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8.女の子になった話②

新婚夫婦の様子


「犬小屋」の再利用


少年の悪魔に欲情した人間の末路


 一方、初夜を迎えた日以降、新婚夫婦の関係には少しだけ変化があった。

 恋する相手に再会した当初、二人の間には、相手によく見られたいという気遣いがあった。ミラーは、仕草や言葉遣いに気を使い、できる限り相手に自分をおしとやかに見せようとしていた。反対に「イドラ」は、それらをわざと粗野にして、快活で勇敢に見せようとしていた。二人のこうした態度は、本来の自分を隠し、無理している側面はあったものの、一方で、お互いを思いやった結果ともいえた。しかし、初夜を境に、二人とも、この気遣いをやめてしまったのである。

 とくに新妻の態度の変化は著しかった。彼女は、おっとりした言葉使いをすっかり忘れ、機嫌が悪いとすぐに大きな声を出し、時には世間知らずの元王子に対して叱咤すらするようになった。かと思うと、突然、まったく面白くないことに大笑いして、止まらなくなることもあった。また、絶えず夫の行方を気にするようになり、少しでも姿が見えないと癇癪を起こした。そして見つかると、すぐに彼に駆け寄ってすがりつき、いつまでも離そうとしなかった。

 一方、夫の方は口数が減り、無気力になった。妻に、多少屈辱的なことを言われても、怒ることもたしなめることもせず、黙ってうなずいていた。自分の扱いに不満があるのかどうかすら、彼の態度から読み取れることはなく、別のことにばかり気を取られているようだった。

 彼らの様子を影から伺っていた悪魔たちは、少しだけ変に思ったものの、駆け落ちの不安で情緒不安定になっているだけだろうと思い、深く詮索はしなかった。


 ほどなくして、グラシアから鍵を渡された新婚夫婦は山をおり、町中のくだんの家で暮らし始めた。

 最初のうち、二人は荷物を整理したり、必要な家具を買い足したり、祖国の言語上のなまりをこの地域に合わせたり、生活を整えるのに必死だった。落ち着いた後もしばらくは、知らない国で暮らす新鮮さからくる陶酔が、二人の心に巣食う何かを、一時的に隠しているように見えた。




 一方、悪魔たちは以前カイムが使っていた「犬小屋」を、町外れに移築した。そこを、二人の寝所とすることにしたのである。

 簡易な「犬小屋」に入ったグラシアは、地獄から持ち込んだ自分の手荷物を下ろして、薄暗い粗末な室内を見渡した。

「俺らも町で家を手に入れてもよかったんじゃない」

 カイムは、壁紙も貼っていない木の壁に寄りかかって、足を投げ出して座っていた。

「……いくら外国人が多い町だって、人が多いところで悪魔が二人で暮らしていたら、目立ちすぎるだろう」

「俺らだって、ツノと翼を引っ込めておけば、人間と変わらないから大丈夫だと思うけど。ただたんにカイムが、イドラとミラーさんから、離れて暮らしたいだけでしょ」

 床に視線を落としたグラシアは、床板に広がった黒っぽいシミに気付いた。

「……何? このシミ」

 カイムは、生気のない視線で向かいの壁を見つめたまま、動かなかった。

「血痕だ」

「誰の?」

「……私のだ……気にしないでくれ……」

「……ふーん……」

 グラシオは伸びをした。

「どうする? 今日はどっちが先に二人の家の夜の見張り番に行く?」

「……別に毎晩、私達が見張りにいくことはないと思うがな。特別に治安が悪い地域でもないし」

「でもまあ用心するに越したことはないからね。あ、さっきイドラに、ケーキもらったけど食べる?」

 大きい方の悪魔は、自分の手荷物を漁って、紙の包みを出した。

「時計を高く売ったお祝いだって」

 彼の言う時計とは、元王子が宮殿から持ち出したもののうち、1番高値がつきそうなものだった。金無垢で蓋に、ギリシャ神話のプシュケーの細密画が、エナメルを使って装飾されていた。

「……あれ……やっと売れてくれたのか……」

「あの時計、なんか俺達に合わなかったもんね。持ってるだけで、手が焼けるように熱くなって、離した後も真っ赤になってさ。買い取ってくれた業者が、中蓋を空けたら、機械部分に魔除けの彫刻がしてあったって。原因はそれだったみたい。ケーキ食べる? ラムレーズンがたっぷりだよ」

