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6.罪⑩

山の神の提案。

板緒、その他の犠牲。



『右の頬を打たれたら、左手を差し出しなさい。慰謝料はすべてを解決する』(又伊右衛門之伝(またいえもんのでん)



 翌朝、神様の呼び出しで祖父とともに外へ出た私は、人混みに角を生やしたままの板緒さんを見つけるのが怖くて、うつむいたまま地面の小石を見つめながら、上から注ぐ声に耳を傾けましたた。

「皆様おはようございます。お陰様で私は、先日一人の生贄をいただいたわけです……ですが……なんか物足りないんですよねえ。だって、このままじゃ皆様は、ただ黙って生贄になるのを待っているだけじゃないですか。私としましては、もっとこう……積極的に信仰心を表現してほしいわけです……」

 昨日の晩、私は布団にもぐって両手を組み「山の神様、私は板緒さんの死を願ってなどいません」と何度も唱えました。しかし唱えれば唱えるほど、言葉は無意味な文字列となって、私の口から漏れるだけで、かえって彼の命を奪う呪文のように聞こえました。おそらく神様はそんなこと、とっくにお見通しでしょう。

「……そこで提案なんですが、次に生贄になる人を皆様に当ててもらい、今後私に先んじてその人を始末した方は、ご褒美として生贄の選定から免除、なんてどうでしょう。そんな忠誠を示されたら、女神様だって納得してくれると思うんですよね。これなら皆さんも、神への信仰を表現すると同時に、自分の命を守ることもできて、一石二鳥なわけです。次の生贄執行まで、三日の時間を差し上げます。皆様のご参加、お待ちしておりますよ。

 次の生贄になるのは、一体誰なのでしょうか。え? ヒントが欲しい? もう……しょうがないなあ……私の合図の後、特別に見せちゃいましょう。見逃し厳禁ですよ。

 ウーヌス ドゥオ トレース!」

 神様の掛け声の後しばらくして、うつむく私の耳に皆のざわめきが聞こえました。その中に混じった「なんだあの角は」という声に思わず反応して顔を上げると、人々はある一人の人物を遠巻きに見つめていました。皆の視線の先にいたのは、頭に二本の赤い角を生やした板緒さんでした。

「あいつ、下駄屋の板緒だよなあ」

「さっきまで、あいつの頭に角なんかなかった……」

「次の生贄はあいつだ……」

 周りの反応にうろたえた板緒さんは、おそるおそる自分の頭に手を当てました。その瞬間、彼は顔色を変え、どこかへ走り去ってしまいました。

 あの赤い角が島民すべての目に映った後の三日間、板緒さんは人々の前に姿を現しませんでした。そして誰も、彼と彼に現れた犠牲者の印について話題にする人はいませんでした。


 三日後、山の神様が宣告した期限の日の朝。呼び出された私達が外へ出ると、大通りの真ん中に、殴打の末倒れた板緒さんの遺体が、血溜まりの中に横たわっていました。

 犯人を詮索するざわめきをさえぎるように、神様の声がしました。

「あらためまして、皆様、おはようございます。そして、私に対する信仰心の厚い信者の方、ありがとうございます。それでは、聖なる裁きを下した、執行者の方、前へどうぞ。ご自分で現れないかぎり、賞品はあげられないですよ」

 神様に呼ばれ、血のついた服を着た三人が遺体の前に立ちました。皆、軽蔑と羨望の混じった眼差しで彼らを見つめました。執行者の内二人は、皆の視線に耐えきれず顔を伏せていますが、一人は、逆に皆を睨み返して、怒鳴りました。

「なんだみんなそんな顔して。俺は間違ったことをしたとは思っていない。神様の犠牲に選ばるやつなんて、どうせ本当はろくでもないやつだったんだ。それにこいつは、俺たちが始末しようとしていなかろうと、山の神の元に連れて行かれて死んでいた。なら、こいつの死をできるだけ利用した方が合理的だし、ものを無駄にしない伝承の教えとも合っている」

 啖呵を切った人間に投げられる、無言の抗議の視線。それにかぶさるように神様の声。

「御三人の心意気は嬉しいですけど、遺体が殴られすぎてボコボコじゃないですか……それ……一応、私への捧げ物なんですよねえ。言いたかないけど、もっと体裁を気にしてくれても……それに生贄免除は、一人だけの予定だったんですよね……」

