5 少 年 (青界)
わたしは、その日もマーティの店に行き、そして空虚な心をリキュールで満たそうと思った。
「悲しいときのお酒は、ほどほどにしなきゃいけませんよ。何か作りましょうか」
マーティは云った。
「いらない」
「でも、食べていただかなきゃ困るんですよ。うちのこの良い子は、今までずっとおとなしく出番を待っていたっていうのに」
マーティは、悪戯っぽい顔をしてカウンターの下からサンドイッチを並べた皿を出し、ラップをとってわたしの前に置いた。
「せっかくいいロースハム見つけたから、シリンさんに食べてもらおうと思って、客がまだ少ないうちに作っておいたんですよ。わざわざタッカーブレッドまで出かけて黒パン買ってきたのに、食べないっていわないでしょうね。それに、チーズは東町タカラ商事のゴーダチーズ…」
「それで、レタスは農家まで出かけて買ってきたってわけ」
「いえ、わたしのマンションのベランダのプランターで無農薬で育てた希少品ですよ。ここまでするのに三ケ月の手がかかってますから」
「で、この努力の賜物のサンドイッチはおいくらなの」
「とても値段がつけられませんよ。なにしろ、この忙しいわたしが時間と労力を駆使して作ったものですから。
でもそれで、シリンさんのいつもの笑顔が買えるなら、安いものだと思ったんですけどね」
「久しぶりに、気が利いたセリフを云えるようになったものだと思ったら、最後はそんなクサい落ちがついてたの。まだまだね、あなた」
わたしはそう返事をしながら、そんなマーティの心遣いに感謝するように、サンドイッチを口にした。
「それ、おいしそう」
カウンターの、わたしの席の横にひとりの少年が座って云った。
「まあ、あなた、ここは子供の来るところじゃないと思っていたけど」
「でも、ぼく、夕べも来たよ。
あ、ひとつ頂戴ね」
少年は、遠慮なく皿に手を伸ばした。
「これ、おいしいねぇ。そういえば夕食、ぼくまだなんだよね」
「で、お客様は、何にいたしますか」
マーティは、機関銃みたいに次々と言葉が飛び出るその少年の口が、サンドイッチで一時だけ閉じられた瞬間にそう切り出した。
「えっとね、フライドチキンでしょ、ジャーマンポテト、それから、リゾットできるかな」
「ええ、メニューにないものでも、極力お客様のニーズにお答えするのが、このマーティ・オズワルドのモットーですからね。少々お時間がかかりますが。
ホタテのクリーム風味と、チキンのトマト風味の材料ならありますけど、どっちにしますか」
「ホタテ・クリームね」
「かしこまりました。それで、お飲みものは」
「ハーパー。ダブルでね」
「つかぬことをお伺いいたしますが、おたく様は、未成年ではございませんか」
「いいでしょう、今夜だけ。ちょっと悲しいことがあったものだから。ちょっと身内に不幸がね」
「それにしては、元気がよろしいですことね」
「おかげで、出世が早くなったんだ」
わたしは、その少年が、元気が良いのとは裏腹に、目が少しばかり潤んでいるのが見えた。そして、少年のオーダーは、何から何まで、ファザムのものと同様であった。
「お兄さんの名前は」
と聞いて、彼が、ただ肉親とだけしか云わなかったのにきづいて、あわてて訂正しようとした。
「あなたの彼氏でしょ、シリンさん」
会議で、ファザムの死体の第一発見者が、彼の弟であることを知らされていた。
「あなたも術士なの」
「うん。まだ駆け出しだけど、いちおう黄階で仕事をまかされているんだ。兄貴が死んでくれちゃったもので、今、兄の分の仕事も一部肩代わりするように上の術士のじいさんに云われてね。あれやこれやで、ちゃんと食事をする暇がなかったんだ。ようやくまともなものが食べられる。
青階での会議は、どうでした。緑の黄階術士がぼくに言い掛かりをつけにきてくれて、ぼくは黄階で高校生やってるのに、せっかく真面目に午後の授業だけでもと思ったのに、それがパーになっちゃったんです。仕方ないから、今まで寝てたけど」
少年は、どこかすっとぼけた、軽い雰囲気をもっているのに、その瞳の色といったら、さすがに術士だけあって、彼の兄に引けをとらないほど、「見る」力を備えているようだった。
「ねぇ、マーティ、この子に、ハーパーの水割り作ってあげて」
「まったく、シリンさん、彼、まだ子供なんですから、いい加減にしてくださいよ。品行方正なマーティの店の看板に傷がつきますってば」
少年は、そのあと、軽く飲み、そしてたちまちリゾットを片付けた。そのあと、追加されたオーダーも全部胃に納めてしまうと、ふたりでマーティの店を出た。
彼は、兄の部屋を整理するために行くというので、わたしはそれについて行くことにした。
「あの日、あなた、兄をこの部屋で待っていたでしょう」
「ええ。よくご存じね」
「まだあなたがいるうちに、ぼくは一度この部屋に来たんだけど、兄はいない様子だったし、そして、あなたがいたから、遠慮しましたけどね」
居間は、ガランとしていた。
家具が、すっかり運び出されていたのだ。
「術士であることの資料が、この部屋の家具のいろんな部分に隠してありましてから、すべて処分さまれました。この部屋だけね。
書斎に行こきましょうか。
あそこは、そのままだから」
彼に促され、わたしは書斎に足を踏み入れた。
「膨大な書物だわ」
いつも、馴染んでいたその部屋にいて、その言葉が口をついて出た。
「あの日のままね、本当に。この本、デスクに置いて帰ったのはわたしだわ」
「ここを出たのは、何時頃」
「午前三時過ぎだったと思う。
それから、わたし、自分の部屋に戻ったから」
「どこ」
「この部屋の下よ。
わたし、めったにロビーは通らないの。出勤のときもね。裏口のエレベーターを使うから。そっちのほうが近いのよ。この部屋もそうだけど」
デスクの前の椅子に腰をおろした。ワープロには、この世界でのおもて向きの仕事であった市民報の記事が、途中までプリントアウトされたままだった。
「何時に帰るのかしら」
それは、わたしの口癖だった。
「帰りません。たぶん、ずっと」
「本当に」
「うん。ぼくが確認しました。とてもこの部屋に戻れる状態ではなかった」
「わたしは置いて行かれたのかしら」
「愛していたんですか、兄貴を」
「わからないわ。ただ、一緒にいたい、ただ、好きだったのよ」
心は、それを認めはじめているようだったが、潤うことはないようだった。
「あなたは、悲しい」
わたしは、少年に尋ねてみた。
「それほどね」
「困ったわね」
「そうですね」
少年のその返事を聞いたら、何故か、大きな水滴が目からこぼれおちた。
「悲しいでしょう」
「ええ、シリンさんのおかげです。
部屋まで送りましょうか」
「結構よ」
「でも、物騒だし、それに、他の術士も動いているし」
「それじゃ。お願いするわ」
わたしは立ち上がった。
「シリン……さん。
兄は、もう帰らないんだよ、いいね」
少年は、そう念を押した。
わたしが、死者の帰るのを待つタイプの女だと、思っているのだろうか。
少年は、きっちりと部屋の扉の前まで送ってくれた。
「今夜、ぼく、兄の部屋に泊まります。何かあったら電話してください」
別れぎわに、彼は云った。




