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7.犬になった話②

悪魔は「犬」になることにした。

彼の「特殊能力」について。


 水道橋の上で三度、自分の召喚者が去ったのを見送った悪魔のカイムは、腰を下ろし、彼女がくれた紙袋を膝に乗せた。開けると中身は、何かがぎっしり挟まった重たいパンだった。そっとパンの中を確認すると、昨日投げつけられたものと同じ、マッシュポテトである。今日はありがたいことに飲み物の瓶も渡されていた。恐る恐る舐めると、薄いワインだったので安心した。おそらく、ワインを絞った残り滓をさらに絞った、ピケットと呼ばれる代物だろう。彼は軽く手を合わせてから、それらを食べ始めた。そして、味のほとんどついていないサンドイッチの、パンに含まれる僅かな塩味を探って噛み締めつつ、今度の召喚者と自分の関係について考えた。


――犬かあ……言われた瞬間は、どう考えていいかわからなかったけど、時間が経つと、そう悪くないって気がしてきたな。犬って、人間の代表的な愛玩動物だし。家族みたいなもんだって考える人もいるし。こうやって二日連続で食べ物を持ってきてくれるくらいだから、少なくとも彼女は私のことを、そんなに嫌ってはいないんじゃないか。


 彼は頭に手を乗せて、彼女が撫でてくれた感触を思い出した。それから人類史において、飼い主に忠誠を尽くすことによって、かけがえの無い存在と言わしめる地位に上り詰めた、数多の犬たちに思いを馳せた。


――彼女は見たところ、人間の中ではまだ若い。私はどちらかと言ったら、年を重ねた人間との方がうまくいきやすい。彼女とも、きっと何十年かすれば、今よりもずっと仲良くなれるはずだ。


〈犬だってよ。きっと何十年かすれば、靴くらいは舐めさせてくれるかもな〉


 カイムには、他の悪魔には無い特殊な能力がある。それは、耳を澄ますと、水やら風やら人工物やら、周囲にある、あらゆるものがつぶやく声が聞こえる、というものである。また、耳を澄まさなくても、本人が隙を見せた時にも、聞こえてしまう時がある。

 〈 〉は、彼の周囲の事物が発する声を表す。


 この特殊能力による不愉快な現象を、うまくやり過ごす術を身につけていた悪魔は、自分の未来の明るい見通しへの確信を揺るがせなかった。やる気になった悪魔は、食べ終わると町へ降りた。

 夜目の聞く視力に代えて町を徘徊していると、痩せた黒い野良犬が、うな垂れて歩いているのを見つけた。彼は素早く自分の日本刀の鞘を抜き、槍のように投げた。犬は、急所をつかれ串刺しになって絶命した。犬の前足を掴んで町の外へ引きずり出した後、彼は獣の耳と尻尾を切り取り、中身を出して川でよく洗った。それからズボンを下ろして尻を出し、痛覚を無くしてから、自分の尾てい骨辺りの皮膚に爪を立てて切り込みを入れ、その隙間に小さい磁石を挿入した。そして犬の尻尾の根元にも磁石をつけ、傷が塞がるのを待って、ズボンの上から自分の尻にくっつけた。耳は、自分の二つの角に被せた。

 そうしながら彼は、千里眼と町中の声を一度に聞ける聴覚で、「お姫様」の情報を収集した。


 結果、夜の時間帯であまりおしゃべりしている人もいなかったので、集まった情報は少なかったが、概要は大体把握できた。それによると、ミラーは「お姫様」を選ぶ選考会に立候補しているらしかった。

 分かったことは以下の通りである。この国は、王都であるこの町の中心に聳える、宮殿に住む王を頂点として成り立っている。王の継承権を持つ王子の結婚相手は、爵位を持った貴族と一般国民の代表者による選考会によって選ばれる。立候補は、身分を問わず二十三歳未満の未婚の女性なら、形式上は誰でもできる。しかし、結果として選ばれるのはいつも、宮殿や、この町の周辺にある自分の領地で暮らす、貴族出身の娘ばかりである。なぜならそういう候補者の方が、名が知られているので推薦が集まりやすいし、家族総出で、片っ端から選考人を金や利権で買収することもでき、それは別に違反ではないからである。一般国民からの候補者は、毎回いるにはいたが、皆、最初から選ばれる気は無く、この機に乗じて自分の名を売りたいとか、お祭り気分で参加したとかいった動機の者だけだった。

