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7.犬になった話⑤

事件が起こってもミラーは、悪魔と彼が繰り広げる惨劇に向き合うことから逃げ続ける。

しかし日没の時間になると、否応なく、彼女の足は「犬」の元へ向かってしまう。


一方、悪魔は「仕事」にはげみ、ミラーへのプレゼントを用意し、彼女とのデートを夢見ていた。


 私は週に一度の楽しみである、おやつのどんぐりのクッキーを買いに、いつものパン屋に来ていました。店主の奥さんは、紙にはさんだそれを、渡しながら私に話しかけました。

「また広場でお姫様候補者の遺体が動物に食われてたって。今回はツグミで、前回は犬だっけ……全く物騒だわ。ミラーも気をつけなよ」

 私は動揺しましたが、なぜかそれを隠し冷静そうな声を作りました。

「みんな素敵な美人だったのに可哀想……」

「そんな人ごとみたいに言ってる場合じゃないよ」

「そうよね」

 私がお金を渡すと、奥さんは数えて銭箱にしまいながら付け加えました。

「あれは悪魔の仕業なんだから」

 私は、全身を何かで貫かれたような気持ちになりました。しかし、広場で初めてお姫様の候補者が死体となって、犬に食われていたのは、私があの「犬」と会う前だった。だから、私は絶対に何も関係があるはずがない。私は大きく打ち始めた心臓に手を当て、自分を安心させようとしました。しかし嫌な想像は去ってくれず、せっかく買ったクッキーも食べる気になれませんでした。

 もし、こんな事件に自分が関係していることが分かったら、私はもう二度とイドルの前に立つことはできない。王族として、気高い教育を受けている彼は、他人を犠牲にして幸福を得ようとする人間を、決して許さないでしょう。

 もう、「犬」と関わるのはやめよう。だけど私が彼を放り出してしまったら、彼が本物の悪魔になって、暴走し、私の責任で町がとんでもないことになるかもしれない。日が沈む時間になると、私の体を不安がくすぐるように駆け、それに急きたてられるように足が、あの水道橋のある暗い森に向かってしまうのです。


 橋を登り切ると、決まって「犬」は縁に座っています。そして、私に気づく縁から降りてこちらを向くのです。私が前に立つと、どうしていいのか分からないような頼りない表情で、少し笑っています。

「座って」

 彼は大人しくしたがい、元通り縁に腰を下ろします。私は隣に座ると、いつものサンドイッチの入った袋とピケットの瓶を渡しました。

「……ありがとう」

「いい子にしてた」

「ああ昼間は、友人から頼まれた仕事をしていた」

「……そう、じゃあ今日はこれもあげる」

 私は追加で、自分の残したおやつを渡しました。

 「犬」は包み紙を開いてクッキーを出すと、サンドイッチを渡された時の数倍の笑顔を見せました。

「ありがとう」

 そして、半分に割り、大きい方を私に渡そうとしました。

 それを見ると、私は急に頭にきたので「いいから一人で全部食べて」と怒鳴りました。

 彼は、なぜ怒られたのか全然分からず驚いたようでしたが、やがて従い、大事そうに少しずつクッキーをかじり出しました。

 その姿を見ているうちに、こんなお人好しで、ちょっと間抜けな男の子が、大胆な罪を犯すはずがないと確信し、私は胸の不安が鎮まるのが分かりました。



 召喚者と過ごす貴重な時間が過ぎ、名残惜しそうに彼女の去っていく背中を見送っていたカイムは、しかしいつもより幸福だった。夜の暗殺業と、地獄で友人に頼まれた仕事のため、体力を消耗したので、空腹を満たすために、森でどんぐりを拾い食いしながら歩き回った結果、かえって疲れてしまったが、クッキーのおかげで元気になった気がした。


――あれは、ミラーがわざわざ、私のためにお小遣いで買ってくれたものだったんだ。私も彼女のために完璧な仕事をしよう。


〈さすが悪魔様。女神様の靴を舐められる日も近い〉


 この日、悪魔は前日とほとんど同じやり方で(今度は自分の感情をおかしくさせないために、標的と目を合わさずに一撃で仕留めるよう気をつけた)、別の候補者を手に掛け、死体を水汲み広場に設置した。設置をしている最中、町を徘徊していた酔っ払いが広場にやってきてカイムを見つけると、悪魔だ何だと騒ぎ出した。悪魔はすぐに彼を突き刺して地面に倒したあと、棒に括り付けた遺体の足元につま先で転がした。



 今度、広場で見せしめに殺されていたのは、一人ではありませんでした。鳥に食われる花嫁候補者の足元に、町の人々の見知った顔が横たわっていたのです。殺されたのは、私の行きつけのパン屋のご主人でした。私と一緒に現場に駆けつけた奥さんは、その場に泣き崩れました。

 この日は、身近な人間が犠牲になったことで、今まで貴族だけの問題として、どこか他人事だった町の人々が、魔の手が自分の側まで来ていることを実感した日でした。彼らは感情的になって、口々に叫びました。

「一体、これは誰のしわざなんだ。この容赦のなさから考えて、人間とは思えない」

「俺の家はこの水汲み広場のすぐそばだ。俺は昨日の夜中、外から聞こえた叫び声で、ベッドから起こされた。あれはパン屋の声だ。たしかにやつは、『悪魔』と言っていた」

「悪魔め。いい気になるのも今のうちさ。こんなこと、我々の王様が黙って見ているはずがない。すぐに王家に仕える騎士団が、おまえを捕まえるさ」

「悪魔がいるからには、使役している人間がいるはずだ。きっと王様は、そいつ共々捕まえて、この広場でそろって内臓を引きずり出してくれるだろう」

 私はその場にしゃがんで、パン屋の奥さんの痙攣する肩を抱きしめました。そうすることで、町の人々の叫び声が、少しだけ遠くなりました。


――イドル……私はあなたにふさわしいお姫様になれるかしら。私はあなたにすべてを差し出します。あなたにすべてを手にとってもらえるように、わたしは身も心もきれいにしておかなければ。

