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「既に俺は君を傷物にしたんだから、傷が増えたところで同じだろう。俺は気にしないが、君が気にするような傷ができれば他の人間と会おうなんて思わないはずだ。――そ、その顔に消えない傷を刻ませてくれ。君が承知したことであれば、傷害罪にはならない」
「ヒッ」
見開いた目はグラグラと揺れていて、視線が定まっていない。
どう見ても異常をきたしているとしか思えない表情で告げられて、タチアナの喉から小さな悲鳴が出た。
「き、君のことだからヴェールで顔を隠して外出するかもしれない。俺以外にエスコートされることがないように、指を切り落とそう。異国では愛の証明として小指を切り落として意中の相手に送る文化があるらしいので、今回は両手の小指にしよう」
「う、うそでしょ!」
「冗談でこんなことは言わない。結婚したら足の腱を切ってずっと部屋にいてもらう。男を引っ張り込まないように、外からしか解錠できない特別製の部屋を用意する」
「そんなことしないわよ! わたしを信じて!」
「無理だ! だから行動を縛るしかないんだ! そうしてやっと安心できる! 妻なんだから夫を安心させるのに協力すべきだろう! 顔が傷だらけになっても、指が欠けても、歩けなくなっても俺の気持ちは変わらない。金は充分あるから不便はあっても苦労はさせない。誰にも会わせるつもりがないから家の仕事だってしなくていいし、嫁ぐための勉強だって止めていい。どうして嫌がるんだ!」
「自分の体を傷つけられるのよ。嫌に決まってるでしょう!」
「嫌なら尚更乗り越えて俺への愛を示せ! そ、それくらいできるだろう!」
「あっ、愛なんてないわよ! わたしを妻にして幸せにするのがあなたの義務だからそうしているだけなんだから!」
「金や権力が目当ならそれでもいい、愛がないなら他の理由のために受けいれろ!!」
「……閣下。ラチがあきません。どうせ婚約解消することはないんだから、結果は決まってます。さっさとすませてしまいましょう」
宥めるように割って入ったジャスティンは、温度のない瞳でタチアナを睥睨した。
そこに今まであった彼女への敵愾心はない。
「ちょっと、あんたこの男の秘書でしょ! どうして止めないのよ!」
「うろうろして勝手なことをされるくらいなら、閉じ込めておいた方が被害が少ないことに気づきました。体張るだけで閣下の妻になれるんですから、良かったですね。傷を理由に今の地位を手に入れたんだから、同じことでしょう」
「全然違うわよ!」
「俺にとっては一緒ですよ。先生、始めてください」
鼻で笑うと一歩下がり、青ざめる公証人の隣で傍観の姿勢をとった。
タチアナを両サイドから取り押さえているのは女性だが、信じられないくらい力が強くて必死に抵抗しても身動きすらできない。
助手らしき華奢な女が、ドクターズバッグから道具を取り出して並べていった。
女医がアンプルから注射器に透明な液体を移す。
「暴れると危ないですよ」
「なにそれ!!」
「単なる麻酔です」
「やめてっ!!」
タチアナの叫びを無視すると、女医は無駄のない動きで注射した。
「……先生。この先は俺にやらせてもらえませんか?」
「でも公爵様は素人でしょう?」
「専門家にお任せする方が、安全だとはわかっているんですが、この手で責任を持ってやりとげたいんです」
先程まで息を荒げていたセオドアは、不気味なほど落ち着きを取り戻していた。
「指は化膿や壊死のリスクがありますし、顔の方は引き攣れたり瞬きできなくなったりと、後遺症が残る可能性があるのでオススメしませんが……」
「どんな結果になっても受け止める覚悟はできています」
「ふざけないで!! わたしの体よ!!」
「君は俺のものだ」
「離してっ、離せよぉ!! やめろっ!! この人でなしどもっ!!!!」
「先生。麻酔が効いてないみたいです」
右側でタチアナを押さえている看護師が声を上げた。
「たまに効きにくい人がいるのよ。3本までいけるから、追加しましょう」
「了解です。ああ、そうだ公爵様。厨房にあった鳥の足とか豚の皮で練習したらいいんじゃないでしょうか?」
左側の看護師が淡々とした声で提案した。
「なるほど、指の代わりに足を切って練習ね。豚の皮は人間に近いし、いいわね」
「すぐ持ってきますので、ちょっと待っててください!」
女医の言葉に、助手の女が厨房に駆けていった。
「公爵様。縫合は流石に付け焼き刃では無理なので、私が行いますね」
「そうですね。本当はすべて自分の手でやりたいところですが、仕方ありません」
「お嬢様。早く同意書にサインいただきたいんですが」
女医が困ったような顔で、タチアナの前に置かれた紙をちらりと見た。
誓約書は施術の同意書も兼ねているらしい。
「するわけないでしょ!!!! いやっ!! いやぁぁあああああああっ!!!!」
「……ずいぶん興奮されていますね、2本目の麻酔と一緒に鎮静剤も投与しましょう」
断固としてサインを拒否しているが、朦朧とした状態にされたらどうなるかわからない。
この状況からどう抜け出すか必死に考えていると、「戻りましたー!」と暢気な声で肉の塊を抱えてきた助手がつまづいた。
ポーンと投げ出された足つきの鶏肉が、右側の看護師に当たる。
「痛っ! なにすんのよ!」
「すみません先輩!」
看護師の力が弱まった瞬間、タチアナは体を大きく右に傾けて包囲を抜け出した。
「こっちだ!!」
震えて見ているだけだった男が、婚約解消届を奪うとタチアナに手を伸ばす。
迷わずその手を取り、引かれるがままに彼女は店の外へと飛び出した。
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