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4 壊れた小舟のある浜辺 (黄 界)

 

 

 プラティスは、赤階にある青の主座術士オプスティマの住まいで、兄の遺体に付き添っていた。

「ティス兄ぃ。紫のラプサス老師が、お見えになったけど」

 幼いライが、部屋に入ってきた。

「こら、ライ。ティスはもう一人前の術士なのだからな、そのような言葉づかいではいけないだろう」

 オプスティマがたしなめた。

「それでは、着替えてこよう。新しいローブを出してくれるかい、ライ」

 プラティスは、兄の死に対面したときのままの服装であった。青階の市民の服装にならってグレーのブレザーに深緑のチノパンツ。肩から、術士のローブを掛けていた。

 青いローブの裾に、兄の血の染みが、赤黒く残っている。

 午後には、この死から遠ざかったほうが良い。そして、やるべき事をやらなければ。

 術士の正装を身につけて、プラティスは老人の弔問を受けた。

「プラティス、このたびは、まことに不幸なことであった。あのように若く、そして前途有望な、将来は術士たちを総べる一隅を担う座に位置するも可能であったファザムが、このような形で最後のときを迎えるなど、この老体ばかりではなく、すべての術士たちが同様に残念な思いを感じておろう」

「はっ、老師の心あるお言葉、さぞ兄も喜ぶことでございましょう」

 プラティスは拝礼し、老人の言葉にそう応えた。

 プラティスの師オプスティマが、別室に用意した茶の席をかこんで、老人は云った。

「それにしても、ファザムは、良い若者であったが、あれでなかなか見かけによらぬ奴でな、そこが欠点じゃった。惜しい男ではあるがの。そなたは兄をおぎなって、あまりあるほどの術士になる種子をもっておる。たしかに、ライはまだ術士の見習いにもなっていないような子供であるのだから、当面は大変であろうが、なに、じきに大きくなろう。そなたとて、兄が正式な術士となった頃は、ライとは大して変わらん子供であったのだからな、それが、こうして、一人前に術士のローブなど羽織っておる。わしにとっては、それほど長い年月ではなかった。

 それにしても、術士の数も乏しくなったものよ。わしの若いころは、各色階に正・副の二名の術士がいたうえに、さらに術士の修行を終えながら、正式な術士の仕事もなく、赤階の首席術士の助手として、無為な日々を過ごす者も多くいたというのに。いまでは、成人した術士にもこと欠くありさま。

 これも、あの十八年ばかり昔のことさえなければ、術士がこれほど激減することもなかったのであろうが。

 まあ、華妃帝王の死後、王宮のほうがどうも妙である。あのときのようなことが、二度と起こらぬとよいのであるがな」

 老人は、茶をひとくち飲み、そして果物の砂糖漬けの干したものをひとかけら口に入れた。

「ときに、最近、闇の術士どもの噂がとんと聞こえぬが、奴等の動静はいかがなものであろうな。ファザムはそれらのことに関しては、とりわけ詳しいと思うておったが」

「いえ、とりたてて、兄はそのようなことは申しておりませんでしたが」

「今回のことを悟っておらぬはずもないがな。まあよい。いずれ、行動を起こすであろう。うちのイスタドルにでも、探りをいれさせよう。

 おい、ニー。そろそろ戻るとしよう。ライと会うのも久しぶりだろうが、いずれまた、日を改めてゆっくり遊ぶとよい」

 老人は、台所で友人と遊ぶ幼い弟子に声をかけた。

 

 老人が去って間もなく、プラティスもあとのことを師にたくして、術士の住むアクアマリンパレスの中央にあるエレベーターに乗った。

 アクアマリン・パレスは、独立した建物のように見えるが、実は、赤階の上部にある白階の統合階層庁舎、通称六色皇帝宮殿から、赤階のアクアマリンパレスへ、そして青階のローズマンション、そして、黄階のラベンダーホテルへ、さらに、その下にある黒階の通称<黒宮>を貫く、世界の柱の役割をになっている。

