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8 アスピリン (青 界)

   


 わたしが出勤すると、すでに市長はパソコンを起動させていた。

「おはようございます。

 お早いんですのね、今朝は」

「気があせって仕方なんだよ。青階の責任者の宿命だね。コーヒーを一杯、それと、何か食べるものはないかね」

「残念でした。喫茶室は十時からです。ちょうど、冷凍のホットケーキも切らしてしまいまして。

 徹夜なさったのですか」

「仮眠は取った。一時間ほどね」

「ご無理なさるのは良くありません。睡眠こそ、<術士>の力の源と、いつもおっしゃるのはどなたでございました」

「あいにく、わたしは<術士>ではなくなったからね。<術士>を眠らせるために、わたしは仕事をしなければならないんだよ。結局、何も起きなかった。

 それにしても、腹がへった」

「ちょうど、冷凍のホットケーキも切らしてしまいまして。

 ハンバーガーでもお召し上がりになりますか。すぐに買いに行かせますけど」

「ああ、頼む。ポテトをつけてくれると有難いね」

 わたしは市長の部屋を出ると、秘書室の若い男にハンバーガーを買いに行かせた。ケトルを火にかけ、そして市長室に戻った。

「今、買いに行かせました。コーヒーももう少しお待ちください」

「ゼルダから、何か連絡は入っていないかね。それと、プラティスからは」

 わたしはポケットから手帳を出して、その日のスケジュールを開きながら返事をした。

「まだ、何も。 

 でも、ゼルダ様は、じきにお見えになると思います。昨日、午前中にはおいでになるとわたしにおっしゃいましたから。

 ところで、中心市街地のビル建設申請について、業者の方が十一時にアポイントをとっております。資料をこちらに用意しておきましたので、ごらんになっておいて下さい。

 午後一時から、慈善婦人会の方と昼食会でございますが、二時まででひとまず庁舎にお戻りください。本日は二時以降の予定はすべてキャンセルを入れておきました。術士の方々の臨時会合となっています」

「わかった」  

「ビル建設業者の方がおいでになるまで、どうぞ、少しお休みになられて下さい。慈善婦人会のほうは、わたしがどうにかいたします」

「そういうわけにはいかないが。

 ま、業者との話を手短かにしてもらおう。休息をとるのはゼルダがいる間のほうがいいだろうからね」

「では、コーヒーを入れてまいりますが、こちらのお部屋は簡単にお掃除しますから、応接室にお持ちしましょうね」

 わたしは、とりあえず応接室のテーブルを拭きに行った。テーブルの上には、夜中に誰かと飲んだのか、二人分のカップがそのまま乾いていた。

 市長が入ってきて、ソファーに腰をおろした。

「夜半に、どなたかおいでになったのですか」

「宿直の警備員とね、眠気ざましに飲んだんだ。

 それより、やっぱり眠いねえ」

「ゼルダ様がいらっしゃるまで、我慢なさってください」

 トレィの上のカップの、スティックシュガーの開けられた口の折り方が、ファザムと同じだったのに気付いた。市長はシュガーを使わないが、ファザムは、ほんの少しだけ入れる。

 同じような癖を持つ人が、結構いるものだと思った。


 市長が、簡単な朝食を終えた頃、ゼルダが執務室にやってきた。

「ラプサス老師の提案で、赤階で首席術士レベルの緊急会議が招集される様子でございます」

「さすがに、老師」

「老師の推測の段階ですが、イリスはすでに白階の統合宮にいるのではということですが」

「その可能性は高かろう。王宮のことについては、オプスティマよりも報告がまいっている。

 ところで、プラティスから何か報告はないかね」

「ええ、今朝早くに電話がまいりました。 それより先に、わが老師は、情報について術士間の疑心暗鬼が芽生えかけているらしいと警告しております。青と紫の術士が結託して情報の独占をはかるつもりではないかということでございますので。

 そして、プラティスよりも、それについての報告がありました。どうも、緑と黄の術士たちに、そういった傾向が強いようだと。

 それで、老師よりの助言でございますが、情報は、ひとたび各階の帝王のもとに報告のうえで、会議の席で初めて他に明かされるべきであると」

「老師のおっしゃることはもっともであるが、それでは緊急時には、間に合わぬこともあり得るな」

「プラティスは、あれでなかなか判断力はございます。緊急を要する場合の判断は、自分でつけられるでございましょう。自分の判断でできなければ市長閣下のご判断をあおぐものと思われます」

