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19 老人の名(黒 界)



 プラティスは、落ち着かぬ気分で修道院へと足を向けていた。副修道院長が、鍵を渡して云った。

「院長が、あなたがおいでになったら、この鍵をお渡しするようにと、置いてゆかれました。それから、院長よりの指示で、術士見習いの子供、ニーとライをお預かりすることになりました。あなたが地下から戻られる頃には、この階に降りてきていることでありましょう」

「赤階への影響は、それほどのものなのでございますか」

「はい、わたくしが聞くところによりますと、午後を過ぎてから、気候まで一変して、人の住めぬありさまとか。

 新しい紅帝のご即位の式典が、行われている頃でもありましょう」

 副修道院長は、朱の見習い術士である。もう一通りの課程を終え、黄階の術士を手伝いながら、上位術士の空席を待って待機している身分である。

「どうぞ、お気に病まずにいらしてくだざい。わたくしどもにも責任があるのです。我々の愛するあの方をお守りするのは、あなたから託された以前に、我々が神から託されたことだったのですから。あなたがお気になさるのでしたら、わたくしどもには、立場もございませんわ。

 それに、この異変にあって、熟練の術士たちでさえ、対策が後手にまわりがちだといいますのに、あなたさまはまだ術士におなりになって日も浅くしていらっしゃいます。失敗を責めるなら、上位の方々が先でございましょう。

 老師も、あなたの能力に失望して、休息をご命じになったのではございますまい。恐らく、これからが本当の戦いなのです。若いあなたの能力の極限を、要求していらっしゃるのでございましょう。だから、老師方で対処できるうちに、あなたを休ませておいでなのですわ」

「わかっているつもりです。

 でも、まだぼくは、十七才でしかないんですよ」

 プラティスは副修道院長に、うまい返事が思いつかなかったので、そう云ってぎこちない笑顔を向けた。

 プラティスは、地下に通じる扉を開けた。

 長い階段を下り、いくつかの回廊を抜けると、水の音が聞こえる。さらに歩みをすすめると、廊下の向こうに、薄明かりにぼんやりと、地底の大河がみえてくる。

 岸辺には柵があり、壁づたいに進まなくてはならないが、涛々と流れる河の流れは意外に早く、すぐそばの通路を歩くのは、初めはなかなか勇気が必要である。

 細い通路をしばらくゆくと、やがて通路側の堅い岩をくりぬいた、壮麗なる城の入口の浮き彫りが、薄明かりのなかに陰影となって現れる。

 これこそ、白階の六色統合宮殿、通称白宮と対をなす、六色分離宮殿、通称黒宮の入口である。

 プラティスが、その壮大な門の前に立つと門は自然に左右に割れた。そして、次にあらわれた巨大な扉も自然に開いた。プラティスは、闇に近い薄暗がりのなかを、次の扉の前まで歩いてきた。

「青の黄階術士プラティス、黒の宮殿においでになりますお方に拝謁したく、黄階よりまかりこしてございます」

 膝まづいてそう云うと、

「来よ」

 地面を這うような低い声がして、その扉が開いた。

「来よ、玉座の前へ」

 暗黒でありながら、広間の向こうには、天井にはめこまれたガラスより光が床に下りている。その床は、ガラスがプリズムであるせいで光の成分が分離され、美しいグラデーションを形づくっている。

 そのグラデーションの中央に玉座が置かれているが、そこに座っているのは、黒い服を着た老人で、いや、老人かどうか、それすらもわからない。顔そのものは破壊され、肉体の損傷も激しく、服の袖と裾よりのぞく手足は、それぞれ片方が欠落していた。

「繁く、わがもとに通うとは。いかが致した」

「はっ。先日、お話ししたことでございますが、ますます世界の状況は悪くなっております」

「我がもとに来ても、状況を止める策も授かるわけではあるまいが」

「この身の気休めにすぎませぬ。それでも聞かずにはいられませぬ。かつての、世界の異変が、どのようにして収められたのか、ということを」

「今の状況より、ましであったのでな。参考にはなるまい。なにしろ、今回は、二公主が目覚められた様子である」

「二公主が」

「強力な武器を持っておる。

 ただ、肝心なのは、武器の素質であろう。純粋にこの世界のものであってはならない。異世界とのつながりがなければな。

 術士らも、相応に強力な武器をもっておるのに、一向に使う気配もないようじゃ」

「武器とは」

「前回、わたしが目的を達成せられなかったのは、異世界よりの因子が、わたしを狂わせたゆえのこと。いや、狂っておったのが正常に引き戻されたのかもしらぬ。

 世界を引き戻す力、それは、『影』持たぬ力であろう。あの異世界より来た男、あれはこの世界に『影』を持たなかった。ゆえに、わたしを狂わせた昔の『赤帝』よりも強かった。

 敗れた『赤帝』は、死してなお、精霊ケサルパーティとなって赤階に住み続けたようじゃな。それが、イリスに芽生えたわずかばかりの欲望に取り憑き、わたしの魂を受け継いだ者を狂わせたのよ。