 私は決して、悪魔なんて呼び出してはいない。



 酔っ払いに仕事を邪魔された翌晩も、悪魔はめげずに自分の仕事をしていた。次の標的の家は、連日の暗殺事件を踏まえて、警備を厳重にしていた。武装した人間が邸宅を囲んでいたが、悪魔にはあまり関係が無かった。カイムは、光速移動で誰にも気づかれずに庭へ侵入すると、千里眼で標的の部屋を探した。

 しかしその時、予想外のことが起こった。隠れて用を足そうと庭の生け垣の影に足を踏み入れた傭兵と鉢合わせしてしまったのである。

 悪魔は急いで抜刀し、大声で人を呼ぶ傭兵を口から串刺しにした。そして、呪文を唱えてつぐみたちを呼んだ。まもなく邸宅を、大量の鳥とそれに襲われた人間の悲鳴が囲み、人々の手から落ちた松明が干し草に燃え移ったのをきっかけに、大きな炎が上がった。

 ようやく標的の部屋をつきとめたカイムは、室内に着地した。窓から差し込む炎の光で浮かぶ悪魔の黒い影を見た少女は、壁に背中を押し付けて大声でわめいた。

 逃げることもできずにわめくだけの少女の前に立った悪魔は、彼女の下腹を膝で壁に押さえつけ、刀を水平に構えて刃を喉に当てた。

 少女はそれでも暴れることをやめず、刃の下で切り傷をつくりながら首を動かした。悪魔が、腹を膝で思い切り蹴飛ばすと、少女は奇妙な声を上げて、気絶した。カイムはその瞬間を逃さず、手に力をこめて、刀を押し込んだ。まもなく、少女の首が床に転がった。


――せっかく、人生最高の快楽を与えてやろうというのに、気絶を選ぶなんて、ばかな人間だ。


 悪魔は顔にかかった返り血を手で拭って、少し離れたところに転がった首を見た。首は目玉が飛び出さんばかりにまぶたを開いたままだった。彼の目を引いたのは、宝石のピアスがついた耳だった。綺麗に磨かれて光沢のある空色のターコイズが、少し尖った耳の複雑な曲線を引き立てている。両方ともいいお土産になると思った悪魔は、左右の耳を切り落としてハンカチに包んで、ポケットに入れた。


 水汲み広場に首のない遺体を設置し終えて、水道橋がある森に帰ったカイムは、川で体を洗って着替えをすませた。それから、ハンカチをほどいて、持って帰った耳からピアスを外した。そして、両方とも川につけてよくすすぎながら、これらを誰にあげるかということに思いを巡らせた。耳の方は、地獄にいる友人のお土産にするとして、ピアスはミラーにあげたら喜ぶんじゃないか。

 犬と見知らぬ死体の盛り土の上に横になった悪魔は、目を閉じ、クッキーのお礼として、ピアスを彼女に渡す想像をした。彼女は喜んでくれるだろうか。これをつけてくれた彼女と、町を散歩できたら、どんなにすできだろう。きれいな花を持って彼女を迎えにいくんだ。それでクッキーを買って半分にして二人で……。

 そこで実際にクッキーを割って、怒鳴られた一件を思い出し、これらの実現が前途多難であることに気づいた悪魔はため息をついた。

 しかしこうして現実に引き戻されたつもりだったにも関わらず、まぶたの裏ではデートが順調に続いており、最後に悪魔は少女にキスまでしてしまったので、たまらず目を開けざるを得なかった。

 

〈いやー、何千年にも渡って、人々に莫大な「快楽」を与え続けてきた悪魔様が、面積にしてたった二平方センチメートルの少女との皮膚接触に憧れなさるとは……恋(笑)っていうのは、まこと憐れじゃのう……〉



 私は広場の中心を遠巻きにして集まった人々に混じって、動物に食われる少女の遺体を見つめていました。首の無い少女の柔らかい白いお腹に集った小鳥が、皮膚を食いちぎって、蛇のような内臓を引っ張り出していました。私はひどい吐き気に襲われましたが、唾を飲み込んで必死に耐えました。

 うつむいて顔をそむけた私の姿は、純粋に悲しんでいるか、怖がっている人のそれでした。私の内面も、表面上は外見に沿ったものでしたが、奥底では自分の夢に一歩近付いたことへの喜びと、その喜びに対する拒絶の葛藤がありました。私のこの気持ちを、イドラが知ったら、どう思うでしょうか。

「……ねえ、ミラーも立候補を取り消したほうがいいんじゃない……」

 近くで友人の声がしました。

「どうしてよ」

 私は反射的に友人を振り返って答えました。友人は私の反応に驚いたようでした。しばらく二人で顔を見合わせた末、ようやく私は、もう一度返事をやり直しました。

「大丈夫……私は殺されないわ」

「どうして分かるの」

「……」

 しばらくして、友人の静かな声がしました。

「狙われているのは、貴族の女の子ばかりだから? でも、これから、どうなるかわからないじゃない。パン屋さんも殺されてしまったし……これが悪魔の仕業なら、人間の理屈は通じないのよ……自分が、絶対に殺される可能性が無いと分かるのは、悪魔にそれをやらせている本人だけよ」

 友人の最後の一言で、私は突然、混乱し思わず叫びました。

「私は何も関係無いわよ」

 大きい声に驚いて、周囲の人が私を振り返りました。私は、呆然とする友人を置き去りにして、その場を走り去りました。


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