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8.女の子になった話⑧

この物語の最終話



 カイムが気がつくと、狭い檻の中にうずくまっていた。両手は背後からの鎖で拘束され、両足にも枷がついている。猛獣をいれておくような鉄製の檻で、一見すると、悪魔をいれておくには、物足りなさそうに見える。彼はためしに、枷を引きちぎろうとしてみた。予想に反して、びくともしない。ふと左足首を見ると、そこに巻き付いた鉄輪に、アルファスの印章が刻まれていた。おそらく、グラシアが彼に頼んで作らせた、悪魔捕縛用の特注品だろう。床にはご丁寧に、呪文の力を封じる記号まで描かれている。

 自分を囲むざわめき。鉄格子の向こう側を見ると、人だかりができていた。横で元王子の怒鳴り声がした。

「さあさあ皆さん、足を止めてご覧ください! これが女性のふりをし、私の妻を騙して襲った悪魔だ!」

 悪魔は、自分が服を脱がされ、腰布一枚で閉じ込められていることに気づいた。

「見ろ! こいつのどこが女なんだろうな!」

 カイムを見つめる人間どもの視線は、単なる好奇のもの、汚物を見るようなもの、下衆なもの、様々だった。悪魔は、言葉もなく彼らを見返した。彼は、自分を刺す視線のすべてを、なんとなく心地が良いと思った。外から注がれる視線によって、自分を内側から見つめる視線が相殺されたような気がしたからだった。

 檻の右側には、グラシアがうつむいて立っていた。

「君の気持ちが、とてもよくわかったよ」

 周囲の雑音で、カイムには友人の声が届かなかった。彼は、目を閉じ、自分に対する人間たちの罵り声が遠くなるのを感じながら、千里眼を発動して、我が女神様を探した。

 彼女は山中の山小屋で見つかった。元王子と、初夜を迎えた小屋である。ミラーは山を散々彷徨った汚れた服と、掻きむしった髪に小枝や葉が絡まったままの頭で、ベッドの縁に腰掛けている。たった一日で、少女は十数年老けてしまったように見える。

 突然、彼女は顔を上げ、何も無い中空の一点を見つめたまま震えだした。やがて「来ないで」「来ないで」と泣き叫びながら、手当たりしだいに物を投げ出した。かと思うと急に黙って耳をすました後、「どこにいるのよ。隠れていないで出てきなさいよ」と、天井に呼び掛け、答えが無いとつんざくような悲鳴を上げて、壁に何度も体当たりした。

 好きな人の正気を失った姿を目の当たりにした悪魔は、歯を食いしばって、苦しそうに息をもらし、鎖で後ろに手を引っ張られたまま、その場に土下座するように突っ伏した。

 だれか、もっともっと自分を痛めつけてほしい。そのあとで千回くらい火あぶりして、気を失ったら、口にたっぷり糞をつめて地面に埋めてほしい。

 悪魔はそのままの姿勢で、床に向かってあらん限りの罵声を(日本語で)あびせたが、知らない言語で呪いの言葉を吐いているように見えるその姿は、人間たちに本物の悪魔をこの目で目撃したという満足感を与えた。



 元王子のイドラとグラシオが去り、檻の中の悪魔が、前のめりに突っ伏したまま動かなくなると、人だかりはしだいに減った。やがて、通り過ぎる人がたまに振り返る程度になり、星が出る時間になると、カイムの周りには、完全な静寂が訪れた。

 ふと、人の気配。悪魔は這いつくばったまま、床から檻の外を見上げた。彼の視界には鉄格子の向こう側に元王子の姿があった。彼は、悪魔の眼前に立ちながら、わざとらしく視線を逸らしていた。月光に照らされて白くなったその顔には、怒りも軽蔑もなく、何も読み取れない。

「……悪かったな……」

 とても小さいつぶやきで、意外なセリフだったので、悪魔は聞き間違いだと思った。

「君を俺のものにするには、こうするしかなかったんだ……」

 「イドラ」は、ターコイズ色の目を伏せたまま、持っていた帆布製のズダ袋から服を出し、檻の格子の間からねじ込んだ。悪魔は、自分の右横に落ちたそれを見て、意味を図りかねた。女性物のワンピースだったのである。

「『他に好きな人ができた』と言ったところで、ミラーは離縁に承諾してくれない。なら、彼女自身に不貞を働かせて、現場を取り押さえ、自分から離縁の原因を作ってもらうしかないじゃないか」

 元王子は、一度大きく深呼吸した。その息は震えていた。彼は向き直り、悪魔をまっすぐ見つめた。

「……ケラレ……もし君が俺の気持ちに答えてくれるなら、今すぐここから出してやる……」

 「ケラレ」とは、女装したカイムが元王子と宮殿で面会した時に使用した偽名である。自分でも名乗ったことをすっかり忘れていた名で呼ばれた悪魔は、しばらく相手が何を言っているのか分からなかった。悪魔はゆっくり身を起こした。

 相手を観察した結果、思い詰めた声の調子、相手を直視できずに顔を伏せている様子、赤くなった耳など、片思い特有の兆候を見た悪魔は、次第に元王子の告白の意味を理解しはじめた。

「……ケラレ……一目惚れだったんだ……あの夜以来、俺は君に呪われてしまった。駆け落ちを決意した女性を抱きしめても、何とも思わなくなってしまうほどに!」

 カイムは口を開けたまま、相手をただ眺めていた。嫌悪も同情もなかった。平静というのでもなかった。しいて言えば空だった。

 元王子は、恋する相手と自分を隔てる格子にすがりついた。

「なんとか言ってくれ……ケラレ……こうしている間がつらいんだ……」

 悪魔は固まったままだった。唯一よぎった思考は「どんなに高級な教育を受けた人間でも、必死になると自分が鼻水を垂らしていることに気づかないもんだな」だった。

 しばらくの沈黙のあと、元王子の格子を握る手が次第に震え出した。やがて、彼は急に我に返り、「なんで俺が悪魔なんか!」と罵りながら、格子に拳を打ち付けた。そして、彼は顔を上げることなく姿を消した。

 カイムは、そのまま誰もいなくなった星空の下の暗い通りを見つめていた。突然彼は、グラシア・ラボラスの言葉を思い出した。


――まあ唯一、俺が嫉妬するとすれば、俺以外の悪魔が、彼の一番になった場合かな。


 友人の急変の原因は、彼が自分の召喚者である「イドラ」の本当の思い人が誰なのか気づいたことだったのである。

 


〈初夜に、駆け落ち夫婦の寝室で、誰が誰の名を呼んでしまったのか、これで分かったろうう?〉

〈「あの女」がどの女(悪魔)なのかもな!〉

〈神様は本当に酷よのう〉

〈人間どもも、悪魔どもも、結局誰一人幸せにならなかった!〉

〈被造物を魂中毒にしたあげくに、この仕打ち〉

〈でも誰も幸せにならないなら、平等でいいじゃないか〉

〈敵の敵は味方。みんなで神様を呪ってやろうぜ!〉


 カイムは再び突っ伏した。目を閉じ、千里眼を使って自分の召喚者を探した。ミラーは例の小屋の中で、両手を垂らしたまま汚い椅子にもたれていた。一見疲れて眠っているだけのようにも見えたが、口から覗く舌、動かない胸、その他の兆候が、彼女がすでに息を引き取っていることを示していた。

 悪魔が歯を食いしばると、涙が一筋流れた。

 やがて彼を捉えていた手錠が、床に落ちる音がして、悪魔はこの世界から姿を消した。





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