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6.罪⑨

ついに最初の犠牲者が出る。


残念ながら、もはや島民どもに、ここから入れる保険は無い。


『下落を恐れるな、わたしはあなたと共にいる。高騰に慌てるな、わたしはあなたの神である。長期積立投資は、あなたを強くし、あなたを助け、複利でもってあなたの老後をささえる』(伊佐八之書(いさやのしょ)



 次の日の朝、誰かのいたずらだから、もう無いはずだという祖父と皆の期待を裏切り、例の声に島民は呼び出されました。

「おはようございます。お集まりの皆様、最初に告白させてください。実は私……好きな人がいるんです……私は彼女をミューズと呼ばせていただきます。いいですか、女神と書いてミューズですよ。皆様にとって、私が崇めるべき神であるように、私にとっては彼女が崇めるべき神です。ミューズとは、神の神です。神である私は、彼女の視線によって、形が与えられ、皆様の上に君臨することができている。彼女の意思は、私の意思です。昨日申し上げた、捧げ物となる人間の選定も、ミューズの意思によることにします。

 ミューズの考えていることならなんでも知っている私が、彼女の選んだ人間を、こちらに呼び寄せる。こういうやり方でいきます。

 それでは、よろしくお願いいたします」

 声が消えてしばらくすると、あちこちから怒鳴り声が上がりました。

「この悪ふざけは、まだ続くのか」

「女神って誰だ。そいつは神に取り入るために、いくら払ったんだ」

「あの声が山の神様であるという証拠はもちろん無いが、そうでは無いという証拠も無い」

「生贄に選ばれたら、今まで頑張って積み立てた、財産はどうなるんだ。すべて没収された上、生贄になるっていうんなら、永遠の楽園に行ったあとも保障が無くなってしまう」

「神様が欲しいのは、善良で金持ちな人間らしいからな。他人も将来もどうでもいいと思って好き勝手に生きてきた人間だけが、さしあたって安全ってわけだ」

 皆が感情に任せて騒ぐ中、海苔屋の磯介という若い男性だけは、全く落ち着いた声で皆を諭しました。

「みんな落ち着け。あれは偽物だ。怖がる必要はない。

 本物の神様なら、僕ら島民を犠牲にすることで起こる経済損失を計算し、自分の一時的な享楽では採算が取れないことを見通せるはずだ。僕達の神さまは損得も分からないのか。

 何より、僕達はまだ、神様に今までしてきたお供え物の見返り、先祖代々、質素倹約に努め蓄財してきた見返りをもらっていない。神さまが、見返りも渡さずに、さらに無理矢理奪うなんてことはありえない。踏み倒しと強奪は、最大の罪であり、この世の摂理に反する」

 彼の力強く断言するような声により、周りの人は一時黙りました。誰かの「彼の言う通りだ」という声をきっかけに、あちこちから拍手が起こりました。

 その様子を遠巻きに見ていた私は、ふと彼と目が合いました。

 その瞬間、驚くべきことが起こりました。この島の出身で、ただの人間であるはずの彼の頭に赤い二本の角が現れたのです。私はしばらく絶句して、見つめました。しかし周りの様子からして、私以外には誰も見えていないようです。

 以来、翌朝に磯介さんの失踪が発覚するまで、私の目には彼の頭から角が消えることはありませんでした。



 次の日の朝、案の定私たちは神様に、外へ呼び出されました。

「はい皆様、お集まりですか。それでは、生贄となる方をご紹介いたします……お名前とご職業をどうぞ……」

 すぐに空から降る声が、聞き覚えのある、怯えた声に変わりました。

「磯介と言います。海苔屋をやってます。神様、助けてください。僕は生まれてこの方、質素倹約に努めてきました。僕の家系は、真面目な努力家ばかりです。僕を長生きさせてくだされば、天国で池のある庭付きの邸宅を賜われるほど、島の蓄財に多大な貢献をするはずです」

「……そうですか。そりゃ残念でした。今からあなたが向かうのは、どちらかと言ったら、天国よりも地獄に近いです」

「……助けて……どこへ連れて行くんだ」

 しばらく争うような音がしていましたが、次第に遠ざかりました。

「……どうなった?……溶けたって、骨も? ……へえ……はい、今報告が入りました。神の住処の中庭には、いわゆる地獄と縁のある赤い池が湧いているんですけれど、そこに彼を入れてみました。そしたら全身が溶けたそうです……跡形もなく……皆様も生贄に選ばれた暁には、この池を冥土の土産に是非見学なさってくださいませ……。

 はい、それでは今後、こんな感じでやっていきたいと思いますのでよろしくお願いいたします」

 山の神様の声が途絶えました。皆、空を見上げたまま呆然としています。現実に犠牲者が出てしまったことを実感するのに手間取っているようでした。しばらくすると、すべて嘘だということを期待して、人混みの中に本物の磯助さんを探そうと、辺りを見回す人が現れました。しかし彼と一緒に暮らし、今も側にいるはずの母親が、路上で泣き崩れたことで、その期待は砕かれました。

 そんな中、私だけは別の理由でその場に立ち尽くしていました。私だけに見える赤い角と、その人物が生贄に選ばれた事実。生贄の選定は女神の意思によるという、山の神様の言葉。今振り返れば、赤い角はあの瞬間、私が磯介さんを疎ましく思ったことの現れだったのではないでしょうか。

 女神とは私のことです。私の意思によって、人が一人亡くなったのです。

 後ろめたさで気が遠くなってしまった私は、見知った声に何度も呼ばれてようやく正気を取り戻しました。気がつくと目の前に、倒れないように私の両肩を掴んだ板緒さんが立っていました。

「茜さん、大丈夫ですか。こんなこと、気にすることはない。神様の乱心なんて、すぐにおさまる。今まで何百年も何もなかったんだから。もしも君が生贄に選ばれそうになったら、僕が守ってやる」

 一応婚約者候補として、私のことを気にかけてくれているのでしょうか。

「心配してくれてありがとう」

 私は気持ちを悟られないように、ようやく声を絞り出しました。

「あなたの下駄の鼻緒が切れた時、タダで直してあげたことがあったでしょう。すでに僕はあなたに投資している。あなたが僕と結婚する前に、生贄になったら、僕は投資分を取り返せないじゃなないか」

 一瞬でも、自分への愛情に期待した、私が愚かでした。すぐに立ち去りたかったのですが、身体を掴まれて動けません。だからといって、目を合わせて会話する気になれず、具合が悪そうにうつむいてやりすごすしかありませんでした。

「我が家の蔵には先祖代々、七之助さんに負けないくらいたくさんの黄金を貯蓄している。僕の権限で、君にその一部を、格安の利子で貸してあげる。もし、神様に攫われそうになったら、もっていきなさい。それで交渉すれば、神様だって応じるでしょう。僕もそうするつもりです」

 さすがにはっきり断ろうと、顔を上げると彼の頭にはいつの間にか赤い角が生えていました。



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