 そしてまもなく町では、第二王子のリフレクシオの結婚相手を決める選考会が行われる。ミラーが立候補したのもそれらしい。ミラーの家は、便利屋の父親と染物で家計を助ける母の三人で暮らす、一般的な国民であり、貴族では全くない。貴族を含む、二十人以上の候補者の中から、ミラーが選ばれるのは、このままではほとんど不可能といえる。


――だが、悪魔の私の力をもってすれば簡単だな。要するに他の候補者が一人もいなくなればいいわけだ。大した人数じゃないし、選考会の日までには全員探し出して始末できるだろ。


 

 先程の犬を埋めてできた、水道橋の袂の盛り土の上に横になった悪魔は、そうしてミラーがお姫様になれたあかつきには、「テー・アモー」(愛しています)ともう一度言ってみよう思った。しかし、お姫様になれたということは、彼女はすでに他の誰かと結ばれたということだと気づき、惑わせるようなことを言うのは、良くないと考え直した。


――どっちにしろ、悪魔の私がミラーと結ばれるなんて、有り得ない。他の悪魔で人間と恋人みたいになったってやつは、けっこう聞くけど、自分には考えられない。私にとって、召喚されてその人を好きになってしまうっていうのは、その人を最高に美しいと思うことで、その世界で一番美しいものを、心も身体も傷つけないように、大事にするってことだ。恋人になってしまったら、きっと私は我慢できずに彼女を穢してしまう。


 余計な想像をしてしまいそうになったので、彼は深呼吸した。


――でも……彼女の夢が叶ったあかつきには、もう一度頭を撫でてもらうくらいは、お願いしてもいいんじゃないか。いや、自分の夢が叶ったんだから、ほっぺたくらいは触ってくれるかも……やがて何十年か経って、彼女ともっと仲良くなれれば、ひょっとして抱きしめてくれるかな……。


 引き続いて、結局いかがわしい妄想をしてしまった悪魔は、飛び起きた。それから軽く頭をふって再び横になり、心を無にして寝ようと思った。しかし良からぬ想像だと思えば思うほど、それらに固執してしまう自分に気づいた。



〈もしもし、神様。私です。恋って何?〉

〈そりゃあ、おめえ、魂中毒者の禁断症状だっぺ〉

〈魂中毒って?〉

〈魂(笑)とかいう、ありもしないもんを、あるって思い込んじまうこった。だけんど、自分じゃ自分の魂(笑)の存在を、確かめられない。だからそいつは、自分以外の魂(笑)がありそうな誰かをつかまえて、おめーの魂(笑)も認めてやっから、俺のも認めてくれろって、要求する。その要求形態の一つが恋じゃ。

 悪魔は召喚されると、召喚者が死ぬまで、その人間の有りもしない魂(笑)を求めるようになるが、こいつの場合はそれが恋って形で出ちまったんだろうな。悪魔にとって、他の人間と召喚者の価値は全然違う。前者、その中でもとくに目も合わせたことの無い連中なんて、単なる肉の塊すぎず、もはやヒトとしてすら認識していない一方、後者は、自分の魂(笑)の拠り所となる女神様じゃ〉

〈ふーん。悪魔の分際で、女神に恋するなんて、本当にいい度胸してるね〉

〈まったくよ。悪魔の身体なんて、水の中で何万回こすったって綺麗にならねえ。どんなに綺麗な服で隠して、格好つけたって、溢れ出る穢れは隠せねえよ〉


 カイムは再び起き上がり、日本刀を鞘から抜いた。月光で白く浮かぶそれで人差し指の腹を撫でると、血がにじんだ。彼は痛覚を人並みにしたまま、指先のしびれに意識を集中した。しかし、一分もしないうちに傷は塞がり、苦しさも快感も得られないうちにそれは消えてしまった。数回繰り返しても、同じことだった。

 彼は諦めて橋脚に寄りかかり、空を見上げ、枝に茂る葉の間に一つだけ見えた星を見つめた。そうしながら、地獄(五臓六腑)に置いてきた読みかけの本の内容を思い出しながら追うことで、眠れない夜の時間を過ごした。



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