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6.罪⑫

山の神による洗脳の仕上げ。

トロッコ小屋の爆発。

天使の兄との別れ。


『残業せよ。さすれば手当は与えられん』(又伊右衛門之伝)



 翌朝の神さまの演説。半ば観念した私は、赤い角を生やした人々とともに、それを聞きました。心には何の言葉も浮かびません。自分の言葉のすべてが、嘘にしか思えなくなっていたからです。

「今日は皆様に、過去のあなたと、今のあなたは赤の他人ということを、知っていただこうと思います。

 皆様は、過去の思い出について誰かと話している時などに、記憶の食い違いを経験なさったことはありますでしょうか。例えば十年前に、お友達と二人で見つけた珍しい石碑について、その形が丸だったか四角だったかで意見が割れるなんてことです。この場合の決着方法は、現場に再び二人で赴き、同じ石碑を見つけることです。運良く見つけられれば、どちらが正しいか、はっきりするでしょう。しかし揉めている問題が『当時、あの石碑をどっちが先に見つけたか』などである場合は、今となってはもう、決着方法は存在せず、真相は永遠に藪の中となってしまいます。過去の記憶というのは往々にして、このような、すでに検証不可能となってしまった要素を含んでいるものです。

 さらに過去の記憶というのは、どんなに鮮明に覚えているつもりでも、どこかしらに改ざんの可能性があります。十年前といわず、一時間前、五分前にあなた自身が何をして、何を考えていたのかを思い出す場合だって、我知らず記憶の中の自分を美化している可能性は拭えません。つまり今のあなたにとって、記憶の中にいる過去のあなたとは、嘘を含んでいるかもしれず、しかもそれを検証する手段がない場合がある、何かなわけです。こう考えるともう、過去のあなたなんて、隣にいるあなたの家族よりも謎ばかりで信用できない、他人同然といっても過言ではないでしょう。

 あなたの人生というのは、結局のところ、毎秒ごとに積み重なる他人どもの集積でしかありません。それが、なんらかの蒙昧によって、生まれてから死ぬまで変わらず存在し続け、あわよくば死んで肉体が無くなったあとも不滅な『魂』とかいうものを信じ込まされている。その結果、過去のあなたと、未来のあなたに対する責任を、今のあなたが負わされる羽目になっているのです。

 まあ、これはなかなかアクロバティックな議論ですし、なかなか理解し難いものだと思います。そこでもっと分かりやすく、昨日のあなたと今日のあなたは違うってことを、実体験してもらおうと思います。この実習は、先日お話した、未来の自分の奴隷になることが、いかにバカバカしいかも学習していただける内容になっております。

 いやー、私ってなんて、教育熱心な神様なんでしょう……」

 山の神様の「実習」とは、通りの両脇に並んでいる家々に、向かい合わせの家同士で組をつくり、その住民同士が、家、財産、職業、地位の全てを、今日限りに強制的に入れ替わるというというものでした。我が家は、通りの突き当たりに建っていたので、難を逃れました。

 案の定、街は混乱しました。交換先の家が、今の自分の家より裕福な人が、交換を渋る元の持ち主に食ってかかり、あちこちで喧嘩が起こりました。先祖伝来の蓄えを自分の代で全てを失って自殺する人、町中を暴れ回る人、交換前に財産を隠す人。それを見つけて、神の意思に逆らったと言って私刑にする人。

 私は、店の暖簾の影から、大通りの混乱を眺めていました。もはや、通りにいる、ほとんどの人に赤い角が生えています。私の膝は震え、おそらく顔面は蒼白でした。恐ろしいのか、悲しいのか、苦しいのか分かりません。そのうち、分からなすぎて、これはひょっとしたら嬉しいか、気持ちいいかのどちらかなんじゃないか、という考えが浮かびました。思わず私は、何かを叫んで、うずくまりました。

 その瞬間、全身を何かに貫かれたような感覚に襲われました。貫いたのは、山の中腹から注がれる、あの優しい視線でした。それをきっかけに、うずくまって現実逃避していることが恥ずかしくなり、私はまっすぐ立ち上がりました。

 眼の前には相変わらず、罵声を上げながら、お互いを傷つけ合う人々。私の手にはいつの間にか、私にしか見えない糸の束が握られていました。その一本一本が、争う人々に向かって伸び、彼らの手足に巻き付いていました。「ああ、これは彼らを操っているのは、私だという意味なんだ」と思いました。いつの間にか私は、世界が何でも思い通りになる、自分の夢のように感じ始めていました。それと同時に、夢の登場人物にすぎない彼らに対する、罪悪感が無くなっていきました。

 私の横に立っていた兄は、私の様子がおかしいことに気づいたようでしたが、あえて目を反らしてつぶやきました。

「これ以上、悪魔の好きにやらせるのはさすがにまずいな……山に行ってみるか……」

 その時、店の奥の板間から養父が呼ぶ声がしました。

「おーい、夕飯じゃぞ」

「……」

 返事が無いのを不審に思った養父は、草鞋をつっかけて、店先に現れ、私の横に立ちました。恍惚とする私を見て、彼は勘違いをしたようでした。

「大丈夫じゃ、茜、心配することはない。こんな騒ぎは、すぐ収まる。ごらん。一見、皆、我を忘れて手当たり次第暴れているように見えるじゃろう。だけど注意して見れば、島民同士、殺す気で殴り合っていても、換金可能な物品だけはうまく避けて、壊したり、台無しにしたりするようなことだけはしておらん。さすがこの島の人間じゃ。