 しばらくの沈黙。

「……ではこうしましょう。今から御三人それぞれに、クイズを出します。最初に正解した人が、生贄免除ということで。負けた二人は、私に捧げる人体が見るも無惨になった責任を負って、代わりに犠牲になってもらいます」

 「話が違うじゃないか」とさわぐ一人と、血の気を失った二人を無視して神様は続けました。

「それではまず左に立っている、ほっぺたについた血糊と、初めての殺人の興奮で開きっぱなしの瞳孔がステキなあなたに質問です。

 名工の手による漆に金蒔絵のお碗と、素人のあなたが丹精込めて作ったいびつな土のお碗、価値があるのはどっち」

 指名された人物は肩で息をしながら、瞬きもせず天を仰いでいましたが、やがて大きく息を吐いてつぶやきました。

「……漆に金蒔絵のお碗」

「不正解です。正解は、土のお碗です。あなたが丹精込めて作ったお碗は、誰がなんと言おうと、制作の苦労を知っているあなたにとってだけは、一番価値があるように見えるに違いないからです。あなたにとって一番価値があるものが、世間的に価値のあるものと同じとはかぎりません。私はあなたに聞いたわけですから、あなたにとって価値のある方を答えるべきです」

 間髪を入れず、空に矢が現れたかと思うと、降ってきて不正解だった者を貫きました。彼は声もなく、相変わらず目を見開いたまま、その場に倒れました。

「では次の挑戦者は、真ん中に立って、生まれたての子羊のように震えているあなたです。

 問題です。五千万年前の樹液でできた貴重な琥珀のお香と、あなたが丹精込めて作った線香。価値があるのはどっち」

 挑戦者は真っ白な顔で、遠くからでもわかるくらい痙攣していましたが、これ以上恐怖に耐えられなくなったのか、すぐに答えました。

「……僕が作った線香」

「不正解です。正解は琥珀のお香です。琥珀のお香がなぜ価値があるか分かりますか……数千万年前の樹液が、内側に当時の虫や植物を内包したまま、現代に至るまで少しずつ硬化することによって、形成される琥珀は、いわば時間の塊です。琥珀のお香は、数千万年という時間の塊を、たった数十分で、ほのかな香りの快楽とともに灰に帰するんです。最高に贅沢じゃありませんか……一方、あなたが、線香を作るのに使う時間なんて、いくら丁寧にやったってせいぜい数時間でしょ。ということで残念でした」

 矢が降ってきて、挑戦者は倒れました。

「おめでとうございます。残ったあなたが、自動的に不戦勝になります」

「よし!」

 残ったのは、最初に啖呵を切った人物でした。

「ではお約束通り、あなたに六日間の生贄選定免除券を差し上げます。その間に、もう一人始末すれば、さらに期間延長です」

「たった六日間だって……詐欺じゃないか……」

 神様は、またも苦情を無視して続けました。

「クイズをやってみて気づいたことですが、皆様は少し審美眼を磨かなければならないようです。いいですか、もう一度申し上げますが、あなたにとって一番美しく、価値があるものと

世間的に価値があるものとは、決して同じではない。みんながステキだと思うものが、ステキに見え始めたら、自分の審美眼を疑いなさい。世間の価値基準なんて、あなたの目を曇らせる、害悪でしかありません。

 あなたの審美眼を狂わせるのは、物に対する他人の評価だけではありません。あなた自身に対する他人の評価もそうです。あなたは、他人からの賛美を、決して求めてはなりません。それらは主として、他人どものために役に立った褒美として、あなたに与えられるものです。そんなものを欲しがるなんて、自分から他人に搾取されに行くようなもんです。

 もう一つ、あなた方に足りないのは、浪費の美学です。何かを消費をするということは、それを育んできた時間のすべて、それが有する価値のすべてを、食い尽くし、我が物にするということです。浪費するものが背負っている時間が長大であればあるほど、あなたの手に掛かって消えてしまうのものが、価値があるものであればあるほど、あなたの生は肯定されるというわけです。

 それに引き換え、貯蓄なんて、それを消費する未来の自分という、架空の存在を利するだけの行為です。

 今後は、これらのことを理解するためのプログラムを用意していますので、お楽しみに」


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