17 プラティス(黄 界)
このわずかな期間に、プラティスは、我ながらよく働いたものだと思った。そして、その働きは、いつも報われるものとはかぎらないとも痛感した。
この黄階の安アパートのベッドに、戻ってきたのはもう太陽が高くなってからだ。シリンと食事をして、別れてから二十七時間しかたっていないし、最後に口をきいてから、二十一時間しかたっていない。
シリンに、妙に心引かれているような気がしていた。それは、まだ少年の域に近しいプラティスにとって、いつもふとどきなる期待と好奇をもって胸おどらせる年上の女性への感情とも、まったく違うもののようだ。
青階に降りていた老師に追いつき、市庁舎にいたプラティスは、シリンの様子を見に、軟禁されているはずの医務室に行った。しかし、そのとき、彼女は不在だった。老師からは、もう庁舎内であれば自由にしていて良いという許しを出したと聞いていたし、医務室にいた看護婦にきくと、シャワーを浴びに行ったということなので、しばらく時間をつぶしてから、また医務室に来た。
そのときには、もうシリンは誰かに連れ去られたあとであった。
老師は、プラティスのその報告を聞き、その部屋にいた青の黄階術士である修道院長より得た、新たな情報を与えた。リィンが失踪したことである。
そのあと、プラティスは、老師の命令に従って黄階に降りて数時間ほど休息の時間をもつことになったが、その命令は、プラティスの職務の失敗を、言外でたしなめているのだと、プラティスはそのように受け取った。
ベッドの上で天井を眺めるが、いても立ってもいられない。どうにかしなければ。何かしなければ。
何か。
することは、シリンの行方を追うことに決まっている。
しかし、この、『何か』という言葉が、プラティスの脳裏を渦巻いて離れないのだ。
もしかすると、シリンの、自分でもどうしようもなく、そして、まだ気付いてもいないであろうある種の力に、彼もまた眩惑されたのかもしれなかった。
彼女自身に責任はない。
あるのは、その野心をかきたてずにはおかない女性として生まれたということだ。
兄、ファザムは、亡くなるしばらく前、プラティスにシリンのことを告げるときに、彼女のもつ毒について、わずかに触れたことがあった。
兄はおそらく、駆り立てられていたのだ。 その女性を、自分のものとすることに。
しかし、プラティスは、まだ片足を子供の心の領域に残してきたままだったし、プラティスには、兄とちがう切り札もあった。お金や名声が得られる仕事よりも、自動車の整備の仕事を望む部分、術士の仕事も大切だが、それ以上にこの黄階での生活を愛している部分、たぶん、大切なのは、そんな感情なのだろう。
もう、テストも間に合わない。おそらく、追試までに事件が解決しなければ、進級できないだろう。それは嫌だ。もとより、事件が解決しなければ、この黄階も影響を受けて、世界の形における秩序もろとも、一変してしまうだろうに。そんなふうな考えが、ぼわんと意識のなかに浮上した。なんとなく、おかしくて、笑いたくなった。
寝返りをうち、うつぶせになった。が、その両の腕は、かき抱くものを求めていた。それが、少年のビジョンであるのか、それとも大人の野心であるのか、それを感じると、笑いかけた口の両端は凍りついてしまった。
窓の外に広がる海と、そして砂浜。
冷ややかな太陽の光だと思った。
男は、その女の首を胸に抱いた。自ら剣をかざして首をはねた女。
空虚さだけが、男にまとわりついた。悲しみというよりも、これは深い虚無であった。 この先を、生きてゆくのが耐え難い。
心も疲れ果て、身体も鉛のように重い。
その女の渇いた唇は、もう何も語らない。 男に野心をけしかけることも、尊大な言葉も、そして、失われた男への愛の言葉も。
もう、男を駆り立てる者はない。得るべきものは、去ってしまった。自らの手にかけて壊してしまったのだ。
手にした女の髪が重い。
まるで、死んでまで男を苦しめようとするのだろうか。
ふたりで、破壊しかけたこの世界への罪は重く、そしてそれは受けねばならぬ。
だが、それを女が望んだことだから、男は喜んで引き受けるつもりであった。
死して許される罪ではない。
生き続けることが、その償いであるのだ。 暗い、暗い、地下の宮殿で、たったひとりで。
ただ、女との幸福なときの夢を見つつ。
プラティスは、はっとして目を開いた。
なんという夢だろう。
その夢に、云いようもない不安と、予感を感じた。
行って、いま一度、確かめなければならなかった。この世界の混乱の原因が、果たしてケサルパーティの中にある者の魂のみによって引き起こされたのであろうか。
プラティスは、再び出かける支度をせねばならなかった。




