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酒井に勝った夏

掲載日:2026/01/30

初投稿です。

ああ嫌だ嫌だ嫌だ。

まったくこの時間が嫌でたまらない。


鬱々とした気分が顔に出ないように努めて表情に気を付けながら、身体を冷やさないようにストレッチを続ける。



今日は高校3年最後の大会、その個人戦地区予選の日だった。


「風太!今日はめっちゃ気合入ってんな!」

同じ部員の純也がストレッチのサポートをしながら声を掛けてくる。

気を張って作っている表情がそう見えたのだろう。

「あー…まぁ最後の大会だしな」

態々ネガティブな事を口に出す必要も感じず、そう曖昧に返す。


僕らは公立高校の弱小柔道部だ。

僕らの年代が入部する前には先輩合わせて3人しかいない、地区大会に出場しても初戦~2回戦で負けるような、その程度の規模。

実際昨日の団体戦は2回戦2-3のスコアで負けている。


高校生最後の夏の大会。

団体戦は予想通り惨敗、残るは個人戦のみ。

純也やほかの階級の部員の試合は終わっており、試合が残っているのは僕だけだった。



股を割き、手首を返し、腰をひねり、深く深呼吸をしながらストレッチを続ける。

試合場の様子から、もうすぐ出番が近づいていることが伺える。

そう思うと…気分はより一層鬱々としたものに変わっていった。


―まもなく、100kgマイナスの個人戦を執り行います。参加する選手は試合場へ集まってください―


場内にアナウンスが入る。

いよいよ順番が回ってきてしまった。

「よっし!もしかすっと今日が最後の試合だぜ!がんばれよ!」

純也が背中をバシッと叩きながら声を掛けてくる。

「おう」

僕の精神はいろいろいっぱいいっぱいで、そう短く返すことしかできなかった。




まるで処刑場に連行される囚人のような、沈んだ気分で試合場へ向かう。

皆が自分を蔑んで見ている気がする。

誰かが指をさして笑っている気がする。

ヒソヒソと自分を悪しざまに罵っている気がする。

この場のすべての人から見下されている気がしてくる。


いっそこの場から逃げ出してしまおうか?

やめてしまってもいいんじゃないか?

こんな気分になってまで、こんな気持ちになってまで、これが必要なことだろうか?

すべてを投げ出して現実逃避出来たらどれだけ楽になれるだろう。




そう思ってもそんなことは、この場から逃げ出すような事は、僕はできなかった。

理由なんか判ってる。

皆は僕を蔑んでなんかいない。

指をさして笑うほど誰かは僕に興味なんかない。

普通の高校生をヒソヒソと罵る人はいない。

認識もしていない他人を見下すのは絵空事だ。

僕が勝手にそう思っているだけ。他人は、自分が思うほど僕に興味なんかない。


ただ勝手に自意識過剰になって、他人の目が気になって。

自意識過剰なことを自覚しているからそんな自分が嫌になって。

肥大した自意識に見合うだけの努力をするだけの根性もなく。

他人の目を気にしないだけの胆力もなく。

この場から逃げ出すだけの勇気もなく。

怠惰で、ヘタレで、ナルシストで、プライドだけ無駄に高い。

人からどう見られているか実際のところは知らないが、自認では僕は厄介なカスだった。



試合場でほかの人の試合を見る間、考えていることは「負けたらどうしよう」そんなことばかりだった。

負けたってどうもしない。人生がかかっているわけでもなく、大切な約束があるわけでもなく。『負けたらどうしよう』と考えたところで時間の無駄。

ただ高校生活の一部になっていた部活動が終わるだけ。


頭ではわかっていても、そう思ってしまうことは止められなかった。

足で畳を擦り、飛び跳ね、腰を回し、さも試合に向けて気合が入っているように見えているかもしれない。

実際は身体を動かしていないと不安で不安で仕方がないから落ち着けないだけだ。



ふと同じ試合場で待機している優勝候補の酒井が目に入った。

実にどっしりと構え、落ち着いているように見え、自分との器の差を見せつけられているようでまた落ち込んだ。


酒井の名前が呼び出される。彼の順番のようだ。ということは次が僕の初戦。

落ち着き、まさに威風堂々といった様子で畳へ上がる彼を見ながら、僕はなんとなく今までのことを思い返していた。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


