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紫苑の花

ーーランスロット公爵邸の庭園。


「とても綺麗な庭園ですね、フィリア様」


ニーナが微笑む。

優しい彼女の声はいつもフィリアの心を穏やかにしてくれる。


「ええ、とても綺麗ね」


(お母さんは…私がいなくても元気にしているかな…)


ふと、過去に置き去りにしてきた母を思った。


そのとき、足元の小石に踵を取られ、フィリアのバランスが崩れた。


ふわりと視界が傾き、心臓が口から飛び出しそうになる。

ドレスの裾が石に絡み、体が前に転びかけた。


(まずい——!)


「フィリア様!」


ニーナの慌てた声が聞こえたが、時すでに遅しだった。


だが次の瞬間、力強い手がフィリアの腰をすくい上げ、倒れる寸前で抱き留めた。

身体は男性の硬さに押しつけられ、世界が一瞬、止まる。


「っ…!」


顔を上げると、黄金の瞳が冷たくフィリアを見下ろしていた。

月影にも似た光が彼の輪郭を縁取り、まるで彫像が動き出したかのような静謐さを放っている。


(うわぁ……かっこいい……本物のシオンだ)


フィリアは見惚れてしまい、その瞳から目が離せなかった。


「なにをしている」


声は低く、刃のように鋭い。


助けられたはずなのに、そこに温もりはない。

代わりに、面倒ごとに巻き込まれたという不快さが滲んでいる。


フィリアは口ごもりながら礼を言おうとする。

だが、出てきたのはか細い声だった。


「…ありがとう…ございます」


それだけで喉が詰まる。


彼は腕をするりと離し、距離をとった。

手のぬくもりが消えると、なぜか名残惜しく感じた。


「礼は要らない。怪我をされても、迷惑だ」


「……」


(迷惑…?そんな言い方しなくても…)


彼は鋭く視線を逸らして、庭の紫苑に視線を落とす。

その横顔には、わずかな翳りが見えた。

まるで古い傷をそっと覗き込むような――その仕草が彼にだけは似合わないほど、脆いものに見えた。


「……あ、あの……私は、フィリア・ファルクナーです」


「あぁ、知っている」


(なんなのよ……)


「えっと…あなたは、シオン・フォン・ランスロット公爵様でいらっしゃいますか?」


「あぁ、そうだ」


「…よかったです。やっとお会いできましたね」


フィリアは少し嫌味ったらしく言って見せた。


「……」


シオンはただ黙って花を見ている。


「あの……これからよろしくお願いします。お役に立てるように頑張ります」


シオンがフィリアを怪訝そうに見る。


「別に無理をせずともよい。この婚約がいつまで続くかもわからぬしな」


(嫌な言い方するのね。いいわ…じゃあ受けてたとうじゃない!)


「そんなことおっしゃらないでください…。私は公爵様と婚約できてとても嬉しいです」


フィリアはこれでもかという満面の笑みを作って見せた。


「……その芝居がいつまで続くか知らないが、俺はお前に興味はない」


彼の口調は冷淡だが、どこかで線引きをしているようにも聞こえた。


「興味がないということは、これから興味を持って貰えばいいということですよね!」


「……勝手にしろ」


シオンは呆れ顔で答えた。


日が傾きかけ、紫苑が淡い影を伸ばす。


フィリアはゆっくりと花に触れ、その冷たさを掌いっぱいに感じ取った。

花びらは薄く、しかし逞しく風を受けて震えている。


「……この花、お好きなんですか?」


「……」


彼の肩がわずかに揺れる。

だが、返事はない。


フィリアは諦めずに微笑んだ。


「とても綺麗です。こんなに儚げなのに、風に負けずに咲いていて…」


「……口数の多い女だ」


ようやく返ってきた声は、呆れを含んでいる。

けれど、先ほどまでの冷たさとは微妙に違っていた。


「花言葉は……”遠くにある人を想う”ですね」


フィリアの言葉に、シオンの瞳が揺れる。


「……この花を知っているのか?」


「ええ、紫苑ですよね。公爵様と同じ名前の…」


「ああ……」


(花の名前を言ったつもりだけど……呼び捨てしたみたいになったかも……怒ったかな?)


「ごめんなさい……。別に公爵様を呼び捨てにしたわけではなくて…お気に障りましたか?」


フィリアは不安げにシオンの顔を覗き込む。


「……いや」


(あれ……もしかして今、ほんの少しだけ心を開きかけた……?)


フィリアは胸が高鳴るのを覚えた。


彼は確かに拒絶しているように見えるが、同時に、完全に拒み切れてはいないようだった。


「公爵様」


「……なんだ」


「この花が好きな理由……教えてくださいますか?」


挑むように笑みを浮かべる。

ほんの少しの勇気を振り絞って。


シオンの瞳が一瞬、揺らいだ。

彼はすぐに視線を逸らし、背を向ける。


「……別に理由などない」


冷ややかな声。

だがその歩みはわずかに乱れていた。

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