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――時は待ち合わせの3日前に遡る。
「セオドア。あなた自分がどれだけひどいことをしたかわかってる?」
「それは、」
「言い訳しないで! 約束破ったのは事実でしょ!」
部屋かと見まごうほど豪奢な馬車の中に、甲高い声が響いた。
「すまない。しかし、」
「ちゃんと手紙出したのに! 無視してすっぽかすなんてありえない!」
「だが領地の仕事で家を空けることは、伝えていたはずだ」
「それって週末までのお仕事でしょう! なら手紙読めたんじゃん! わたしのこと何だと思ってるの!? 婚約者よ、結婚する相手よ。あなたの奥さんになる女なのよ!!」
小柄な少女に詰られて、セオドアは大きな身体を竦めた。
「……っ週末まで領地にいたのだから、帰宅するのは早くて週明けだ。週末の夜に到着する手紙で、翌朝の待ち合わせなんて……無理だ」
意を決してできるだけわかりやすいよう説明したが、彼の婚約者――タチアナ・ギルスタン男爵令嬢は、そんなものが通じる相手ではなかった。
「まだ言い訳!? 信じられない! 手紙読まなかったのも、行けないって連絡よこさなかったのも全部自分のミスなのに、わたしのせいにするのね! ひどすぎるわ!」
早くて週明けと言ったが、アンダーソン家の領地からこの帝都までは馬を休ませずに走らせても一昼夜かかる。
それこそ婚約者なのだから、タチアナはその距離を知っているはず。
間に合わないとわかっていて、わざとやったのは明白だった。
お互いに八歳、五歳と幼い頃に婚約して十五年。
婚約の経緯が経緯なので、不安を抱えているのかタチアナはこうやってセオドアが失態をおかすように仕向けたり、試すような行動をすることが多々あった。
わっと泣かれて、セオドアはますます身を縮こまらせた。
この状態になると、もうどうしたらいいのかわからない。
いつまでもこのままではいけないと、今日は珍しく言いなりにならなかったのが気に触ったのか、泣きながらも彼女は目の前の婚約者を罵り続けた。
「……君を責めるつもりはなかったんだ」
「でもそう聞こえたわ。聞き手がそう解釈したんだから、どんなつもりであったかなんて意味ないのよ! 会話ってそういうものでしょ! 相手がどう思うかが大事なのよ!」
「すまない」
「やっと非を認めたわね! こんな簡単なことを理解するのに、こんなに時間がかかるなんてありえない!」
「……」
「約束をすっぽかした件と、今の件。両方とも埋め合わせしてよね」
いつの間にか涙は乾いている。
いや手で顔を覆っていたが、化粧が崩れていないところをみるにそもそも涙なんて流れていなかったのだ。
「何してもらおっかなー」
にんまりと弧を描く唇に、背筋が寒くなる。
彼女からこの口癖が出たとき、いつもセオドアは頭の奥が痺れて動けなくなるのだ。
「……俺に、できることであれば」
他の言葉は許されない。もはや彼の意思とは関係なく、機械的に言葉が出てくる。
向かい合って座る男の顔色が悪くなっているのに気づくことなく、機嫌を直したタチアナはあれやこれやと要求を突きつけた。
*
その日の夜会は、アンダーソン公爵家と取引のある家で行われた。
公爵家は領地経営の他に、様々な商売をしているので関係者は数え切れないほどいる。
付き合いのある家はすべからく招待状を送ってくるが、あいにく公爵は生身の人間。応じられる数には限りがある。
セオドアが出席する=公爵家にとって優先順位の高い家ということで、それだけで社交界での地位が上がる。
主催者への挨拶を終えるなり、立ち替わり入れ替わり人がやってきては若きアンダーソン公爵にお近づきになろうとした。
「ねえ、セオドア。わたし疲れちゃった」
「ならあちらで休むといい」
会場の端には椅子席がある。
話し掛けてきた人物に一言詫びて、セオドアはタチアナをエスコートしようとした。
「ええー。嫌よあんな場所。……上の部屋に行きましょうよ」
粘つくような声が耳からセオドアの中にどろりと入ってきた。
夜会で男女が部屋に行くのは「そういうこと」だ。
実際はなにもなくても、そうだと周囲は考えるし、本人もそう思われることを覚悟しなければいけない。
「……ダメだ」
「何でもするって言ったじゃん! うそつき!」
最低限の分別はあるのか、馬車の時に比べると小さな声だ。
「知り合いの屋敷なんだぞ」
「知り合いなら許してくれるでしょ」
「無理だ」
思わず言ってしまい、慌てた。
恐る恐る彼女を見るも、自分の意見が通らなかったことにむくれているだけだ。
「知り合いだから無理なのだ」と勘違いしたのだとわかり、ほっとする。
結婚するまでは清い体で、と先延ばしにしていたが、最近はことあるごとに体の関係を迫られるようになり辟易していた。
「あら! お二人とも、こんなところにいらっしゃったの?」
この先どうするべきかセオドア決めあぐねていると、柔らかな声が降ってきた。
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