「まあ、彼はわたしの下に働く<術士>だからね。そうでなくては困るのだが。

 ところで、議会の招集は何時になっているかね」

「シリン殿の組まれたスケジュールに合わせましたが、緊急時には、いつでも集まることができるようにと伝えてはございます」「わかった。

 それでは、きみは、この庁舎で各術士と連絡を取り合ってくれるね」

「そのつもりでまいりました」

「それでは、わたしは少し休ませてもらおう。後を頼む」

 市長が、執務室の奥のソファーベッドの置かれた居間に引っ込むと、シリンは会議室の隣の、議長執務室に行ってしまった。わたしは、棚から毛布と枕を出して、もうベッドの上に腰掛けている市長に手渡した。

「何かあったら、すぐに起こしてくれ。少々のことでは起きないかもしれないから、そのときはベッドからつき落としてくれたらいい」

 市長は、上着を脱ぎながら、そんな冗談を云って笑った。

「ところで、ファザムの事については、残念だったね。わたしが引き合わせたのに、無用な悲しい思いをさせてしまった。

 確かに術士が一般の女性とその身分を明らかにして交際するのは禁じられているがね、きみはわたしの秘書なのだし、きみも充分な審査を受けてわたしの秘書に推挙された身分だから、軽はずみなこともするまいと思って紹介したんだ。

 ファザムは、術士としては、少しばかり弱いところがあったから、きみのようなしっかりした女性がそばにいたら、少しは楽になるんじゃないかと思ったんだよ。

 気を落とさずにな。今、有能なきみに働いてもらわないと、わたしはもっと戦力を失うことになる。

 わたしは、青の帝王として、世界のバランスを守らなければならない。そして、この世界の市長として、つつがない日々を守らなければならない」

「お立場、熟知しております。わたしの力でできることであれば、全力を尽くして奉仕させていただきます。

 たぶん、ファザムは、彼のためにわたしが悲しみ、そして動きを止めるのは好まないと思いますから」

「頼りにしてるよ」

 市長は横になった。

 わたしは、市長の上着をハンガーにかけてロッカーにしまった。そして市長室を出た。

 わたしは、気分転換をかねて、秘書室の常備品であるシュガーとコーヒー豆と、その他の日用品を買いに外に出た。少し頭が痛かった。

 昨夜は、ベッドに入ったのが午前二時ぐらいであった。そのあと、しばらく眠れず、風呂に入って温まったら、ようやく少し眠ることができた。

 プラティスと別れたあと、しばらくベッドの上に着替えもせずに伏せっていた。泣けそうな気がしたのだが、プラティスとの別れ際に落とした水分はそれっきりのようだった。まだ生きているような気がして、なんとなく待ってしまう自分がつらい。

 何度か、彼の部屋に電話を入れようとするのだが、プラティスの事を思い出し、手を止める。そんな事を何度か繰り返した。

 さきほど、市長には大丈夫そうな返事をしたが、気分は複雑で、混乱していた。

 わかっている。ファザムは死んでいる。

 でも、確認はしていない。死を受け止めねばならないのに、死はあまりに遠いところにある。

 スーパーで領収書をもらい、その近所の薬局でアスピリンを買った。その場で、ビタミンドリンクで薬を飲み、オフィスに帰って買ったものを整理すると、ちょうど良い時間になったので、蒸しタオルを作り市長のもとに行った。

        

「市長、お時間です。ご用意下さい」

 目覚める気配がないので、市長の方のあたりを揺すった。

 だが、どこか変である。毛布は頭まですっぽりと掛けられている。

 ずるっ、と、パンプスが床を滑るのでバランスを崩しかけ、ふと床を見下ろした。ブラインドのおりた部屋の中は薄暗く、それまで気が付かなかったのだがその床の上には、一面に赤いものが散っている。

「市長」

 わたしは、タオルを置いて、顔のあたりの毛布をとった。

「市長」

 その顔を見て、わたしは悲鳴を上げた。

 秘書室から、ドヤドヤと数人の男かちが駆けつける音を聞いた。

 わたしは、不覚にもそのまま意識が遠のいていくのを感じた。


「シリンさん」

 その声で、わたしは目を開けた。

 プラティスだった。

「災難でした。あんなものを最初に見るはめになるなんて」

「何があったの」

「市長が、いえ、青の藍玲帝王陛下がお亡くなりになられたのです」

 わたしは、ふと、気を失う寸前に見た光景を思い出した。

「うっ」

 吐き気が込み上げてくる。

 プラティスは、ちょうど医務室で、ソラ豆の形の例の入れ物を差し出した。

「いえ、大丈夫よ。

 仕事にもどらなきゃ」

「事態の収集は、ゼルダ女史がとっくに始めてます。二時間たったんです、あれから。ぼくはさっき来たんですが、ゼルダ女史の仕事が済まないと会議が始められないんで、待っているところです。

