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レディ・チャンドラーは悪女であった  作者:
第一章 ミスター・アンダーソン
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5

 タチアナ・ギルスタンは、己の人生に満足していた。


(勝ち組って、わたしみたいな人間のことを言うのよね~)


 アンダーソン公爵家に連なる一門の末端でしかない男爵家。

 そんな小さな家の三女だったタチアナは、本来であれば一代限りの騎士爵であろうと爵位を持っている人間と結婚できれば良いほう。

 三番目の子供ともなれば満足に持参金も用意できないので、貴族の娘というだけでありがたがってくれる裕福な平民に持参金なしを条件に嫁いだり、引き取り手がいなければ家庭教師やコンパニオン、貴族家の使用人として働くしかないはずだった。


 主家のひとり息子であるセオドアは、幼い頃は線の細い美少年だった。

 ひと目見たその時から、タチアナは彼に夢中になった。子供であることを盾にしては、大人の注意を無視してセオドアにつきまとった。

 セオドアの方が立場が上なのだから、本当に嫌なら拒否できたはずなのに、彼は口先だけの軽い拒絶しかしなかった。

 つまりタチアナが近づけた時点で、彼の方もまんざらではなかったということだ。


 父親のギルスタン男爵は、公爵家に出入りできるような立場ではなかったが、家門の人間が集合する大きな催しの際には公爵邸に行くことができる。

 セオドアを見つけたらすぐさま駆け寄って隣をキープする。

 しがみついてしまえば、こちらのものだ。

 周りは顔をしかめるが、無邪気な幼子として振る舞えば、あまり強くは言われない。


 親に物申す人間もいたらしいが、タチアナの両親は「セオドア様と仲良しなの」と言えば、嬉しそうな顔になり「今のうちにもっと仲良くなりなさい」と彼女の好きにさせた。

 他の誰がなんと言おうと、行動に移すことのできない者のひがみでしかない。

 タチアナの両親は二人の仲を応援していたし、セオドアだって本気で拒否しなかったのだから彼女の行動は容認されていたのだ。


 あの日も彼は、形だけの抵抗をした。

 前日に雨が降っていたので、運悪く足を滑らせたタチアナは生け垣に仰向けで倒れ込んだ。

 びっくりしたが、それ以上に周囲の方が驚いていた。

 指摘されて初めて左手が赤く濡れていることに気づいたが、痛みは全然なかった。

 ただ「大丈夫か!?」と血相を変えた大人に言われたので、ここで「平気」と答えたら惜しい気がした。なので痛みに耐えるふりをしたら、あっという間に大事になった。


(痕が残ったのは残念だけど、たったこれだけで公爵夫人になれるのなら安いものだわ)


 運悪く足を滑らせたのではない、運良く怪我することができたのだ。

 彼女はレースの手袋に包まれた左手を仰ぎ見た。

 手の甲の真ん中。骨の凹凸に沿った場所なので、言われなければ気づかないくらい目立たないが、しっかり見ればたしかにその場所に傷が残っている。


 家では素手で過ごしているが、外出時には手袋をはめている。

「傷のせいで外出時は手袋が手放せない」とした方が、セオドアの罪悪感を煽ることができるからだ。


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 国一番の資産家である公爵家の嫡男と、しがない男爵家の三女。

 アンダーソン公爵家への嫁入りを狙ってい人間は当然面白く思っていないが、どうにもできないまま十年以上の月日が流れている。

 当時どの家も牽制し合った結果、セオドアの婚約者が決まっていなくて良かった。

 目撃者の多い場所で怪我をして良かった。

 セオドアにくっついても許される年齢で良かった。

 数々の幸運により、タチアナは女としての最上級の幸せを約束された立場を手に入れた。

 当代の皇帝陛下には皇女しかいない。アンダーソン公爵の妻の座は、帝国一の花嫁と言っても過言ではない。


(今のセオドアの見た目は好みじゃないけど、それくらい我慢してあげるわ)


 タチアナはキラキラとした優男が好きだ。

 舞台俳優のようなすらっとした細身の体型や、中性的な顔立ちにときめく。

 幼い頃はあんなに華奢だったのに、セオドアはあっというまに筋骨隆々とした大男に育ってしまった。


 見た目は好みから外れたが、しかたがない。公爵家の女主人の座と天秤にかけたら破談という選択はなかった。

 それにタチアナの好みではないが、世間一般の基準ではセオドアの外見は上等な部類なのだ。

 彼を見て頬を染めた女どもが、タチアナに恨みがましい視線を向けてくるのは快感ですらある。


 先日の夜会でも、タチアナはいかにセオドアが尽くしてくれているか語った。

 ドレスもアクセサリーも、出かける度に一級品をプレゼントしてくれる。

 予約で数年待ちの店も、お願いしたらすぐに席が用意してもらえる。

 国内にあるすべての劇場で特別席をおさえているから、チケットなんて買わなくても好きな時にふらりと行けば支配人自らが接客してくれる。


 腰の重いセオドアは「急に言われても」とか、「事前に連絡しなければ」とかあれこれ言うけど、結局はタチアナの望みを叶えるべく動くのだ。

 結果は同じなのだから余計な前振りは止めればいいのに、いつまでたっても愚図愚図していて苛つく。

 あの不本意そうなしかめ面をみると、ついどうでもいい我が儘を言ってしまう。

 婚約者に対して笑顔の一つも見せないセオドアの態度が原因なのだから、タチアナが我が儘に振る舞ってしまうのは彼の責任だ。


(結婚しても、あの態度なのはいただけないわね)


 先代が事故で急逝したので、公爵夫人としての教育が途中で止まってしまい結婚が延ばし延ばしになっているが、それも時間の問題だ。

 自らが怪我を負わせ、責任を取るために婚約したタチアナを手放すなんて非人道的なことは立場的に許されない。

 セオドアはどのみちタチアナと結婚するしかないのだ。


 タチアナを蹴落としてアンダーソン公爵家の嫁になりたい女はごまんといる。

公爵家の内外にも、アンダーソン家にとって益のない結婚を不服に思っている人間は多い。

 それでも二人の結婚は揺らがない。

 なぜなら破談の理由がないからだ。

 タチアナは可愛い我が儘を言う程度で、散財だって公爵家の資産からすれば微々たるものなので婚約解消する理由にはなりえない。


 不貞行為をしたら即破棄になるだろうが、逆にそれくらいしかないので常日頃から気をつけている。

 アンダーソン家の財力で磨き上げているからか、タチアナの容姿は中の上だが、やたら男から声をかけられる。


(やっぱり愛されてる人間は、魅力的に映るものなのかしら。わたしよりもずっと美人なのにモテないってかわいそ~)


 容姿に恵まれた女は気に食わない。しかし女として勝っていると思えば、相手が美しい方が気分がいい。素敵な紳士が彼女達を差し置いてタチアナに声をかけてきた瞬間は、いつも「ねえ、どんな気持ち?」と声をかけたくなる。 


(好みじゃなくても浮気されるのはムカつくから、その心配がないのはいいことよね~)


 セオドアはタチアナに償う立場なので、他の女に靡いたりはしない。

 いくら誘惑しようとも、立場を理解している彼が応じることはない。


 労せず手に入れた最上級の地位。


(絶対に手放すもんですか!)

今回は「控えめに言って死んでくれ」と思うような連中を書きたいです。

いつもお読みいただきありがとうございます!

評価、ブックマーク、感想など、ご想像以上に励みになりますのでなにとぞ!

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