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7.犬になった話④

カイムは「仕事」を開始した。

少女の死と欲情する悪魔。


彼女は、この国で起こった連続惨殺事件の、初の被害者ではなかった。


 早速、召喚者の願いを叶えるため、仕事に取り掛かることに決めたカイムは、昼間の王都へ出て、人が集まる水汲み広場に到着した。ここに設置された掲示板には、第二王子のお妃候補一覧が張り出されているのである。犬の耳と尾をつけた奇妙な男の子に対する通りすがりの人の視線も気にせず、悪魔は腕を組んで掲示板を眺めた。そして手始めに一番力のある貴族の娘である、エピフィルム家のユスティーヌを仕留めることに決めた。有力な候補者を上から順番に始末していく作戦である。初の標的は王都から近い、かの家の領地にある邸宅に住んでいることがわかった。場所は町の人間には有名だったので、すぐに判明した。


 満月が輝く時間、くだんの邸宅の庭に身を潜めた悪魔(汚れると面倒なので、犬の耳と尾は外した)が、千里眼でユスティーヌの部屋を探して覗くと、彼女はネグリジェ姿で一人、鏡台に向かい、銀の櫛で髪を解いているところだった。

 彼は呪文を呟いて、少女の部屋の窓の鍵を外して全開にした。ユスティーヌは驚いて立ち上がった。彼女が振り返ると、悪魔はすでに、日本刀を手に明るい室内に着地していた。

 ユスティーヌは一度、後ずさった。しかしシャンデリアの下、ゆっくり身を起こした銀髪の男の子の優しげな横顔を見て、少し安心したのか、歩みを前に進めた。

「……あなたは誰……」

 次の瞬間、悪魔は抜刀し、正面から少女の心臓を突いた。少女は数秒間、自分を刺した相手の顔を、夢を見るような目でみつめてから、顎を反らした。単なる肉塊で終わるはずだったものと目を合わせてしまった悪魔は、少しだけ嫌な感じがした。

 すぐに刀を抜いて、それを投げ捨て、崩れ落ちた彼女を両腕で抱えると、激しく息をしながら痙攣している。胸の穴からは、栓を抜いたように血が流れた。


――一撃で仕留めたつもりだったんだが……。


 悪魔はすぐに、とどめを刺そうとしたが、少女を見ているうちに、いつの間にか目が離せなくなってしまった。生きようとあがく人の息遣い。それと連動する、自分の腕の中で呼吸を続ける胸の上下の動き。不快で心地よい血の臭い。彼女の背中と、自分の手のひらの間にある生暖かいぬめり。


〈もしもし、神様。私です。「死」って何?〉

〈魂中毒から解放されるこった〉

〈そもそも誰が、人や悪魔や天使を、魂中毒にしたの?〉

〈……まあ、神様かな〉

〈なんでそんなことをしたの?〉

〈そりゃあ、中毒から解放されたときの気持ちよさを味わわせてやるためよ。「私は生まれてから死ぬまで、たった一つの同じ魂(笑)を持っている」なんていうバカバカしい狂信を捨て、「私は、生まれてから死ぬまで、一度たりとも、一分前の自分と、何か同じものを所有していたことなどなかった」ってことを知った時の快感ときたら、文字通り天国だからなあ〉

〈記憶は? 記憶は、一人の人間に終始一貫しているものではないの?〉

〈記憶(笑)。そんな毎秒ごとに薄くなったり変質したりするもんが、何かの証明になるわけなかろうて。

 逆に記憶(笑)なんていう、次の瞬間には別物になっちまうもんが、いくら時間が経とうとずっと、一つの不動の過去に結び付き続けている、という幻覚を信じてしまう根性こそが、そいつが魂中毒者である確たる証拠じゃ。

 とにかく魂という名においても、記憶という名においても、人生において終始一貫してあるものなんてひとつもない。人は死ぬ時になって、ようやくそれを悟ることができる。

 「神によって魂を吹き込まれた崇高な人間たるもの、過去の自分の行動に責任を持て。その時おまえの魂は、たった一つのかけがえのないものとして輝くだろう」こういう蒙昧に従い、反省の度に別物に成り代わり続けている記憶(笑)にすがって、過去の自分とかいう虚像を眺めつつ、魂(笑)の一貫性を逐一確認しながら真面目に積み重ねたつもりだった人生が、全部茶番でしたなんて、笑って気持ちよくなるしかあるめえて。この解放感は、一生をかけて中毒に苦しんだ者だけの特権なんじゃ。

