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6.罪⑧

 運命の日の早朝、人々が平和な日常を営む島の空に「山の神」を名乗る声が響く。


 島民への簡単な挨拶のあと、「山の神」は、これからは自分への貢物として「人間」を要求すると宣言した。


『不換貨幣に価値を見出すものは不幸である。それは本質的に虚ろである。黄金に価値を見出すものは幸いである。それは神によって価値を保障されている』(又伊右衛門之伝)



 朝日が昇り、どこの家でも朝食の準備をしたり、顔を洗ったりしている時間、山の中腹付近から朝の澄んだ空気を反響させて、あの声が島全体に響いたのです。

「えー、島民の皆様はじめまして。山の神です。皆様、ちょっと今やっていることの手を止めていただけますか。それでしばらくの時間、外へ出て私の話に耳を貸していただきたいのです……」

 二人がかりで兄の帯を締めてやっていた私と養父は、障子を通して入ってきた声に顔を見合わせました。

 私たちが外へ出ると、通りにはすでに、口を開けて山の方を見ている人々で溢れていました。不思議な声は、続いています。

「……こうしていつもお世話になっている皆様に、私が直接お話する気になったのは他でもありません。前々から私の考えと、皆様が考える私の考えに齟齬があるのではないか、その点をずっと気にしていたからなんです。私としては、皆さんがずいぶん私について都合良く解釈しているなあ、って思うんです。ですから今後は、私が何をして欲しいのか、皆様にどうなって欲しいのか、について私が直接皆様に指導させていただこうと思いますので、よろしくお願いします。

 とりあえず初日の今日は、捧げ物についてお話ししようと思います。皆様は毎年、その年にとれた一番いい野菜や、新鮮な動物の肉を捧げてくれています。まあ、悪くはない。悪くはないのですが、私が本当に欲しいのはこれじゃないんですよね……だってこれ、私に捧げたところで、皆さんは、何の犠牲も払ってないし、何の痛みも感じないでしょう……せいぜい、畑仕事と狩りの手間がちょっと増えるだけでしょう……そんな、あげたことで自分にダメージがないものをもらっても、なんかこう……敬われた感じが全くしないんですよね……じゃあ、何が欲しいのかって?

 私が欲しいのは、人間なんです。それも財産を持ってて、善良で尊敬できる人柄だと、皆さんに思われているような人間なんです。皆さんがたの仲間である人間を、私に捧げるってことは、皆さんも罪悪感や、次は自分かもという恐怖感などのダメージを背負うことになるでしょう。それを圧してでも私に捧げものをしてくれたとしたら、私としまししても、ああ、敬ってくれてるなあって、確認ができるわけです。

 とはいえ、いきなり言われても生贄を選ぶのは大変でしょうから、私が明日選定方法をお伝えします。そういうわけでよろしくお願いします」

 そこで神の声は途絶えました。人々は、突然の出来事と、宣告された内容を消化できずに、しばらく空を見上げて立ち尽くしました。

「なんだろう、今の声……」

 誰かのつぶやきとともに、皆少しずつ喋り始めました。

「とんでもない悪戯だ」

「偽物が神様を名乗りやがって」

「でもどうやって、島中に声を……」

「あんなふざけた声、気にする必要はない」

  私の隣で養父が消えるような声で囁きました。

「……神様……」



 五臓六腑(地獄)、カイムの家。

 ベリアルとアムドゥシアスは、次の演説の打ち合わせのために、この家を訪ねた。家主は、相変わらず犬の耳と尻尾をつけた状態で、二人を部屋に通して椅子をすすめた。

「演説はうまくいったか」

「ああ完璧だ」

「俺が書いた原稿より、大分軽い感じの神様だったけどな」

「親しみやすいほうがいいだろう」

「……次の演説から、いよいよベリアルの召喚者に、自分は特別な存在なんだって気づいてもらう。三人とも、ラブレターを書くつもりでがんばるぞ」

 アムドゥシアスは、テーブルの上にあったホラティウスの『歌集』のページを繰った。各ページには、恋愛に関する詩に印がつけられていた。

「おまえはその積極性を、自分の召喚者にも向けられるといいのにな」

「……人間には、知らない方がいいこともある……」



 お昼すぎ、午前中の家事をすませた私が、ふすまを開けると、養父が兄を自分の膝に座らせ、自作の物語を読み聞かせていました。

「……こうして、鬼退治のあと、悪いおばあさんとおじいさんは、鬼ヶ島に一点投資したことが祟り、破産をして惨めな老後を過ごしました。一方、良いおばあさんとおじいさんは、急騰した桃太郎プロジェクトを始め、分散投資を怠らなかったことが幸いして、次の世代に残すために、さらなる貯金と投資を続けることができたのでした。めでたし、めでたし……」

 朝の神様の件は、彼の中で「どうせ偽物だろう」ということで決着がついたようでした。

「レミエル、どうじゃ、分かったか」

 兄は大きなあくびをしながら、うなるような声で「ああ」と答えました。

 海岸を散歩するために外へ出ようと、二人のそばを通り過ぎると、養父に呼び止められました。

「茜、遊びに行くなら、花緒さんのところへ、着物のお礼をしにいきなさい。お礼の品は、この本でいいじゃろう。これは、南蛮渡来の最新技術、活版印刷で刷られた、わしの新作『投資太郎と投機次郎――きびだんごによる人材発掘とその分配』の初版本じゃ。わしのサインも書いてやろう。テーマパークが開業したら、温泉の休憩スペースに置くつもりの本じゃ」

 そう言って養父は、今読んでいた本を、私に渡しました。


 外へ出て通りを歩きだすと、誰かが私を見つめているように感じました。ここ数日、外へ出る度に、同じ視線に追いかけられるのです。しかし嫌な感じはしません。それどころか、誰かと一緒に歩いているような、心強ささえ感じるのでした。私は、この視線と二人きりになりたくて、海岸を散歩するために、外へ出ようとしていたのでした。

 不思議な視線との楽しい散歩は、すぐに終わり、私は目的地の下駄屋の前に立っていました。私はため息とともに、重い手で暖簾をくぐりました。そこには案の定、着物をくれた花緒さんとともに、最も会いたくない人物がいました。 

 この家の長男の板緒という男性です。彼の母である花緒さんは、息子と私を結婚させようと、ずっと画策しており、厄介なことに彼も乗り気でした。

 着物のお礼とともに、祖父の本を渡し、すぐに踵を返そうと思いましたが、肩を掴まれました。

「茜さん、板緒との結婚、考えてくれた?」

 板緒さんも仕事の手を休めて立ち上がり、顎に手を当てて私を上から下まで眺めました。これは彼が、商品にする木材を品定めする時と同じ姿勢です。

「君は七之助さんの養子で、他に身寄りが無い。そんな君の身元を引き受け、飯を食べさせれば、僕は君に投資したことになる。それは間接的に、七之助さんの事業に投資することだ。そして彼の事業が成功し、この島に莫大な財産をもたらせば、投資主でもある僕も、神様から永遠の楽園の一等地を与えられるはずだ。ぜひ前向きに検討してくれ」

「……はあ……」

 私は、掴まれた腕が少し緩んだ瞬間を見計らって振り払い、ようやく彼らの家を出ました。




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