Ep05_状態異常じゃない異常な沈黙03
〈……あの? さっきからこれはなにをしているんだ?〉
地面に置かれたホワイトボード。そこにルーシャによって描かれた紋章が微かに光を放っている。そしてその紋章の前に何枚かの小さな紙切れを並べ、ぶつぶつと何かを呟いているルーシャ。まるで見えない相手と交渉でもしているかのようにあーでもないこーでもないといった様子で首を縦に横にと忙しなく振っている。
「少々お待ちを……もう少しで話がつきそうです。はぁ? だから破格の条件でしょう? これでもごねるようならあなたたちの主に以前の酒樽での悪戯をチクり……わかってくれればいいんですよ」
何やら話がついたのか、不思議そうにルーシャを眺めていたクレハはすっと自身に視線が向けられるとはっと頬を赤らめ目をそらす。
「指輪を紋章の上にかざしてください」
〈こ、こんな感じか?〉
かじかんだ手を焚火に当てるように、おそるおそる紋章の上に手を広げたクレハ。その手が紋章の中心へとたどり着くと同時に指輪が紋章同様にうっすらと光を帯びていく。
「さあさあ、その指輪の持ち主があなたの契約主ですよ? 早いとこ自己紹介を済ませてくださいよ、"アピア"」
〈な……何が起きて……!?〉
ルーシャの呼びかけに紋章からふわふわと蛍のような光が数多浮かび上がり、それらが集まっていくと徐々に小さな人のような形を成していく。
〈はいは~い、呼ばれて飛び出て登場! 音の精霊、アピアちゃんだよ!〉
クレハは突如脳内に響くような声に思わず辺りを見回す。だがどこにも他の者がいないことを確認し、ゆっくりと目の前の異常事態、否、異常にやかましい存在へと視線を戻す。
クレハの顔ぐらいの大きさの小人がその背に生えたうっすらと虹色に輝く透明な翼をはばたかせ、クレハの眼前で顔を近づけにかっと笑う。背丈の小ささに関係なくどこか子供らしい仕草にクレハは固まったままでいたがはっとして一歩後ずさる。
〈どうしたの? どうしたの? もしかしてあたしのこと見えてない!?〉
〈い、いや……見えている。そしてとても驚いている……君は……本当に精霊なのか?〉
〈そだよー。さっきも言ったけど音の精霊! あたしにかかればご主人様の無音に近い音もクリアに聞こえるよ〉
〈そ、そうか……え? 無音?〉
アピアとクレハは互いに顔を見合わせたままそろって首をかしげる。
〈ご主人様はもしかして声が出ていると思ってる?〉
〈い、いや……たしかにちょっと聞き取りにくいだろうなとは思っているけどさすがに少しくらいは……〉
「微塵も聞こえてませんよ?」
〈あ!? だめだよルーシャ! このタイプの人にそんなド直球な表現は! マジでへこんで黙り込んでサイレントすすり泣きとかしちゃうから!〉
「サイレントを維持してすすり泣くって逆に見てみたいですね」
〈なんだか私を貶す要員が増えたような……〉
目元を潤ませ、クレハは恨めしそうにルーシャとアピアを交互に見やる。
〈まあまあ、森の王者カブトムシよりはしっかり声を上げているからさ? 元気出してよご主人様?〉
「カブトムシってそもそも鳴きましたっけ?」
〈うぅ……なんだかもう死にたい……〉
「あ、死ぬ前にその腕輪返してくださいね」
〈容赦ないな……ルーシャは……〉
そういってクレハはルーシャから借りていた腕輪をすっと外し、ルーシャへと差し出す。ルーシャが受け取ろうとした際、少しクレハが腕輪から手を放すのに躊躇していたがクレハはぶんぶんと首を横に振り手を放す。
「さて、アピア? 通訳よろしくですよ」
〈あいあいお任せ!〉
アピアが翼をパタパタと動かすとその虹色の輝きがアピアを中心に不思議なオーラとなって飛散する。まるで空中に脈打つ波動のように……それはルーシャとクレハを包み込むほどに広がっていく。
〈どう? 聞こえるかな? ご主人!黙り込んでないでなんか喋って見てよ!〉
「え? さ、さっきから喋ってるんだが?」
「ああ、聞こえてませんでしたから。そして無事聞こえましたね」
「やっぱり聞こえな……え? 聞こえてる?」
「はい、アピアの|"無音響く黄昏の調律"《トゥワイライトチューニング》によりあなたと私の間の音のやり取りが調整されました。これで普通に会話ができますね」