高校生になった折、正直あまり部活のことは考えていなかった。

自分に球技や道具を使ったスポーツのセンスがまったくと言っていいほど存在しないのは知っていたから、なんとなく文化部かな…くらいにしか思っていなかった。


柔道部に入部したのはたまたまだった。

うちの高校の柔道部は部員数も少ないのであまり厳しそうではなかったという事と、幼少期に空手を習っていたため道着に抵抗がなかったのが大きかった。球技でもなかったし。


最初は何を目標にするでもなく、ただ普通に部活動として柔道を楽しんでいただけだった。

2年生に上がり、最初の春の大会。

その年ではもう僕にも後輩が出来、次の夏の大会で一つ上の先輩が引退する。

そんな年に僕らの地区では一番強いと目されている奴が高校生になった。

風の噂に聞いた話だと、鳴り物入りで私立に柔道特待生として入学したとのことだった。

学年は僕の一つ下。階級は同じ100㎏マイナス。

体つきも大きく(僕は階級内では小さい方だった)、春の地区大会では新入生ながら100㎏マイナスでしっかりと個人戦を優勝。その私立高校は団体戦も優勝。

流石に強いところは違うなー、と小学生みたいな感想を抱いたことを覚えている。

それが酒井だった。


その頃の僕は、黒帯は取得したとはいえ強くなったわけでもなく、個人戦2~3回戦くらいに進めたらいいな程度の実力。

厄介な性格の影響もあり大会へのモチベーションは超低空飛行。

その春の大会もブロック違いで酒井とは当たらなかったものの、3回戦でしっかり負けていた。



そんな春の大会の帰り道。

顧問が何気なく「お前も強くなりたいならあいつを倒さないとな」と言った。確かにそう言っていた。

特にプレッシャーを掛けたりとかそういう意図は感じなかったのを覚えている。ただ単純に話のネタとして言った一言だったのだと思う。

でも。

今思えばアレがきっかけだった。

何故そう思ったのか、何が自分にそんなに影響してしまったのか今でもさっぱりわからないが、その時から僕は酒井を『倒すべき相手』として認識した。

そして、ここから1年かけて僕は酒井を倒すためのメソッドを構築していくことになる。



さて、柔道とはそもそもどういったスポーツであるか。

スポーツなのか武道なのかでまた議論が巻き起こるポイントではあるが、ここはひとまずスポーツということで話を進める。

ルールはいたってシンプル。

いろいろやってはいけない細かい禁則事項はあるが、突き詰めると『相手を投げたら勝ち』これだけである。

では『投げる』とはどういうことか。

柔道において『投げる』とは『相手の道着もしくは身体を掴み』『相手の重心を崩して』『畳に転がす』ことである。

僕はここから、酒井に勝つための方程式を導きだした。即ち『相手に掴まれる前に掴んで投げる』。

突き詰めていったらオリンピックにだって勝てる方程式だ。酒井にだってもちろんこれで勝てる。

もちろんその方程式を高いレベルで実現するためには途方もない努力が必要だが、酒井はオリンピック選手ではない。一介の高校生だ。酒井に勝てるレベルで実現するだけならイケると踏んだ。


ではその方程式実現のために何をしたか。

まずはフィジカルの強化。

どこまで行っても柔道は身体をつかったスポーツだ。筋肉は、パワーは決して裏切らない。

力強くあるためにも、素早く動くためにも、どちらにも筋肉は必要。多少の技量差は膂力で覆せる。

余計な脂肪も落とした。階級内では91㎏前後と軽い体重である。

普通はもうちょっと減量を頑張って一つ下の階級で戦った方が有利になると判断されるが、僕の結論は逆だったし、酒井を倒すためには酒井と同じ階級に居なければならない。

嫌いだった筋トレを取り入れ、予算の関係上水で溶くしかないプロテインも飲んだ。

夏の水道水で溶いたバニラ味のプロテインは…あまりおいしいものではなかったのは確かだ。


次に取り組んだのは投げ技の取捨選択だ。

柔道にはいろいろな投げ技がある。道着の掴み方や、担ぎ方、投げる方向、種類も様々である。

ただいろいろな技を練習しても付け焼刃にしかならない。期間も1年しかない。

時間という有限リソースを効率よく注ぎ込むため、僕は練習する技を絞った。

一つは相手を背中に担いで前に投げる、背負い投げ。

そして対の択として、背負い投げを嫌って重心を後ろに下げる相手を推し倒す小内巻き込み。この二つ。


そして最後に組手争いの研究と効率化。

僕の導き出した方程式上、勝つためには『相手に掴まれる前に掴む』必要がある。

この『掴む』の定義について、僕は『投げるために十全に相手の道着が掴めた状態』だと思っている。

『投げるために十全に相手の道着が掴めた状態』、即ち『釣り手として相手の襟を掴み、引手として相手のどちらかの腕の袖を掴み、なおかつ相手は掴めていない状態』、これを本来は目指した方が良いし、多くの柔道の指導者は教え子にこの組み方をしっかりしろと指導する。