 あなたに、これから少し質問させてください。藍玲帝王陛下に最後に会った人物で、第一発見者だから。

 あ、起きないでいいですよ」

 わたしは、上半身を起こしかけて、それでもくらくらするので、プラティスの言葉に従った。

「着替え、さっきあなたのロッカーの中にあった予備のスーツ、そこに掛けてます」

 医務室とベッドとを仕切るついたてに、白のスーツが掛けてあった。術士の会議の時、うっかり色物の服を着て来てしまった時のために置いていた予備の服だ。

「あんなとこに倒れるものだから、あなたの服、ダメになっちゃいましたよ。とりあえずおたくの若い女の子がクリーニングに出したみたいですけど。白い服だから落ちないでしょうね。シミになったら目立つし」

 わたしは、医務室に常備してあるねまきを着せられていた。

「ちょっとお聞きしますけど、シリンさんは市長の部屋に行く前、どこにいました」

「買物に行ったものだから、キッチンで品物を整理していたわ」

「買物はどちらまで」

「近所のスーパーよ。帰りに、薬局にも寄ったけど」

「道順まで、できるだけ詳しくお願いします」

 わたしは、そのプラティスの質問を奇妙に感じながらも、市長の殺害事件についての、術士たちの調査と思って、素直に答えた。

「庁舎の裏口を出て、郵便局の横をずっといったあと、大通りを渡ったところにあるスーパーよ。そして、その並びにある薬局でアスピリンを買ったわ」

「所要時間は」

「えっと、スーパーまで七分、それから買物は十五分ほどかかったかしら。それから薬局に行って戻ってきたから、合計すると三十分程度だと思うわ。秘書室の誰かに聞けばわかることだけど」

「ええ、確認はとりました。あなたの補佐役のロゥが三十五分で戻ってきたと云っています」

「なぜ、こんな事、聞くのかしら」

 プラティスは、そのわたしの質問に、まだ少年らしい顔付きを、ファザムが会議のときに術士らしい真剣な表情をしたように、大人びたものに変えた。

「じつは、シリンさん」

 その声には、できるだけ事務的に、と努めようとした努力があったが、その口ぶりには戸惑いが残っていた。

「あなたに、市長殺害についての容疑がかかっているのです」

 わたしは、その言葉が一瞬理解できず、ぼっとしてしまった。

「あなたが、あなたの補佐のロゥに、買物に出てくると云ってこの階を出た五分後に、秘書室の見習いのリリスがあなたが市長室に入るのを目撃しているのです」

「まさか」

「ええ、まだ、その人物があなたなのかは確証がない。しかし、あなたは第一発見者であり、そして、あなたが買物に出たことを裏付ける確証もないのです」

「なら、薬局の店員さんに聞いて。

 わたし、あの場でアスピリンを飲んだし、顔なじみだから、わたしが来たことを忘れるわけはないわ」

「わかりました。

 この捜査を任されているのは、じつはぼくではなくて、緑の青階術士ランディ氏です。 ぼくは、あなたにあらかじめ聞いておいただけです。あなたが犯人でないことは、ぼくが知っています。でも、それだけでは何の証拠にもならない。

 ぼくは、何とかして、あなた自身には容疑がないことを晴らすつもりですけど、この先どういうことが起こるかわからない。この数日の間に、二人もの帝王が殺害されているいということで、次は黄を司る陽新帝王陛下の身が危ういのではないかというのが、術士たちの共通の見解です。

 それに、あなたは、最後に兄の部屋に居た人間であり、そして、あなたは確かにあなたが兄に会わなかったということを証明できる手段もないということです。

 術士たちの尋問は、熾烈なものもあるでしょうから、覚悟なさっておいてください。ぼくは、ぼくの立場で、できるかぎりのことをします。ですが、ぼくだって、まだ術士になってようやく一年になるかどうかの未熟者ですから、術士たちに対しての発言権がほとんどないことを、わかっておいてください」

 わたしには、そのプラティスの態度に、信頼を覚えた。彼は、彼なりのやり方で誠意をみせてくれるだろう。今朝、彼が、わたしに対して、朝食をごちそうになるというやり方で、わたしを元気づけようとしたのと同様の誠意で。

 不思議と、事件はわたしの遠いことろにあるとも思える。しかし、今度は死のその姿を見ている。その意味では、死は確実に少し近付いたのだが。そして、今度はわたしが事件の当事者ということになっている。

 プラティスは、一度医務室を出て行くと、今度はコーヒーと少しばかりのクッキーをもって来てくれた。わたしはコーヒーだけをどうにか飲み干した。

 そして、プラティスが呼びに来るまで、ひと眠りすることにした。どうしても眠りたい心地だったので。  

 どうしてかわからないが、眠りに落ちる寸前、波打ちぎわの潮騒が聞こえたような気がした。砂を素足に踏む感触がした。

 潮の香りに、髪がじっとりと重くなる。

 なぜかそんな幻想にとらわれた。

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