25 新しい世界の形 (黄 界)
修道院までの、河沿いの長い通路を、プラティスはシリンと一緒に歩いた。
「シリンさんにも、いろいろあったみたいだ」
「朝食を、一緒に食べてから?」
「そう。
そのルージュ、兄貴のプレゼントだね」
「夢を見た、彼の」
「さっきね」
「似合うかしら」
「うん、まあまあだと思う」
「あなたも、何かくれる」
「ぼくは、何も持ってないもの」
「あとから、いただくことにするわ。
用意だけ、しておいて」
シリンの語り口は、プラティスが、この世界で彼女と言葉を交わしはじめて以来の、自然で、生き生きとした生命力に満ちていた。
何も恐れていない。誰に護られることも必要としない。医務室で最後に言葉を交わしたときには、憔悴しきっていたのに。
ファザムと過ごした時間、こんな感じの笑顔を兄に向けたことがあるのだろうか。
修道院への、階段を上ると、修道院長が待っていた。
「まあ、プラティス。心配しました。あまり出てくるのが遅いものですから」
「どうですか、世界の様子は」
「ええ。青階も、次第に曇りはじめましたの。それから、赤階では、皇帝が即位してしまって、大騒ぎですわ。
しかも、上級の術士の方々も皆様、赤階の王宮に行かれたまま、お戻りになりませんのよ。それに、黄階の術士の統制がとれたといっても、イメージの統一まではなかなか」 修道院長のふくよかな頬は、ここ数日来の異変のせいで、眼の下から頬の上のほうの一帯に、たるみがでてきている。
修道院長は、プラティスの背後にいるシリンにようやく気づいた。
「まあ、リィン…ではないわね、この方。
もしかすると、シリンさんかしら」
「ええ。はじめまして」
「いけないわ。一般の方にこのような話をしてしまって」
「結構ですわ。わたくし、二公主様より命を受けまして、公主様がたのお手伝いをすることになりましたの」
「まあ、それは存じませんで」
プラティスは、シリンの身につけている装束で、なぜそのことに気づかないのだろうと思い、シリンの方を見たが、シリンはかなり上質のものではあっても、ごく普通の灰色のパンツスーツを着ているだけだった。
しかし、シリンは、二公主だけが持つという金色に輝く精神の波動を持っていた。その精神の輝きが、術士たちに対しては何物にも増して、シリンの身の上の証となるだろう。「では、ひとまずこちらへ。
青階では、まとめ役でございましたゼルダ様が行方知れずとなりまして、異変の影響のもっとも少ないこの黄階に、すべての術士が揃っております」
修道院長は、ふたりを礼拝堂のほうに案内した。
「ところで、シリン様、首席術士の方々のご消息、二公主様がたから、お聞きではございませぬでしょうか」
「はい、赤帝王を名乗っております紅妃イリスの命によって、赤帝王の側についた黒の老人の幽閉先でございました黒宮に、諸帝王陛下・皇王陛下とともに、監禁されておいででございました。しかし、黒の老人が紅妃によって赤宮に召還されましたので、その間に黒公主香嶺女皇様が黒宮に入られまして、皆様を解放なさいました。
ですが、皆様、衰弱なさっておいでのところに、悪しき気に浸っておいででございましたので、回復なさるまで、香嶺女皇様が守護なさるということでございます」
「まあ、それは良かったこと。
ご一同様、プラティス殿が戻られました。それから、二公主様がたのお使いの方が見えました」
礼拝堂に集う者たちに、修道院長はそう呼びかけた。
「ねえ、ニー、プラティスの兄ぃが戻ってきたんだって。聞いた」
ライが、両手にビスケットの包みをひとつづつ持って、ふたりに与えられた小さな寝室に戻ってきた。
「えっ、本当。
戻るのは遅いし、術士の方々のお話では、黒の老人っていう人が新しい赤帝王のほうについたって聞いたし」
「美波姉さんが云ってたもの。
二公主様がたが術士と接触をもちはじめたから、きっとこれからうまくいくって」
「わあ、プラティス師に会いたいな」
「ぼく、会ってきちゃったよ、もう」
「ぼくも、行ってこようかな、礼拝堂でしょう」
「うん。だけど、今は行かないほうがいいと思うよ。大事な会議が始まったみたいだから。
プラティスの兄ぃ、あとで、こっちに来るって云ってたもん。
これ、ランディ師がくれた」
ライは、包みの片方をニーに差し出した。
「えーっ、ランディ師が。
でも、あの人、老師様に、青と紫の術士は近すぎるって、文句云った人だよ」
「でも、今日は悪い人じゃなかったよ。
ぼくたちも、今や重要な力を持っているんだから、しっかり眠ってイメージを養っておくようにって」
「ふーん」
ニーは、紙の包みを広げ、ビスケットをひとつかじってみた。
「ぼくたち、術士になれるのかな」
「うん。術士が、またこれで減ったもの。早く、正式に術士のケープをいただけるくらいにならなくちゃ」
ライは、ニーのつぶやきに、そう返事をした。
だんだん眠くなってきたので、ニーは瞼を閉じた。
夢の世界が、近くなってきた。
「この世界の混乱の本当の原因をお話申し上げますと、すべては二十年ほど前に、異世界より流れ着いた男によって引き起こされたことなのです。本当に混乱していたのは、この空間そのものであったのです」
シリンは、術士の一同に、事の次第を話しはじめた。
「この混乱のそもそもは、異世界より、ひとりの男が流れ着いたことでございました。その男によって、この世界にあるべき魂の数が乱されてしまったのです。
