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14 リィンの夢  (黄 界) 




 真紅のドレスをまとった女が、ゆったりとした動作で広間に入ってきた。

 今夜の宴の主役である彼女の出現に、広間を埋める客は口々に溜め息をついた。妖精のように軽やかな姫だ。

 彼女は、広間の主座にある法王の前に進みでた。

「お父様、今宵は、わたくしのために、まことに有難うございます」

「ほどなくフェラーラに嫁ぐ身だ。一同と別れを惜しみ、また喜びを分かつと良い」 法王は、娘にそう云った。

 その言葉が終わるのを待って、軽快な音楽が広間に流れはじめた。

「さあ、おいで。わたしと踊ろう」

「まあ、お兄様。今度はわたくし、戻ってまいりませんことよ」

 法王のそばに立っていた、美しい青年が彼女の手を取って広間の中央でステップをはじめた。

「もう、悲しい思いはさせない」

「お誓いくださいますの」

「ああ、可愛いお前のためだ」

「最後の結婚式と、思ってよろしいのですね」

 兄妹は、広間の中央でふたりきりの円を描く。

「以前も、同じようなことをおっしゃいましたわ」

「だったかな」

「お兄様が緋色のご衣装をお召しの頃に。 あの頃は、思いましたのよ。

 たぶん、もう一度離婚すると」

「なぜ」

「お兄様は夢をごらんになっておいででしたわ。

 世界を手になさる夢を」

「恨んでいるか」

「いいえ、恨んでなどおりませぬ。

 お兄様のお役に立てるのなら」

「もう一度、政治の道具にすることがあったら、おまえはそれに従うか」

「いいえ、もう、行きませんわ」

「なぜ」

「お兄様の夢は、お兄様の命を吸って輝いているのですもの。

 わたしは、わたしの望みをかなえたいのです」

「幸せな結婚か」

「いいえ、お兄様のお健やかなることですわ。いつも戦っておいでになる。わたくしはいつも心配でした」

「おまえは、思いのほか、遠いな。

 意外と普通の女だった」

「フェラーラ公は、良い方だそうです。今度こそ長居をさせていただかなくては」

 二人は、いつまでも踊っていた。

 お互いが、お互いを惜しむようにいつまでも。

 ローマ法王の庶子、ルクレッツィアは、それより数日の後に、フィレンツェ・ミラノ・ヴェネチアに挟まれたフェラーラ公国へと旅立って行くことになっていた。過去に離婚すること一回、夫を暗殺されること一回。

 いずれの場合も、この家の政略に従ってきた結果である。

 兄が、何を手に入れようとしているのか。それは、生きている証そのものであるということに彼女は気付いていた。

 もう、イタリア中の国から国へ、贈り、贈られされる少女の格好をした人形ではない。思えば、短い間に、すっかり年をとってしまったものだ。たった、四年の間のこと。

 自分の心も、兄の夢も、よくわかるようになってしまった。

 兄は、この世に何も持って生まれてこなかった。それが心の空洞なのだ。

 法王の庶子となっているものの、実子でありることは、ルクレッツィアにとっても変わりはない。

 が、兄は男であり、一族を護る剣でなければならない。法王の次席にある地位、枢機卿となるためには、正式な結婚によって生まれた者でなければならず、さらに聖職者は女性に触れてはならない。それが戒律である。しかし、兄が枢機卿となるために、法王は、兄とルクレッツィアの母の前夫の子供を養子にしたという形をとった。だが、実際は、正式な結婚によらぬ子供は悪魔の子とされ、さらに、法王の子という忌むべき身分である。書類にはいくらでも、好きなように書くことができる。権力のあるうちは。

 しかし、このローマで、その真実を知らぬ者はいないのだ。

 ゆえにこそ、激しく求めるのであろう。自分の生きる世界を、そのすべてを。

 得られるものではない。

 とても、世界など。

 自分の出生の許される世界の形を求めることなど。

 ルクレッツィアは、兄を深く愛していた。 それは、自分の心のなかにある暗い部分を見れば、神の名において許されるものではない。

 同じなのだ。この兄妹は。

 だから、最後に、兄のまとった血の衣と、同じ衣をまとって踊ったのだ。

 それも、最後。

 今度会うときは、フェラーラの公妃。

 フェラーラ公アルフォンソ・デステが、噂どおりの男なら、その男に自分の未来をすべて託して、その色の夢を忘れるのだ。

 兄のまとった衣と夢の紅炎が、ボルジア家のべてを焼き尽くすまえに。チェザーレという男と、同じ血を持つ者が、この世に血統を残すことができるように。


 大人の女性の姿をした少女は、夜中に目覚めた。

 兄との夜会は、ついゆうべのことなのに。 昨夜、泊まったはずのサンタンジェロ城より、彼女が身を寄せた修道院に、彼女はいつの間にか戻っていた。

 と、思った。

────まさか、わたしは、ずっとこの修道院に暮らして、ずっと、シスターたちのお手伝いをしていたのよ。

────でも、わたしは、フェラーラに嫁ぐのだから。

 二人ぶんの意識があった。

「あなたは、誰」

 少女はつぶやいた。

「いかなくっちゃ」

 少女の口をついて、その言葉がでた。

「いかなくっちゃ。

 お兄様がお待ちだわ」

 少女は、そっと部屋を出た。


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