 プラティスは、その長い術士たちの専用エレベーターを使って、彼の仕事の与えられた領域である黄階に降りていった。

 そのエレベータは、ラベンダーホテルのちょうど裏口のあたりにでる。そこには、ホテルの守衛となっている術士たちを補佐する者たちが常時監視しているが、プラティスはもちろんフリーパスである。

 ホテルの裏口を出ると、そこは砂丘が広がる。リゾートホテルを兼ねているので、こんな景色は似合いだといえる。ちょうど干潮で波打ちぎわが遠い。

 浜辺にこわれた古い小舟がある。プラティスが知るところでは、昔、術士が次々と処刑されていた時代、術士であることを隠して、この浜辺から異世界に逃れようとして者がいたそうである。この小舟は、その残骸ということだった。

 たしか、兄がそう云ったのだ。

 プラティスは、スニーカーの底で熱くなっている砂の地面にわずかに足をとられつつ歩いた。背後の防波堤のむこうにあるアパートが、プラティスの住まいであるが、今少し、考えたいことがあったからだった。

 小学校のほうから、給食の時間を告げる放送が聞こえてきた。

 プラテイスはようやく防波堤の階段を駆け上がった。

 

 まだ、この世界では高校生で通しているプラティスは、黒い制服に袖をとおし、冷蔵庫から缶コーヒーを出して一気に飲んだ。そのあと、薄くなるように細工した鞄の中を簡単にチェックすると、外に飛び出した。

 赤階が術士と六色の名よりできた三層世界の形そのものを知覚し、あるいは自由に行き来できる能力のある者の世界であり、青階は上級市民、すなわち、この世界が三層の構造で成り立っていることを知っている者たちの世界。そして、黄階は世界の真実の形を知らない者たちの世界である。

 三層プラス白階と黒階。それは、プラティスのような赤階の住人ならば、それが巨大なビルディングのようなものであり、白階と黒階がそれぞれ屋上と地下室であるというように理解できるし、体験できる。

 しかし、青階の住人にとっては、時空的な空間のゆがみでそういう構造になっている、というように、あくまで理屈のように、実際の生活レベルで理解することができなくい。

 まして、黄階の住人はといえば、黄階という閉じられた世界そのものが、地球という一個の球体であり、黄階のなかにつくられたさまざまな内装家具、点滅する星だとか、時間になれば点灯する太陽だとか、そんなものを宇宙と称して、黄階そのものが、そのなかの星のひとつであるという壮大な妄想を抱いている。

 そんな、壮大な妄想を、プラティスは好きであった。しかし、この階層世界の外にある異世界のことを、プラティスは知らない。そんなものがあるは聞いている。しかし、その真相は、どんなものであるのか。黄階の住人が描く、壮大な妄想と、どれだけ駆けはなれた壮大さがあるのだろう。

 

 プラティスは、何とか午後の授業に間に合おうと、必死で住宅地を走っていた。この世界では、工業高校の一年生にすぎない彼は、この午後の実習をパスするわけにはいかなかったのだ。

 しばらく走ったところで、ついに息が切れて立ち止まった。数日来の寝不足がたたっているのか、それとも、兄の死に際して、多くの上級の術士に対面することになり、それてすっかり疲れたせいか。街路樹に片手をついて、深く深呼吸する。

「プラティス殿。いや、篠村享一くんだったねぇ」

 路上に駐車してある車から声がした。

 それは、緑の黄階術士ルワナであった。

「お聞きしたいことがあるのだが」

「ぼくは、今、急いでいるんですが」

「僭越とは思ったが、きみの学校には欠席すると電話を入れておいた」

「えっ。ぼく、進級可能のぎりぎりの出席数が、あと十日分しか残っていないっていうのに、なんてことしてくれたんです」

「この世界は、いま非常事態だ。当事者であるのに、それがわからないのか」

「ぼくにとっては、今のところは今日の学校の授業が大切です。

 今日は出席して、少し稼いでおかないと、実際の仕事で休んだりして、進級できないのはイヤですもの。みんな、非常事態のひとつやふたつ、常時携帯しているものとぼくは思っているんですけど、あなたにはないんですか」

