、栞の前に現れたのは俺。


 では、俺を送り出す生徒がもう一人いるのか。


 卒業式が始まってから、栞以外の誰にも会っていない。


「もう一つ、おかしい」


 俺は資料を見比べた。


「助けられた人は七つ目を忘れる。それなのに、どうして体験談が残ってる?」


「忘れる前に書いた?」


「記録の日付は、卒業式の何日もあとだ」


 入院していた卒業生の記事は一週間後。


 屋上の生徒の手記は一か月後。


 名前も顔も思い出せないが、誰かに助けられたことだけは覚えている。


「完全には忘れられない?」


「違う」


 俺は記事の署名を確認した。


「書いた人間は、助けられた本人じゃない」


 病室の記事を書いた新聞部員。


 屋上の生徒から話を聞いた教師。


 母親の証言を記録した当時の校長。


「七つ目について直接書こうとすると、途中で忘れる」


「でも、誰かから聞いた話なら、起きたことだけが残る」


「だから全部、不完全なんだ」


 名前。


 顔。


 声。


 それらは残らない。


 残っているのは、何をしたかだけ。


「火災の前を調べよう」


「前?」


「七不思議と呼ばれる前だ」


 昭和三十一年の学校新聞を開く。


 紙面の隅に、小さな予告があった。


『次号、緑ヶ丘高校六不思議を特集』


「六不思議」


 翌年、火災後の記事から七不思議へ変わっている。


「やっぱり、火災で死んだ卒業生が七つ目?」


「卒業名簿を確認しよう」


 昭和三十二年の卒業名簿を取り出す。


 三年一組。


 三年二組。


 三年三組。


 全員の名前がある。


 欠落はない。


「火事で亡くなった人も載ってるはずなのに」


「クラス写真と照合する」


 一組。


 全員いる。


 二組。


 全員いる。


 三組。


 写真には三十九人。


 名簿には四十人。


「一人足りない」


 空白の位置から出席番号を確認した。


 該当する名簿上の生徒は、卒業後も生存している。


 別人だ。


「火災で亡くなった生徒は、名簿へ最初から載っていなかった?」


「そんなはずない」


「入学名簿を見よう」


 昭和二十九年度。


 三年前の入学者名簿。


 三年三組になる生徒は三十九人。


 卒業時の名簿は四十人。


「一人増えてる」


「転入生は?」


「記録がない」


 入学時は三十九人。


 卒業時は四十人。


 卒業写真には再び三十九人。


 俺たちのクラスと同じだ。


「三年間だけ、一人増えていた」


 俺の声が震えた。


「卒業式になると、最初からいなかったことになる」


 火事で亡くなった生徒が七つ目になったのではない。


 火事で亡くなったのが、すでに存在していた七つ目だった。


 その年、卒業を諦めた誰かの前へ現れた。


 三年間をともに過ごし、卒業式の日、火災からその誰かを助けた。


 存在しない生徒の犠牲が新聞に載ったことで、六不思議は初めて七不思議と呼ばれた。


 ただし、その正体だけは記録できなかった。


「待って」


 栞が新聞を光へかざした。


「写真の裏に、筆圧が残ってる」


 表の紙へ書いた文章の跡が、次の頁に残ったらしい。


 鉛筆の側面で薄くこする。


 文字が浮かび上がった。


『七つ目。卒業を諦めた生徒の前に、同じ学年の生徒として現れる』


 次の行。


『周囲は、最初から同級生だったと思い込む』


 三行目。


『卒業式が終わると、記録と記憶から消える』


 最後の一文。


『その生徒の正体は』


 続きはなかった。


 書いた者は、そこで忘れたのだ。


 けれど、俺たちには十分だった。


     ◇


 俺は机の上へ、すべての資料を並べた。


「七つ目は、卒業を諦めた人の前に現れる」


 栞は俺の向かいに座っている。


「三年前、栞は学校を辞めようとしていた」


「うん」


「七不思議の本を借り、七つ目へ呼びかけた」


「うん」


「その直後、俺が現れた」


「でも」


「俺には名前がなかった」


「私がつけた」


「入学を辞退した相原康平から名字を借りた。窓の外の空を見て、蒼とつけた」


「それでも」


「入学式の写真に俺はいない。最初の記録は、栞が名前をつけた翌日」


 栞は首を振る。