 人間は一度減っても、後から増やせる。財産さえ守れれば、島はいつでも再建できるんじゃ。わしのテーマパーク計画だって、一つも変える必要はない」

 養父の言葉で、いつの間にか糸を見失ってしまった私は、眉をひそめて彼の方を向きました。すると、優しい表情で私を励ます養父の頭には、いつの間にかそれに相応しくない、立派な二本の角が生えていました。

 それを見た途端、我に返った私は、養父の足元に膝をつき、低い声で、同じことを唱えました。

「お義父さんごめんなさい、お義父さんごめんなさい、お義父さんごめんなさい」 

 養父は、突然の私の行動を、どう考えたらいいか分からないようでした。

 その時、店先に、島の若い男性が数名乗り込んできて、彼に詰め寄りました。

「七之助さん、トロッコを貸してくれ」

「突然なんじゃ、おまえら」

「一体、この騒ぎの元凶は誰だ。山の神様を名乗る、あいつじゃないか。なら、俺たちは神様と地位を入れ替える。自分で提案した教育プログラムとやらを自分でも、受けてもらおうじゃないか。これから山を登って神様に直談判しにいく」

「そんなことをしたら、山を登っている最中に矢が降ってきて殺されるぞ」

「だから七之助さんのトロッコで、一息に駆け上るんだ」

 さすがの養父も、若者に襟を掴まれて訴えられ、気圧されたようでした。

「おまえらがどうしてもと言うんなら、構わないが……」

 若者たちは、養父が言い終わらないうちに、彼を急かしてトロッコの起動の手順書を出させると、引ったくるようにして受け取り、そのまま出ていきました。

 家が静かになると、養父は急にトロッコが心配になったようでした。

「わしは、あいつらのあとを追いかける。おまえら二人は家で大人しく待っているんだぞ」

 

 私と兄が板間に腰掛けて、養父の帰りを待ち始めて、半刻ほど過ぎた頃です。少し帰りが遅いんじゃないかと心配になり始めた時、遠くで巨大花火が爆発したような音がして、我が家を揺すりました。私たちが慌てて外へ出ると、ちょうどトロッコ小屋のある辺りから灰色の煙が登っていました。それに呼応する山の神様の声。

「私が熱心な信者である七之助さんに頼んで作らせた、非信者炙り出し用の罠に、引っかかってくれてありがとうございます」

 どうやら若者たちがトロッコを発車させた途端、何かが原因で爆発を起こしたようでした。私達は顔を見合わせ、小屋へ向かって走りました。


 現場に到着すると、爆発し残骸になっても燃え続ける小屋の前に二人の男性が立ち尽くしていました。

「七之助はどこだ」

 兄が叫ぶと、男性達は振り返りました。炎が映る瞳は、明らかに怒っていました。

「トロッコを発車させようとした瞬間、ものすごい音がして小屋ごと吹き飛んだ。外で見張りをしていた俺たちだけが助かった」

「七之助はどうした」

「七之助? やつはここへは来ていない」

 私たちは顔を見合わせました。

「七之助がここへ来るはずないだろう。やつは事前に爆発を知っていて、わざと俺たちをここへ越させたんだ。山の神の手下なんだ。おまえら家族も仲間だろう」

「山の神によって向かいの家と強制的に入れ替えが行われた時、おまえらの家だけが対象外だった。どおりでおかしいと思ったんだ」

 屈強な男性に凄まれた私は、怖さを押し殺し、小さい兄をかばうような姿勢をとって、大声を出しました。

「父は山の神と取引などしていません。今だって、行方不明です。きっと山の神に、攫われたんです」

 一方、背が私よりも低く、女の子の浴衣を着ている兄は、私の気遣いをよそに、まったく落ち着いた様子で腕を組み、尊大な目つきで男性たちを見上げました。

「おまえ達は勘違いしている。天使がついている七之助が、悪魔と繋がっているはずないだろう」

「なんだ、天使とか悪魔とかって」

「悪魔とは神に逆らう連中のことで、天使とは神に仕える善良な存在である、私のことだ」

 兄は胸に手を当てて背を反らしました。

「神に仕える? じゃあ、おまえはやっぱり山の神の手下なんじゃないか」

「いや、違う……」

「おい、こいつらを縛り上げて尋問しよう」

 男性らの手がこちらに伸びると同時に、私は自分の身体が持ち上げられたように感じ、気づくと、今までいた場所から少し離れた場所にある、太い木の影に隠れて、兄の小さい手に抱きかかえられていました。

 木の影から元いた場所を見ると、男性らは辺りを見回して私達を探しています。

 上から兄の声が降ってきました。

「少々面倒なことになったな。茜は逃げろ。私は悪魔の元へ行って、七之助を探して来る」

 これが、私が兄の声を聞いた最後でした。


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