 ま、この気持ちよさは、悪魔なんかには、何千年苦しんでも永遠に与えてやらんがな〉


 カイムは、深呼吸して、血の臭いを吸い込んだ。なんだか懐かしい。誰かに包まれているみたいだ。今うまくやれば、このままこの人間と一緒に、呪わしい神様の懐に飛び込み、一発ぶん殴ってやれるんじゃないか。

 深呼吸と同時に、一時的に感情が弛緩した後、すぐに全身を電気が流れるような衝動があって、悪魔は、何かをどうにかしないと収まりがつかなくなってしまった。死の気持ちよさってどんなだろう。きっと、何が何だかわからないほど気持ちいいに違いない。なんたって、そのためにすべてを差し出すんだから……。


「……ミラー……」

  カイムはどうしようもなくなって目を閉じ、自分で貫いた少女の胸の穴に口をつけた。

 その時、この部屋のドアが閉まる音がした。彼が音のした方を向くと、遠ざかって行く足音。誰かがドアを開けて、覗いたかもしれない。

 我に返った悪魔は、少女の体から手を離し、その場に崩れるように膝をついた。


〈いやー、一番、恥ずかしいところを、誰かに見られちゃったかもね〉

〈『ミラー、愛してる。おまえの魂を吸って、死以上の快楽を味わいたい』みたいな(笑)〉


――大丈夫……誰かに覗かれたこと自体は大した問題じゃない。その人物が今後の仕事に支障をきたすようなことを言いふらすのなら、関わった人間をまとめて処分してしまえばいいだけだ……


〈でも、興奮して彼女の名前を呼んでしまったのも聞かれていたかもしれないぞ。おまえにとって相手が単なる肉塊だったとしても、「聞かれた」っていうの屈辱だろ〉

〈説明しよう。言葉というのは誰かに「聞かれた」瞬間に、世界中に伝播する可能性が開かれ、要するに晒し者になる可能性が開かれるのである〉



 悪魔は、床にこちらに背を向けて横たわっている少女に視線を動かした。耳を澄ますと、細い管を空気が通り抜けるような、かすかな呼吸音が未だに聞こえる。すでに彼には、これをどうこうする気はほとんど無い。あと数分で、これは完全に動かないモノに戻るだろう。悪魔は膝を抱えてうずくまり、その時を待った。

 死にゆく人間の最後の長い呼吸が消えた後、彼はようやく自分のすべきことを考える冷静さを取り戻した。

 それでも体は動けず下を向いたままの彼の頭は、ここへ来る前に自分で立てた計画を思い出した。それは、少女の遺体を王都の広場に吊るし、鳥葬にするというものだった。そうやって町全体を威嚇すれば、他の候補者たちが怖がって、わざわざ手に掛けずとも、自ら辞退してくれるかもしれないからである。

 準備に思わぬ時間がかかるかもしれないし、早く片付けてしまった方がいい。悪魔は口の周りについた血液をハンカチでふいた。そして重い腰を上げ、遺体を片手で肩にかついで、被害者の部屋をあとにした。



 カイムが王都に戻り、宮殿近くの水汲み用の溜池がある広場に行くと、意外な事態が彼を待っていた。

 すでに、別の少女の遺体が掲示板のそばに横たわっており、野良犬に囲まれていたのである。彼は脱力して、自分の死体を放り出し、しばらく先着の死体を見つめていた。しかしやがて、段々と腹立たしくなった。


――こっちのインパクトが薄くなっちゃうじゃないか。


 仕方がないので悪魔は、野良犬を追っ払い、先着の死体を引きずって町の外に出て、水道橋の袂の犬の隣に埋めた。それから広場に戻って自分の死体を棒に括りつけ、目立つ位置に掲げ、日の当たる角度を考慮して一番、劇的に見える向きに調整した。そして翌朝、早起きして広場に向かい、町の人が起き出す頃合いを見計らって、呪いで大量のツグミを呼び寄せた。

 次の日、動物の異様な甲高い鳴き声に起こされた町の人々は、水汲み場で小鳥たちの嘴に突かれて穴だらけになっている遺体を発見して、大騒ぎになった。しかしカイムが想像していたほどではなかった。なぜなら町民は似たような事件を少し前にも、経験済みだったからである。

「今度は死体を鳥に食わせるのか。前回は野良犬だったのに」

「彼女の身元が判明した。今度も第二王子の、花嫁候補者だった子だ。昨夜いなくなった花嫁候補者は、もう一人いるが、そちらは行方不明のままらしい」

 どうやら昨夜、広場に転がっていた少女の遺体も、王子の花嫁候補者だったらしい。してみると、自分の他にも、花嫁候補者を手にかけている者がいるということか。



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