「俺の存在は、昨日から順番に消え始めた」


「それは七つ目に消されてるから」


「七つ目を直接記録した文章は、すべて途中で途切れている」


「だから、七つ目が別にいる」


「だったら、どうして俺たちは、その七つ目を一度も見ていない?」


「姿を隠してるから」


「七つ目は、卒業を諦めた人の前に現れるんだろ?」


 栞は今も、卒業を諦めようとしている。


 本を返さず、この学校へ残ろうとしている。


 条件は満たしている。


 それなのに、俺以外の生徒は現れない。


「七つ目は、もう栞の前にいる」


「違う」


「三年前から、ずっと」


「違う!」


「俺を消している怪異なんて、最初からいなかった」


 写真から消えたのも。


 名簿に名前がないのも。


 教師やクラスメイトが忘れたのも。


 誰かに奪われたからではない。


 卒業式が終われば消える。


 それが、七つ目の性質だからだ。


「七不思議なのに、六つまでしか記録できない理由も同じだ」


 七つ目は普通の生徒として教室にいる。


 見つけたときには、すでに同級生として受け入れている。


 卒業式が終われば、親しかった者からも忘れられる。


 だから誰も、その内容を最後まで書き残せない。


「卒業式の日、学校の七不思議が一つ減る」


 俺は、自分の声で答えを口にした。


「減るのは、俺だ」


 栞が両手で耳をふさいだ。


「聞きたくない」


「探していた七つ目は、最初から俺たちと一緒にいた」


「違う」


「俺自身が、この学校の七つ目だ」


 口にした瞬間、これまでの手掛かりが一つにつながった。


 卒業式へ出られなかった生徒。


 学校を去ることが怖かった生徒。


 未来を諦めた生徒。


 名前のない俺は、その隣へ同級生として現れる。


 学校の外へ送り出す。


 そして最後には忘れられる。


 それが、何十年も繰り返されてきた。


 栞は七不思議調査録を胸へ抱きしめた。


「だったら、なおさら返さない」


「栞」


「この本を借りている限り、蒼君はここにいられる」


「その代わり、栞は卒業できない」


「卒業しない」


「大学は?」


「行かない」


「司書になるんだろ」


「ならなくていい!」


 栞の声が、誰もいない図書室へ響いた。


「大学も、司書も、どこにも行かなくていい。蒼君が消えるより、ずっといい!」


「俺にとっては、よくない」


「どうして!」


「栞が学校の外へ行くために、俺はここにいるからだ」


「そんな役目、知らない!」


「俺も今まで知らなかった」


「なら、やめればいい!」


「やめられるなら、やめたいよ!」


 俺も声を上げた。


「俺だって卒業したい。証書が欲しい。クラス写真に残りたい。大学へ行く栞も、髪を切った栞も、司書になった栞も見たい」


「だったら残って!」


「俺が残れば、栞は進めない」


「私が決めることだよ!」


「そうだ」


 俺はうなずいた。


「だから、栞が本当に行きたい未来を選んでくれ」


「蒼君がいる未来」


「学校の中だけだ」


「それでもいい」


「何年たっても卒業できない。大学にも行けない。司書にもなれない。そんな顔をした栞の隣で、俺が笑っていられると思うか?」


 栞は答えなかった。


「三年前、栞は自分で決めた」


「何を?」


 貸出カードを開く。


『この本を返すまで、私は学校へ行く』


「学校へ行くこと」


「蒼君がいたから」


「それでも、毎朝教室へ入ったのは栞だ」


 図書委員長になった。


 後輩へ仕事を教えた。


 文化祭の古本市を成功させた。


 受験勉強を続け、大学にも合格した。


「全部、蒼君がいたから」


「それでも選んだのは栞だ」


 俺は受付に残っていた鉛筆を取った。


 三年前の文字の下へ、一行を書き加える。


『この本を返したら、私は学校の外へ行く』


「勝手に書かないで」


「図書委員の共同作業だ」


「認めない」


「返却期限は三年前だぞ」


「延滞料金は取られない」


「透明な図書委員に怒られる」


「そんな七不思議、適当に作っただけでしょう」


「覚えてたのか」


 栞は泣きながら俺をにらんだ。


「全部、覚えてる」


「うん」


「忘れない」


「うん」


「絶対に忘れないから」


