7.犬になった話⑨
ユリエットが悪魔に望んだ死
書斎から廊下へ出ると、十歩ほど離れたところに女の子が立っていた。顔を見ると、水汲み広場で彼にこの仕事を紹介してくれた子だった。
「私の名前はユリエット。あなたとお話がしたいの。私の部屋に来てちょうだい」
望むところである。悪魔は黙って、彼女の後を歩いた。
部屋へ到着すると、白いカーテンを開けたままにした窓際にあるテーブルの椅子に、二人は向かい合って腰掛けた。
「私、あなたがユスティーヌの命を奪った時、ドアの隙間から見ていたの」
悪魔は、前回この屋敷に潜入して、初めて候補者を手に掛けた際、誰かに覗かれたことを思い出して、顔色を変えた。
「でも全然怖くなかった。だって、私、彼女がそんなに好きじゃなかったんだもの。いつでも自分だけは正しいと思い込んでいるみたいで話していると息が詰まったし、それでいて私の生い立ちを馬鹿にしているようなところもあったの。
それなのに、あなたがうっとりした表情でユスティーヌを見つめていたから、嫉妬しちゃった。あなたったら、まるで世界で一番美しいお姫さまに魅入られたみたいだったんだもの。だから、あなたに会って頼んでみたくなったの。もしも、ユスティーヌがあなたにとって特別な子でないのであれば、私も命をあげるから、わたしのこともそんな風にみつめてちょうだいって。あなたに不意に殺される前に、お話できる機会を得るために、随分作戦を考えたのよ。
ねえ、あなた、ユスティーヌが好きだったの」
「いや。あの人間の姿を見たのも、声を聞いたのもあの時が初めてだ」
恥ずかしい姿を見られていたバツの悪さで、悪魔はうつむいて小さい声で答えた。
「今、王都を騒がせている、お姫様候補者を手に掛けている悪魔って、あなたのことなんでしょう。どうしてこんなことしているの」
「私には好きな人がいるんだ。その人がお姫様になりたがっている。他の候補者は邪魔だ」
「それ、ミラーっていう子? あなた、ユスティーヌにキスをする前に、名前をつぶやいたでしょう」
「それも聞こえていたのか」
カイムは思わず立ち上がって叫ぶと、崩れ落ちて床に膝と手をついた。
「よっぽど、その子が好きなのね」
少女は立ち上がってかがむと、悪魔の銀髪の頭に手を載せた。
「あなたはミラーの願いを叶えたい。でも、彼女が王子様と結婚してしまったら、彼女はあなたのものにはならないじゃない」
「でもそれが彼女の夢だからな」
悪魔はうつむいたまま、かすれた声で答えた。
「あなたはそれでいいの」
「ああ」
「でも、本当にお姫様になるのが夢だなんていう子いるかしら。私は全然なりたくないの。だって私、王子様なんて会ったこともないし、もちろん好きでもないんだもん。私がお姫さまの候補者になった時、お母さんは泣いて喜んでいたけど、私は絶望しちゃった。私は、この人しか有り得ないってくらい好きな人を自分で見つけて、その人と結婚したかったのよ。本当に好きな人と一緒にいられることに比べたら、お姫様になって手に入る肩書きや宝石なんて、ただの名前と石よ」
「それは……そうかもな」
「どうして彼女は、お姫様になりたいって思ったのか聞いたことがある?」
「その王子様とやらが、ミラーの一番好きな人だからだ」
「本当に? 彼女が、はっきりそう言ったの? 彼女も、お家の人に無理矢理候補者にさせられたのに、それが自分の使命だって思い込んでるだけじゃないの」
「彼女の家族は、おまえの家のように代々の地位の保持に絶対的な価値をおいてはいない」
「貴族じゃないってこと? ならお姫様になることで、手に入る地位や財産を使って、家族に楽させてあげたいだけで、王子様が好きで結婚したいわけじゃないんじゃない」
「……そうなのか……でもミラーはいつもイドル、イドルって……」
「……イドルって誰? ……王子の名前はリフレクシオよ」
「なぜ彼女が王子をそう呼ぶのかについて、私は教えてもらっていない……」
「名前も正確に知らないなんて、彼女は本当に王子を好きなのかしら。あなたみたいな子が好きだって言ってくれてるのに、王子様なんか選ぶわけないわ……もしも……その子があなたをいらないなら、私が持っている財産の全てを引き換えに私が欲しいくらいだわ……」
ユリエットはしゃがんで、カイムの顔を覗き込んだ。
「ねえ……今から一緒にここを出て、二人で暮らさない? 私だったら、あなたを骨の髄まで好きになってあげるわよ」
「それはできない」
「でもあなたのやっていることは無駄よ。叔父さんを殺したところで無駄だってこともわかったでしょう。そして私を殺しても無駄。私たちが死んでも、次の家長と候補者が現れるだけだもん。あなたは何をやっても、あなたの好きな人をお姫様にできないわ」
悪魔はうつむいたまま音もなく立ち上がると、日本刀の柄に手を掛けた。