「ほ……本当か!?」
〈ほんとだよー。どう? どう? あたしって結構すごいでしょ?〉
「まあ、といってもアピアが無音響く黄昏の調律であなたとつなげれるのは私と"ユーノ"くらいですかね?」
〈そだねー。あたし一人じゃせいぜい二、三回も音を伝えたら疲れてばてちゃうかな〉
「ど、どういうことだ?」
〈うーん、簡単に言うとこの術式を使うために消費されるマナが私か言葉を伝える相手に依存するから……普通の人じゃまずもたな……〉
「アピア?」
ぽつりと目を合わせることもなくルーシャが呟いた。それはどこか重々しくアピアの言葉を遮る。その様子にさすがに違和感を抱いたクレハがあらためて目の前の小さな少女のようななりの女性、ルーシャへと力のこもった瞳を向ける。
「ルーシャは……ルーシャももしかして精霊なのか?」
「違いますよ? 言っておきますが神でも悪魔でもありません。ごく普通の商人……おっと訂正、一流商人ですよ?」
「あ、うん……じゃなくて! 商人にしてはおかしいだろう! その術式はなんなんだ!? アピアを呼び出したその術式はまさに召喚術じゃないのか?」
〈あ、召喚されたわけじゃないよ? 強いて言うなら脅されて仕方なく?〉
「脅されて?」
にひひと笑うアピアの後頭部にルーシャのデコピンが飛ぶ。それをもろに受けたアピアは頭を押さえギュンギュンと飛び回る。どこか呆れたような息を漏らすルーシャ。
「簡単に言うと魔道具ですよ。あなたがおっしゃった召喚術、それに等しい効果を持った……ね」
ルーシャはホワイトボードの前に置かれていた紙切れを拾い上げ、クレハの前に広げて見せる。そこにはクレハが知らない文字で何やら書かれており、クレハは小さく唸り声をあげてそれを睨んでいる。
「見たことのない文字だな……」
「そうですね。おそらく精霊にしかわからない文字なんでしょう。私もこれで特定の精霊を呼び出せるということしかわかりませんから」
「……そうなのか? アピア?」
〈え? そ、そうだねー〉
「本当にか……?」
〈うぅ……ご主人様が怖い〉
「駄目ですよ、小さな精霊をいじめたら」
「べ、別にいじめているわけでは……というかご主人様ってなんだ?」
「あなたに渡した指輪、"呪われし債権者の指輪"といいます。この紙切れとその指輪の効果により無事アピアとあなたの間で契約が成立しました。まあ、高級酒入りの大きな酒樽一本分ぐらいにはちゃんとあなたの傍で働いてくれますよ」
〈あーっ! それは内緒! 内緒だからルーシャ!〉
「さ、酒樽……? あとなんか呪われたとか物騒なこと言ってなかったか?」
「まあ、簡単に言うとその紙切れは精霊に対する借用証文。アピアの場合は酒樽一本分の借用証文というわけですね」
「はい? 精霊に対してそんな貸し借りなど存在するのか……?」
「ええ、普段見えていないだけで精霊はこの世界に存在し、結構好き勝手している……らしいですよ? 少なくともこの借用証文の枚数程度には?」
そういって地面に置いていた紙切れをまとめ、バサッとその紙束を鳴らして見せる。それを見てクレハはあんぐりと口を開けたままあきれ呆けている。
「まあ、これで意思疎通する術というか……しゃべり相手はできましたね?」
「え、あ……そ、そうなるのか?」
〈うひひ! あたしの姿も声もご主人様やルーシャにしか見えないけど……よろしくね!〉
そういってクレハの指をその小さな両手でつかみぶんぶんと腕を上下する。戸惑った様子で指を微かに震わせていたクレハ。だがアピアのあどけない満面の笑みにゆっくりと指を揺らし小さな握手に応える。
「それでは、我が店の名誉も挽回できたようなので……私はこれで失礼しますね」
地面に置いてあった大きな鞄を背負い、ルーシャはぺこりと頭を下げる。そして何事もなかったかのように踵を返し歩き出したその背にクレハははっと手を伸ばす。
「ま、待てルーシャ! まだ支払いが何も終わっていない! この小さな精霊との出会いを……そしてそれを実現してくれたこの証文と指輪……いくらになるか想像もつかないが希望する値を言ってくれ」
「……今回は先行投資としましょう」
「投資……?」