この世界においては、三つの階層にそれぞれ一つづつ、三つでひとつの魂が完成しております。ひとつの魂が欠ければ、対となるあとの二つの魂も消えてしまうのです。三つの魂の座標が、ひとつの三角を平面上に構成します。その三角うちのひとつが消えることによって、三角は平面としての面積を保つことができなくなるのです。
ところが、この異世界より流れ着いたこの男は、ひとつの魂で、完全に魂の形ができておりました。そのような魂のありよう、魂のやどる肉体のありようは、この世界では、あり得ぬことでございます。
その三層世界を、縦、横、高さと想定するのなら、この異世界の男は、他に時間という軸をもっていたといえるでしょう。この世界の我々の見える部分に、直線しかもっていなかったとしても、彼が持っている時間という座標と結ばれた三角が、この世界の空間とは異なる空間に作られていると、そのように考えてもよろしいかと思います。
その異世界の男は、この世界に流れ着いたあと、しばらく留まり、また、時の青帝王によって別の空間に流されたのだということでございます。
しかし、この男の、異世界での思いが、この世界にまぎれこんでしまいました。この世界の岸辺にたどりついた時、男はすでに記憶を失っておりましたが、その思いは、別の形となってこの世界に宿ったのでございましょう。
それが、時の青帝王を追いつめ、あのような事件となったのでございます。
そのときの主役の二人が、三階層からなるこの世界の表舞台から姿を消したことによって、一時的に、少しの空間の歪みを残したまま、修復することとなったのです。
ですが、赤帝王は、この世界に、その異世界の因子を置きました。ひとつの魂をもつ、一つの肉体で完成された者を。
時が満ち、そして、そのひとつのみで完成された魂を持つ者が育ち、世界の形を想念できるようになりますと、ふたたび、一時的な修復をみた世界は、その内包した空間の歪みに影響を与え、置き捨てられていた異世界の男の思いが復活して力を得るようになったのです。
この世界は、閉じたこの世界の三角でのみ構成されていなければなりません。この、異なる魂の形、それは、閉じられたこの世界の防波堤に開いた、外洋と結ばれた一つの穴のようなものです。このままでは、防波堤は決壊し、外洋の海の水が、この閉じられた世界を飲み込んでしまうことでしょう。
それからこの世界を守るには、その穴をふさいでしまうか、この世界そのものが、飲みこまれても良い形に変化している必要があります。
もし、この穴が開かれたばかりなら、その穴をふせぐ方法もあるでしょう。しかし、これは長い歳月をかけて、ゆっくり水が染み出してきた、その結果ゆえの今度の事件です。これが、ある意味では、外洋より流れ込む水を受け入れ、均衡をもつために望ましい形なのかもしれません。もちろん、異世界とこの世界が均衡をもった状態でなければなりませぬが、今のところ、この世界でのみ、混乱は生じているのです。
向こうの世界は、ひとりの男の魂を欠いたまま、この世界との不均衡のままでいます。この世界の成分を、相手方にも、もたらさなければなりません。
公主様がたは、この均衡の部分を担当なさいます。イリスの反乱も、この均衡を欠いたために生じた、歪みのような事件でございますので、すべての処理が終わった後には、もっとも調和のとれた状態で、世界の形が設定されることでしょう」
プラティスは、その話を聞いていたが、思うことがあるのか、発言を求めた。
「もし、その異世界の男によってもたらされた、一つの肉体で完成された一個の魂の持ち主が、この世界から、その異世界の男のいた世界に戻ったとしたら、異変は集結しますか」
「いいえ、それは、穴をふさぐ行為そのものですが、この世界には、もう、あまりにたくさんの海の水を吸ってしまったのです。
均衡をとる手段としては、やはり同等の異変を異世界にもたらすことでしょう。
すなわち、この世界にある土を、異世界の水に溶かすのです。
大切なのは、これからの世界のイメージです。熱烈に、これから先の未来を愛してくださらなければなりませぬ。それが、術士の皆様にお願いすることでございます。この世界に起こった異変を取り込み、それを生かして新しい世界の形を、イメージして下さい。それが、公主様がたが、皆様にお願いしていることでございます」
新しい世界の形。その言葉が、シリンの口から発せられたとき、術士たち一同の眼の中に、その情景が飛び込んできた。
広がる、新しい世界の形。
その、眼の前にいるひとりの一般人の女性と見えるもの、その者が、実は、紫麟の名を与えられた新しい公主のひとりであることを一同は知った。
一同は、見た。
高い天井の、美しい絵に飾られた広間を。
ひとりの男が、緋色の衣を着て、白い衣を着た老人の前に立っていた。
「世界を手に入れよ、チェザーレ」
失われた、異世界の男の記憶である。
この世界の、空間に仕込まれた眼に見えぬレコードの中に、その男の記憶が刻まれているのだ。
その記憶に触れたものは、その魂が持っていたもの、見ていた果てを、見ずにはいられないのかもしれぬ。
一同は、了解した。この世界に、何が起こったのか。
「紫麟、さま」
一同は、その女性によってもたらされたビジョンから解放されると、紫麟のいた方向を見た。
その女性の姿は、いずこかに消えていた。 そして、プラティスも。
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