 グラシオは、友人の鼻先に紙の包みを差し出した。

 カイムの視線はまったく動かなかった。

「いらない」

「でもよかったよ。まだイドラが持ち出した宝石もだいぶ残っているし、彼も港で荷卸しの仕事をはじめるっていってたし、もう二人の生活はこれで安泰だわ」

 大きい方の悪魔は包みを開けて、上を向いてちぎったケーキを口に運んだ。

「そうだな」

 カイムは短く答えて口を閉ざした。

「まだ、機嫌悪いの? しょうがないなあ……じゃあ、俺が先に見張りに立つから、月が沈む時間になったら、交代に来てよ」



グラシアが出ていき、薄暗い小屋に一人残ったカイムは、壁に向かって横になった。


〈おばあさん、おばあさん。どうしてこの悪魔は機嫌が悪いの?〉

〈それはね、自分の女神様がとっても幸せだからだよ〉

〈おばあさん、おばあさん。どうしてこの悪魔は、自分の女神様が幸せだと、機嫌が悪くなるの?〉

〈それはね、自分だけの女神さまが、他の男と幸せになっているからだよ〉

〈おばあさん、おばあさん。どうしてこの悪魔は女神様を自分だけのものにしたいの?〉

〈それはね……女神様を食べるためさ!〉




 カイムはもう自分の内も外もすべてが嫌だった。小屋を出た彼は、一人で町を歩き回り、酒場に入った。酒場の主人は一人で入ってきた不気味な子供を追い出そうとした。しかし客の一人が彼の容姿に目を止め、自分の方へ呼び寄せた。その客は、カイムにわざと強い酒を飲ませた後、性的な言葉でくどいた。悪魔は無言のまま、酔ったふりをして色目でそれに答えた。

 男の家に連れて帰られた悪魔は、しばらく男の為すがままにされていたが、ベッドに押し倒され、自分の眼前にせまる男の顔を見た時、気絶するミラーに口移しで薬を飲ませた時のことを思い出した。

 次の瞬間、悪魔は男の下半身を思い切り蹴飛ばしていた。うめき声を上げ、局部をおさえながらうずくまり、大声で罵り始めた男の背中を見ながら、悪魔は呪文をつぶやいて、自分の刀を呼び寄せた。そして間髪入れず、男の背中につきたてた。男の罵り声は悲鳴に変わった。男は尻を床につけたまま、自分が連れ帰った男の子を仰ぎ、見開いた目に恐怖を浮かべながら、背面で床を這うように後ずさった。男のあえぐような悲鳴を聞いているうちに、未だ性行為の続きに付き合わされているような気になった悪魔は、いよいよ頭にきて、男を何度も突き刺した。男は全身を痙攣させながら悲鳴とともに絶命した。

 男が動かなくなったのを見たカイムは、力が抜けたように倒れるように壁に寄りかかり、そのままずり落ちて床に尻をつけた。彼は床をみつめたその姿勢のまま、日が昇る時間まで動かなかった。

 

 カーテンの隙間から、朝日の優しい光が悪魔を刺した。彼は重い身体を起こし、死体が(生きていた頃に)脱ぎ捨てていたベストのポケットから財布を失敬して家を出た。

 そのまま彼は、新婚夫婦の家で夜の見張り番をしているグラシア・ラボラスのもとへ向かった。現場に到着すると、友人は壁にもたれて座り、眠気に耐えられず船を漕いでいた。

 彼は人の気配で目を覚まし、返り血で汚れた服を着たカイムの姿を認めた。

「今までどこいってたの?」

 寝起きの悪魔は、口元を触ってよだれを気にしながら尋ねた。

「千里眼で私の様子を、見ていたんじゃないのか」

「見てないよ、のぞきは趣味悪いって君が言ったんじゃん」

 小さい方の悪魔は、うつむいて顔を隠し震える声でつぶやいた。

「……申し訳ない、もう……耐えられないんだ」

「……まあいいんじゃない」

 グラシアはようやく立ち上がって、お尻を叩いてホコリを払った。そしてその手を友人の頭においた。

「カイム……別に構わないよ。俺の召喚者はリフレクシオで、君の召喚者はミラーだ。お互い、自分が一番大事にすべき人を、それぞれのやり方で守ればいい」


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