 俺は答えられなかった。


 卒業式が終われば、栞も俺を忘れる。


 それだけは、きっと変えられない。


「栞」


「嫌」


「本を返そう」


「嫌」


「俺を卒業させてくれ」


 栞の動きが止まった。


「蒼君を?」


「誰かを送り出すばかりで、俺は一度も卒業していない」


 何十年も。


 もしかすると、もっと長い間。


 卒業できなかった誰かの隣に立ち続けてきた。


 名前を持ったのは、今回が初めてだった。


 三年間、同じ教室へ通ったのも。


 文化祭に参加したのも。


 修学旅行へ行ったのも。


 卒業式で名前を呼ばれるのを待ったのも。


 すべて初めてだった。


「栞が名前をくれた」


 相原蒼。


 借りた名字と、あの日の空の色。


 それでも、俺の名前だ。


「栞が俺を、三年間だけ本当の生徒にしてくれた」


「三年間だけなんて言わないで」


「だから今度は、俺が卒業する番だ」


 体育館から校歌が聞こえ始めた。


 残された時間は、もうほとんどない。


「最後の一歩は、栞が決めてくれ」


 俺は待った。


 無理に本を奪うことはしない。


 誰かを送り出すための存在だからこそ、卒業を押しつけることはできない。


 栞は調査録を抱きしめたまま泣いていた。


 やがて、震える足で返却台へ歩き始める。


 一歩。


 また一歩。


「大学へ行く」


「うん」


「友達も作る」


「うん」


「司書になる」


「うん」


「髪も切る」


「見たかった」


「見せるから」


 栞は本を返却台へ置いた。


「どこかで見ていて」


 約束はできなかった。


 怪異が消えたあと、どこへ行くのか俺にも分からない。


「分からない」


「そこは嘘でも、見てるって言ってよ」


「最後に嘘はつきたくない」


「正直すぎるよ」


「ごめん」


「謝らないで」


 校歌が終わる。


 館内放送から、校長の声が聞こえた。


『以上をもちまして、県立緑ヶ丘高等学校、卒業証書授与式を閉式いたします』


 俺の指先が透け始めた。


「蒼君!」


 栞が俺の手をつかむ。


 まだ、かすかに触れることができた。


 窓が開き、春の風が図書室へ吹き込む。


 栞の髪を結んでいた紺色のリボンがほどけた。


 覚えている。


 三年前。


 七不思議を探すために旧校舎へ入った日、栞の制服の袖が釘に引っかかって裂けた。


 俺は、どこから持ってきたのかも分からない紺色のリボンで、裂けた袖を結んだ。


『卒業したら返す』


 栞はそう言った。


『そのころまで覚えてたらな』


 俺は笑った。


「このリボン、卒業したら返すって約束したな」


「返す」


「今でいい」


「今は嫌」


「どうして?」


「もう一度会う理由がなくなるから」


 俺は笑った。


「じゃあ、預けておく」


「十年後でも、二十年後でも返すから」


「うん」


「絶対に取りに来て」


「分からない」


「そこは来るって言って」


「努力する」


「怪異なのに?」


「卒業したから、もう怪異じゃないかもしれない」


 足元から身体が光へ変わっていく。


 栞が俺へ抱きついた。


 身体の半分はすり抜けた。


 それでも、残った両腕で抱きしめる。


「行ってらっしゃい、栞」


 栞は何度もうなずいた。


「行ってきます、蒼君」


 その言葉を聞いた瞬間、俺は初めて学校の外にある青空を見た。


     ◇


 卒業式のあと。


 黒川栞は、誰もいない図書室に立っていた。


 どうしてここにいるのか分からない。


 頬が涙で濡れている。


 返却台には、『緑ヶ丘高校七不思議調査録』が置かれていた。


 貸出カードには、自分の名前。


 三年前の貸出日。


 今日の返却印。


 そして、見覚えのない鉛筆の文字。


『この本を返したら、私は学校の外へ行く』


 文字を見た瞬間、胸の奥が痛んだ。


 何か大切なものを失った。


 けれど、何を失ったのか思い出せない。


 右手には、紺色のリボンが握られていた。


 端に、小さな文字が書かれている。


『卒業したら返す』


 誰に返すつもりだったのだろう。


 分からない。


 それでも、捨ててはいけないものだと思った。


 窓から春の風が吹き込む。


