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レディ・チャンドラーは悪女であった  作者:
第一章 ミスター・アンダーソン
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6

「あのね。実はずっと迷ってたんだけど、あなたの秘書のことで伝えておきたいことがあるの」

「ジャスティンがどうかしたのか?」

「こんなこと言いたくないんだけど、厭らしい目でわたしのことを見てくるの」

「……」

「彼が独り身なのは、主人の婚約者に横恋慕しているからじゃないかしら……?」


 迎えの馬車に乗り込んだタチアナは、嘘八百の疑惑を口にした。

 先日ジャスティンの母親にされたことへの恨みをここで晴らす。

 触られたとかではなく視線だけ。

 完全な言いがかりだ。立証するのは難しいが、同じくらい否定することも難しい。

「気のせいだ」なんて言おうものなら、タチアナにセオドアを責め立てる理由を与えることになる。


 セオドアが否定できないのをいいことに、彼女は「あまり顔を合わせたくないから、今後は同席させないで」と言った。

 ジャスティンやその母親が同席していると居心地が悪いうえに、セオドアにお強請りしようとしても妨害されるからやりにくいったらない。


(わたしが公爵家の女主人になったら、身一つで追い出してやるけど今は我慢の時。将来に向けて準備をしておかなくちゃ)


 結婚前からコツコツと二人の悪評を仕込み、疑惑が確信になるような舞台を用意すれば目障りな親子を追放できる。


「……そうか」


 長年仕えた秘書を庇うかと思ったが、セオドアは拳に力を入れただけだった。しかしその目は力強く、決意のあらわれが見てとれる。


(あらら。予想外に上手くいっちゃった感じ?)


 男として、主人としてのプライドが傷付いたのかもしれない。

 この目で見れないのは残念だが、敬愛するセオドアから切り捨てられたジャスティンが絶望する様を想像してタチアナはほくそ笑んだ。


*


 二人を乗せた馬車は、役所や裁判所などの行政機関が立ち並ぶ区域を走っていた。

 勤め人が昼食を摂る時間とはズレているので、道に人通りは少ない。


「――なんでこんな場所なの。中心街の方がお店もたくさんあるし、町並みだって華やかじゃない」


 食事の後で買い物する気だったタチアナは、窓の外を確認すると頬を膨らませた。

 買うのはもちろん自分の装飾品で、支払いは当然セオドアだ。


「今日のためにレストランを買ったんだ」

「え? 貸し切りじゃなくて?」

「ああ。隠れ家レストランで、むしろ目立たないようにしている店なんだ」


(これよこれ!)


 スケールの大きさに一瞬驚いたが、こういうのを待っていたのだ。


(やればできるじゃない!)


 貸し切りなら普通の貴族にもできるが、一回の食事のために買い取りなんてアンダーソン公爵家くらいのものだ。

 話のタネになると、下降気味だったタチアナのモチベーションは一気に上昇した。


 セオドアにエスコートされた先にあったのは、言われなければ見逃してしまうような小さな看板が掲げられた店だった。

 店の入り口は道に面しておらず、煉瓦塀に沿って回り込むことでようやく入店できる造りだった。

 外から見えない店だが入り口の扉は美しい装飾がされており、うらぶれている感じはしない。

 扉を潜ると、そこには小洒落た空間が広がっていた。

 建物の外観が古かったので、中も年季が入っているのかと思いきや、新築と言ってもいいくらい真新しく清潔だった。


「お待ちしておりました」

「ご苦労。準備の方はどうだ?」

「すべて完璧に整っております」

「ちょっと、どういうこと?」


 こぢんまりとした店内には、ジャスティンを筆頭に複数の男女がいた。

 女性は四名。布で頭皮と口元を覆い、生成りの白いドレスは飾りが一切ないシンプルなデザインで、まるで医療従事者のような恰好だ。

 よく見ると一人は見覚えがあった。公爵家お抱えの女医だ。


 男性はジャスティンを含めて二名。

 舞台俳優のような優美な立ち姿で、甘い顔立ちの男は初めて見る。こちらは医療現場とはまったく関係がない、オフィス街を歩いていそうな普通の出で立ちだ。こんな状況でなければ見惚れていただろう。

 タチアナの好みを具現化したような男性は、しかし真っ青になって震えていた。


「はじめてくれ」


 近寄ってきた女性たちが、無言で椅子に座ったタチアナを押さえつけた。


「なにすんのよ! セオドア! こんなことをしてタダじゃおかないわよ!」

「もう限界なんだッ!!!!」

「!?」


 初めて怒鳴られた衝撃でタチアナが固まると、セオドアは手で顔を覆って呻いた。

 ブルブルと全身を激しく震わせている。


「外に出かけては誰彼構わず愛想を振りまいて! 君は俺の婚約者だという自覚がないんじゃないか!」

「えっ?」

「おお俺以外の人間に笑いかけるな、言葉を交わすな。俺だけを見て、俺だけしかいない生活をしてくれ。君の我が儘を叶えてきたんだから、今度は君の番だろう!」

「ちょ、ちょっと……」


 一気に吐き出すように叫ばれて、タチアナは困惑した。

 顔をあげたセオドアは鬼気迫るような表情で彼女を見た。


「ここに二つの書類がある。片方は婚約解消届け――俺の方は記入済みだから、君が署名した瞬間に俺達は赤の他人になる。もう片方は、俺たちが『円満な関係』になるための誓約書だ」


 セオドアに促されて、俳優のような優男はどもりながら公証人だと名乗った。


「二つに一つだ。婚約解消したくないだろう? 公爵夫人の座を捨てたくはないだろう? ならこちらにサインするんだ」


 どちらかを選べと言いながら、書類は横並びではなく縦並び。

 婚約解消届はセオドアの手前に置かれ、彼女の前には誓約書しかない。


「ごっ、合意のうえなら犯罪にはならない。だから契約書にサインしてくれ」


 セオドアは体を震わせながら、完全に目が据わった状態で迫った。

 つまり普通は犯罪になるようなことが書かれているということだ。


「なによこれ……」


 書面を流し見したタチアナは絶句した。

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