 あの暗黒の時代は五年続いたが、世界を変えるエネルギーは持たなかった。ただ、術士を大量に処刑しただけに終わった。

 しかし、今度の者は力がある。

 ゆえに、公主らもお目覚めになったのであろうが」

 老人の声は、広間に響いた。

「どうした、プラティス。恐れておるのか」

「はい」

「なぜ、恐れる」

「わたしも、母の魂を継ぐ者でございますので」

「ケサルパーティの邪眼に、そなたも毒されてみるか。こちらへ、プラティス」

 老人の声に、プラティスは立ち上がり、玉座のすぐわきに跪いた。

「誰も、そなたを毒することはできぬ。三身に分かれた者が、一つ身で生まれてきた者に害を与えることはできぬ。

 そなたは、わが失いし名、蒼海帝王の名のもとに生まれた息子ゆえ。

 この世界の岸辺にたどりついた、異世界の男、あの男の魂は深く病んでおったが、それは異世界にある者への深い愛ゆえのこと。その深き愛なる魂とともに、その魂を救った女の心さえ、そなたは受け継いでおるはず。

 あの男がこの世界にもたらした、異世界での暗き野望が、わたしと彼女の心を惑わしたとしても、それは、世界を総べる者たる一隅の意識が欠けていたゆえに引き起こされたこと。

 暗き野望は、同時に深い愛をももたらしたはず。人なる魂が本来、いくつもの異なる魂によって成り立っているとすれば。

 それがそなたの力となろう」

 老人の、失われた手の気配が、プラティスの頬を撫でた。

「意識を強く持ち、あるべき世界の形を夢みるのだ。異変の主どもを凌ぐ強い願いをもってな」

 頬を撫でた手は、存在するはずもないのだが、プラティスはその手をはっきりと感じることがてきた。

 そのとき、背後よりゆるやかな絹擦れの音が聞こえた。

「おじいさま、みなさま、お部屋にお揃いでございますわ」

「承知した。じゃが、しばし待て」

 プラティスは、自分と並んで立つその女のほうを見た。

「リィン」

 プラティスは、その名を呼んだ。

 が、明らかに修道院に暮らす麟子であるはずの彼女は、プラティスに向かってわずかに笑いかけただけであった。

「みなさまに差し上げる食事の用意は整ったかな」

「ええ、おじいさま。紅妃様の指示に従って、ゼルダ様がご用意なさいましたわ」

「ならば、良い。ゼルダをこれへ連れてまいれ」

「かしこまりました」

 麟子は、いつもの木綿のワンピースではなく、赤階の宮女のような装束をつけていた。それも、暗い王宮のなかに浮かびあがるような白いドレスのうえに、黒い糸で編まれたレースの表着をつけている。波うつ長い髪は背後に垂らされているが、前髪は後頭部に華麗な宝石細工のピンでまとめられている。

 老人に一礼して去る姿は、とてもプラティスの知る麟子とは違う女性のようだった。

「紅妃さまの指示とは」

 プラティスは、老人に尋ねた。

「さよう。この黒階の王宮は、紅妃とその皇帝の配下にある」

 老人は答えた。

「この身は、かつてこの世の独裁をもくろんだ身。古き望みをかなえる者が現れれば、それに望みを託すのは、当然であろう。

 以前の罪を背負い、その罪ゆえに、この黒の王宮にひとり幽閉され、長い歳月、わたしは耐えた。ときには、修道院長が、あるいはそなたが、この王宮に訪れることもあるにせよ、わたしはこの場所を動くことはできなかった。

 それを解放する者が現れたのだ。たとえ、今度の者が失敗したところで、わたしがこの王宮に戻されるか、二公主の責めを受けて処刑されるか、たいした違いではない。

 そして、二公主は、自らの身を置くべき王宮を持たぬ。今度の戦が有利であるのも、つまりはそこ。

 さて、そなたには気の毒だが、この王宮の客人とともに、しばらくこの王宮で暮らしてもらわねばならぬ」

「老人、プラティス殿がまいられましたのか」

 その声の主はゼルダだった。

「ゼルダ殿、あなたは」

「わたくしは、イリスの親友でございますもの。もちろん、加勢をさせていただきましたわ。

 それにしても、術士の結束など、なんと簡単に破れるものでしょう。わたくしが事件の情報を、青と紫の術士間で優先的に交換されているかのような言動をしたら、黄階において、黄と緑の術士は簡単に疑心暗鬼に落ちた様子。赤階においては、青の首席術士ラプサス老師が長老であり、紫の首席術士オプスティマ師がそれを補佐するのがしきたりであれば、先に二者のもとに情報が集められ、その後に会合の席でもたらされるのはあたりまえでございますのに」

 ゼルダは、声をたてて笑った。

「術師の心がひとつにまとまらないでは、いかに二公主が乗り出したところで、世界のイメージが勝るものではございますまいに。

 おお、そろそろ、行かねば。

 プラティス殿。あなたを、わたしは捕らえます。帝王、皇王とともに、この黒宮で過ごすがよい」

 ゼルダの声が、プラティスの耳に届いた。

 その声を聞いて、プラティスは心臓の鼓動が高鳴るのを感じた。見えない糸に、心臓が縛りつけられるような激しい苦痛が襲った。痛みで意識が朦朧となり、床に崩れ伏した。プラティスより高位にあるゼルダは、声に術を使って、プラティスの自由を奪った。


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