「そうでもない。今ここでおまえを殺し、その後、あの家長を籠絡し、私の好きな人をこの家の養子及び代わりの候補者にさせる。そうすれば、ミラーが最有力候補者だ」
「本気で言ってるの?」
「ああ」
ユリエットは声を立てて笑った。
「あなたはずっと報われないじゃない」
「そういうもんだ。どうせ彼女は悪魔を好きにはならない」
「悪魔と呼ばれているくせに、あなたは偽善的だわ」
彼女はため息をついて、再び椅子に腰を下ろした。そして、黒い木の影しか見えない窓の外をしばらく見つめたあと、つぶやいた。
「いいわ……殺されてあげる……でもこの家では、あなたは悪魔である前に、一人の男娼よ」
ユリエットはゆっくり立ち上がり、部屋のクローゼットを開けた。中には色とりどりのドレスがかかっており、下には靴が並んでいる。
「今から私があなたに殺されるまでの時間、これで私はあなたを買うわ。ドレスでも、靴でも、アクセサリーでもなんでも好きなものを持っていってちょうだい。売れば少しはお金になるでしょう。私、あなたに殺されるのは全然、構わないの。だってあなたが私と駆け落ちしてくれないなら、あなたに命を絶ってもらおうと最初から決めてたんだから。そうすれば私は、誰かの代用でしかない人生に終止符を打てた上に、初めて本当に好きになった人に命を差し出すことができるんだもん。
命をあげるんだから、あなたは少しだけ私のわがままに付き合ってちょうだい」
悪魔は、思わぬところで大きな課題が解決したことに驚いて、クローゼットの中を見た。
「……その申し出、私としても大変助かる」
「じゃ、取引成立ね……死ぬ時って痛かったり、苦しかったりするよね」
「痛くないように、一撃で決める」
悪魔は再び日本刀の柄に手をかけた。
「もっと他にやり方はないの?」
「ではおまえに、気持ちよさを感じながら死ねる毒を飲んでもらうのはどうだ」
「いいわね。じゃあ、あなたがキスで飲ませてちょうだい」
「それはできない」
「どうして、ユスティーヌにはしたじゃない」
「私とおまえはすでに、友達になってしまった。一番好きとは言えない友達に、そういうことをするのは、不誠実だ」
「いいえ、今のあなたと私は、男娼とお客よ。あなたはお客の言うことをなんでも聞かなきゃいけないのよ。でないとドレスはあげないから」
痛いところをつかれた悪魔は、しばらく少女をみつめた。彼女は、しっかりと彼を見つめ返して、自分の決心が揺るがないことを示した。
「……分かった……」
カイムは懐からピルケースを出し、極めて小さい錠剤を口に入れた。
「ねえ、すぐに毒を私の口に入れないでよ。最低一分は、ちゃんとキスをしてからにしてちょうだい。それでその間、あなたは好きな人のことも、自分の役目のことも何もかも忘れて、ただひたすら私のことだけを考えてちょうだい。」
「……分かった」
悪魔が少女の肩を掴んで仕事をすませようとすると、ユリエットは遮るようにつぶやいた。
「……私、来世では絶対に、あなたを私のものにするわ」
「来世なんて無い。魂なんて、存在しない」
「じゃあ、来世であなたに私の魂の存在を信じさせてあげる」
「いや……」
「あなた、私に買われてるのよ。私の言葉にはただ一言『分かった。待ってる』って答えてちょうだい」
ユリエットは、一息つくと悪魔としっかり目を合わせた。
「私、来世では絶対に、あなたに私の魂の存在を認めさせて、あなたを私のものにするわ」(注1)
「分かった。待ってる」
二分後、少女の身体が悪魔の手から崩れ落ちた。カイムは友人の亡骸をかかえて、ベッドに運んだ。布団に横たわったユリエットは、目を閉じて微笑んでいる。眺めているうちに突然、同志に先を越されたような、置いていかれたような気になった悪魔は、自分の胸を掴んだ。いたたまれなくなった彼はベッドを離れ、一番綺麗なドレスと小物一式を衣装箱に詰めた。そして、それをかかえると窓から外へ出た。
注
1 「私、来世では絶対に、あなたに私の魂の存在を認めさせて、あなたを私のものにするわ」
「1.秘密」をお読みくださった方の中には、ジュリエットとユリエットの関係性を察して、前者は後者の生まれ変わりであると思った方がいらっしゃるかもしれない。
確かにそれは一つの解釈だが、「この世界は神様の夢である」というのが、この物語の設定である。夢の中では、似たようなモチーフが繰り返し現れるというのは普通のことであり、カイムの元に、珍しく彼に恋する二人の似た名前の少女が、一定の時間をおいて現れたというのも、単なるそういう現象に過ぎない。
ただ、ユリエットの存在を知ったジュリエットが、彼女を自分の前世だと信じ、恋人にも信じ込ませることに成功したとしたら、それは二人にとって真実になる。
そして「魂」に関する真実は、当事者が何を信じるかという仕方でしか存在しえない。




