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「――……つまり八歳の時に、まとわりついてきた親戚の娘を引き剥がしたら、足を滑らせた彼女が生け垣に突っ込んで手を怪我したと」
「ああ」
当時の光景を思い出して、セオドアの顔色が悪くなる。
あれは毎年恒例の家門の集まりだった。
ギルスタン男爵家はそこまで親しくはないが、一応親戚の括りになる家だ。
初めて会ったときからセオドアはタチアナが苦手だった。
止めてくれと言ってもベタベタとひっついて、暑苦しくてたまらない。
突き飛ばしたわけではないが、肩を掴んで引き離した時に、結構力が入っていたのは確かだ。
「傷物にしたということで、責任をとって婚約ねえ」
「出血は派手でしたが、手の甲に小指の半分程度の長さの傷がうっすら残る程度です。言われなければ気づかないくらい目立ちません」
「しかし貴族令嬢に傷を負わせたのは事実だ。目立つかどうかは問題ではない」
しかめ面で説明するジャスティンの隣で、セオドアは目を伏せた。
「いいえ! あの程度の傷でアンダーソン公爵夫人の座を手に入れようだなんて、厚顔無恥にもほどがあります!」
「家の格と、責任の有無は関係ないと思うが」
「ありますよ! 公爵家の持つ権力と公に対する責任の大きさを考えてください!」
なおも言い募ろうとした男を、月の精あらためアイリーン・チャンドラーは制止した。
「ちょっと、今は私に状況を説明する場でしょ。二人で盛り上がるのは止めて。あと当然のように同席して、当然のように口挟んでるそこの眼鏡。あなた誰よ」
「閣下の秘書のジャスティン・アレイスターです。あなたとは今回限りの付き合いなので、以後お見知りおきいただかなくて結構です」
「部下のくせに頭高くない? 態度デカくない?」
「貴様のような小娘に言われたくない!」
二十三歳のジャスティンからすれば、十七歳のアイリーンは小娘だ。
元々評判のよろしくない彼女に、タメ口で話されてカチンときて声を荒げた。
「年上には敬語を使え」
「あなたの身分は子爵令息。対する私は伯爵令嬢。貴族社会のルールに則るならば、あなたが私に敬語を使うのが正解でしょ」
「ならば聞くが、閣下に対してその言葉遣いはどうなんだ?」
「そうねぇ。……公爵様。相手によって言葉遣いを切り替えるのは非常に話しにくいのですが、公爵様は私が礼儀を弁えることをお望みですか?」
「え? それなら話やすいようにしてもらって構わないが」
「閣下!」
「俺は気にしない。それにレディ・チャンドラーは礼儀正しいとは言えないが、礼節を持って欲しければ先ずお前からそうしなければ」
タチアナも大差ない話し方なので、気にならないのは本当だ。
「いいえ閣下。この娘に礼を尽くしたところで変わりませんよ」
「心狭っ! 無駄にプライド高い眼鏡ね。部下がこんなにしゃしゃり出るなんて、アンダーソン公爵は家臣にも舐められてるの?」
「『も』ってなんですか。誰と同列にしているんですか!」
「タチアナ・ギルスタン」
「止めてください!!!!!!」
反射的に叫んだわりにはちゃんと敬語をキープしているので、貴族としての常識は身についているようだ。
「ギルスタン男爵もだが、俺はああいう人の弱みにつけ込む連中が大嫌いなんです!」
「ああ。『子供のしたことですから』『いえいえ、そんなわけには』って、流れじゃなかったのね」
「ええ。あの男は娘のために格上相手にも退かない父親づらして、責任を取らざるを得ないよう方々に触れ回ったんです」
「へえー、子供の失態をすかさず利用して、公爵家相手に婚約まで持っていったの。上手くやったわね」
「あなたはどちらの味方なんですか!」
「私が知っているのは婚約の経緯と、公爵様側の意見だけ。どちらかに味方するほど親しくないし、詳しくないもの。でも契約した以上、仕事はきっちり果たすから安心なさい」
「血も涙もない女ですね!」
「血も涙もあるけれど、守銭奴なだけよ」
いきり立つジャスティンに対して、アイリーンは怯むどころか鼻で笑った。
「それ訂正する意味あるのか?」
守銭奴もまあまあひどい。
そんな自己申告する必要があったのかとセオドアが首を傾げた時、三人が乗っていた馬車が止まった。
*
「目的地に着いたわよ」
三人が乗っているのは家門も何もついていない、シンプルで質素な馬車だ。
目撃されたとしても「古びた馬車」としか表現できないくらい、持ち主の痕跡を消している。
「お二人さん、そこのカーテンをめくって外を見てご覧なさい」
「……ここは、レジェミア街の一角か?」
眠らない町という呼び名の通り、深夜にも関わらず店には灯りがともり、薄暗い路地にもそこかしこに人の気配がする。
「右手奥にあるのが連れ込み宿よ」
見た目だけなら文句のつけようのない美少女から放たれた単語に、男二人は噴き出した。
「その手前にあるのが男娼の事務所。客はあそこで指名して、宿に移動するシステムよ」
「ちょっ」
「左手――通りを挟んで宿の向かいにあるのが飲み屋なんだけど、働いている酌婦は全員男なの」
「男が女性客をもてなすってことですか……?」
「そう。一昔前は疑似恋愛をウリにしていたけど、今は依存させてお金を巻き上げるのが目的って感じね。あのテクニック、参考になるわぁ」
「……」
由緒正しい公爵家の嫡男とその乳兄弟だったので、二人とも夜の世界についてはあまり詳しくない。
年下の少女が顔色一つ変えずに生々しい話をするのを固唾を呑んで聞き入った。
「つまりここは絶好の見学スポットなの」
「見学?」
「そう、あっ。いい感じのが来たわ! あそこにいる二人を見てなさい」
アイリーンが無邪気な仕草で指さした先では、男女の修羅場が繰り広げられていた。
男に騙された女が激怒しているようだ。
だが男の方も開き直っているというか、聞き流している様子だ。
女はしおらしく「私には○○しかいないの。○○のために何でもしてきたでしょう。○○は私のことどう思ってるの? ほんの少しでも私のこと愛してくれてる?」と縋ったかと思えば、答えが気に食わなかったのか「尽くしてもらった分、返すのが礼儀だろ! ふざけんな! 人でなし!」と豹変して怒鳴る。
その後も「死んでやる」と泣いたり「殺してやると」脅したりと忙しない。
「あそこまで酷くはありませんが、閣下と男爵令嬢もあんな感じですね」
「そうなのか……」
ジャスティンの言葉にセオドアは落ちこんだ。
「うーん。思ってたのと少し違ったわね。もうちょっと病んでるサンプルが欲しかったのに、あれは元気すぎるわ」
「あれも充分病んでると思うんですが、まだ足りないんですか?」
ジャスティンの言葉に、アイリーンは首を振った。
「もっと狂気じみてるのを見せたかったのよ」
「……それを反面教師にしろということか?」
「違うわ。参考にするの。私の言う通りにすれば、たった一日で件の婚約者とスッパリ婚約解消できるわよ」
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