ルーシャはくるりと向き直る。勢いのあまり背に背負った鞄の遠心力で態勢を崩しそうになったが何とか踏みとどまり、感情の掴みどころのない瞳を浮かべる。
「あなたはこれからも冒険者として活躍し多くの人たちを救われるのでしょう。そんな冒険者様と縁ができただけでも私にとっては得。それに……やっと厄介な証文が一枚裁けましたし」
「そ、そんな何も支払わないわけには……うん? 厄介?」
「その証文で呼び出した精霊は対価を契約者に……今回でいうとあなたに対して支払い終えるまではあなたのそばから離れません。そしてそれまでその指輪……外せませんから」
「はぁ!? え? これやっぱり呪いのアイテムなのか!?」
〈あーっ! ひどいご主人様ったら! あたしとご主人様の絆の指輪を呪いのアイテムだなんて〉
「相違ないでしょう。というかあなた、目を離すとまた悪戯やお酒を盗み飲んでどんどん負債を重ねるから……正直あなたの証文自体もう一級品の呪物みたいなものでしょう。今回そちらの方に体よく負債じみた債権を譲渡できてよかったです」
〈ひどっ! ルーシャったらひっど! ねえねえご主人様? あたし呪いなんかじゃないからね!?〉
「……あぁ」
〈あーっ! なんかそのルーシャみたいな何の感情もない目で見るのやめて!〉
「まあ……しっかり働きなさい、アピア。そちらの方をしっかり支えてあげてください。それでは……私は本当にこのへんで。またお会いしましょう」
「あ……おい……」
その後のルーシャはまるで逃げるかのようにすたこらさっさと走り出し、山間ということもあって低地へと隠れるようにしてその姿を消した。
「……これからも冒険者として……か」
〈んー? どうしたの? ご主人様?〉
「いや……そうだな。彼女は私に"終わっていたはずの未来"を与えてくれた。ふふっ、私も彼女に恩を返しきるまではこの世界から消えるわけにはいかないな」
〈あははっ! よくわかんないけど、ご主人様もあたしとおんなじ"サイムシャ"? ってやつだね!〉
けらけらと笑いながら浮かぶアピアの頭をどこか愛おしそうに微笑み、つんと指でつつく。そしてクレハもルーシャにならいまたもと来た道を戻るかのように引き返し始める。それを見てアピアは不思議そうに首をかしげる。
〈あれ~? ご主人様、この先のダンジョンに行くんじゃなかったの?〉
「ああ、先日麓の平野で"ブリザードフローター"を目撃したと冒険者パーティがマテインの街のギルドで騒いでいてな。実際平野にその亡骸の一部も発見されたためフィアメルトダンジョンは異常事態につき立ち入り禁止になっている。ダンジョンの最奥部にいるようなBランクの竜種が平野にまでおりてくるんだ。あそこは今何か危険な存在……それこそ過去に封印されたという竜種の"魔王種"でも蘇ったのかとさえ言われている。そんなところに行くなんて死にに行くようなものだ」
〈うげっ! 魔王種ってまだいるの!? 昔封印されたって聞いてたのに〉
「ああ、それももうはるか昔のことらしい。封印とやらが解けかけているのかもしれない。今はマテインの街に戻ろう」
にっこりと微笑み歩き出すクレハ。その背を見て慌てて追いかけようと羽を振るわせ始めたアピア。だがふと浮かんだ疑問を……ぽつりとつぶやくように、クレハへと伝える。
〈そんな死んじゃうような危険な場所に……どうしてご主人様は一人で行こうとしてたの〉
「……ずっとずっと独りでいることにもう疲れていたんだ。だから……"終わってもいい"と思っていたんだが、"そうじゃない理由"ができたんだ」
〈んー? どんな理由?〉
「ふふ、あいにく私は話すのが苦手だからうまく説明できそうにない。それよりも、ご主人様っていうのはやめないか? 私はクレハ……クレハだ」
〈えー、ご主人様って呼んだほうがなんだか私が仕事している感じがしてるのに〉
「おい……そんな理由なのか?」
その後の帰り道、クレハは絶えることなく陽気な言葉を次々と発するアピアに対し、これまで抑えていた言葉たちを次々に返していった。その表情はどこか憑き物が落ちたかのように穏やかな笑顔を宿していた。
拙作をお読みいただきありがとうございました^^