 風に混じって、誰かの声が聞こえた気がした。


 行ってらっしゃい。


「行ってきます」


 なぜそう答えたのか、自分でも分からなかった。


     ◇


 十年後。


 県立緑ヶ丘高校の図書室に、新しい司書が着任した。


 黒川栞、二十八歳。


 大学で資格を取り、市立図書館で経験を積んだあと、母校へ戻ってきた。


 卒業式の翌日に切った髪は、今も肩につかない長さに整えている。


 なぜ急に髪を切ろうと思ったのかは覚えていない。


 ただ、切らなければ誰かとの約束を破るような気がした。


「黒川先生」


 放課後、一年生の生徒が受付へ来た。


「この学校の七不思議って、六つしかないんですか?」


「七不思議なのに?」


「はい。一つ足りないんです」


 栞は手を止めた。


 胸の奥に、懐かしい痛みが走る。


「昔は、七つあったのかもしれませんね」


「どんな話だったんでしょう」


「さあ」


 栞は窓の外を見る。


 卒業式を終えた生徒たちが、校門の前で写真を撮っている。


 泣いている生徒。


 笑っている生徒。


 何度も校舎を振り返る生徒。


「きっと、卒業に関係する話だったんじゃないでしょうか」


「どうして分かるんです?」


「そんな気がするだけです」


 生徒が帰ったあと、栞は返却された本を棚へ戻し始めた。


 最後の一冊は、『緑ヶ丘高校七不思議調査録』だった。


 何度も補修された古い本。


 見返しには、十年前の貸出カードが残っている。


 自分の名前。


 卒業式の日の返却印。


 そして、見覚えのない鉛筆の文字。


『この本を返したら、私は学校の外へ行く』


 栞の目から、突然涙が落ちた。


「どうして」


 理由が分からない。


 誰が書いたのかも分からない。


 それなのに、声を上げて泣きたくなるほど懐かしかった。


 窓が開いた。


 春の風が、机の上の返却票を床へ落とす。


 栞が拾い上げる。


 裏側に薄い筆圧が残っていた。


 紙を光へかざす。


『相原蒼』


 人の名前だった。


「相原、蒼」


 声に出した瞬間、記憶ではない何かが胸へ戻ってきた。


 誰もいない図書室。


 窓の外の青い空。


 名前のなかった誰か。


 いつも先に歩き、何度も振り返ってくれた背中。


「蒼君」


 理由も分からないまま、名前がこぼれた。


 栞は鞄の内側から、古い紺色のリボンを取り出した。


 十年間、一度も手放せなかったもの。


 端には、小さな文字がある。


『卒業したら返す』


 七不思議調査録を開く。


 六つ目の記録の次。


 ずっと白紙だった最後の頁に、鉛筆の文字が浮かび上がっていた。


『七、卒業を諦めた生徒の前に、名前のない同級生が現れる』


『その生徒は、卒業の日まで隣にいる』


『卒業式が終われば、誰の記憶にも残らない』


『ただし、名前を与えた者が学校の外へ進んだとき、七つ目も卒業する』


 最後の一行だけは、別の筆跡だった。


『卒業おめでとう。行ってらっしゃい、栞』


 栞は何度も、その文章を読んだ。


 記憶は戻らない。


 顔も。


 声も。


 三年間の会話も思い出せない。


 それでも、あのころ一人ではなかったことだけは分かった。


 誰かが見つけてくれた。


 誰かが名前をもらった。


 互いに学校の外へ送り出した。


 栞は紺色のリボンを、白紙だった頁へ挟んだ。


「卒業したら返すって、約束したんだよね」


 返事はない。


「もう十年も過ぎちゃったよ」


 春の風が、本の頁を揺らす。


「取りに来ないなら、もう少し預かってるから」


 栞は泣きながら笑った。


「ただいま、蒼君」


 学校の七不思議は、一つ減った。


 それは、怪異が消えたからではない。


 誰にも名前を呼ばれなかった生徒が、たった一人から名前をもらった。


 三年間を同級生として過ごした。


 最後の卒業生を学校の外へ送り出し、自分自身もようやく卒業した。


 だから七つ目は、もうこの学校にはいない。


 卒業式の日、学校の七不思議が一つ減る。


 それは、誰にも見送られなかった七つ目が、初めて誰かに見送られ、学校の外へ出る日だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。