『組み手争い』とは、この引手と釣り手を相手に良い状態で掴ませずに自分が良い状態で掴んでいる状態を目指し、お互いが争う事を差す。

中学からどっぷり柔道に浸かっている酒井の技量を1~2年で上回ることは難しい。素直に組み手争いをしてしまうと高い確率で酒井に有利に掴まれてしまう。

そうならないようにどうするか、僕の出した結論は『右手で釣り手だけ掴む』状態を目指すことだった。

組み手争いで目指すべきゴールを相手の半分にしたのである。

投げ技の練習を絞るとき、背負い投げと小内巻き込みの二つを選択したのもここに理由がある。

足払いで相手の気を足元に逸らし、左手で相手の道着のお腹当たりを掴んで引っ張り出し、右手で相手の襟をつかんで釣り手とする。

相手に掴まれる前に身体を横に開き、相手の手が届かない位置に左手を持ってくる。

背負い投げと小内巻き込みは釣り手だけで投げる投げ方が存在し、その2つを重点的に練習する。

これで『相手は投げる準備が整っていないが僕だけは投げる準備が整っている状態』を相手より少ない手順で作り出すことができる。

もちろん大きく技量差があったり、全国大会の上位等、本当に強い奴らには一切通じない方法だとは思う。

しかし…酒井はそこまでのレベルではないのである。酒井レベルまでにだけ通じればいい。



結論として僕の導き出した勝つためのメソッドは

1.相手と同じくらいのパワーで、相手より速く動き

2.相手から仕掛けられる前に自分が仕掛けられるよう準備を整え

3.前か後ろのじゃんけんゲームを自分だけが仕掛け続ける

だった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



―大鳥風太君、白の帯を結び状態へ入場してください―


アナウンスの声で現実に引き戻される。

いよいよ僕の高校生最後の大会が始まる。

酒井は無事に一回戦を突破したようだ。


あぁ嫌だ嫌だ。

なんでこんな嫌な思いをしないといけないのだろう。

場内へ進み、相手と向き合う。名も知らぬ他校の生徒だ。

心臓の音がうるさい。今すぐにでも逃げ出したい。

誰も僕を見ないでほしい。注目しないでほしい。

名前を呼ばれて、場内に足を踏み入れ、相手と向き合っても尚、僕はそんなことを考えていた。

だけど…。


―始めっ!―


審判の声が響く。

僕はいつもこうだ。土壇場で、鉄火場で、まさに今その時にならないと腹が括れない。

この状態をなんていうのか、いまだに僕は知らない。後にも先にも、柔道の試合で、畳の上でしか経験したことがない。


周囲の音が消えてなくなる。

自分の呼吸が細くなる。

目の焦点がぼやけてくる。

さっきまで、本当にどうでもいいネガティブな事しか考えていなかったのに余計なことは一切どうでもよくなる。

頭に血が上っているような、それでいて冷静に相手の行動に対処できるようリラックス出来ていて。

相手の手足の挙動一つ一つではなく、全体像から相手の行動を把握して対処する。

ただ、組み立てて練習してきたメソッドに従って動くだけ。


いざその場に立たされて、勝負の場になって初めて。

僕は相手に勝つことだけを考えていた。











結果として

僕は無事に決勝まで進み。酒井も決勝まで進み。

あっさり勝った。

激闘の組み手争いや、熾烈な寝技合戦とか、そういうのはなかった。

組み立てたメソット通り、酒井より速く動いて、酒井より早く準備を整え、背負い投げで投げて一本勝ち。

そして地区大会を優勝し、県大会であっさり負け僕の高校柔道は終わった。

夏はこれからだ。

ファンタジーが書きたかったんですがネタがまとまらなかったのでスポーツものの短編を書いてみました。

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