「プラティス、いい加減にしたまえ。術士としては、わたしのほうが年長者だぞ。わきまえるんだ。

 ここではひと目にたつ。わたしのオフィスに行こう」

 ルワナは、この階でのかりそめの身分は、ちいさなデザイン事務所のオーナーである。他に女子従業員がひとりいるだけなのだが、もちろん彼女は、かれらの身分は知らない。

 かの女子従業員は、ルワナ、この黄階での名である佐賀照邦氏の命に従って、プラティスの生活する場での享一にコーヒーを出してすぐ、画材店につけの支払いを命じられて出かけて行った。彼女には、プラティスのことを、友人の息子で、工業デザイナーを志していると紹介してくれた。

「ぼくが、工業デザイナーですか」

「まんざらでもあるまい。きみにとってはね。術士として、正体のない、かといって責任の重いこの仕事よりは。きみのセンスならじきにこの階層で、トップレベルの若手デザイナーになることだろう。わたしが保証しよう」

「でも、ぼくとしては、自動車の整備のほうが好きなんですけどねぇ」

 少年は、どこがすっとぼけた感じで返答した。

「きみは、そんなところが兄上とは違うようだな。まあ、いい。本題に入ろう。

 わたしは、緑の黄階術士として、この階層での市民生活の監視をしている。正しく、市民が暮らすための環境が維持されているかどうか。

 それで、きみの兄上が亡くなった件について、少し調べさせてもらった。きみの兄上のこの階層においての影である数学者のオブレイド教授の姿が、ここ数日見受けられないのでね。きみの兄上が本当に亡くなったのであれば、彼も死んでしまっておかしくないのだが、死体を発見できないのだ」

「どこかの図書館か博物館の地下倉庫の奥にいて、誰にも見つからないだけなんじゃないんですか。彼は、いつもそんな風にして、何日も研究に没頭して、出てこないなんてことは珍しくないですから。なんなら、わたしが捜査しましょうか」

「きみには、きみの仕事があるだろう。そんなことはしてもらわなくてもいい。

 ただ、今回だけは、どうも気になったものでね。

 ところで、きみは、兄上が亡くなって悲しくはないのか」

 さきほどからの少年の態度は、たしかに肉親を亡くして数日もたっていない兄弟の態度とは言い難い。すべてが軽いのだ。感情から態度から、しなやかですらある。

「悲しいって感情は、どこからくるんでしょうか。ぼくは兄を愛していましたが、悲しいとは思いません。ぼくが、いずれ兄の座につくことが許されれば、青の青階術士としての技も、ぼくに受け継がれるのです。

 ぼくは、将来、兄の書物や、そして兄の仕事を行ううちに、そこここに、兄の存在を見ることができるでしょう。形にならぬ形でその場に存在しつづけることを知るでしょう。それまでの別れと思えばそれほどでもありません。

 それより、ぼくは兄の彼女のほうが気になりますね」

 プラティスは、デザイン事務所の変わった形のソファで、大きく伸びをしながらあくびした。

「さすがに眠いや。欠席にしてくださったんだから、もう帰って寝ようかな。老師からは兄のぶんの仕事をできる範囲で代行するように云いつかってますからね。眠れるうちに寝ておいたほうがいいみたいだ」

 少年は、カップの底に残った冷めた液体を飲んでしまうと、立ち上がった。

「じゃ、帰ります。

 今夜、ぼく、青階に行ってきますから、留守の間のことは、どうかよろしくお願いします」

 少年は、鞄を取ってドアの前に立った。

「兄貴の彼女、けっこう美人なんですよ。ぼくは、彼女に兄のことを伝える必要がありますからね」

 ふり返り、少年はそう云って微笑んだ。

 その微笑みに、なぜかルワナは全身が総毛立つように感じた。

「術士のくせに、きみも兄上に似た欠点をお持ちのようだ」

 その感覚を唇の端に残したまま、それをさとらせまいとようやく思いついた皮肉であった。

「術士にだって、恋愛は大切です。いいじゃないですか、当人が幸せなら」

 少年は、邪気のない微笑みそのままに、扉を開いたまま階段を降りていった。

 

 

 


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